嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

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「危ないところを助けていただき、本当にありがとうございます」

 傷の手当を終えた男が、かしこまって頭を下げた。が、頭と一緒に眼鏡がずれ、男は慌てて押し上げる。
 男の怪我は打ち身が少しと、額を軽く切った程度だった。額から血が派手に出たせいで、驚いて気を失ったらしい。見かけ通り、気の弱い男なのだろう。

「本当にすみません、命の恩人とは知らず……」

 心底悔やんだ様子で、男の隣で妻が何度も頭を下げる。
 賊と間違えたのは「顔がそう見えたから」だろうと自嘲的なことを考えながら、ユーダレウスは「もういいから、顔を上げろ」と声をかけた。

 二人の後ろからは、少年がじっとユーダレウスを見ていた。こちらも擦り傷程度で大したことはなかったようだ。
 妻が子供を振り返り「おいで、助けて下さった方にお礼を」と手招く。

 父親そっくりな焦げ茶の髪に、陽に焼けた肌。体格も良く、いかにもやんちゃ盛りな少年だ。
 少年は、母親に促されるまま「ありがとうございました」と頭を下げた。しかし、顔を上げるや否や、ずっとユーダレウスの腕に抱かれてるティ二を見て、ニヤッと笑って躊躇いなく指をさした。

「お前、まだとーちゃんに抱っこされてんの? かっこわりー!」

 ティニが少年を見下ろし、むっとした顔で言い返す。

「師匠はおとーさんじゃなくて、師匠です!」
「ししょー? ししょーって、お前より偉いってことだろ? それなのに抱っこさせてるとか、もっとダメなんじゃねえの? それ」

 呆れ顔の少年の指摘に、ティニは雷に打たれたように、もともと変化に乏しい表情をさらに強張らせた。大きな目が戸惑いに曇って師を見たが、ユーダレウスも少年の正論に何も言えずに顔ごと視線を逸らす。

「こら! 失礼なことを言うんじゃないの!」
「いでで! かーちゃん! 痛いって!」

 母親に無理やりに頭を下げさせられた少年は、その手からするりと逃れると馬車の向こうへと駆けていった。

「……おりるか?」

 おどけながら逃げ回る少年の声と、それを叱る両親の声に紛れて、ユーダレウスはティニにこっそりとそう尋ねる。すると、ティニは不満そうな顔で、こくりと頷いた。一応、少年の言い分に思うところがあったらしい。

 ただし、地面に脚をつけても、まだ未練があるのか、ティニはユーダレウスの腰元にしがみつく。手を伸ばして曇天色の頭をわしわしと撫でてやれば、少しは機嫌が治ったのかティニは猫のように目を細めた。

「本当に、息子が失礼をいたしました……」

 ちらちらと不安げに妻と息子のやり取りを見ている男が、ティニを下ろしたユーダレウスを見て申し訳なさそうに眉を下げた。

「いや、気にするな。元気なのは良いことだ」
「はは……元気が有り余っていて、いつも手を焼いております」

 すまなそうに笑うと、男は包帯の巻かれた手で焦げ茶色の頭を掻く。

「私はパーシーと申します。この先の街で商人をしております。あちらは妻のサラ。あの子は息子のヒューゴです」

 あえなく母親に捕まったらしいヒューゴは、ティニに向けていーっと歯をむき出した。ティニもティニで、頬を膨らませ、つんとそっぽを向いた。

「俺はユーダレウス。こっちは弟子だ」

 しがみついている小さな背中を軽く叩くと、ティニはユーダレウスから身を離して背筋を伸ばした。

「ティニエトといいます。ティニと呼んでください」

 仕上げにぺこりと行儀よく頭を下げたティニに、サラが「あら」と小さく感嘆の声を漏らす。二の腕を掴む母の手から、何とか逃れようとしているやんちゃな息子と、うっかり比べてしまったのかもしれない。

 同じ様に、感心しきりで頷いていたパーシーは、はっと何かを思い出したように妻に目配せをした。サラは息子の手をしっかり掴んだまま、引きずるようにして馬車に繋がれた馬の様子を見に行った。

