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桜の季節(春のうららのすみだ水族館)
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「まずは、手始めに、クラゲゾーンね」
少しならんでチケットを購入した後、エミはそう言って通路をぐいぐいと歩き始めた。
手始めに、と言っても水族館は順路というものがあるのではないだろうか。スミレと僕は、来場者の間を縫ってエミについて行く。
「ねえ、スミレ、あなたクラゲって食べたことある?」
『すみだ水族館』行きが決まったのは、エミのそんな一言からだった。
「そうね、家族で中華料理店に言ったとき、キュウリと何かで和えたのを食べたくらいかしら……それより、何よそれ?いきなり」
ソファに並んで座っていたスミレは、首を傾け、訝しがる。
彼女の若返りは、また少し進んだようで、こうやってエミと隣同士にいると、今ではスミレの方が妹っぽく見える。
「いやね、調べたんだけどさ、クラゲの中には若返る種類がいるらしいの」
そう言うと彼女はスマホをポチポチと操作し、画面をスミレに見せる。僕も気になって、彼女の背後から画面を覗く。そこには、透明な釣り鐘型の胴体から無数の細い足が生えているクラゲの写真が映し出されていた。胴体の中心に赤いハートのような心臓? 内臓? がある。
「ベニクラゲ。若返りのクラゲとして有名らしいよ」
『若返り』という言葉に反応し、スミレはエミのスマホに手を伸ばす。『ベニクラゲ』の検索結果から、彼女はしばらくいくつかの記事を熱心に読む。
僕は、当たり前のようにスミレの家にいるが、女の子二人の空間に混ざっているのに未だに慣れない。何かソワソワする。数分間黙って画面を見ていたスミレは顔を上げてスマホをエミに返した。
「若返りと言っても、このクラゲ、だんだんと若くなるわけじゃなくて、いきなりポリプっていう、赤ちゃんクラゲの前の状態になるみたいじゃない。私の場合とちょっと違う……というかエミ、それで私にクラゲ食べてことあるかって聞いたの⁉」
「うん。どうやら、若返ることができる動物って、世界中でもこのクラゲだけみたいだし」
「別にクラゲの和え物食べたからって、その習性が移るわけないでしょ。だいたいベニクラゲって食べられるの?」
ネットの情報によると、ベニクラゲの大きさは、数ミリから一㎝程度らしい。食べられるかどうかはわからない。
家出娘、エミの居候が始まる時、この家の持ち主(仮)になってくれた、スミレが勤めるヘアサロンの店長、大野さんは機転をきかし、様々なクラゲの写真パネルを持参して、壁に架けてあったスミレの家族写真と全て交換した。その目的は、エミの両親に、この家が落雷の犠牲になった遺族の住まいだとバレないようにするためのカモフラージュだったが、エミにも気を遣ってあげたのかも知れない。二人の少女は、ほとんどこの家に閉じこもりっぱなしなので、目の前に架けてあるたくさんのクラゲ写真に興味を持っても不思議ではない。
「でさ、ヨウ。アタシ達をクラゲのいる水族館に連れて行ってくれない?」
『ヨウ』とは僕のことだ。高野陽。いつの間にか名前呼びになっている。スミレからも呼ばれたことないのに。
スミレをちらっと見やる。「いいんじゃない」と表情で返してきた。まあ、たまには外の空気を吸うのも、二人にとっては気分転換にもなるだろう。こうして、二人の女子中学生を引率して水族館行きが決まったのだ。
クラゲゾーンは、エントランスの通路から階段を上がり、自然水系という生態系を水槽の中に再現したコーナーを抜けるとすぐにあった。
壁から円筒状に突き出ている水槽には、色、形、大きさの異なるクラゲが展示されている。宇宙船のようなシロクラゲ、赤い幽霊のようなパシフィックシーネットル、カラージェリーフィッシュは、名前の通りブルーが鮮やかで、形状が愛くるしい。
その先に進むと、大きなクラゲの水槽『ビッグシャーレ』があり、エミはそれを見下ろせるデッキの上にいた。スマホを手に、多数のミズクラゲが漂う様子をボーッと眺めている。スミレと僕も巨大な水槽の縁から、青い神秘的な世界に没頭した。
どこに行くでもなく。かといって、ただ流されているだけでもなく。無規律に泳ぎ漂う半透明の生命体を眺めていると、頭の中からごちゃごちゃとした雑念が消えていくように感じた。手すりに掴まり、スミレも無心に水面を眺めている。
冬から春にかけて、色々な出来事が起きた。
でも、彼女の身の回りに起きていることは、まだ何も解決していない。現在進行形。
「私は、世界で一人、若返ることができる人間」
彼女が小さくつぶやく。独りぼっちの淋しさが声になったのだろうか。そのあどけない表情を見て、僕は彼女の肩に手を置いたが、思い直しすぐに引っ込めた。彼女は、ぱっと見は中学生、ややもすれば小学高学年に見え、僕は大学生なのだ。
