嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

文字の大きさ
52 / 83

02

しおりを挟む
 まだ、起きないのだろうか。ふいに寂しくなったティニは、ベッドの上に四つん這いになって、師の顔を覗き込む。眉間に寄った皺が薄くなっているところ以外は、先ほどと何も変わらず穏やかに眠っていた。

 いくら辛抱強いティニとて、幼い子供であることに変わりはない。ティニが起きてから、実に一時間は経っていた。いい加減、寂しさを我慢するにも限界だった。

「ししょー! おきてください!」

 大きな声で呼んでみるが、見事に無視された。多分、耳も夢の中にいるのだろう。

 少しだけむくれたティニは、横を向いたまま寝ている師の脇腹の辺りに、頭突きをするように、こてんと額をのせた。そのまま枕にするように体重をかけて凭れかかる。
 けれどユーダレウスはぴくりとも動かない。この程度で起きるなら、とうに起きている。

 ユーダレウスの脇腹に頭をつけて凭れかかったまま、ティニは全身を使って大きな身体を揺らした。

「しーしょーうー!」
「んー……」

 凭れていた身体がごろりと転がる。潰されないように除けると、ユーダレウスはまた仰向けになった。反応があったということは、いよいよ瞼を開けるだろうと期待したが、その瞼は穏やかに閉ざされたままだ。ティニはがっくりとユーダレウスの腹に頭をつけて項垂れた。
 ゆっくりと上下する硬い腹に頬を引っ付け、頭の方を見る。頬に当たる体温は、確かにほっとできるものではあるが、ティニが今欲しいのはユーダレウスが起きることなのだ。

「師匠、まだおきないんですか……?」

 思ったよりもしょぼくれた声になった。まだ涙は滲んでいなかったが、鼻の奥が少し湿っぽくなってきて、ティニは小さく、スン、と鼻を鳴らした。

 その時だ。
 緩慢な動きで瞼が開き、銀の瞳が現れてティニを見た。同時にティニの頭に大きな手が乗っかった。
 ゆっくりと、まるで半分寝ているような動きで、頭の上を行ったり来たりする手つきにティニは目を瞬かせる。そして、待ちわびたその瞬間を逃すまいと、ティニはユーダレウスの身体を跨いで胸元に飛び乗った。

「おはよおございます、師匠!」
「……っぐ」

 不意打ちで勢いよくのしかかったせいで、ユーダレウスは息が詰まっていたのだが、ティニはそれに気が付くことなく、険しい顔をする師に首を傾げた。

「師匠?」
「いきなり跳びかかるなつってんだろ、馬鹿弟子」

 眠いのと息苦しさのせいで、普段の二割増し怖い顔をしたユーダレウスの指に、むにっと両頬をつままれる。

「ごえんなふぁい」
「ったく……」

 頬から手を放し、ぶつくさと文句を言いながら、ティニをのせたままユーダレウスは上半身を起こす。腹の上に座っていたティニはころんと後ろに転がった。のそのそとカメの様に起き上がり、今度は膝の上に座り直す。
 摘ままれても大して痛かったわけではないが、ティニはなんとなく頬をさする。その顔を、ユーダレウスがじっと見ていた。何かを確認しているようだった。

「どうかしま、うわわっ!」

 大きな手が、精一杯整えたティニの髪を片手で簡単にぐしゃぐしゃにした。

「なんでもねーよ。おはようさん」

 ユーダレウスは本当に何でもなさそうにそう言うと、ティニの両脇に手を入れて、ひょいと膝から下ろす。顔の全てを使って大きくあくびをしながら、雑にブーツに足を入れ、枕元に置いていた青白い石がはまった大ぶりの指輪を右手の中指に嵌めた。
 そうして、ぼーっとした目つきでゆらゆらと階段を下りて行く師の後を、ティニは慌てて追いかけた。


