ぷるぷるの昇降係

舟津湊

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長月、新たな出発(神様のおまけ)

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 五月からスミレの家のリビングの見せ柱には、細いマジックの線が何本も引かれた。やがて線の間隔は狭くなり、七月二十四日のスミレの誕生日あたりでは、ほぼ同じ場所に線が何本も引かれている。身長の伸びはほとんど止まったのだ。百六十㎝。スミレが若返り始める前の身長と同じだ。
 そうなると、僕たちの関心は『柱の傷』から別のものに移る。毎年スミレの誕生日に撮っていた、iPadに保存されている家族写真。
 二人でソファに座り、十六歳から二十歳前後の写真を行ったり来たりさせながら、今のスミレの顔と見比べる。十八歳位から少女の面影が薄れ、その分大人っぽさが漂ってきている。
「写真も私の顔も、そんなジロジロ見ないでくれる?……すごく恥ずかしいんですけど」
「ゴメンゴメン。……でも、これでほぼ確定かな」
「どうだった?」
「身長は、七月の終わりに伸びが止まった。顔立ちは八月中旬位まで少しずつ変わっていったけど、それからは、ほとんど変化がみられない。顔はこの写真と同じだよ」
 スミレにiPadを手渡す。彼女はしばらく写真を凝視し、目線を上げた。
「私今、十八歳ということ?」
「うん。この前の誕生日は、スミレにとって十八歳の誕生日、ということになるかな」
「本当の歳だと二十五歳の誕生日だったから、七歳も若くなったっていうこと?」
「そうだね。随分得したね」
「イテ!」
 スミレがいきなりデコピンしてきた。
「なんかその言い方、ムカつく!」
「ゴメンゴメン!」
 年齢や顔の話は、なるべく彼女の気分を害さないように十分に気をつけていたつもりだったが、ついボロが出た。
「……まあ、いろいろあったから、神様がおまけしてくれたのかもね」
 スミレはソファに背をもたせかけ、天井を見つめる。
「高野君は二十歳、私は十八歳。君にとっては『年上の彼女』が、いつの間にか年下の彼女になっちゃったね」
 実年齢について触れるのは何とか回避した。
「……そうだね。ここから僕たちはもう一度出発するんだ」
「うん」
 今度はデコピンされることなく、スミレは満足そうに微笑んだ。

 出発といえば、僕はこの秋から新しいことを始めた。臨床心理士の資格をとるための勉強だ。臨床心理士とは、心の問題を抱えた方を解決に導いていく心理学の専門家で、企業や教育機関などで心理カウンセラーの職につく人が多い。まだ具体的にどういう仕事をやりたい、というのはないが、スミレやエミと一緒にいた経験を通じて、助けを必要としている人にとって少しでも力になりたいと思うようになったからだ。また、将来やりたいと思っている『ホスピタルクラウン』にも、病院の患者さんに向き合う上で何かしら役に立つのではないかと考えている。
 心理療法士になるには、指定の大学院等を卒業し、資格試験に合格することが必要だが、大学でも臨床心理学のカリキュラムを学んでおきたい。幸い僕が通っている大学の教育学部には専門の学科があるため、来年度から転科することを決めた。心理療法士になる道のりは遠いが、まずはこの秋から転科試験のためのオンライン予備校に通う。
 このことをスミレに話したら、
「将来やりたいことは、すごく君に合っているし、そのために勉強したり資格をとることは、これから色々なことに役立つと思うよ。応援する」
 と手放しで喜んでくれた。その間「笑かせ屋」の活動は少し減らさなければならないが、できれば卒業するまで続けていきたい。

 僕はと言えばそんな感じだが、ヘアサロン「アルレッキーノ」でのスミレの仕事も順調なようだ。スミレが復帰した時、常連さんやお店のスタッフさんの驚きはかなり大きかったようだが、大野店長のフォローもあり、以前のように店長の右腕として活躍している。予約を入れて僕も実際にお店を訪ねたが、腕も接客も前と同じだ。急激に成長していくスミレの姿をみんな暖かく見守ってくれているとスミレは笑いながら話してくれた。
 さて。家出娘でスミレ家の居候、エミは現在どうしているか?
 エミとスミレと僕のLINEグループを作ったには作ったが、こっちはほとんど利用されていない。もっぱらエミとスミレはLINEのメッセージでダイレクトにやりとりしている。スミレから聞くところによると、ご両親とも学校の友だちともうまくやっているとのことだ。一回だけ、親子喧嘩をして、スミレの家に泊まりに来ていいか連絡があったそうだが、スミレの説得もあり未遂に終わったようだ。

 八月中旬に珍しくエミからLINEグループに投稿があった。超巨大な丸窓の水槽の中では沢山のクラゲが泳いでいて、その前にエミ親子が三人並んで写っている画像が添付されている。クラゲはよく写っているが、人物は逆光になっていて残念ながら三人の表情はよくわからなかった。夏休みに家族旅行で東北へ行き、クラゲでの有名な山形の水族館(クラネタリウムと言うらしい……)に寄ったときのものだそうだ。

 僕ら三人はこうして、何とか前に進み始めている。
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