「おーい、そんなところでイチャつかないんだぞう!」
目ざといエミは見逃さず、水槽の上にあるデッキからヤジを飛ばしてきた。スミレがふっと微笑む。そしてすぐに幾分悲しそうな表情に戻った。
その後、青い世界に一筋の泡が上っていく巨大水槽に圧倒され、砂地から多数の愛嬌のある顔を出すチンアナゴ、下町の水族館ならではの金魚の展示ゾーン『江戸リウム』などを三人で観て回った。
クラゲを飼育している『ラボ』というコーナーがあり、そこのスタッフさんにエミが問いかける。
「あのー、ここにはベニクラゲはいないんですか?」
「ああ、残念ながらここでは飼育していないよ……この辺なら、新江ノ島かなあ」
エミがちょっと鋭い目つきで僕を睨む。多分、そこにも連れて行けと言われるだろう。
彼女は、思いのほか水族館が気に入ったようで、ペンギンやオットセイのコーナーを熱心に見て回った。最後にグッズコーナーに寄って、スミレとエミは色々と物色していたが、クラゲの丸っこい小さなぬいぐるみを色違いで買った。
水族館のある東京ソラマチで昼食を食べる店を探す。ショッピング街の通りは、家族連れや外国人観光客で溢れかえっている。町の中華食堂のようなお店に入り、ラーメンと餃子を食べる。
エミは水族館のグッズコーナーで買ったクラゲのぬいぐるみを紙袋から取り出し、チェーンを持ってブラブラさせながらつぶやく。
「あーあ、結局原因はわからずじまいか」
「エミ、ひょっとして私のこと心配して、ここに連れてきてくれたの?」
スミレが少し驚いた表情を見せる。
「まあね」
エミが少し照れて答える。
「でも……クラゲは、関係ないと思う」
スミレが少し寂しそうにつぶやく。
「はは、そうかもね」
やがて、ラーメンと餃子が運ばれてきて会話は終わった。
食事のあと、さらに人通りが多くなった通路から、都営浅草線の駅に向かう。
ふとエミは立ち止まると後ろを振り返り、スカイツリーを見上げる。それを真似てスミレと僕も見上げる。ツリーはとてつもなく高く、顔を九十度の真上に上げないと見えない。というか見上げても、てっぺんがどこなのかよくわからない。
「アタシね。水族館の仕事って面白そうだなって思った」
ツリー見上げたまま、エミがぽそっと言った。スミレも見上げたまま応える。
「そう、それはよかった。今日ここに来た収穫ね」
「でも、海の見える水族館も行ってみたい。これからの進路を考えるためにも」
エミは顔を降ろし、僕を見る。
「エミって意外とマジメなんだな」
「なんだと!……だから今度は、新江ノ島水族館、連れてってよ」
僕の背中をボコボコ叩いて催促するので、わかったわかったと言いながら地下鉄の入り口の方まで逃げた。
少しならんでチケットを購入した後、エミはそう言って通路をぐいぐいと歩き始めた。
手始めに、と言っても水族館は順路というものがあるのではないだろうか。スミレと僕は、来場者の間を縫ってエミについて行く。
「ねえ、スミレ、あなたクラゲって食べたことある?」
『すみだ水族館』行きが決まったのは、エミのそんな一言からだった。
「そうね、家族で中華料理店に言ったとき、キュウリと何かで和えたのを食べたくらいかしら……それより、何よそれ?いきなり」
ソファに並んで座っていたスミレは、首を傾け、訝しがる。
彼女の若返りは、また少し進んだようで、こうやってエミと隣同士にいると、今ではスミレの方が妹っぽく見える。
「いやね、調べたんだけどさ、クラゲの中には若返る種類がいるらしいの」
そう言うと彼女はスマホをポチポチと操作し、画面をスミレに見せる。僕も気になって、彼女の背後から画面を覗く。そこには、透明な釣り鐘型の胴体から無数の細い足が生えているクラゲの写真が映し出されていた。胴体の中心に赤いハートのような心臓? 内臓? がある。
「ベニクラゲ。若返りのクラゲとして有名らしいよ」
『若返り』という言葉に反応し、スミレはエミのスマホに手を伸ばす。『ベニクラゲ』の検索結果から、彼女はしばらくいくつかの記事を熱心に読む。
僕は、当たり前のようにスミレの家にいるが、女の子二人の空間に混ざっているのに未だに慣れない。何かソワソワする。数分間黙って画面を見ていたスミレは顔を上げてスマホをエミに返した。
「若返りと言っても、このクラゲ、だんだんと若くなるわけじゃなくて、いきなりポリプっていう、赤ちゃんクラゲの前の状態になるみたいじゃない。私の場合とちょっと違う……というかエミ、それで私にクラゲ食べてことあるかって聞いたの⁉」
「うん。どうやら、若返ることができる動物って、世界中でもこのクラゲだけみたいだし」
「別にクラゲの和え物食べたからって、その習性が移るわけないでしょ。だいたいベニクラゲって食べられるの?」
ネットの情報によると、ベニクラゲの大きさは、数ミリから一㎝程度らしい。食べられるかどうかはわからない。
