嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

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「んしょっ」

 流しに向かってティニは背伸びをする。水のたまった桶に、使用済みの食器を漬けると、踵を返して洗面所にある踏み台を取りに走った。

 このアルイマの大樹の中に作られた家の中は、背の高いユーダレウスの体格に合わせて作られている。元々、ユーダレウスが自分一人で過ごすために、全て自分で作った家なのだから当たり前だ。
 ただ、小さなティニには少し高すぎるため、あちこちで踏み台が大活躍していた。

 普段使っている食器はコップも皿も木製なので、落としてもそう簡単には割れない。そのため食事の後の片付けはティニの仕事だ。
 目の粗い厚手の布に石鹸をつけて泡立て、それで皿とコップをこする。調理に使っていたフライパンや木べらも一緒に洗った。

 両手で手漕ぎポンプの持ち手を持って、綺麗な水を流して泡をすすぐ。濡れた食器を一つずつ籠に並べて軽く水気をきり、乾いた布巾で拭いていく。
 新品のようにぴかぴか、とまではいかないが、綺麗になった食器を重ねてテーブルに置いた。あとはユーダレウスが鞄の中に片付けるだけだ。

 背後では、階段を下りてくる音がする。着替え終わったユーダレウスが降りてきたのだ。
 いつもの時代遅れな型の旅装束ではなく、黒っぽいゆったりとしたシャツとズボン、足元は革のブーツをやめ、つま先と踵が見える履物になっていた。完全に家でくつろぐための格好だ。
 ティニは踏み台をぴょんと降りると、そちらに駆けて行く。

「師匠、お皿きれいになりました」
「おう、ありがとう」

 頭をくしゃくしゃとかき混ぜられる。そうされるのは嫌いではないけれど、せっかく整えたのにという気持ちもあるティニの心の中は少しだけ複雑だ。
 でも、それを言ってしまったら、もう撫でてもらえないかも知れないので黙っておく。自分の髪型とユーダレウスに撫でられること。それを比べたら、撫でてもらうことの方がティニにとっては重要だ。

 ぽん、と手のひらが頭の天辺に載せられる。それがくるとおしまいの合図だ。

 手が離れてから、ティニはもそもそと髪を直す。別に誰がに会うこともなさそうなので、毛束が引っかかって違和感があるところを適当に撫でつけた。

「……なあ、ティニ。お前これ読んでたのか?」

 ティニは顔を上げると、何の話かと首をかしげた。乱されてあちこち跳ねた曇天色の髪が、持ち主の与り知らぬ後頭部でぴょこんと踊る。

 ユーダレウスが見やすいように掲げた物を見て、ティニは青褪めた。人形のように表情に乏しい顔がさらに強張り、尚更作り物めいた顔つきになる。

 それは、一冊の本だ。ユーダレウスの手にあるとなおのこと薄く見えるそれの表紙には、可愛らしい絵柄で描かれた誰かが、こちらに微笑みかけていた。
 今朝、読んでいた本だ。落として拾い上げたはいいが、ベッドの隅に置きっぱなしで本棚に片付けるのを忘れていた。

「えっと……」
「なんだ、はっきりしねえな」

 言葉を濁すティニに、目の前でしゃがんだユーダレウスが険しい顔をする。怒っているというわけではなさそうだが、許可を得る前に勝手に触ったという後ろめたい気持ちがあるティニには、少し怖いように見えた。

 師には嘘や隠し事はできない事をティニは知っている。
 あの時のカエルだって、誤魔化しきれずに結局は見つかったのだ。叱られるのは嫌だ。けれど嘘つきだと嫌われるより、正直に言って叱られる方が何倍もいい。

「……っ、よんでないです。でも……かってに見ました」

 「ごめんなさい」と謝ると「別に良い」とあっさりと許された。
 本当に許されたのか不安になって、ティニはユーダレウスにぴたりと身を寄せた。大きな手が宥めるように後頭部をなでてくる。

