72 / 83
19
しおりを挟む
身体を包む温かな風が去ると、懐かしい匂いがした。
アラキノは静かに目を開くと、精霊たちを寝床へと帰す。
あの時、一番初めに思い浮かんだのは、かつて暮らした師の家だった。そこならば二人の魔術師に確実に会える。何かしらの情報が得られるはずだと踏んでの判断だった。
師の家は、アラキノの記憶よりも古びていた。あらゆる護りの術をかけていた主がいなくなったのだ、無理もない。どういうわけがあるのか、ロタンたちは魔術をかけ直すことをしなかったらしい。
会いたくないという緊張感に包まれながら、アラキノは二人の姿を探してぐるりと辺りを見回す。
広い前庭は、秋の色に染まり始めていた。
ひと塊にまとまって生える細く長い草は、薄く、枯れた橙に色づき、風に吹かれる度にその輪郭を曖昧にする。玉のような形の鮮やかな赤の花や、鈴生りになった濃い紫の花など、様々な秋の花が咲き乱れ暖かな陽に包まれている。見上げるほど背の高い広葉樹は、生い茂る手のひら程の葉を早くも黄色に染めていた。
しかしそれを促す紅葉の精霊の姿はひとつも見えず、辺りは気味が悪いほどに静まり返っているように感じた。
アラキノは躊躇いながらも玄関のドアを叩く。
しばらくすると、どことなく見覚えのある面影をした老女がアラキノを出迎えた。驚きに目を見開いた老女は、アラキノの頭の天辺からつま先まで視線を滑らせると、顔をほころばせた。
「アラキノ……! 無事で良かった……!」
見た目の年齢相応にしわがれた声が、涙に濡れていた。
彼女と同じだけ「信じられない」という顔をしたアラキノは、おそるおそる口を開く。
「まさか、ジルか……?」
「そうだよ、私だ。良く戻ってきた、アラキノ」
この優しい姉弟子は、飛び出していったアラキノを心底心配してくれていたのだろう。無事の帰還に、その細い顔は喜色に染まっていた。その代わりにアラキノの胸は申し訳なさで重たくなっていく。
「心配かけて、悪かった、ジル。その、ロタンは……」
ぴたりと音がしそうなほどはっきりとジルの表情が消え、そして途方に暮れたように、今にも泣き出しそうな顔に変わった。
精霊が消えた事。ジルに起きた老化という変化。同じように、ロタンにも何かが起きているのは確実だ。それを聞かねばならない。アラキノはカンテラのついた杖を握り直した。
冷たい風が吹き、森と前庭の草木を揺らす。寒そうに身を震わせたジルが、羽織っていた肩掛けを身体に巻き付けると、俯き加減に力なく微笑んだ。
「……冷えて来たな。入りなさい。中で話そう」
ジルはその視線を一切目を合わせぬまま、アラキノを家の内側に招き入れた。
時の流れによって古びてはいたが、家の中は清潔に保たれ、ほとんどあの頃のままだった。
師がいつも腰かけていた玄関のすぐ横の階段を、窓から入る陽の光が明るく照らす。すぐそこの扉を開ければ、いつも食事をとっていた台所がある。目に映る何もかもが懐かしい。
しかし、アラキノは眉を寄せ、目を細める。
空気が、淀んでいる。精霊の水鏡の周りは、とても清浄な場所だったのだと今更気が付いた。それほどに、この屋敷の中は泥に浸かったかのように重苦しい。
――ここか。
アラキノの直感は、精霊の異変に関わる重要なことがここであると嗅ぎ取った。
「ジル、何があった」
「わかってる。ちゃんと話すから……だが先に……ロタンに会った方が話が早い、と思う」
すっかり沈みきった表情のジルの頼みに、アラキノは黙って頷いた。
記憶よりもさらに小さく、そして細くなったジルに先導されるまま、かつて「魔術の部屋」と呼んでいた部屋の扉を開けた。
そこは物が片付けられ、陽の光の当たる広間になっていた。
「ジル……」
アラキノの掠れた囁き声が、両手で自らを抱き、きつく目を瞑っている姉弟子の名を呼ぶ。
「ジル。ロタンは、どれだ……?」
片付けられたものの代わりに、部屋の中にはベッドが詰められており、大きな医院の病室を思わせた。
しかし、ここは決して病室などではない。ベッドの上には人間の姿はなく、代わりに、ベッドと同じ数の「何か」が横たわっていた。
それは、時々、聞いた者の気のせいともとれるほど微かなうめき声を上げ、もぞりもぞりと小さく身じろいだ。
まるで、人間が中にいるようだった。
アラキノは静かに目を開くと、精霊たちを寝床へと帰す。
あの時、一番初めに思い浮かんだのは、かつて暮らした師の家だった。そこならば二人の魔術師に確実に会える。何かしらの情報が得られるはずだと踏んでの判断だった。
師の家は、アラキノの記憶よりも古びていた。あらゆる護りの術をかけていた主がいなくなったのだ、無理もない。どういうわけがあるのか、ロタンたちは魔術をかけ直すことをしなかったらしい。
