神色の魔法使い

門永直樹

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ロックゴーレム召し上がれ 4

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──ガムランの屋敷


洋館の建物の2階、ガムランから宛行あてがわれたジェイスの自室。
一人に宛行あてがうにしては広い部屋に高級感のある調度品の数々。それだけでガムランのジェイスに対する信頼度が伺える。

カーテンの隙間から差し込む太陽の光でジェイスは目が覚めた。テーブルの上に置いた左目の眼帯を手に取ると、慣れた様子で頭に掛ける。
飲みすぎた酒がまだ胃の中で揺れているような感覚があった。

強靭に鍛えられた背中の幾つもの傷が歴戦を物語る。汗ばんだ身体に服を一枚、袖を通した。

愛用の煙草入れから煙草を取り出すと、火をつけて煙をくゆらせた。今日の予定を思い出しながら煙を美味そうに吐き出した。


(今日は新しい奴隷商人との交渉だったな。バイスが居なくなったのは痛いが、あいつのお陰で随分と儲けさせてもらったからな。これでもしもガムランに足が着いて捕まったとしても、俺には充分な貯えがある。当分は遊んで暮らして、ほとぼりが覚めた頃にまたガムランのような金の亡者に取り入るのも良し。……まてよ、俺が奴隷商人になるのも良いかもしれないな)


ジェイスが煙を吐き出し、クックと笑っているとガチャリとジェイスの部屋のドアが開いた。


「あぁ?」


ドアの隙間からひょっこり顔を覗かせたのは長い黒髪の若い女だ。


「誰だてめぇは?新しい使用人か?」


今雇われている使用人でジェイスの部屋のドアを勝手に開ける者はいない。そんな事をすれば命がいくらあっても足りないのはこの屋敷の暗黙のルールである。


「ほぉ、随分と良い部屋に住んでるじゃないか」


そう言うと女は部屋に入り込もうとしてドアを大きく開く。


「勝手に入ってくるんじゃ─」


──ヒュッ


ジェイスが言葉を言い切らない内に、咥えていたタバコが奥の壁に燭台と共に吹き飛んだ。


(見えなかった……だとっ!!)


ジェイスは飛び上がると後ろの机に身体ごと回転して、愛用の剣を掴むと、入り口の女に向けて構えた。


「なんだ……てめぇはっ!」

「煙草の煙は嫌いでね。匂いで飯が不味くなる」

「ふざけるなっ!」


ジェイスが机を女に向けて蹴り上げる。机が宙を舞って女が避けようと横に移動する。その位置をジェイスは予測して両手剣を叩きつける。
女も何時の間にか剣を抜き、ジェイスの豪腕から振り下ろされた刃を同じく力で弾き返した。


──ガキンッ!


「ちっ……!」

「どうした?お前はてっきり力自慢のゲス野郎だと思ってたんだが……ただのゲス野郎なのか?」

「寝言は死んでから言えっ!」


ジェイスが息を止めて猛攻をかける。上段から逆の上段、中段から逆袈裟に下段。


「うおおおおおっ!!」


猛攻に次ぐ猛攻で剣の手を緩めない。並の剣士であれば既に肉塊になっている事が約束される。
だがどうだ。女は顔色一つ変えず緩く湾曲したような刀身の長い細身の剣で両手剣を弾く。いなす。かわす。


もらったっ!)


女のわずかな隙を突いて、腕を肘から切り落としたように思った。しかしそれよりも早く、衝撃はジェイスの左の脇腹を襲った。


「ぐぁはぁぁっ!」


全くの死角から、女の右の蹴りがジェイスの脇腹に突き刺さった。ジェイスは壁まで吹っ飛ぶと棚に突っ込んだ。すぐに身体を起こして反撃に──


「ぐぅぷぅぇっ!!がはぁぁぁっ!」


転じようとした瞬間、女の剣の柄がみぞおちに食い込んだ。同時に右から顔面に思い切り蹴りが飛んできた。
部屋の最奥までジェイスが転がり倒される。


(まずいまずいまずいっ!化け物だコイツは……!)

