メープル・タイム(仮

哀川 羽純

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「雅緒ちゃん」

病室の外にある、飲食のできる面会スペースに座っていたら宮野さんに声を掛けられた。

「宮野さん」

「山口さん、混乱してるみたいね……このまま退院は難しいかも。雅緒ちゃんの事まで分からなくなってしまってるだなんて……ショックが重なったのね」

「はい……」

「雅緒ちゃんも辛いのに。私なんかが言ってもムカつくだけかもだけど、雅緒ちゃん、大変だったね。辛かったね。我慢しなくて良いんだよ」

「宮野さん……っ」

何かが、溢れ出した、我慢していた、蓋をしていた、感情が一気に溢れ出した。

辛い、怖い、切ない、やるせ無さ、
お兄ちゃんを許せない。何で女の子を傷付けたの?
お父さんも許せない。何で私を置いて自殺したの?
お母さんも許せない。何で私だけ忘れちゃったの?

なんで、なんでなんで。


「よしよし、私で良かったら、おいで」

宮野さんは頭を撫でてくれた。
そして両手を広げて、私を迎えてくれた。

気が付いたら、その胸に飛び込んでいた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

「大丈夫よ。一気に何もかも失ってしまったんだもの。パニックになって当然よ。貴方のお母さんは弱かったの。最愛のご主人の最愛の息子。いっぺんに失ってしまったんだもの。まぁ……本人の躾の問題で息子さんはいなくなってしまったんだけどね」

「みやの……さん?」

「私ね、実は、貴方のお兄さんに乱暴された女の子の友達なの……」

「えっ」

「運命ってあったんだって、思ったわ。あの子から笑顔を奪った男の母親の担当になるなんて」

宮野はうっすらと笑った。

「それは、つまり、今回の被害者の方と宮野さんがお知り合いって事ですか?」

「知り合いなんて、軽いものではないわ。彼女は私の全て」

「は?」

雅緒はつい、声を出して聞き返してしまった。
こんな姿、母に見られたらなんて言われるか。

品がない。汚い言葉。本当に山口の娘か。
私は、綺麗じゃないと、母に認められない。

兄は、どんなに汚い言葉を使っても許容された。
兄は「は?」と言っても怒られない。
私は「は?」と言った日にはきつい仕打ちが待っている。

なんでこんなに私たち兄妹には格差があるのだろうか。

雅緒はずっとわからなかった。

わかる日は来るのだろうか。

「ごめんなさい。口が悪くて」

「そう?それくらいなら世間の人は口が悪いなんて言わないわよ。貴方の家、おかしいんじゃない?」

雅緒に、衝撃が走る。

私の家がおかしい? 何故、そんな事を今日初めて会った人に言われなければならないのか。

しかも、私に喧嘩を売ってきた、ナースだ。
何故。

だが、少し雅緒は軽くなった。
あぁ、私の家ってやっぱり変なんだ。
昔、母に言った事がある。

うちは何で、何でもお兄ちゃん優先なの?
皆は、兄妹でビョードーだって。
お母さんがしてる事はサベツって言うらしいよ。
ねぇ、なんで?
 
その時、母はとても怖い顔をしていた。
汚い物でも見るかの様な目付き。
そんな目で雅緒の事を見下ろしていた。
その日、雅緒の夕飯はよういそれたなかった。雅緒はそれを、自分が間違えたからと認識した。
本当は、間違っていたのは母親なのに。

雅緒の洗脳はその時にはもう済んでいた。
いつから、その呪いが掛かっているかは雅緒自身もわからない。

「あたしの全てが楓ちゃんである様にあんたの母親の全ては今回の騒ぎの発端のクソ息子だったって訳ね」

「楓さんの事、好きだったんですか?」

雅緒は思いっきて尋ねてみた。
私も彼女も大概イカれている。
どうせ、私に明るい未来は待っていない。
どうなっても良い。 
仮に、このナースが、突然ポケットから何か薬品を出して打ち込んで来ようが、メスで刺してこようが、どうでも良かった。

「そうね。好きよ。今でも。愛しているわ」

宮野はなにか大切なものを見つめる眼差しで遠くを見る。雅緒が1度も向けられた事の無い眼差しだった。

「同性愛者に出逢うのははじめて?」

この人、敵なのか、味方なのか。
何故、私にこんな話をするのか。

私の兄が憎いらしい。
私の母も憎いらしい。
きっと、父も憎いだろう。

じゃあ、私は?

