嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

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 そこにいたのは、一様に、どこかに人間の面影の残る、化け物たちの姿だった。

 ある者の手足の骨は木となり、肉は土塊であった。
 ある者はこけた頬の半分にとりどりの花を咲かせていた。
 腰から下が石になり、苔むしている者もいる。
 入り口から一番近くのベッドでうつ伏せていた「それ」は、見事な石英の結晶を背中らしき場所から生やしていた。

 かろうじて息をして、呻く、人間にすこし似ている何か。

 人間ではない。こんなにおぞましいものが、人間であっていいはずがない。アラキノは込み上げる眩暈と吐き気を堪え、姉弟子を振り返る。

「ジル、何が起きてるんだ、これは……」

「……これは、禁忌を犯した――精霊に名を付けた魔術師の成れの果てだ」

 ジルの静かな声に、アラキノは嘆息する。その場に座り込んでしまいたかった。

 部屋に入った瞬間から、そんな気はしていた――いや。屋敷を訪れて目にしたジルの変化、そしてロタンが出迎えがなかった時点で、どこか「そうではないか」という嫌な予感があった。

 師がいなくなったあの日、アラキノは自分の罪悪感の為に、ロタンの勘違いを正さなかった。
 それは『精霊に名を付けた』と、嘘をついたようなものだった。

 激しく乱れた心のまま受け取ったロタンが、師を喪って自棄になったロタンが、それを試さないと誰が言い切れるだろうか。

 握った拳が震えているのを感じながら、アラキノはジルの様子を窺う。視線に気が付いたのか、ジルはやるせない様子で首を横に振った。

「まだ、みな生きているんだ……おそらくだが。そして、死にはしない。そう……殺すこともできない。何をしても。こんな状態なのに。どうにか治してやりたかったけど……もう、私には……」

 姉弟子は絞り出すような声でそう言うと、胸に下がるペンダントを握りしめた。

「まさか、ジルもか……?」
「ああ。私も、名を付けた。付けて、しまった……」

 アラキノは泣き崩れそうなジルの肩にそっと触れる。老いた肩はか細く、弱弱しく、記憶の中の最期の師の姿を思い出して腹の底が冷えた。

「話を、聞かせてくれ」

 情けなくも呻きたくなるのを奥歯を噛んで堪え、詳しい話をするためにアラキノはジルを伴って台所へと向かった。


 台所は涙が出るほど懐かしい薬草茶の爽やかな匂いがした。だがそれはアラキノの心を落ち着かせてはくれなかった。
 既に火の入っている暖炉からは、甘い色の明かりが溢れている。その火の上に水の入ったヤカンをかけたジルは、椅子に腰かけると机の上で手を組んだ。

「何から話したらいいのか……」

 ジルは言葉を探しながら、一つずつ語った。


 まず、アラキノが出て行った後、すぐにロタンは自らと契約していた精霊に名前を付けた。
 たちまち、精霊からは驚くほどの力を引き出すことに成功したという。

 あっという間に、ロタンは世界一優れた魔術師として名を馳せた。それを聞きつけた多くの魔術師が、ロタンに師事した。ジルでさえも、未知の領域への誘惑には勝てず、自らの精霊に名を付けた。

 しばらくの間は、力の強い魔術師たちが世間に蔓延った。不思議と、付けた名で呼べば精霊たちはどんなことにも従ったらしい。

「――けれどそれは、名で精霊を縛り、押さえつけ、本来交渉で得るべき彼らの力を引きずりだしていたにすぎなかった」

 ため息交じりにそう呟くと、ジルは遠い眼差しを、向かいに座るアラキノの背後の壁に向けた。


 十年も経つと、名を付けた魔術師たちは、次第に精霊の言葉の発音が曖昧になっていった。
 異変を感じ取ったジルはすぐに名を呼ぶことをやめたが、間に合わなかったらしい。

「――私は、愚かだった。失ってから、あの子が……精霊がどれほど私に寄り添っていてくれたかを思い知ったのだから」

 両手で顔を覆って深く息をつき、項垂れたジルのその心痛を察し、アラキノは眉間に皺を増やす。

 暖炉の中で薪が小さくはぜた。ジルの静かな声がまた語りだす。


 手遅れではあったが異変に気が付いたジルは、精霊を名で呼ぶこと、及び、魔術の行使を停止するようロタンたちに意見した。
 しかし、とある魔術を求めるロタンは、そして、大きな力に驕りを見せていたロタンの弟子、もとい支持者たちは、ジルの言葉を鼻で笑い、耳を貸さなかった。
 たとえこちらの言葉が曖昧でも、名さえ呼べば精霊はどんなことにも従うのだから、彼らからすればジルの進言は聞く価値もなく、ただ煩いものでしかなかったのだろう。ロタンと彼に従う一派は、他の魔術師たちを説得して回るジルを排斥するようになっていった。

 そうして、ロタンたちは名前に縛られた精霊の悲鳴を幾度となく無視して、我が物のように魔術を行使し続けた。


「――彼らの精霊たちは、日に日に苦しみを増しているように見えた。そして、ある日突然……はじけて消えた。そのすぐ後からだ。ロタンは……」

 ゆっくりと。蝕むように。長い時をかけて、ロタンたちはああなっていった。意識は正常なままに、手足が木にかわり、腹が岩に変わり、頬が土に変わり、額からは草花が芽吹いていった。

