嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

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 身体を包む温かな風が去ると、懐かしい匂いがした。
 アラキノは静かに目を開くと、精霊たちを寝床へと帰す。

 あの時、一番初めに思い浮かんだのは、かつて暮らした師の家だった。そこならば二人の魔術師に確実に会える。何かしらの情報が得られるはずだと踏んでの判断だった。

 師の家は、アラキノの記憶よりも古びていた。あらゆる護りの術をかけていた主がいなくなったのだ、無理もない。どういうわけがあるのか、ロタンたちは魔術をかけ直すことをしなかったらしい。
 会いたくないという緊張感に包まれながら、アラキノは二人の姿を探してぐるりと辺りを見回す。

 広い前庭は、秋の色に染まり始めていた。
 ひと塊にまとまって生える細く長い草は、薄く、枯れた橙に色づき、風に吹かれる度にその輪郭を曖昧にする。玉のような形の鮮やかな赤の花や、鈴生りになった濃い紫の花など、様々な秋の花が咲き乱れ暖かな陽に包まれている。見上げるほど背の高い広葉樹は、生い茂る手のひら程の葉を早くも黄色に染めていた。
 しかしそれを促す紅葉の精霊の姿はひとつも見えず、辺りは気味が悪いほどに静まり返っているように感じた。

 アラキノは躊躇いながらも玄関のドアを叩く。
 しばらくすると、どことなく見覚えのある面影をした老女がアラキノを出迎えた。驚きに目を見開いた老女は、アラキノの頭の天辺からつま先まで視線を滑らせると、顔をほころばせた。

「アラキノ……! 無事で良かった……!」

 見た目の年齢相応にしわがれた声が、涙に濡れていた。
 彼女と同じだけ「信じられない」という顔をしたアラキノは、おそるおそる口を開く。

「まさか、ジルか……?」
「そうだよ、私だ。良く戻ってきた、アラキノ」

 この優しい姉弟子は、飛び出していったアラキノを心底心配してくれていたのだろう。無事の帰還に、その細い顔は喜色に染まっていた。その代わりにアラキノの胸は申し訳なさで重たくなっていく。

「心配かけて、悪かった、ジル。その、ロタンは……」

 ぴたりと音がしそうなほどはっきりとジルの表情が消え、そして途方に暮れたように、今にも泣き出しそうな顔に変わった。

 精霊が消えた事。ジルに起きた老化という変化。同じように、ロタンにも何かが起きているのは確実だ。それを聞かねばならない。アラキノはカンテラのついた杖を握り直した。

 冷たい風が吹き、森と前庭の草木を揺らす。寒そうに身を震わせたジルが、羽織っていた肩掛けを身体に巻き付けると、俯き加減に力なく微笑んだ。

「……冷えて来たな。入りなさい。中で話そう」

 ジルはその視線を一切目を合わせぬまま、アラキノを家の内側に招き入れた。



 時の流れによって古びてはいたが、家の中は清潔に保たれ、ほとんどあの頃のままだった。
 師がいつも腰かけていた玄関のすぐ横の階段を、窓から入る陽の光が明るく照らす。すぐそこの扉を開ければ、いつも食事をとっていた台所がある。目に映る何もかもが懐かしい。

 しかし、アラキノは眉を寄せ、目を細める。

 空気が、淀んでいる。精霊の水鏡の周りは、とても清浄な場所だったのだと今更気が付いた。それほどに、この屋敷の中は泥に浸かったかのように重苦しい。

 ――ここか。

 アラキノの直感は、精霊の異変に関わる重要なことがここであると嗅ぎ取った。

「ジル、何があった」
「わかってる。ちゃんと話すから……だが先に……ロタンに会った方が話が早い、と思う」

 すっかり沈みきった表情のジルの頼みに、アラキノは黙って頷いた。

 記憶よりもさらに小さく、そして細くなったジルに先導されるまま、かつて「魔術の部屋」と呼んでいた部屋の扉を開けた。
 そこは物が片付けられ、陽の光の当たる広間になっていた。

「ジル……」

 アラキノの掠れた囁き声が、両手で自らを抱き、きつく目を瞑っている姉弟子の名を呼ぶ。


「ジル。ロタンは、だ……?」


 片付けられたものの代わりに、部屋の中にはベッドが詰められており、大きな医院の病室を思わせた。
 しかし、ここは決して病室などではない。ベッドの上には人間の姿はなく、代わりに、ベッドと同じ数の「何か」が横たわっていた。
 それは、時々、聞いた者の気のせいともとれるほど微かなうめき声を上げ、もぞりもぞりと小さく身じろいだ。

 まるで、人間が中にいるようだった。

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