コトノハコダマ奇譚

市境前12アール

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第六話 儚 ――コトノハコダマ――

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「新幹線を使えば一、二時間か。日帰りでも、思ったよりもいろんな場所に行けそうだな」

 一つの物語を完結させて、その余韻にひたりながら。日帰りで旅行にでも行こうかなんて思いついた影仁かげひとは、インターネットで軽く調べ始める。
 その結果、日帰りでも思いのほか遠くまで行けそうだと結論付けた彼は、よし、京都に行こうと決意をして、その翌日の会社帰りにガイドブックを購入する。

 自室のベッドに寝転がって買ってきたガイドブックをパラパラとめくる影仁。西本願寺と東本願寺ってホントに目と鼻の先にあるな、こんな近くで意地を張りあうとかいい迷惑だなとか、やっぱり五重塔は欠かせないよなとか、そんなことを思いながら、ページの端に折り目を付けていく。

――そうして、ガイドブックを眺めながら久しぶりにのんびりとした一週間を過ごした影仁は、週末、早起きをして朝一番の新幹線に乗って。今日は一日、京都を満喫しようという決意を胸に、京都駅を出て、まずは最初の目的地、駅を出てすぐそこにある東寺に向かって歩き出した。

  ◇

「えっと、今はここだから……」

 まずは手始めに、東寺と西本願寺を見て回った影仁。これじゃあまるで時間に追われたバスツアーだなと少しだけ後悔しながら、とりあえず次の東本願寺は見ておこうと、スマホの地図を見ながら歩き始める。

 ガイドブックを見ているといろんなところに行きたくなるものだけどと、東本願寺に向かいながら影仁は考える。思うに、京都駅周辺というのはその中でも別格なんだろうなと。

――実に多くの名所旧跡が駅周辺に密集している、京都駅というのはそういう場所だ。

 地図だけ見ていると、行けるような気になるのだ。現に、東寺、西本願寺、東本願寺、三十三間堂、智積院と、これだけのお寺が建っている。立ち止まりさえしなければ歩いて回ることも十分に可能だ。

……もっとも、立ち止まらずに歩いて回ることに意味があるとも思えないけど。

 これでも抑えたつもりなんだけどな、いや、手始めにお寺を五つってどう考えても間違ってるだろと、そう自分にツッコミを入れる影仁。いろんな場所に行っても、時間に追われて見てません覚えてませんじゃ意味ないだろうと。
 うん、やっぱりどこかで駅に戻って計画を立て直さないとと、そんなことを考えている間に東本願寺に到着した影仁。とりあえずここはのんびりと見て、その後に駅に戻って考えますかと、びっくりするほど迫力のある門をくぐって、敷地の中に入っていった。

  ◇

 そうして、東本願寺を十分に堪能したあと。うん、やっぱり観光は時間に追われちゃいけない、そんなことを考えながら、一度京都駅まで戻ってきた影仁。どこか喫茶店でもと周りを見渡した彼の目に、こちらを見ている一人の人が目に入る。

 その人は多分、まだ中学生か高校生くらいの年齢だろうか。どこか幼さと大人っぽさが同居しているような年頃で。

――どうしてか、彼と話をしなくてはいけないような、そんな気がした。

 いや、いくらなんでも見ず知らずの、目が合っただけの人に話しかけるのはおかしい、なんでそんなことを考えたのかと首を傾げる影仁。だが、そんな影仁の考えとはうらはらに、その人物は影仁に話しかけてくる。

「すいません。少し変なことを聞きますが。――もしかして、『ヒナタヒロ』さんですか?」

 見知らぬ人から自分のハンドルネームで呼ばれて。きっとこの人は、コトノハさんの代わりに画面の向こうでやりとりをしていた人だと、影仁はそう直感して……

――違う、直感じゃない、彼女にそう語りかけられたんだと、そんな突拍子もないことを確信する。

 日引ひびきつぐるさんと自己紹介したその人と、影仁は少しだけ立ち話をして。彼はコトノハコダマという名前で活動していた日引はかなさんの弟さんで、儚さんに代わって、コトノハコダマとしてメッセージを送り続けてくれていたことを知る。