会いたくないという緊張感に包まれながら、アラキノは二人の姿を探してぐるりと辺りを見回す。
広い前庭は、秋の色に染まり始めていた。
ひと塊にまとまって生える細く長い草は、薄く、枯れた橙に色づき、風に吹かれる度にその輪郭を曖昧にする。玉のような形の鮮やかな赤の花や、鈴生りになった濃い紫の花など、様々な秋の花が咲き乱れ暖かな陽に包まれている。見上げるほど背の高い広葉樹は、生い茂る手のひら程の葉を早くも黄色に染めていた。
しかしそれを促す紅葉の精霊の姿はひとつも見えず、辺りは気味が悪いほどに静まり返っているように感じた。
アラキノは躊躇いながらも玄関のドアを叩く。
しばらくすると、どことなく見覚えのある面影をした老女がアラキノを出迎えた。驚きに目を見開いた老女は、アラキノの頭の天辺からつま先まで視線を滑らせると、顔をほころばせた。
「アラキノ……! 無事で良かった……!」
見た目の年齢相応にしわがれた声が、涙に濡れていた。
彼女と同じだけ「信じられない」という顔をしたアラキノは、おそるおそる口を開く。
「まさか、ジルか……?」
「そうだよ、私だ。良く戻ってきた、アラキノ」
この優しい姉弟子は、飛び出していったアラキノを心底心配してくれていたのだろう。無事の帰還に、その細い顔は喜色に染まっていた。その代わりにアラキノの胸は申し訳なさで重たくなっていく。
「心配かけて、悪かった、ジル。その、ロタンは……」
ぴたりと音がしそうなほどはっきりとジルの表情が消え、そして途方に暮れたように、今にも泣き出しそうな顔に変わった。
精霊が消えた事。ジルに起きた老化という変化。同じように、ロタンにも何かが起きているのは確実だ。それを聞かねばならない。アラキノはカンテラのついた杖を握り直した。
冷たい風が吹き、森と前庭の草木を揺らす。寒そうに身を震わせたジルが、羽織っていた肩掛けを身体に巻き付けると、俯き加減に力なく微笑んだ。
「……冷えて来たな。入りなさい。中で話そう」
ジルはその視線を一切目を合わせぬまま、アラキノを家の内側に招き入れた。
時の流れによって古びてはいたが、家の中は清潔に保たれ、ほとんどあの頃のままだった。
師がいつも腰かけていた玄関のすぐ横の階段を、窓から入る陽の光が明るく照らす。すぐそこの扉を開ければ、いつも食事をとっていた台所がある。目に映る何もかもが懐かしい。
しかし、アラキノは眉を寄せ、目を細める。
空気が、淀んでいる。精霊の水鏡の周りは、とても清浄な場所だったのだと今更気が付いた。それほどに、この屋敷の中は泥に浸かったかのように重苦しい。
――ここか。
アラキノの直感は、精霊の異変に関わる重要なことがここであると嗅ぎ取った。
「ジル、何があった」
「わかってる。ちゃんと話すから……だが先に……ロタンに会った方が話が早い、と思う」
すっかり沈みきった表情のジルの頼みに、アラキノは黙って頷いた。
記憶よりもさらに小さく、そして細くなったジルに先導されるまま、かつて「魔術の部屋」と呼んでいた部屋の扉を開けた。
そこは物が片付けられ、陽の光の当たる広間になっていた。
「ジル……」
アラキノの掠れた囁き声が、両手で自らを抱き、きつく目を瞑っている姉弟子の名を呼ぶ。
「ジル。ロタンは、どれだ……?」
片付けられたものの代わりに、部屋の中にはベッドが詰められており、大きな医院の病室を思わせた。
しかし、ここは決して病室などではない。ベッドの上には人間の姿はなく、代わりに、ベッドと同じ数の「何か」が横たわっていた。
それは、時々、聞いた者の気のせいともとれるほど微かなうめき声を上げ、もぞりもぞりと小さく身じろいだ。
まるで、人間が中にいるようだった。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
銀眼の左遷王ケントの素人領地開拓&未踏遺跡攻略~だけど、領民はゼロで土地は死んでるし、遺跡は結界で入れない~
雪野湯
ファンタジー
王立錬金研究所の研究員であった元貴族ケントは政治家に転向するも、政争に敗れ左遷された。
左遷先は領民のいない呪われた大地を抱く廃城。
この瓦礫に埋もれた城に、世界で唯一無二の不思議な銀眼を持つ男は夢も希望も埋めて、その謎と共に朽ち果てるつもりでいた。
しかし、運命のいたずらか、彼のもとに素晴らしき仲間が集う。
彼らの力を借り、様々な種族と交流し、呪われた大地の原因である未踏遺跡の攻略を目指す。
その過程で遺跡に眠っていた世界の秘密を知った。
遺跡の力は世界を滅亡へと導くが、彼は銀眼と仲間たちの力を借りて立ち向かう。
様々な苦難を乗り越え、左遷王と揶揄された若き青年は世界に新たな道を示し、本物の王となる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる