ぷるぷるの昇降係

舟津湊

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最終話:夢の中のエピローグ(ぷるぷるの昇降係)

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 家族四人で江ノ島の水族館に行ったその夜。
 寝室に射し込む月明かりを感じて私は目を覚ました。

 まずは、ここが現実の世界なのかを確かめる。間違いなく、私と夫の部屋。広さは八畳ほど。元々私が子供の時から使っている部屋なので、夫婦と子供の四人で寝るのには狭いが、何となくそのまま寝室として使い続けている。
 私の父と母の寝室は十二畳と余裕の広さだが、エミが居候していた時以来使われずに、家具やベッドもそのままになっている。子供達が少し大きくなったら、部屋の中を整理して子供部屋にしよう。多分……二人はあの部屋を使い慣れているだろうし。
 双子用のベッドで眠る、お姫様、王子様の寝顔を確かめる。月明かりに淡く照らされた女の子のほっぺを撫でると、小さな口で微笑み。男の子のほっぺに触ると、少しむずかった。
 そう。ここは現実の世界なんだ。夢みたいに幸せな時間が流れる現実。私ひとりでは掴むことができなかった現実。
 私の傍らで、体をくの字に曲げて、むこうを向いて寝ている夫。さっき、私がどんな夢を見ていたかも知らずに……ほんと、のんきなんだから。
 彼は、年下だったのに、いつの間にか私より年上になった。最近、歳の話は持ち出さなくなった。気を遣っている、というよりも地雷を踏んだ時の私の反応が怖いらしい。
 自分の夫のことを『この人はこういう性格だ』ってあまり考えたことはなかったけど、さっきまで見ていた夢を思い出し、少し驚いた。私、彼のことそんな風に思っていたんだって。
 タオルケットを少しめくらせてもらい、彼の背中に顔をつける。
『うーん……』と小さく唸りながら、モソモソと無意識に私の手を探し、握ってくれる。


 ほんとうに、不思議な夢だった。
 夢の中では、私は宇宙飛行士だった。
 陽君、信じられる? ヘアサロンに勤めているはずの私が宇宙を旅してるなんて。
 でも、ちょっと憧れる。そういう生き方、人生もあるんだなあって。
 私は彼の背中に頬をつけたまま、手を握り返して、さっき見た夢を反芻する。

◇ ◇ ◇

カシャーン
パリン。
カタカタ……

 この船の、終わりの始まり。
 私は膝を抱え、コックピットのラックを背にしてうずくまる。
 間もなく、国際宇宙ステーションは、軌道をはずれ、徐々に高度を下げていく。その過程のどこかで、破壊が進み、炎を上げ、やがて燃え尽きる。私の身も一緒に。

 宇宙ステーションの老朽化は、シミュレーションよりはるかに早く進み、慌てた多国籍共同プロジェクトは急遽、救助船を打ち上げたが、手配できた帰還ロケットに乗ることができるのは、四人。ここに残っていた五人はクジ引きで残る人間を決めた。恨みっこなしだ。こうなることは、わかっていた。私は子供のころからクジ運が悪く、じゃんけんも弱い。でも、この仕事に就いたときから、覚悟はできていた。
 死は怖くない……でも、一人で地球に落ちていくのは、さびしい。敢えて、彼のことは考えないようにする。考え始めたら、もう……

ガシャーン、
ダダダダ。
ゴトン。

 傾き、振動……船がいつもと違う挙動をしているのがよくわかる。
 せめて、美しい地球の姿を眺めながら、最後を迎えたい。私は立ち上がり、大きな展望窓に近寄る。漆黒の空間を背景に、故郷が青く眩く光っている。

「地球か。何もかもみな、懐かしい……」
 少しの間居候していた家出娘、エミと一緒にネット配信で観たアニメ。故郷の星を目の前に、生涯を終える宇宙戦艦の艦長の名セリフ。それを口にしてみた。不意を突いて涙が流れる。
 コックピットの椅子に座り直し、目を閉じようとしたとき。薄ピンクの光が窓全体を覆った。
 いよいよか、と思った矢先。
 コックピットのドアのノブがくるりと回転し、分厚い扉が開いた。
 グレーのTシャツに、ライトブルーのデニムパンツ。扉の向こうに見えた人の姿は、この場所では考えられない軽装でラフだった。

「ヨ……陽君! な……なんで、あなた、ここにいるの?」
「迎えに来たんだ。 さあ、スミレ、一緒に帰ろ?」
「か、帰ろって……あなたはどうやってここまで来たの?」
「うーん、なんて言ったらいいか……でもそんなに難しくないんだ」

 そうだ。昔から、この人はいつもそう。ややこしいことを深く考えず、何とはなしにやってしまう。超に超を重ねる楽観主義だ。

「あいつが連れてきてくれたんだ」
 ヨウ君は窓の外を見やる。薄ピンクの光が覆っているだけだ。
 大きな船がガタンと揺れる。
「スミレ、時間がない。さあ、行こう」
 彼は私の手をとり、コックピットを出て、ドッキング用のハッチのハンドルを回す。
 さっき、救助船を見送った場所だ。
「陽君!そんな恰好で、危ない!」
 彼はかまわずハンドルを回す。
 やがて扉が開き。
 そこは、真空の宇宙ではなく、さっき見た、薄ピンクの淡い光の空間だった。
 彼は私の体を抱きかかえ、宇宙に飛び出す。

ぷるん。

 不思議な感触だった。冷たくも暖くもない『冷えピタ』。
 彼と私は抱き合いながら、全身その感覚に包まれる。
「ねえ、ヨウ君。これ、なんだかわかっているの?」
「あ? ああ。いつも眺めていたからね」
「どこで?」
「海岸の砂浜で……海と、空を」

 そうだ。この人、時間があるとミニのコンバーチブルで私を連れ、鎌倉の海辺に行って、海と空をぼーっと眺めていた。
 私も一緒になって景色を眺めたけど、何か変わったものが見えた覚えはない。
 降参する。
「これ、何?」
「見ての通り、クラゲだよ」
「……見てもわからない」
「そうかな。海を眺めてていると、こいつの仲間が顔を出して、空に向かって昇っていくんだ」
「昇っていくって、どこまで行くの?」
「多分、月まで」
「そうか、『海月』だものね」
「おー、よく知ってるね!」
「何言ってんの。陽君が教えてくれたんじゃない。しつこく」
「そうだっけ?」

 私と彼は、そのぷるぷるに包まれ、地上四百キロメートルの地点から徐々に高度を下げる。
 宇宙ステーションは私達よりも早く落下し、真っ赤な炎に包まれ、やがて燃え尽きた。
 二人を包んでくれたクラゲは、薄いピンクの炎を上げながらも、ゆっくりと大地に近づいていく。
 やがて、相模湾の砂浜にそーっと、着地した。そこは以前、病院の診察帰りに彼が連れてきてくれた場所だ。
 蒸発して小さくなったクラゲは、私達を振り返りつつ、砂浜から海へと滑り込んでいった。
 ヨウ君は、別に大したことじゃないみたいに、クラゲに手を振りながら、私の横に立っていた。

 それから、六十三年後。

 満月、大潮の夜。
 陽君と私は、幸運にも一緒に最後の日を迎えていた。海辺の病院で。
 そう、以前彼が付き添ってくれた、鎌倉の病院だ。
 生命維持管理装置は綺麗にはずされ、一つの大きなベッドの上に、二人並んで寝かせてもらっている。院長先生の粋な計らいだ。
 時間をかけ、お互いに懐かしい日々の思い出をゆっくり語り合った。

 語り尽くしたころ。
 海辺に面した窓から、その子が現れた。
 ヨウ君が微笑む。
「スミレ、さあ時間だ。一緒に帰ろ?」
「そうね、いっぱい遊んで、楽しかったね」
 子どもが疲れるまで遊び、家路につくみたいな言葉が自然に出た。
 そして、その子のプルンとした触手が、二人をいだく。
 私達は六十三年前のあの日のように、ぷるぷるの昇降係に誘われる。ひとつ違うこと。今度は空に向けて昇っていくこと。

 どこから聞こえてくるのか。往年の名歌手が歌うスタンダードナンバーの『スマイル』。やさしい調べが、私たちを包む。
 それに合わせて、ぷるぷるの昇降係はゆったりと、優しくスイングし、少しずつ高度を上げる。

 海と。
 街の灯と。
 月明かりと。
 そして、宇宙の命の色を。
 透き通った胴体は全ての光を集め、反射し、虹色に輝き。
 私達の体もその光彩に染まった。

「どこまで昇っていくんだろうね」
 ヨウ君は相変わらず、ややこしいことは何も考えていないようだ。多分、どこに行ってもいいのだろう。

 私は最後のワガママを言う。
「願わくば、お月様まで。だって、海月だもの」
「ははは。君は根っからのコスモナウト(宇宙飛行士)だね」

 虹色のクラゲは、私たちを優しく抱きしめた。



                   (了)
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