「待てっ……!待ってくれ……!頼む、取引をさせてくれないか……?」

「……取引だと?」


剣を杖にしてかろうじてジェイスは立ち上がった。奥の本棚を背にして肩で荒く息をする。


(しめた……!)

「あぁ……俺じゃあんたに勝てない……!認めるよ、それに悪いのはすべてガムランだ。嘘じゃねぇ……ここに証拠がある」


ジェイスが本棚から一冊、本を抜き取った。

するとガチャンと音を立てて本棚は回転扉となり、ジェイスの体は後ろの空間に消えた。ガチャンと音がして本棚はただの鉄の壁となった。
部屋にはポツンと女が残された。


「え?……やばい。もしかして逃げられちゃった?」












ガムランの執務室。


いつものように机の上で売上やお金の出納を計算する。
儲かってしょうがないガムランだが、ここの所、妻であるリッテの散財が目に余る。だがリッテの宝石好きは今に始まった事ではない。ガムランもどこかで諦めていた。逆に宝石さえ与えておけばガムランがどこで何をしようがお構い無しであった。

ガムランの部屋のドアがノックされる。ドアの向こうから使用人の声がする。


「失礼致します」


特に返事をする事もなく、ガムランは机に向かう。
金の計算をしている時が一番楽しい。最近のガムランは心からそう思っていた。


「奥様が入られます」

「あぁ」


妻のリッテの足音が部屋に入ってくる。どうせいつもの宝石の話だろうとガムランは顔も上げずに机の上の勘定に没頭する。


「ねぇあなた、ちょっとおかしいのよ」

「ん?何がだ?」

「これね、凄く美味しくて美味しくて止まらなひんだけど、か、硬くて、か、噛み、噛み切れなひのよ」

「忙しいんだ、後にしてくれないか?食べ物なんかの事でいちいち──って一体……! 何を食べてるんだお前は?!」


リッテが鶏の骨でもしゃぶる犬のように、ガリガリとかじりついていたのは宝石の含まれた鉱石だった。リッテの歯は所々すでに折れて口の周りは血だらけになっている。それでもリッテは歯茎でかじりついているため、胸元まで血だらけになっていた。


「あら、なひって、これ……美味しひのよ、でも噛み切れなひのよ」

「いや、それは……鉱石だろ?!止めないか!ほらっ!離しなさいっ!」


婦人から鉱石を取り上げようとする。すると物凄い力でリッテが抵抗してきた。


「なひするのよっ! 止めてよ! これはわたひの物よ!」


リッテに投げ飛ばされてガムランは床にドシンと転がった。


「お前……どうしたんだ……一体……」


その時、ガムランの部屋に男が入って来た。銀髪を後ろで一つに結んだ壮年の男。使用人は何故か軽く会釈している。
男はガムランに歩み寄ると、小さな杖で左肩をトンと叩いた。


「だ、誰だ……お前は。おい、こいつ──」

「奴隷を使って随分と儲けたらしいな。ボロボロになるまで使って、死にそうになったらさっさと殺して次の奴隷か。人の道を外れた商売というのは繁栄しないらしいぞ。ほら、お前の奥さんが良い見本じゃないか」


リッテは血塗れになりながらも、床に転がった宝石に嬉々としてかじりついている。その様子は異様であった。


「誰なんだ、貴様はっ! そうか、お前がリッテに何か薬でも飲ませたんだな?! ジェイス!ジェーイスッッ!ふんっ!見てろ!すぐにジェイスがやって来るからな!お前達も見てないでこいつを早く捕まえろっ!」