「本当にありがとうございました。あの、お礼と言っては何ですが……」

 パーシーは懐から膨れた袋をとり出した。袋の中からは、カチャカチャと金属が触れ合う音が鳴る。
 どうぞと差し出されたそれを見て、眉間の皺を深くしたユーダレウスは、受け取らずに首を横に振った。

「いい。気にするな。そんなことのためにやったわけじゃない」
「ですが、私の気が済みません。これ以外となると……生憎、商売の帰りでして、大したものは無いのです。どうか、お受け取りいただけませんか」

 ユーダレウスの目つきが鋭くなる。思わず逃げ出したくなるような恐ろしい顔つきではあるが、当の本人は困惑していた。
 人を助けるということは、魔術師にとって普通のことだ。それで見返りを受けることを悪であるとする教えもない。

 ただ、今回は少々、見返りの額が多すぎる。

 たっぷりとした上質な金貨袋を見て、ユーダレウスはどうしたものかとため息をつく。困惑の気配を感じ取ったのか、ティニが師の手をそっと握った。

 ユーダレウスは眉間の皺を薄くした。

「……どうしても礼をと言うなら、馬車に乗せてもらえるか。森を抜けたところの分かれ道まででいい」

 パーシーは虚を突かれた顔になると、自分の馬車とユーダレウスを見比べた。
 家族も乗せるために内装も多少整えられて、荷馬車にしては上等な方だ。しかし、荷馬車は荷馬車、命の恩人を乗せるには、乗り心地に難があるのは目に見えていた。

「構いませんが……こんな粗末な馬車で」
「いや、充分だ」

 そう言うと、ユーダレウスはティニを見下ろした。つられてティニを見たパーシーは、疲れ切っているようなその無表情に合点がいったのか大きく頷くと頬を緩めた。

 そこに、母親の監視から抜け出したらしいヒューゴが戻ってきた。
 ヒューゴはにこにこと笑いながら、両手で包んだ何かをティニに差し出しす。ティニが平均よりも小柄なせいで、ふたりが並ぶと尚更ヒューゴが年上に見えた。
 相手が近づいてきた時点で、既に師にしがみついていたティニは、野良猫のように差し出された手を警戒していた。

「これやるから、仲直りしよーぜ! ティニ」

 ヒューゴの笑顔に裏はなさそうだった。まるで兄貴分にでもなったつもりなのか、手を出すことを躊躇っているティニに、大人びた口調で「大丈夫だって!」と言うと、促すように何度も頷いた。

 おずおずと差し出されたティニの両手の上で、両手が開かれる。

 ティニの手のひらの上に現れたそれは、毒々しいまでに鮮やかな紫色をしていた。つやのある丸みをおびた身体に、どこか人の手の形に似た指先をした前足。長い後ろ足の指の間には水かきがあった。
 それは、ティニの手のひらの上に四つ足をつくと、喉をしきりに痙攣させ「ゲコゲコ」と不気味に鳴いた。

 ユーダレウスとパーシーは揃って額を抱えた。
 派手な見かけによらず、毒のない種類だ。性格も、子供にあっさり捕まり、そしてその手のひらから逃げ出さない程度にはおっとりしている。
 だがそこは問題じゃない。ヒューゴは本気で、これで仲直りができると思っているのだろうか。それとも仲直りとは嘘で、ティニをからかっているのだろうか。
 ティニは手のひらの上の、ゲコゲコ鳴く紫の生き物を見つめたまま固まっていた。これは多分、泣くんじゃなかろうか。
 ユーダレウスは固唾をのんで、そしてある種の覚悟を決めて、その動向を見守った。

「……わぁ、カエル! 師匠! カエルです、カエル! かっこいい!」

 いいのかよ。

 予想を裏切って、ティニは人形のような無表情で目をキラキラと輝かせた。
 ユーダレウスが思わずつぶやいた声は、カエルを間にしてはしゃぐ子供二人の声にかき消された。
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