 自分の身体が強制的に大地に還らんとする様は、相当な恐怖だったに違いない。

 精霊に名を付けることと同様に禁忌なのは、精霊の力を、自らの力としていたずらに行使すること。
 師は確かに弟子にそのことを教えてくれていた。ロタンも例外ではなく、師に教わっていたはずだ。しかし、その教えの記憶は激情に押し流され、執着の内に埋もれてしまったのだろう。

 暖炉を眺めているジルの眼差しは、深い悔恨に染まっていた。アラキノは机の上の木目に視線を落とす。

「そこまでしてロタンは何を……」
「……死者を、呼び戻す術だ」

 誰を、とはあえて聞かずともわかった。

 ただし、どんな事情があるにしろ、それはすべて人間の都合にほかならない。勝手な名で縛られ、力を搾取され続けた精霊の怒りはまだ続いている。
 精霊たちが人間の前に姿を現さないというこの異変が、彼らの怒りを証明していた。



「……精霊たちは何故、契約を破棄しなかったんだ」

 師との契約は破棄したのだ。できないわけではないはずだ。
 その言葉は言わなかったが、ジルはアラキノが壁に立てかけたカンテラのついた杖にすっと視線を流した。

「どうやら、この子は……私との契約をやめたくても、できないらしい」

 そう言って、ジルは皺の寄った手でペンダントを労わり撫でる。紫色の石が悲し気に輝いた。

「精霊に名を付けるということは、そこまで精霊たちを縛るもののようだ」

 自分のせいで、狂ってしまった運命。あの時、自分が間違いをきちんと正していれば。
 アラキノの胸に生まれた新しい種類の罪悪感が、あっという間に育っていく。

 ペンダントに触れるジルの手元を見つめていたアラキノが、ぽつりとつぶやく。

「……ジル、どれくらいの魔術師がああなった」

 ジルが息をのんだ音がした。素知らぬ顔をしようとしてしくじったた彼女は、痛みを隠しきれない顔でアラキノを見る。

「わからない。けれど、噂を聞く限りでは……」

 あの部屋にいた魔術師だったものたちが、精霊に名を付けた魔術師のほんの一握りである。実際に体感していたジルのその仮定は、おそらく真実なのだろう。それだけ、ロタンが広めた過ちは広まっていたということだ。

 ジルの説得に応じた魔術師は確かにいた。しかし、そうでない者の方が、圧倒的に多いことだろう。下手をしたら、大多数の魔術師がロタン達のような状況に陥っていることもあり得るのだ。

「どうにか救えないかと思ったんだが……私には無理だ。生かしてやることも、逝かせてやることもできない」

 精霊に名を付けたが生き残った者。そんな者にも、罰は与えられた。

 ジルにもたらされていた精霊の加護は、年を追うごとに弱くなっていった。
 艶やかだった黒髪は白いものが多くなり、年を追うごとに老化を重ねていった。治りの遅い怪我をすることも、病にかかることも増えた。

 どれも、魔術師であるならばありえないことである。

 加えて、精霊との綿密な意思の疎通は叶わなくなっていた。
 魔術を行使するために、精霊に伝えたいことを思い浮かべても、精霊の言語に変換できないのだ。かつては流暢だった発音も、舌足らずの幼子のようになっているらしい。
 それではもはや、完全な魔術を使うことはできない。

 アラキノは杖を握った。窓から差す日光を反射して、ぶら下がったカンテラが光る。

「俺が治癒の魔術を……」
「無理だアラキノ。もう……治してやれるほど、彼らの生命の時間は残っていないと思う。だが……」

 言葉を途切れさせた姉弟子をアラキノは見つめた。何か言いたげに薄く口を開けたまま、黙り込んでいた。

「ジル?」
「いや、何でもない……とにかく、彼らを元に戻し、生かしてやることは、もう誰にもできはしないだろう」

 姉弟子の冷静な声と判断に、ロタンを死から取り戻すことは不可能なのだとアラキノは改めて実感し、嘆息した。部屋は暖かいのに、手は冷えていくのがわかった。

 ジルの眼差しは凪いでいたが、どこか、疲れた者の目をしていた。
 彼女は、禁忌を犯してああなってしまった魔術師たちを集め、この家で面倒を見ていた。どれくらいの年月、そうしていたのか。

 あまりにも、惨い。
 生きているのか、死んでいるのか。今、意識はあるのかないのか。それすらわからない者を相手にして、彼女が彼らにしてやれることはほぼなかった。
 這いずるような速度で、精神は正常なままに人ならざる者の姿へと変わっていく彼らを言葉で励まし、その実、ただ眺めていることしかできないのだ。言葉を口にすることすらままならなくなってからは、会話することすらできなくなっただろう。それでも、彼女は彼らを助け続けた。
 その想いは、ひとえに、かつての弟弟子であるロタンを救うためだろう。

 けれど、その献身は、どれほど彼女の心を削ったことか。

 ――あの日の、嘘のせいで。

 月の色の髪をした魔術師は、随分と長い間、静かな森の中で自分の憂いだけを抱えて横たわっていた愚かな男を呪った。
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