騒ぎを聞いて使用人が数名、部屋に集まって来た。


「どうされました?旦那様」

「どうされましたじゃないだろっ!こ、この怪しい奴は誰なんだっ!捕まえてくれっ!」

「この方は私がお通ししましたけど……怪しい方ではございません」

「怪しくないだと……?! じゃあ誰なんだコイツはっ?!」

「誰……」

「ふふ、ははは」


銀髪の男が急に笑い出した。ガムランは笑うどころでは無く、恐怖さえ感じた。


「誰でも良いさ。どうせ誰も私の事は憶えていられないだろうからね」

「ど、どういう事だ……」

「ガムラン。これが、おまえの名前を呼ばれる最後の経験になるだろう。お前達夫婦はそのいやしい心にふさわしい姿になるがいい」

「なんだと……?!」

「お別れだ、【イエロークリエイト─ロックゴーレム】」


男の言葉と同時にガムラン夫婦の体に、眩しい程黄色く輝く魔法陣が浮かび上がる。


「な! なんだぁぁっ、これはっ?!」


するとガムランの左手の指先から、様々な鉱石を含んだ岩に変化していく。手首、前腕、肘、上腕と岩へと侵食されていくように変化していく。
そしてその変化が肩まで達すると、肩の盛り上がった部分は輝く金と銀の鉱石の混ざった岩となった。


「ひっ!ひぎゃぁぁっ!」


リッテ婦人は鉱石を美味しそうにかじっていたが、ガムランの肩が目に入ると、目の色を変えてガムランの肩に飛びついた!


「あぁっ! またあなたばっかり美味ひい物を食べようとひてぇ……! わたひにも食べさせてくださひぃっ!!」

「うわぁっ!! や、止めろ! これは俺の身体だっ! 止めろぉぉっ! おいっ……お前達、誰か助けろ! 助けてくれっ!!」


部屋に数人集まる使用人。夫婦のその様子をまるで仲睦まじい夫婦でも眺めるかのように微笑んで見守ると何事も無かったように仕事に戻っていく。
ガムランと婦人であるリッテは岩の化け物、ロックゴーレムと呼ばれる怪物へと次第に身体が変化していく。


ガムランが最後に見たのは、銀髪の壮年の男が部屋を出ていく後ろ姿だった。











階段をゆっくりと降りるクレイグと、慌てて駆け上がって来たユリが踊り場で出会う。


「お、ユリご苦労さん」


クレイグがユリに労う言葉をかける。だがユリの方は両手をわちゃわちゃと振り回す。


「あのそのクレイグ、ちょっと遊び過ぎたというか、奴の準備が周到だったというか……ちょっとあのだな、えっと……すまん……逃げられた……ごめん……どうしよ」

「ぷっ、はははっ」

珍しくユリが慌てていたので、クレイグは可笑しくなった。


「笑うなーっ! 本当にすまんと思っているんだぞっ! 任せろって言ったのにさ……」

「いや、ごめんごめん、良いんだユリ。足止めしてくれてたから、こっちは片付いたよ。さぁダン達を連れて船に戻ろう」

「う、うぅーっ!」


さっさと一人、階段を降りようとするクレイグの背中に、納得のいかないユリが飛びついた。


「おわっとっと!」

「良くない良くないっ! 全然良くない! このままでは私の気が済まないじゃないかーっ!」


クレイグはそのまま暴れるユリをおんぶするように階段を降りる。途中使用人とすれ違うと、使用人はクレイグに軽く会釈する。


「離れの皆様のお洋服の準備が整いました」

「あ、ありがとう。もう下がって良いよ」


使用人は会釈すると階段を降りていく。ユリがクレイグの背中を叩いて暴れている。

「あ、暴れるなってユリ。ジェイスの方には、ローガンに行ってもらってるんだ」

「え、ローガンって見張りの?あいつか……。あいつでジェイスに勝てるかなぁ……?」


ずるずると滑り落ちるユリを、クレイグは「よっ」と背負いなおして階段をトントンと下って行く。


「ローガンの影の中に【黒】が入ってるだろ? だからユリも気が済んだって事にしてくれないか?」

「……なるほど。それなら逆に気の毒な事をしたな。私から逃げなければ死ぬ・・事はなかっただろうに」











(危なかった……、アイツが油断してなければ殺されていた……)