「字の読み書きは習わなかったのか」

 上から降る穏やかな声に少し安心して、ティニはユーダレウスの服に顔を押し付けながら素直に頷いた。見上げると、銀色の瞳がこちらをまっすぐに見ていた。

「よむのも、かくのもわからないです」

 ユーダレウスと出会う前。ティニは母親と一緒に旅芸人の一座にいた。
 貧しい一座だったせいだろうか、ティニの母も読み書きができなかった。別に一座では珍しいことではなかった。生まれてから死ぬまで一座に与している旅の芸人たちは、字を読み書きすることなんてそうそうなかったから、その必要性も感じなかったのだろう。
 それに加えて、ティニは一座の他の大人とは関わり合いにならないようにと母に囲われていた。そのため、ティニは読み書きができる者から文字を学ぶ機会もなかった。

 何か、問題でもあったのだろうか。やはり、ティニが読んではいけない本だったのだろうか。それとも、読み書きもできないような弟子は、魔術師にはなれないのだろうか。

 心配ばかりが膨らんで、ティニはユーダレウスの腰の辺りに顎をのせるようにして、師の顔色を窺うように顔を上向けた。

 広い肩から、緩く束ねられた月色の髪がずるりと零れ落ちた。それを気にもかけず、真剣な顔をしてユーダレウスは手元の本をぺらぺらとめくる。

「……ティニ。今日から、読み書きの勉強するか?」

 パタン、と本が閉じられる。それと同時に投げかけられた、思ってもみない質問に、ティニはぽかんとして黙り込んだ。

「これも自分で読めるようになるぞ。まあ……無理にとは言わんが」

 弟子の沈黙を拒絶だと勘違いしたのか、ユーダレウスは気まずそうに視線を明後日の方へそらした。
 ティニは、師の服をぎゅっと握る。その驚くほど鮮やかな青い瞳の中が、星が散ったようにきらきらときらめいている。

「……師匠が、おしえてくれるんですか?」
「当たり前だろうが。他に誰がいる」
「やります! ぼく、字のべんきょうします!」

 急に元気になったティニに、ユーダレウスは怪訝そうな顔になった。
 しかし、あまりにも必死に、まるで今ここで手を放したら、字を学ぶ機会を失うとでも思っているかのような様子の弟子に吹き出して、珍しく眉間の皺を緩めた。




 ――もし、また「母さん」に会えるのなら。

 ティニは少ない思い出を手繰り寄せる。
 ずっと、その人の側にいた。どんなことを話して、どんなものを隣で見たのか、朧気な記憶になっていて、鮮明に思い出すことは難しい。

 だけど、一緒にいたということは思い出せる。話す声も、歌う声も、まだ思い出せる。顔も、毎日そっくりなものを鏡で見るから思い出せる。

 もし、またあの人に会えるのなら。
 毎日が楽しくて、嬉しくて仕方がないこの日々を伝えたい。そして、この人に預けてくれてありがとうと心の底からお礼を言う。

 ティニはそう決めている。




***


「師匠、これはなんてかいてあるんですか?」

 差し出された紙に書かれた文字の並びを見て、ティニはわくわくとした顔で師を見る。

「……『ティニエト』と、書いてある」

 ほんの少し間を開けて、微妙な顔をしたユーダレウスは、気まずそうに顔を逸らしながら、ぶっきら棒にそう答えた。

「ティニエト……」

 紙に黒いインクで書かれたそれを、ティニは指でなぞる。紙がユーダレウスが書いた線にそって、ほんの少しへこんでいた。
 これが、自分の名前を意味する文字。名前は、師がくれた、ティニにとっていっとう大事なものだ。

 それを、ティニは今、初めて自分の目で見た。

「師匠……」
「ん、なんだ」
「ありがとうございます!」

 紙を抱き締めティニは笑った。


 今日もまた、知らなかったことがひとつ、知っていることになった。

                   弟子と雨降る森の朝 了
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