よあけ

紙仲てとら

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本編

第364話

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 車はオフィスウイルドに到着し、彼らはさっそく社長室へと向かう。
「諸君!待ちわびたよ」
 メンバーを見るなり応接用のソファから立ち上がったムナカタは、芝居がかった声で言う。
 彼の正面には、ひとりの女が座している。目鼻立ちのくっきりした浅黒い顔は厳格に引き締まり、その堂々とした面構えからかなりの場数を踏んできているだろうことが見て取れた。
 彼女もまた、ムナカタとほぼ同時に立ちメンバーの方に体ごと向き直る。その様子を横目で見遣った彼は、嬉々とした表情を収めるとひとつ咳払いをして背筋を伸ばした。
「ご紹介いたします。こちらが弊社所属アイドルのウル・ラドと、そのマネージャーのホズミでございます」
 タビトらが頭を下げると、続いて彼女の方を手で示し、
「こちらは映画配給会社NEBELのサエキ部長でいらっしゃいます」
 “映画”の二文字を聞いた瞬間、今年一番の大仕事がきた!とメンバーの誰もが胸の裡で歓喜の雄叫びを上げた。今にも抱き合って喜びたいのを堪え――ポーカーフェイスを崩さず特になんの反応も見せない彼らを、ムナカタは少しがっかりしたような顔で見遣る。
 サエキは名刺を取り出し、一歩進み出た。
「お初にお目にかかります。NEBELの映画宣伝部から参りました、サエキと申します」
 驚くほど張りのある、良く通る声だ。
 ホズミと名刺交換を済ませたのち、改めてメンバーひとりひとりが紹介される。型通りの挨拶を済ませ、硬い表情のまま揃ってソファに腰を下ろすと、事務員の男がタイミングを図ったかのように茶を持って室内に入って来た。
 洋画の版権買い付け及び配給を生業としてきた株式会社NEBELは、5年ほど前に鎧山商事に買収された。役員の退任で勢力図が変化したことや人事統合などの影響で退職者が続出したことにより社内はしばらくごたついていたが、近年ようやく新体制が確立しかつての存在感を取り戻しつつある。
 そんな矢先、NEBELは一大トラブルに巻き込まれた。
「俳優のソウマ氏が、違法薬物所持で逮捕された事件をご存知ですか」
 サエキが口火を切ると、
「もちろんです」彼女の問いに対しアキラが短く応える。「彼を起用していた企業や一部メディア業界にかなりの損害が出たとか」
「弊社も例外ではありません。版権を買い付けた映画『Run Deer Run』――こちらの日本語吹き替え版の声優をソウマ氏に、そして主題歌を彼が率いるバンドに依頼していたのですが、あのような残念なかたちになり……すべて白紙に戻りました」
 彼女は淀みなく言葉を紡ぐ。口調は淡々としているが、その眼差しの奥には触れたら切れるような鋭さがある。
「ここ数か月、映画のイメージにぴったり合う主題歌探しに奔走していたのですが、候補が集まるなか異彩を放っていたのがウル・ラド様の楽曲です。――ファーストアルバムに収録されている『Get Lost』……こちらの曲を、日本語吹き替え版の主題歌に使用させていただけませんでしょうか」
「ファーストアルバムの曲を、ですか?」
 しかもこの楽曲はシングルとしてリリースされていないものだ。アキラの表情が途端に曇る。
 ファンしか知らない無名の曲……しかも何年も前に発売されたアルバムの、シングルカットされてすらいないものを世界的な映画のタイアップに使うことなど通常は考えられない。
「本来であれば、アーティストの皆様には映画のストーリーや雰囲気に合ったものを書き下ろしていただくか、すでに発売されているヒット曲を使わせていただくことが多いのですが……ウル・ラド様のリリースしたシングルのほとんどが他の企業とタイアップ済みということ、そして……10月に劇場公開というギリギリのスケジュールということもあり、今回は異例の方法を取らせていただく存じます」
 メンバーが黙り込んでしまったため渋っていると見たのか、彼女は口早に続ける。
「劇場公開日と同時にオリジナルサウンドトラックCDも発売されます。複数の海外有名アーティストの曲が収録されますし、そちらでの収益も十分見込めますので……」
 アキラは吸い寄せられるようにヤヒロの方を見た。ヤヒロもまたアキラに視線を返す。そのあいだ彼らは一言も言葉を交わさなかったが、ヤヒロは彼の胸中を読んだかのように頷き、サエキに向かってこう言った。
「『Get Lost』がお気に召したなら、たぶんこの曲も気に入ってもらえると思います」
 彼はおもむろにスマホを取り出すと、クラウド上のミュージックフォルダにアクセスする。
 端末の小さなスピーカーから音楽が流れ出した。発売を間近に控えた6thデジタルシングル「FREAK SHOW」だ。
「来月の9月15日にリリースする新曲です。こっちをタイアップ曲に使ってもらえませんか?」
 この申し出をサエキが断るはずがない。「Get Lost」よりも洗練されたメロディ――歌声も深みを増している。そしてなにより、これからリリースする最新曲だ。
 サエキは思わず前のめりになり、切羽詰まったような表情で彼らをまっすぐに見つめた。
「ウル・ラド様さえよろしければ、ぜひこちらの曲を日本語版主題歌とさせてください」
 そう言って立ち上がった彼女は深々と頭を下げる。
 ほっとした様子で腰を上げたアキラは、彼女の方に手を差し出した。
「よろしくお願いします」
 両者は固く手を結び合う。
 胸の高鳴りを押さえ誇らしそうに表情を輝かせたアキラはメンバーの顔をそれぞれに見つめ、口元にほほえみを滲ませた。
 そうと決まると、話は一気に進んだ。次々と重要な会話が交わされるなか、彼らをもっとも湧かせたのは、主人公の吹き替えをセナに頼みたいというサエキの一言だ。
「僕ですか?!」
 動揺を隠せず叫んだセナは、思わず椅子から尻を浮かせる。
「主人公のエドワースは明るさとナイーブさを持ち合わせている18歳の青年なので、セナさんの繊細な声がぴったりだと思うんです」
 確かにセナの声はメンバーのなかでいちばん高く、少年と青年のあいだの成熟しきっていない姿をイメージさせる。その印象的な声は、観客を物語の中に引き込む役割を十分に果たすに違いない。
 声優の仕事は初めてで若干尻込みしつつも、セナは嬉しそうだ。
 まさか世界的に大ヒット中のビッグタイトルに関わる仕事が舞い込んでくるとは……彼らは巡り合わせの妙に感謝した。サエキがウル・ラドの曲を知るきっかけを作ったのがチカルであり、それが今回の仕事に繋がったということをタビトはもちろん知らない。
 ――社長室から解放されたときにはもう日が暮れかけていた。タビトは急ぎ足で帰路につく。