ジェイスは部屋に仕掛けられた隠し通路を抜け、岩で出来た階段を大慌てで降りると、崖下の街の外れへと続く道を歩く。本当は走りたい所だが、蹴られた脇腹が傷んでどうにも走る事が出来ない。


(あの女……化け物か。奴は恐らく軍人だな。あの身のこなしに相当な剣の腕。あれだけ動いても一切隙が無かった。逃げられたのは本当に幸運だった。ガムランは今頃捕まってるかもしれないな……。俺も隠れ家まで帰って、金を集めて国外へトンズラだな)


足場の悪い坂道を超えると崖の下で岩のアーチになった暗いトンネルに差し掛かる。トンネルの出口に人影が動くのが見えた。


(……誰かいるな。待ち伏せか……?)


ジェイスは大剣を握り締めたままゆっくりと警戒したまま出口に近づいていく。出口に立っていたのは奴隷の見張り役のローガンだった。ジェイスはローガンだと分かると緊張を緩めた。


「なんだ……ローガンか。お前もなんとか逃げて来られたのか?」

「……はい」

「運が良かったな。ガムラン商会はもう終わりだ。まぁこれからはお前も冒険者にでも戻るなり好きにするといい」

「……はい」


ジェイスは感情や表情の現れないローガンを不審に思った。


(こいつ、何か薬でも飲まされてるのか……?)


ローガンは腰に挿した片手剣をゆっくりと抜くと、ジェイスに向けて青眼に構えた。


「おい……どういうつもりだ?俺に剣を向けて生き残れるなんて万に一つも無いぞ」


ジェイスとローガンの剣での実力など、比べれば天と地の差があるのは明確だ。ローガンが剣を向ければ、それはすなわちローガンが死ぬ事を意味する。


「……奪った命の……報いを受けるべきだと……あの方が……」

「はははっ! 言うじゃねぇかローガン! お前、いつから俺にそんな口利くようになったんだ? じゃあお前が代わりにあの世で謝っておいてくれよっ!」


ジェイスの両手剣は青眼に構えたローガンの剣を正面から軽く打ち払うと、両手剣を下から腰目掛けて高速に切り上げる。


(隙だらけじゃねぇかっ!あばよ三流剣士)


ローガンの腰から脇に向けて、ジェイスの両手剣が両断した。


──ザンッッ!


したはずだった。しかし、切断され空に高く舞ったのはジェイスの肘から下の両腕、それと両手剣だった。

空中に舞う自分の2本の腕を、まるで時間がゆっくりと流れているかのようにジェイスはぼんやりと眺めていた。


(一体……何をされたんだ……)


ローガンは何もしていない。ただ無表情に構えてそこに立っていた。


──ブツンッ


「……んがっ……」


ジェイスの脊髄を走る神経が頚椎レベルで切断された。
首から下の神経は完全に機能しなくなる。四肢の力は抜けてゆっくりと前に倒れていくジェイスは、ローガンのただ構えていた剣に前のめりに倒れていく。
ローガンの剣はジェイスの胸骨の隙間から心臓を突き破り、背中の肋骨を抜けて後ろに突き抜けた。


(……嘘……、だろ……)


ローガンの剣に突き刺さったまま、ジェイスの体からおびただしい量の血液がザァザァと地面に流れ落ちる。
ローガンはその重さからゆっくりと剣を下げると、ドサリとジェイスの体は血溜まりの地面に倒れた。

トンネルの中を潮風が吹き抜ける。

ジェイスの倒れた血溜まりの中からボコボコと泡が立つと、黒い粘性生物がズルリ姿を表す。同時に辺りの暗闇という暗闇から黒の粘性生物が次々と現れる。


クレイグの【黒】の魔法、ブラックスライム。


ローガンは一人、血で汚れた剣をダラリと握りしめたまま、岩で出来た自然のトンネルの中を吹き抜ける風にあたっていた。
遠くで聞こえる海の音だけは、いつもと変わらなかった。




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