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この世で一番最初の娘たちと、その婿たちの話。

詩人のヌトと、精強のアシズエル。

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 この世で最初の詩人で歌い手のヌトは、蜜の入った小さな壺と水を汲む小さな瓢と、パン種の入っていない薄焼きパンを持って出かけました。
 ヌトは良い詩を書いて、良い曲を作るために、良い花の咲く水辺へ向かいました。
 すると水辺には紫の服を着た、今までに見たことのない人がいました。
 もっとも、この世にはヌトと姉たちと両親以外の人がおりませんから、それ以外の人はみな見たことのない見知らぬ人なのですけれども。
 紫の服の人は背丈が高く、手足が長く、額から角のように尖った光が輝き出でていました。
 ヌトは大変驚いて地面にひれ伏しました。すると紫の服の人は言いました。

「顔を上げなさい。私を拝んではいけません。私はこの世で最も尊い御方の使徒です」

 そのお声がとても優しいので、ヌトは言われたとおりに顔を上げました。

「この世で最も尊い御方の使徒のあなたが、大地に何の御用でおいでなのですか?」

 恐る恐る訊ねますと、紫の服の人はにっこりと笑いました。

「あなたとあなたの姉妹たちの良い夫となるためです」

 その笑顔がとても優しいので、ヌトは体を起こして立ち上がりました。

「あなたは私の姉妹のうちの、誰の夫となるためにおいでになったのですか?」

 恐る恐る訊ねますと、紫の服の人はにっこりと笑いました。

「私はあなたの夫となるために、銀の雲の神殿から、あなたに最も相応しい結納の品を持って下ってきました」

 紫の服の人はそういいますと、ヌトの顔の前で一つの包みを開きました。ヌトには包みの中のものが丸い空に見えました。
 しかし紫の服の人は、

「これは月の鏡です。この鏡は美しい物を美しく写します。この鏡の中に美しいものが写されるのを見たのなら、その人は美しい人でしょう。美しい者が写されているのが見えないのなら、その人は美しくない人でしょう」

 と言いました。
 ヌトは鏡という物を知りませんでした。この世にはまだ鏡が無かったのです。なにしろこの世には人が九人しかおりませんでしたし、その九人が九人とも鏡を作る仕事をしていなかったのですから、仕方がありません。
 ヌトはそっと鏡を覗き込みました。鏡には、目が大きくて髪の長い、若い娘さんの顔が浮かんでおりました。

「まあ、なんて可愛い人でしょう。私は今までに、こんなに可愛らしい人を見たことはありません。……でも少しだけ、私のお母さんに似ているようですね」

 ヌトが心から驚いた様子で、大きな声で言いました。何分、ヌトは初めて鏡を見たものですから、そこに映っているのが自分の顔だとは思いもしなかったのです。
 ヌトは紫の服の人が素晴らしい贈り物をしてくれましたので、たいそう嬉しくなりました。紫の服の人もヌトが自分の贈り物を喜んでくれたので、たいそう嬉しくなりました。
 紫の服の人は、鏡を眺めるヌトに言いました。

「どうか私をあなたの両親の所へ連れていってください。あなたと私の結婚を許して貰いたいから」

「ですが私はあなたのことを少しも知りません。少しも知らない人を両親の所に連れていっても、両親はきっと良いと言ってはくれないでしょう」

 そう言っているうちに、ヌトは悲しくなりました。ヌトが悲しそうにしているのを見ていると、紫の服の人も悲しくなってきました。

「あなたの言うとおりです。私はあなたに私の名前の秘密を教えましょう。私の名前には力があります。名前を知っている人は私の力と同じ力を得るでしょう。それは私の総てを知るのと同じ事です」

 ヌトは涙を拭って訊ねました。

「あなたの名前は何というのですか?」

「私はアシズエル。神の如く強き者です」

 紫の服のアシズエルの名前を聞いた途端、ヌトの全身に力と希望が湧いてきました。

「愛しい方、すぐに行きましょう。あなたのような力強い方であれば、きっと父も母も喜んで結婚を許してくれれるでしょう」

 ヌトは家を出るときに持ってきた蜜の壺と水の瓢とパンの包みをその場に投げ出すと、鏡を胸に押し抱いて駆け出しました。

 さて、紫の服のアシズエルはヌトに案内されてこの世で最初の家族の住む家にやってきますと、この世で最初のお父さんの前に膝を突いて頭を下げました。
 この世で最初のお父さんには、この人が人の子でないことがすぐにわかりました。この世にはこの世で最初のお父さん以外に男の人がいるはずがないからです。
 この世で最初のお父さんは紫の服の人にたずねました。

「人の子でないあなたが、何故人の子を娶ろうとするのですか?」

 紫の服のアシズエルは答えました。

「天で最も尊い御方が大地に人が満ちるようにと命ぜられたのに、この世には娘たちの夫となる人間が生まれてきません。ですから私たちが来たのです。どうか私をあなたの娘御の夫に迎えてください」

 この世で最初のお父さんは、紫の服のアシズエルが言うことはもっとも正しいと思いました。天の御使い以上に娘に相応しい夫はいないとも思いました。
 ですがこの世で最初のお父さんは、首を横に振りました。

「ヌトは私の七番目の娘で、この上に六人の姉がいます。上の娘より先に下の娘を嫁がせる訳には行きません。どうか上の娘たちに良い夫が現れるまで待ってください」

 紫の服のアシズエルは、この世で最初のお父さんが言うことは尤も正しいと思いました。物事の順序は正さないといけないとも思いました。
 そこで紫の服のアシズエルは言いました。

「私にはあと六人の兄弟がいます。きっと彼等は私の妻の姉妹たちにとって良い夫となるでしょう」

 この世で最初のお父さんは答えて言いました。

「それならばあなたはあなたの兄弟たちが来て、あと六人の私の娘たちがみな結婚するまで、私の仕事を手伝って働くことになります。そうでなければ、あなたはヌトの夫にはなれません」

 紫の服のアシズエルはどうしてもヌトを奥さんにしたかったので、この世で最初のお父さんの言うとおり、畑の仕事を手伝うことにしました。
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