 天気が悪いせいで部屋の中は薄暗い。ユーダレウスは洗面所までの道すがら、眠そうな気怠い声で、右手の中指に嵌る指輪から雷光の精霊を呼び出した。

コード ディスベルィエ全てのラン スミナ ツールプに光を 」

 雷光の精霊は、とてもせっかちだ。ユーダレウスが言い終わるや否や、バチン、と音がしたかと思ったら、瞬きする間もなく一瞬で部屋中のランプに明かりがついた。

 急に明るくなった部屋がまぶしくて、ティニは目を細める。それと同時に、少し部屋が暖かくなったように感じてほっと息をついた。

 ティニの目が明るさに慣れた頃、もうすでに精霊の姿はなかった。毎度、一瞬ですべてが終わってしまうため、ティニは雷光の精霊が何かをしている場面をしっかり見たことがなかった。なんとなく、青白い光の帯のような何かが見えるだけだ。
 ユーダレウスに頼み込めば見せてくれるかもしれないが、特に用事があるわけでもないのに呼びだすのは精霊に申し訳ないので、ティニはその望みを口には出さないことにしていた。けれど、いつかは仕事をしている雷光の精霊の姿をしっかりと目を開けて見てやろうとひっそり心に決めている。



 洗面所から出てきたユーダレウスは、月の色をした長い髪を紐で雑に束ねていた。簡単に身支度を整えてもまだ眠そうな顔をして、寝間着も着替えないまま、朝食の用意を始めた。
 慣れた様子でフライパンを火にかけ、温めだした後ろ姿に、何か手伝おうと思ってティニは近くに駆け寄った。

 その時、ティニの腹の虫がたった今起きたかのように、くうぅ、と鳴き声を上げた。

 眉間に皺を増やしたユーダレウスが「すぐできるから、先にそっち食ってろ」と手つかずだったサンドイッチに指をさす。
 思わず逃げ出したくなるような怖い顔だが、怒っているというわけじゃない。どちらかというと、焦りを感じていたり、困っているときの顔だ。ティニはユーダレウスの眉間の微妙な変化から、その感情がなんとなくわかるようになっていた。

 自分のわがままでユーダレウスを困らせる事は、ティニの本意ではない。それに食べずにいると、今度は具合が悪いのかと思われてしまうので、ティニは大人しく椅子に腰かけ、甘いジャムが挟まったサンドイッチをちまちまと齧り始めた。

 料理をするユーダレウスの背中で、雑に束ねられた髪の束がランプの光を反射して、きらきらときらめきながら跳ねている。
 その肩の向こうにある大きな窓。そのまた向こうにある外は、雨で煙っているせいで、朝だというのにとても暗かった。部屋の中が明るい光で満たされているせいか、余計にそう感じられる。
 外にいくつも点在するカンテラが、雨の向こうでぼんやりとした優しい光を灯していた。

 雨は、数日間降ったりやんだりを繰り返していた。
 今朝はティニが起きた時から降り続いていた雨は、とっくに本降りになって木々の葉を叩き、音を立てている。外に出たら少しもしないうちに、びしょ濡れになってしまうだろう。

 今日もまた、昨日までと同じようにゆったりとした一日になる気配を感じながら、ティニはもうひと口サンドイッチを齧る。バターの香りが鼻に抜け、ジャムの濃厚な甘みが口いっぱいに広がった。ユーダレウスの手元からは、ジュワ、という音と共に、新しい美味しそうな香りが漂って来て、ティニの心がわくわくと騒ぎ出す。

 ユーダレウスがいるのならば、ティニは退屈な時間も嫌いじゃない。そもそも、退屈だと思うことがない。

 一昨日はアルイマベリーを鍋で煮込んで、ジャムを作った。
 ジャムの作り方なんて、ティニは知らなかった。砂糖をたくさん使うことも知らなかったし、鍋の中でごろごろとしていたアルイマベリーが、煮込んでいくうちに形をなくし、どろどろのジャムになったことにも驚いた。最後に瓶に詰められた時、ジャムは透き通るような綺麗な赤い色になっており、ティニは食べてしまうのがもったいないと思うほど感動した。

 昨日はアルイマベリーのシロップを作った。
 一つ一つアルイマベリーの実を洗ってへたをとり、丁寧に水気を拭きとった。それを大きな瓶に、氷のようなごろごろとした砂糖と交互になるように詰めた。まるで赤と白の宝石でいっぱいになったような瓶の中は、不思議なことに、十日も経つとシロップになるらしい。口にできるのはまだ先だが、今もキッチンの隅の涼しいところに置かれているそれが、どう変わってシロップになるのか、ティニは楽しみでしかたない。