 コトノハコダマさん、いや、儚さんは、もう一月以上も前に亡くなっていたということを。

  ◇

「姉は、言葉に乗った感情を力として受け止めてしまう、そんな不思議な体質の人でした」

 一度でいいから儚さんの部屋を見てあげてほしい、そう告さんにお願いをされた影仁は、京都駅から電車で三十分の場所にあるという告さんの家に案内してもらうことになって。そこに着くまでの間、告さんから儚さんの話を聞く。

 それは、とても不思議な話で。

 儚さんは、聞いた言葉に強い影響を受けてしまう人という、ちょっと信じられないような話を聞く。攻撃的な言葉を聞くとまるで殴られたようなあざができたり、泣き言や愚痴を聞くと体調を崩してしまうこともあると、そんな常識では考えられないような体質を抱えていたと。
 ただ、影響を受けるのはマイナスの影響だけじゃなくて。例えば癒されるような言葉を聞けば身体も癒されるし、幸せそうな言葉を聞けば傷も治ったりする、そんな不思議な体質の人だったらしい。
 そんな、常識的に考えればあり得ないような話を聞きながら。以前、更新をする度に見ていた夢を思い出していた。

 文字の羅列を覗き込んでは苦しんで、心地よい言葉に癒されては覗き込むのを繰り返してた、あの夢を。

  ◇

 やがて到着した家は、どこにでもありそうな一軒家で。自分を見て訝しげな表情を浮かべたご両親に自己紹介をする。告さんも説明してくれて、ようやく納得してくれたのだろう。家の中に上げてもらって。仏壇の前で、線香をあげて、手を合わせて。そっとお祈りをしてから、二階にあるという彼女の部屋にお邪魔をした。

  ◇

 そこは、フローリングの床に、白い壁の、どこか寂しさを感じる部屋。部屋の隅には木製のベッドと棚。白い小さな机の上には、今は使う人がいないであろう閉じられたままのノートパソコンが、ちょこんと置かれていた。
 そんな何気ない部屋の風景にどこか違和感を感じた影仁。もう一度、部屋の中を見渡して。普通、どんな部屋にも当たり前にあるはずのものが無いことに影仁は気が付いて。首を傾げながら、そのことを告さんに聞いてみる。

「……この部屋、窓はないんですか?」

 そんな何気ない質問に対して。告さんから返ってきたのは、儚さんがその体質のために背負うことになった、過酷な現実だった。

「窓を無くして、その変わりに防音を強化しています。――姉は外の、『言葉に満ちた世界』世界では生きていけない、そんな人でしたから」

 告さんは言う。自分の姉は、道端で怒鳴っている人がいるだけでまるで誰かに殴られたようなあざができるし、誰かが電話で謝ってるのを聞くだけで体調を崩す。そんな人にとって、外から聞こえてくる音は暴力以外の何物でもなかった、と。

「だから、姉は部屋の中で、外からの音も遮断して、この部屋に閉じこもって生きるしかなかったんです」

 そう言う告さんの声には、姉にたいする様々な想いが入り混じっていた。



 儚さんが言葉に込められた感情に対して敏感になったのは、思春期を超えたあたりからのことで。小学生の頃は何事もなく過ごしていたのが、中学生になると少しずつ「言葉の力」に影響されるようになっていって。高校生の半ばには通学するのも難しいくらいに言葉に敏感になって。
 やがて高校に行くことも出来なくなった彼女は、高校を中退して、この部屋でたった一人、好きな癒しの曲をかけっぱなしにして過ごすしかなくなっていた。そんな彼女に残されたのは、この家に住む家族という、ほんの小さな世界だけ。窓もないこの部屋で彼女は一人、外との接点をインターネットに求めながら、毎日を過ごすことになる。

