チャラ孫子―もし孫武さんがちょっとだけチャラ男だったら―

神光寺かをり

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人物紹介:むちゃくちゃ真面目に書いたら殺伐とした雰囲気になりました。

孫武さんの話の中に出てきた「昔の人たち」は、こんな人物です。

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こうてい(紀元前2717年?-紀元前2599年?)
 神話・伝説上の帝。姓は、あるいは公孫こうそんとも。名はけんえん

 はじめ、黄帝は太古の支配階級であったしんのう氏に仕えていた。
 しんのう氏の勢いが衰え始めると、各地の有力者が勢力争いにを始めた。黄帝はこの争いを武力をもって鎮めた。
 この功績によって黄帝は諸侯の支持を大いに集めることになった。黄帝が力を付けてゆくことに危機感を覚えた神農氏と黄帝は対立関係となり、ついには戦争となる。
 諸侯の支持を得ていた黄帝はこの戦に大勝。その勢いのままに、服従しないゆう(一説に神農の子孫)をも破った。
 以後も反乱を起こす者があれば兵をもって討伐した。
 こうして緒戦に勝ち、一大勢力を築いた黄帝は、諸侯に乞われて「天子」となった。

 一方で黄帝は中国医学の始祖とされている。漢代では、著者不明の医学書は黄帝の著作として権威付けしたため、東洋医学の古書の多くは黄帝の著作と信じられている。
 
 日本の某栄養ドリンク剤の名前の由来でもある。

◆◆◆

けつ(紀元前1600年)

 伝説上の名君・禹が立てた夏朝の、最後の帝。姓は。名は

 徳ではなく、武力をもって諸侯や民衆を統治したため、人々に憎まれた。
 またばっという美女をちょうあいすること甚だしく、昼夜を問わず彼女を膝に乗せてたんできしてついにまつりごとを省みなくなった。
 巨大宮殿を造営し、にくざんりん(生肉の山と干し肉の林=豪華な食事)の宴会を催すなど浪費を重ね、それをいさめた家臣を殺したため、国力は衰え、人心はますます離れた。

 やがて諸侯はしょういん)の湯王とうおうを盟主として結束し、紀元前1600年頃、鳴条(現在のさん西せいうんじょう県の西、一説になんらくよう市付近)でほう。決戦によって桀は倒され、夏朝は滅びた。

◆◆◆

ばっ(生年不詳- 没年不詳)
 表記は妺喜/末嬉/妹嬉とも。桀の妃の一人。山東のゆう氏の娘。

 桀が有施氏を討った際に、降伏のしるしとして献上された。一説に、桀は末喜を得るために有施氏と戦争をしたともいう。
 絶世の美女であり、けつに寵愛された。
 けつは末喜のために宮殿を建て、盛大な宴会を催し、裂く音をを立てるためだけに国中の絹を集めさせた。
 この様な浪費のため夏朝は衰退。湯王に侵攻される。
 桀と末喜はなんそう(現在のあん省巣県)まで逃れたが、その山中で死んだ。

◆◆◆

とうおう(紀元前1600年頃)

 しょういん)朝の初代王。
 姓は、名は。王号はてんいつとも。

 夏王朝末期、けつ王に対して諸侯が反乱を起こした。
 湯王は夏の臣としていんの補佐を受けてこれを平定。この功績によって諸侯は湯王の下に結束することとなる。

 傑王がいよいよ暴虐で淫乱の度合いを増すと、湯王は諸侯を率いて桀王を攻め、紀元前1600年頃、これを滅ぼした。

◆◆◆

いん (紀元前1649年?-紀元前1549年?)

 夏末期から商|(殷)初期の政治家。諱は

 始めけつ王に仕えていたが、その暴虐ぶりを見て辞した。
 とう王に仕えようと考えたが、がなかったため、ゆうしん氏の娘が殷の湯王に嫁ぐ際に料理人として従った。後、才能を認めた湯王に取り立てられ、殷の国政に参与した。

 湯王の死後は、その子であるがいへい(即位後3年で死亡)とちゅうじん(即位後4年で死亡)の二人の王を補佐する。
 中壬の死後、その甥であるたいこうが即位する。生来暴虐であった太甲はこ国内の政治を乱してしまった。そこで伊尹は太甲を湯王の墓所のあるとうに追放する。
 三年後、太甲が悔い改めたことを確認した伊尹は、彼を都のはくに呼び戻し、改めて天子の位にふくへきさせた。

 伊尹は太甲の子・よくていの時代に死去した。

◆◆◆

ちゅうおう(紀元前1100年ごろ)

 商|(殷)の最後の王。
 姓は、名はしん、あるいはじゅ。諡号はていしん
 紂王の号は殷滅亡後に呼ばれたもの。(「紂」の字義は、馬具・農耕具において馬や牛の尻の部分にかける紐のこと)