家出娘、エミの居候が始まる時、この家の持ち主(仮)になってくれた、スミレが勤めるヘアサロンの店長、大野さんは機転をきかし、様々なクラゲの写真パネルを持参して、壁に架けてあったスミレの家族写真と全て交換した。その目的は、エミの両親に、この家が落雷の犠牲になった遺族の住まいだとバレないようにするためのカモフラージュだったが、エミにも気を遣ってあげたのかも知れない。二人の少女は、ほとんどこの家に閉じこもりっぱなしなので、目の前に架けてあるたくさんのクラゲ写真に興味を持っても不思議ではない。
「でさ、ヨウ。アタシ達をクラゲのいる水族館に連れて行ってくれない?」
『ヨウ』とは僕のことだ。高野陽。いつの間にか名前呼びになっている。スミレからも呼ばれたことないのに。
スミレをちらっと見やる。「いいんじゃない」と表情で返してきた。まあ、たまには外の空気を吸うのも、二人にとっては気分転換にもなるだろう。こうして、二人の女子中学生を引率して水族館行きが決まったのだ。
クラゲゾーンは、エントランスの通路から階段を上がり、自然水系という生態系を水槽の中に再現したコーナーを抜けるとすぐにあった。
壁から円筒状に突き出ている水槽には、色、形、大きさの異なるクラゲが展示されている。宇宙船のようなシロクラゲ、赤い幽霊のようなパシフィックシーネットル、カラージェリーフィッシュは、名前の通りブルーが鮮やかで、形状が愛くるしい。
その先に進むと、大きなクラゲの水槽『ビッグシャーレ』があり、エミはそれを見下ろせるデッキの上にいた。スマホを手に、多数のミズクラゲが漂う様子をボーッと眺めている。スミレと僕も巨大な水槽の縁から、青い神秘的な世界に没頭した。
どこに行くでもなく。かといって、ただ流されているだけでもなく。無規律に泳ぎ漂う半透明の生命体を眺めていると、頭の中からごちゃごちゃとした雑念が消えていくように感じた。手すりに掴まり、スミレも無心に水面を眺めている。
冬から春にかけて、色々な出来事が起きた。
でも、彼女の身の回りに起きていることは、まだ何も解決していない。現在進行形。
「私は、世界で一人、若返ることができる人間」
彼女が小さくつぶやく。独りぼっちの淋しさが声になったのだろうか。そのあどけない表情を見て、僕は彼女の肩に手を置いたが、思い直しすぐに引っ込めた。彼女は、ぱっと見は中学生、ややもすれば小学高学年に見え、僕は大学生なのだ。
「おーい、そんなところでイチャつかないんだぞう!」
目ざといエミは見逃さず、水槽の上にあるデッキからヤジを飛ばしてきた。スミレがふっと微笑む。そしてすぐに幾分悲しそうな表情に戻った。
その後、青い世界に一筋の泡が上っていく巨大水槽に圧倒され、砂地から多数の愛嬌のある顔を出すチンアナゴ、下町の水族館ならではの金魚の展示ゾーン『江戸リウム』などを三人で観て回った。
クラゲを飼育している『ラボ』というコーナーがあり、そこのスタッフさんにエミが問いかける。
「あのー、ここにはベニクラゲはいないんですか?」
「ああ、残念ながらここでは飼育していないよ……この辺なら、新江ノ島かなあ」
エミがちょっと鋭い目つきで僕を睨む。多分、そこにも連れて行けと言われるだろう。
彼女は、思いのほか水族館が気に入ったようで、ペンギンやオットセイのコーナーを熱心に見て回った。最後にグッズコーナーに寄って、スミレとエミは色々と物色していたが、クラゲの丸っこい小さなぬいぐるみを色違いで買った。
水族館のある東京ソラマチで昼食を食べる店を探す。ショッピング街の通りは、家族連れや外国人観光客で溢れかえっている。町の中華食堂のようなお店に入り、ラーメンと餃子を食べる。
エミは水族館のグッズコーナーで買ったクラゲのぬいぐるみを紙袋から取り出し、チェーンを持ってブラブラさせながらつぶやく。
「あーあ、結局原因はわからずじまいか」
「エミ、ひょっとして私のこと心配して、ここに連れてきてくれたの?」
スミレが少し驚いた表情を見せる。
「まあね」
エミが少し照れて答える。
「でも……クラゲは、関係ないと思う」
スミレが少し寂しそうにつぶやく。
「はは、そうかもね」
やがて、ラーメンと餃子が運ばれてきて会話は終わった。
食事のあと、さらに人通りが多くなった通路から、都営浅草線の駅に向かう。
ふとエミは立ち止まると後ろを振り返り、スカイツリーを見上げる。それを真似てスミレと僕も見上げる。ツリーはとてつもなく高く、顔を九十度の真上に上げないと見えない。というか見上げても、てっぺんがどこなのかよくわからない。
「アタシね。水族館の仕事って面白そうだなって思った」
ツリー見上げたまま、エミがぽそっと言った。スミレも見上げたまま応える。
「そう、それはよかった。今日ここに来た収穫ね」
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エミは顔を降ろし、僕を見る。
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