「ただいまっ!チカルさん!」
「おかえりなさいませ」
 玄関に駆け込むなり靴を脱ぎ捨て、その勢いのままチカルを抱きしめる。
「ごめんね!ほんっとにごめん!」
 汗ばんだ彼の首筋から、香水の匂いが濃く漂ってくる。チカルはくらくらしながら、その逞しい背中にそっと手を添えた。
「急なことで、大変でしたね。お疲れさまでした」
 やわらかい声の響きを肩口に感じながらタビトは、苦しく眉根を寄せて息を吐く。
「待たせたお詫びになんでも言うこと聞くよ」
「なんでも?」
 ふふといたずらっぽく笑いながら体を離し、チカルはタビトを上目遣いで見つめる。
「では遠慮なく……」
「なに?なんでもいいよ、ほんとに」
「今日鑑賞する映画、私に決めさせてください」
 タビトは拍子抜けしたように目を見開いた。
「なんだ……そんなことでいいの?」
 チカルはこくりと頷いて、
「ずっと気になっていたホラー映画があるので」
「――やっぱり他のお願いにしてくれない?」
 彼女が目を線にして笑うのを見て、タビトはなんとも言葉にし難い幸福感に包まれる。この笑顔が大好きなのだ。
「汗かいちゃったから、とりあえずシャワー浴びてくるね」
「パジャマを用意してありますのでそちらをどうぞ」
「チカルさんも着替えちゃうの?」改めて彼女の頭の先から爪先まで眺めて、「すっごく似合ってる。まだ着ててほしいな……」宝石のように輝く瞳を細め、しみじみとつぶやいた。
「そう言ってもらえて嬉しい……ありがとう」可憐に頬を染めた彼女はまつげを伏せ、「アコさんにアドバイスをいただいたの」
「そうだったんだ。いつのまにかずいぶん仲良くなってたんだね」
 はにかむように頷いたチカルは、「いっしょにいるととても楽しいわ」そう言って花が咲くように笑った。
 今日の彼女は、ホワイトのキャミソールに同色のシアーシャツを合わせ、ブルーグレーのタイトスカートを穿いている。ナチュラルメイクは彼女の無垢な透明感を際立たせ、小さな顔回りを飾るゴールドのイヤリングがシンプルな装いを静かに彩っていた。
「実は俺もアコにチェックしてもらったんだよね……今日のファッション」
 からかわれることを見越して、デートの話はしていないが――この日のために何着か買い足して、いちばん似合う服はどれか見てもらったのだ。同時期にアコを頼りにしていたことを知り、その偶然にふたりで笑い合う。
「こんな時間になっちゃったけどせっかく準備したし、とりあえずシャワー浴びてその服に着替えてくるね」
 そうして数十分後、タビトはオーバーサイズのオープンカラーシャツにホワイトのルーズテーパードパンツという、夏空が似合う爽やかな好青年の装いで戻ってきた。
「どう?」
 くるりと回って見せる。やさしいライトブルーのシャツが涼しげだ。青年のフレッシュさを前にまぶしい目をしたチカルは、
「とっても素敵よ。ファッション雑誌から飛び出してきたみたい……」
「ありがと」
 チカルを見つめるタビトの笑顔に、憂いとかなしみが滲んだ。
 彼はこの格好で街を歩くふたりを想像する。誰の目も気にせず、邪魔もされず自由に。
「――タビト君?」
 やわらかな声に我に返って、慌てて曖昧な相槌を返す。
「夕食はどうしますか?ランチに食べるはずだったサンドイッチの材料があるのですが……予定通りピザで?」
「ピザ食べたいな。サンドイッチは明日の朝食にしよ?」
 できるかぎり明るい声で言うと、チカルの手を取った。待ちに待った時間の始まりだ。
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