 声だとどうすることもできないけど、文章なら。読むペースを落とせば影響を少なくできるし、癒されるような歌を流せば、負の感情が込められた文章でも読み進めることができる。なにより、体調を崩したのなら、そこで読むのを止めればいい。

「文章なら、たとえ変な文章を見て倒れることになっても、周りに流れている歌が癒してくれると、そう僕たちは思っていたんです。だって、たとえ姉の体質でも、ゆっくりと時間をかけて身体を癒しながら読み進めれば、どんな文章だって読めるんですから」

 ああ、そうだ。ゆっくり落ち着いて読めば、儚さんは今も元気でいたんだと、あのとき見た夢のことを思い出す。どれだけ身体を貫かれても読むのを止めようとしなかった夢の中の自分のことを。

――いや、僕の話に夢中になって、命をなげうってまで読み進めてしまった儚さんのことを。

 あの時の感情を思い出す。身体を突き刺すような痛みに、それでも魅入られたように文字の羅列を追い続けたあの時の儚さんが抱いていた想い。

「きっと、ヒナタさんの書かれた小説は、瑞葉みずはさんは、姉にとっては憧れだったんです」

 告さんの言葉に頷いて。あの時の儚さんの感情を思い出して、どうしようもなく泣きたくなる。

 瑞葉の抱いていた殺意という感情は、儚さんにとって、絶対に抱くことができない感情だった。でも、その感情にあのときの儚さんは共感していて。……そしてきっと、告さんの言う通り、あの感情に儚さんは、憧れすら抱いていたのだ。

 人に向けられれば、いやきっと、自分で抱いただけで耐えられないであろう、強い感情に。

 どれだけ綺麗な剣と魔法の世界だって、儚さんにとってはきっとどうでも良い世界だったと思う。人と人とが殺し合う作品に出会ったとしても、現実とはかけ離れた異世界の物語を、儚さんは命を削ってまで読もうとは思わなかっただろう。
 ただ、描かれていたのは現実の世界で。そこに描かれていたのは、ありふれた人の感情で。そんな普通の世界の出来事が、儚さんにはなにより魅力的で。

 そこに書かれた瑞葉と言う人が、どうしようもなくバカで、一途で、感情豊かで人間らしくて情が深くて魅力的だったから。そんな感情をいだくことを許されていない彼女は瑞葉に憧れて。

 だから儚さんは、ゆっくりと「文章から目を離して身体が癒えるのを待つ」なんていい加減な読み方をすることができなくて。没頭して、命を落としてまで、僕の話を読み続けることになったんだと。そんなことを確信してしまって。

――何より。その儚さんの想いが伝わってきて。その想いが伝わるほどに、泣きたくなるのをこらえてた。

  ◇

「姉はきっと、ヒナタさんに自分のことで悲しんでほしくないと思います」

 話を終えて。告さんにそう言われて。ああ、なんとなくだけど告さんの気持ちがわかる気がした。告さんはずっと儚さんの声を聞き続けて。儚さんの願い通りに自分にメッセージを送ってきて。それはきっと、告さんは姉の願いを叶えたいと思ったからで。

――だからきっと、今日自分がここにいるのも、告さんが自分に悲しまないでほしいと言っているのも、きっと儚さんがそう願ったことなんだ。

「今日は突然声をかけてごめんなさい。姉のことを悼んでくれてありがとうございます」

 別れ際の告さんの挨拶はきっと本心なのだろう。きっといい弟さんなんだろうなと、そんなことを心の中で、そっと思った。

  ◇

「それじゃあ、お邪魔しました」

 そう言って、彼女の家からおいとまをして。最寄りの駅から京都行きの電車に乗って。うん、京都観光はまた今度にして、今日はもう家に帰ろうかなと、そう考えたところで。

――なんでだろう、そんなことは気にしなくていいし、一緒に見て回りたいなと、そんなことをふと思う。

 そうだねと一人で頷いて。よし、そうと決まれば時間いっぱいまで楽しもうと、そんなことを思いながら、持ち歩いていたガイドブックを開いて、次はどこに行こうか、ゆっくりと考え始めた。
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