「何で、あたしがこんな話ししてるか不思議で仕方ないって顔してる」

「えぇ。貴女、私の事が憎いみたいだから」

敢えて、反対方向を見て呟く。
聞こえても、聞こえなくても構わないから。

「雅緒ちゃんが憎いというよりは、事の発端のクソ息子と、そのクソ両親が憎い。話を聞く感じ、雅緒ちゃんも、あのクソ兄貴とクソ両親の被害者みたいだし」 

幸か不幸か、その声は届いていた。

「えっ」

雅緒は予想外の返答に驚きののてを隠せなかった。

「意外? あたし、以外と分別あるのよ。まぁ、これも、あの、楓ちゃんのおかげなんだけど……」

「そんなにすごい子なんですか? 楓さんって」

だから、兄も手を出したりしたのだろうか?

他人に興味を持たない兄が、興味を持った女の子。
という事だろうか?

「違うよ? 楓ちゃん、二重人格なところあるから。自分の好きな人や大切な人にしか素はださないし、色々話したりしないよ? アンタのバカ兄貴に心開くわけないじゃん」

「バカ兄貴……」

雅緒の兄をそう呼ぶ人は今までいなかった。
『素敵なお兄さん』『かっこいいお兄さん』『頭の良いお兄さん』『私もあんなお兄さん欲しい』
などと、全て肯定的な意見だった。

否定的な事を言われた事など1度もなかった。


「そう。だって、バカでしょ? 女の子に無理矢理あんな事するなんて。賢かったらやらないわよ。まぁ、やったとしてもこんな大きな事件にならないんじゃない? 強姦は親告罪なんだから。申告されない様にしてんでしょ。でも、あんたのバカ兄貴はそれができなかった。だからバカ」

この看護師はあっけらかんとものを言うな。
そういえば、私に付き切りだけど、他の患者は良いのだろうか?

雅緒はどうでも良い事が気になってきた。

「アンタの家から賄賂が渡されてる。あたしはあんたら家族専任になったの。だから、貴女とダベっていても問題ないわ。貴女の心のケア~とでも言えば師長は納得するわよ」

「そうですか」

雅緒は不思議な気持ちだった。
今まで、こんな風に自分に接する者はいなかった。

いつも、下心が見え隠れでしていた。

あの子の家のお父さんは偉い人だから、媚を売る。
お兄さん、やばい人らしいよ。
でも、イケメンなんだって! ワンチャンあるかな?
などなど。    

常に、雅緒でなく、周りが主体だった。

「あなたは、そんなお兄さんが邪魔だったんでしょう?」

宮野の目は笑っていない。

「そんな事……ない! 私は、お兄ちゃんが好きだった!」

「ほら、過去形」

宮野はすかさず突っ込んできた。

「だって! 女の子に複数人で乱暴したり、あんな酷い事するなんて、もう、好きじゃいられない。尊敬もできない。嫌い! あの、女好き……!」

こんな言葉遣い、母聞かれたら嫌われてしまう。
でも、もういいや。
どうせ、お母さんは私の事分からないし。
私なんかどうでも良いみたいだし。

もう良いや。

「あれ、目付きが変わった」

「そうよ。ウチ、フツーに皆んなが思ってる様な良い子しゃないもん」

「あっそ」

宮野からの返事はあっけなかった。

「宮野サンっていった? 下の名前は?」

「いきなりタメ口かよ。なにこの変わり様。カメレオンかよ」

宮野は呆れた様にため息をついた後、

「舞」

「舞チャンさ。そんなに楓サンが好きならサッサと堕とせば良いじゃん。ウチ、気になった男は片っ端から堕とすよ?」

雅緒は不敵な笑みを浮かべる。
嫌な女の笑い方。

舞の嫌いなジャンルの女の子。

つまり、楓と真逆のタイプの女の子。

「イヤな女ね。週刊誌のゴシップもあながち嘘じゃないってか?」

つーか、なんで、あたしが"舞チャン"で楓ちゃんが"楓サン"なわけ?!

「舞チャン、週刊誌なんて読むの? ババアかよ。どこ読むのさ。Wednesday? 週刊女史? 女性ナイン? どこもクソな事しか書いてないわよ」

「よくもまぁ、そんなに、つらつら週刊誌名が出てくるわね」

「そりゃまぁ? 毎日追いかけられてれば覚えるわよ。御丁寧に、誌名と氏名を名乗るんだから」

「あっそ。別に、私、アンタに興味ないから良いけど」

雅緒は今まで、自分に興味を持たない人間に会った事がなかった。
面と向かって、そんな事言われた事なんて、なかった。

「ウチ、本当は家が嫌い」

「だから、アンタに興味なんかないんだって。アンタの身の上話聞いたってなんの腹の足しにもならないから。もう帰ったら? アンタの母親にいつ呼ばれるか分かんないから、休める時に休みたいんだよね。この前なんて、夜中の3時に呼ばれたんだけど。どうなってるの。内容は何だと思う?」

「知らないわよ。あんな、碌でもババア」

ため息をついて、視線を逸らす。

「はははっアンタ、本当は口悪いのね」
 
舞はケラケラと笑いながら身体をよじる。

「だって、疲れるじゃない」

雅緒も雅緒であっけらかんと言い放つ。

「まぁ、良いや。正解は、アメリカの大統領の名前はなんだっけ? でした! ググれや!」

「ふっ」

雅緒は思わず吹き出した。
どんだけ、ボケたんだよあのババア。
散々、ウチに物覚えが悪いだ、馬鹿だ、勉強しろ。95点以下はクズだ。これは常識。あれも常識。かと思えば、そんな事に興味を持たなくて良いだ、なんだかんだ。

どんだけ規制してきたんだよ。お前は、ウチを!

「まぁ、良いや。今日は帰る。また、話してよ、舞チャン」

「嫌よ。あたしはアンタの家族が嫌いだし、アンタに興味もないし。なんならアンタも嫌いだし」

冷たい目を向けられる。
でも、何故か、雅緒は舞に興味を持ってしまった。
もっと、話してみたい。知りたい。

「担当患者の娘よ。邪険にしない方が良いじゃなくて?」

口元だけ笑う。
やっぱ、この女の笑い方は気に入らない。

「策士だな、アンタ。まぁ、それもそうね。暇だったら、ね?」

そう言って、舞は立ち上がる。

「ほら、帰んな。変な奴に遭うぞ」

しっしっと追い払う様に手で雅緒を払う。

「何だかんだ、心配してくれるのね。優しいじゃん。舞サン」

払われた雅緒は取り敢えず椅子から立ち上がる。

雅緒はニヤリと笑う。
さっきの笑い方より良いかもしれない。
まぁ、どちらにしろ嫌いな女だけど。

「あたしが引き止めた、みたいになるじゃん。嫌よ。そんな、事件に巻き込まれた時にあたしが最期に会った人でした。みたいなの」

迷惑そうに舞は首を振る。

「殺すなよ」

雅緒が笑いながら言い返してくる。

「はいはい。だからね、帰ろうね」

「わかったよ。じゃあね」

そう言って、雅緒は自宅へと帰る事にした。

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