 毎日、少しずつ『知らなかったこと』が『知っていること』になっていく。ティニはそれが楽しくて、嬉しい。だから退屈だと思う暇などないのだ。

 ふと、手を止めたユーダレウスが振り返った。手にはオムレツと、簡単なサラダが盛りつけられた木の皿を持っている。

「熱いぞ」

 目の前にコトリと置かれたそれは、ティニが今はいているズボンのような綺麗な黄色で「早く食べて」とばかりに湯気を立ててティニを誘っている。いつものことながら、美味しそうなそれに、ティニは添えられたフォークを掴んだ。
 早速ひと口分を切り取ると、びよん、と中にはいったチーズが伸びる。

 途端に、ティニの目が輝きを増した。

 チーズは、ティニの好きな物だ。好物が入ったオムレツ。冷ます時間も待ちきれず、ティニはまだ湯気が出ているそれをぱくりと頬張った。

「――っ!!」
「熱いって言っただろうが」

 はふはふとしながら口を閉じられないティニを見て、呆れた顔のユーダレウスが水の入ったコップを渡してくれる。涙目になりながらティニは冷たい水で口の中を冷まし、ほっと息をついた。

「口ん中、大丈夫か?」
「らいじょうぶれす」
「ん」

 伸びてきたユーダレウスの手に促されるまま、あ、と口を大きく開けて見せる。舌先と上顎が少しだけひりひりするが、これくらいならば大丈夫だ。
 ユーダレウスもそう思ったのか、納得したように一つ頷いて、ティニの顔から手を放した。

 気を取り直したティニは、オムレツをまたひと口切り分け、今度は慎重に冷ましてから口に入れる。
 大好きなチーズはとろとろだし、柔い玉子はほどよい塩気と優しい甘さが丁度いい。ほんのり香るバターも食欲をそそる。
 美味しいものが詰まった口の中だけでなく、頭の中までオムレツのようにふわふわとしてくる。

 チーズの入ったオムレツだなんて。こんなに素晴らしいものがあることも、全部この人が教えてくれた。

 そう思うと妙に嬉しくて、ティニは口元をほころばせた。


 いたって普通の朝食を食べているだけだというのに、人形のような顔に珍しく表情を浮かべているティニに、ユーダレウスは不思議そうに首を傾げたのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします

夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。 アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。 いわゆる"神々の愛し子"というもの。 神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。 そういうことだ。 そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。 簡単でしょう? えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか?? −−−−−− 新連載始まりました。 私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。 会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。 余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。 会話がわからない!となるよりは・・ 試みですね。 誤字・脱字・文章修正 随時行います。 短編タグが長編に変更になることがございます。 *タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。

底辺から始まった俺の異世界冒険物語!

ちかっぱ雪比呂
ファンタジー
 40歳の真島光流(ましまみつる)は、ある日突然、他数人とともに異世界に召喚された。  しかし、彼自身は勇者召喚に巻き込まれた一般人にすぎず、ステータスも低かったため、利用価値がないと判断され、追放されてしまう。  おまけに、道を歩いているとチンピラに身ぐるみを剥がされる始末。いきなり異世界で路頭に迷う彼だったが、路上生活をしているらしき男、シオンと出会ったことで、少しだけ道が開けた。  漁れる残飯、眠れる舗道、そして裏ギルドで受けられる雑用仕事など――生きていく方法を、教えてくれたのだ。  この世界では『ミーツ』と名乗ることにし、安い賃金ながらも洗濯などの雑用をこなしていくうちに、金が貯まり余裕も生まれてきた。その頃、ミーツは気付く。自分の使っている魔法が、非常識なほどチートなことに――

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜

シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。 起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。 その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。 絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。 役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。

生贄にされた少年。故郷を離れてゆるりと暮らす。

水定ゆう
ファンタジー
 村の仕来りで生贄にされた少年、天月・オボロナ。魔物が蠢く危険な森で死を覚悟した天月は、三人の異形の者たちに命を救われる。  異形の者たちの弟子となった天月は、数年後故郷を離れ、魔物による被害と魔法の溢れる町でバイトをしながら冒険者活動を続けていた。  そこで待ち受けるのは数々の陰謀や危険な魔物たち。  生贄として魔物に捧げられた少年は、冒険者活動を続けながらゆるりと日常を満喫する!  ※とりあえず、一時完結いたしました。  今後は、短編や別タイトルで続けていくと思いますが、今回はここまで。  その際は、ぜひ読んでいただけると幸いです。

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! 仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。 カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。

処理中です...