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最初の夫婦と最初の娘たちの話

この世界で最初の夫婦に、最初の剖宮産での赤ん坊が生まれた時のこと。

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 この世で最初のお百姓さんが耕す畑はずいぶん広くなり、この世で最初の機織り職人が織る布はずいぶん大きくななっていました。
 でも相変わらずお百姓さんはこの世に一人しかおらず、機織り職人はこの世に一人しかおりません。

 こういったわけですから、二人の間に赤ちゃんができて、月が満ちる前からひどく出血して、赤ん坊ばかりか母親の命も危ういかも知れないと判っていても、この世で最初のお父さんは畑から離れるわけにはゆきませんでした。
 月が満ちる前からひどく出血して、赤ん坊ばかりか自分の命も危ういかも知れないと判っていても、この世で最初のお母さんは糸錘を手放すわけには行きませんでした。

 最初の時と違ったのは、この世にいるのは二人きりではなく、この世で最初の娘のフッラという産婆の役をできる三人目がいるということでした。
 二番目や三番目や四番目や五番目や六番目の時と違ったのは、フッラの仕事を手伝ってくれる、マッハという四人目と、ジョカという五人目とポイベという六人目と、ディーヴィという七人目とティアマトという八人目がいることでした。

 この世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんで、この世で最初のお産婆さんのフッラは、自分が生まれたときのことをよくよく思い出しました。それから双子の妹たちが生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。逆子の妹が生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。極々小さな妹が生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。とても大きな妹が生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。
 何がいるのか、どうすればよいのか、よくよく考えました。
 そうして姉妹達は手分けして産湯を沸かし、手分けして産着を仕立て、手分けしてゆりかごを作り、手分けして準備を整えました。

 全部万端整え終わりますと、フッラは、この世で最初のお母さんの大きく膨らんでぱんぱんに張ったお腹に、よくよく聞こえる方の耳を当てました。
 お母さんのお腹の中では、小さな心の臓の拍動が

「ととと、ととと」

 と、かすかに鳴っておりました。

「私の弟妹は大分弱っているに違いない」

 フッラが言いますと、お母さんは大変びっくりしました。
 次にフッラは、この世で最初のお母さんの胸元に、よくよく聞こえる方の耳を当てました。
 お母さんの胸の奥では、心の臓の拍動が

「とと、と、と、とと」

 と、乱れて鳴っておりました。

「私たちの母親は、子供を産むのに力が足りないかも知れない」

 フッラが言いますと、お母さんは大変不安になりました。
 だって、この世にはこのお母さんより先に自分の体が弱り切っている上に、弱り切った赤ん坊を生んだ人が一人もないのです。
 ですから、誰も母子とも命の危ない時の赤ん坊の取り上げ方を知りませんし、誰も母子とも命の危ない時の赤ん坊の取り上げ方を教えてはやれないのです。
 フッラは用心して、でも大急ぎで、痛み止めの薬と、血止めの薬と、体の中の血を増やす薬と、体に元気の湧く薬と、ゆっくり眠れる薬を調合しました。
 それから、猟師さんのマッハと料理人さんのジョカの双子を呼んで言いました。

「あなたたちが獣の肉や魚の身を切る時に使う、一番良く切れるナイフを貸してください。もしかすると使わなければならないから」

 次に仕立屋さんのポイベを呼んで言いました。

「あなたが皮を縫うときに使っている鋭く尖った針と、薄衣を縫うときに使っている細くて丈夫な糸を貸してください。もしかすると使わなければならないから」

 次に牧童さんのディーヴィを呼んで言いました。

「あなたは今までに幾度も牛の子どもを取り上げたことがあるでしょうから、その手を貸してください。もしかすると今回は私一人では手が足りないかも知れないから」

 最後に大工さんのティアマトを呼んで言いました。

「あなたが新しく建てた家に、急いで清潔な小部屋を一つ建て増ししてください。もしかすると私たちのお母さんに特別な治療をしないといけなくなるかも知れないから」

 最初にマッハとジョカが良く切れるナイフを持ってきますと、フッラはそれをぐらぐらと沸き立つ湯の中に浸しました。
 次にポイベが針と糸を持ってきますと、フッラはそれを油薬の中に浸しました。
 それからディーヴィがやってきますと、フッラは彼女を清潔な服に着替えさせて、産湯と産着の支度をさせました。
 その頃ティアマトは急いで新しい家まで走っていって、新しい材木で新しい部屋を作り始めていました。
 この世で最初のお産婆さんでこの世で最初のお医者さんのフッラは、全部の支度を用心深く調えました。

 兎にも角にも、ノヂシャの花の咲いた頃、この世で最初のお母さんは産気づきました。
 そうして、この世で最初の夫婦が住まいにしていた岩の洞窟の中の、布団にしていた藁の山の中で、最初の母親のお腹を切り裂いて取り上げられた赤ん坊は生まれたのです。
 この世で最初にお医者さんになったフッラは、苦しそうなこの世で最初のお母さんに眠り薬を飲ませました。
 お母さんがぐっすり深く眠りに就きますと、ぐらぐら煮立ったお湯の中から、良く切れるナイフをとりだしました。
 そうしてフッラは、お母さんのまあるい大きなお腹をナイフでしゅっと切り裂きました。

 この世で最初のお産婆さんでこの世で最初のお医者さんのフッラは、切って裂いたお腹の中に、この世で最初のお腹を裂いて生まれてくる赤ん坊のおしりが見えたときに、

「早く引き取り出してあげないと」

 と言いました。赤ん坊を取り上げている間にお母さんの体から血が流れ出過ぎてしまうかも知れないからです。
 この世で最初のお産婆さんはお母さんのお腹の中に手を入れて、赤ん坊のおしりをゆっくり引き上げますと、すぐにディーヴィに渡しました。
 ディーヴィが小さな妹に産湯を使っている間に、フッラはもう一度お母さんのお腹の中に手を入れて、胞衣えなをきれいに取り出しました。
 それからこの世で最初のお医者さんは、油薬の中から針と糸を取り出して、急いでお母さんのお腹を縫い合わせました。傷口には血止めの薬と痛み止めの薬を充分に塗り込みました。

 フッラが振り向きますと、丁度ディーヴィが新しい妹に産着を着せているところでした。
 眠り薬から覚めたこの世で最初のお母さんは、ぐったり疲れ切っていて赤ん坊を抱き上げられませんでした。畑から戻ってきたこの世で最初のお父さんは、とてもとても不安になりました。
 お母さんのお腹を裂いて取り出した赤ん坊を育てた人など、この世には一人だっていないのです。ですからこの世で最初の夫婦は心配になったのです。

 するとこの世で最初のお母さんのお腹を裂いて取り出された赤ん坊は、不安がる両親に向かって元気の良い声で言ったのです。

「お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが悲しむことは、この世の総てが悲しむことと同じででした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 この世に生まれてよろこんでいる私たちのために、この世には悲しみだけでなく、
喜びの声にも満ちるでしょう。
 お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが苦しむことは、この世の総てが苦しむことと同じでした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 私たちはお父さんを助けることができ、私たちはお母さんを助けることができます。
 さあ泣かないで、悲しまないで。
 どうかよろこんで、笑ってください」

 この世で最初のお父さんとお母さんは大変よろこんで、お母さんのお腹を裂いて取り出した赤ん坊を抱きしめました。
 この世で最初のお父さんとお母さんは、お母さんのお腹を裂いて取り出した娘にヌトという名前を付けました。

 それは、白のノヂシャの花の咲いた日のことでした。
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