 若い頃の紂王は、美貌を持ち、弁舌に優れ、頭の回転が速く、力は猛獣を殺すほど強かった。
 当方の異民族を討伐して国力を高めた。また、人身御供などの古い因習を廃止した。
 年を重ねると、自分が優秀であっために臣下たちがどんに思えるようになり、かんげんをされても受け入れなかった。
 紂王はさいをおろそかにし、ねいしんを重用し、愛妾・だっちょうあいして、淫乱にふけった。
 酒をもって池と為し肉を縣けて林と為し(酒池肉林)、淫靡な音楽を作らせ、酒色に耽り、ますます民を虐げた。これをいさめた叔父を処刑し、謀反の疑いのあった重臣を処刑してその肉を塩辛や干肉とした。
 さらなる領土拡大のための遠征費用捻出のため重税を課したことから民の怒りを買い、これを契機に周のおうが決起。
 紂王はしゅうじんりょなどで軍を編成してこれを牧野に迎え撃つ。
 両軍は牧野の地で戦った。兵数七十万と号する殷軍だったが士気は低かった。一説に、兵は紂王に従うことはなく、周軍が迫ると反転して紂王に向かったともいう。

 殷軍は大敗し、紂王は首都・ちょうの王宮に火を放って焼死した。

◆◆◆

だっ
 殷王朝末期|(紀元前11世紀ごろ)の紂王の妃。
 ゆう氏の娘。姓があざなだつ

 紂王が有蘇氏を討った際に、有蘇氏が降伏のしるしとして彼女を献上した。紂王は彼女を寵愛し、彼女の言は全て受け入れた。
 殷が周の武王によって攻められ紂王が自殺すると、妲己は捉えられて斬首された。

 げん代の小説『ぜんそうへい』では狐の化身とされ、やみん代の小説『ほうしんえん』ではきゅうせいとして登場する。これを受けて、日本でもたまものまえ/せっしょうせき伝説と結び付けられた。

◆◆◆

文王ぶんおう(紀元前1152年-紀元前1056年)

 殷王朝末期の政治家。しゅうの創始者である武王の父。
 姓は、諱はしょう

 あるとき紂王から謀反の疑いを掛けられた文王は捉えられて幽閉される。
 紂王は殷に人質として預けられていた文王の長子・はくゆうこうかい刑(身体を切り刻む刑。りょう刑)に処した上で、その肉を煮てあつもの(スープ)を作り、文王に与えた。(小説『封神演義』では肉餅ハンバーグと表現する)
 この時紂王が「聖人なら子の羹を食わないだろう」と言ったのを聞いた文王は羹の正体を覚り、進んで羹を食べた。これを見た紂王は警戒を解き、解放した上で、殷の西部を統括する「西伯」の爵位を授ける。
 釈放され国元に帰った文王は、紂王に目を付けられないようにしつつ仁政を行った。たいこうぼうりょしょうを軍師に迎えて北方遊牧民族を征伐し、領土を広げる。

 やがて紂王に見切りを付けた諸侯が文王を慕い頼るようになったが、文王自身は最後まで商の臣下の立場を崩さなかった。

◆◆◆

おう(生年不詳- 紀元前1043年?)

 周朝の創始者。
 姓は、諱ははつ。武王の次男。

 父の文王の亡き後、太公望・呂尚や同母弟のしゅうこうたんを補佐役として国力を高める。
 殷のちゅうおうの暴虐が酷くなると、諸侯の賛同を得て挙兵。(牧野の戦い)
 殷軍の兵の士気は低く、統率の取れた周軍に攻め立てられると戦意を失い、多数の寝返りが発生した。殷軍は壊滅し、紂王は自死した。

 武王は殷を滅ぼして二年程後に病を得、没した。

◆◆◆

周公しゅうこうたん(生年不詳- 没年不詳)

 周の政治家。
 姓は姫、諱はたん
 文王の四男。武王の同母弟。
 周建国の功臣の一人。
 兄・武王の補佐をして殷打倒に当たった。
 殷周革命後も、領地の支配は嫡子の伯禽に任せて、自らは中央で兄の武王の補佐をした。

 武王の死後、王位を継いだせいおうが幼少であったため、旦はせっしょうとなって国を安定させた。

◆◆◆

たいこうぼう(生年不詳- 没年不詳)

 周の政治家、軍師、将軍。
 姓はきょううじりょいみなしょうあざなおくりなたいこう
 氏の呂と通称の太公望の望を合わせてりょぼうと呼ばれることもある。

 史記に「文王が猟に出る前に占いをすると『獣ではなく人材を得る』と出た。狩猟に出るといすで釣りをする呂尚に出会う。文王はその知識の深遠なことを知り『吾が祖父のこうたん)が待ちんでいた人物である』と喜び、軍師として迎えた。以後呂尚は太公望と号した」という逸話がある。

 文王の死後、周の軍師として文王の子の武王を補佐。殷をぼくの戦いで打ち破り、軍功によってさいさんとうはくりん区)の地に封ぜられる。 
 没時には100歳を超えていたという。 

 みん代の娯楽小説『ほうしんえん』では、周の軍師かつこんろんさんどうとして主役とされている。

◆◆◆

かんこう(斉)(生年不詳-紀元前643年10月8日)

 春秋時代、斉の君主(初代の太公望から数えて第16代目)。
 姓はきょういみなしょうはく

 長兄のじょうこう(14代斉公)が暴虐であることから、弟たちは命の危機を感じた。
 次兄のきゅうは家臣を伴ってへ、小白(桓公)は同様にきょへ亡命した。
 前686年、襄公は従兄弟のこうそんに暗殺される。斉公を称した無知だが、程なく家臣により暗殺される。
 空位になった斉公の座を巡って、糾と小白(桓公)の兄弟は争うこととなる。

 糾の腹心の部下かんちゅうが、斉へ帰国途上の小白を暗殺しようとしたが失敗。
 最終的に跡目争いの勝者は小白となり、糾は処刑された。
 即位して桓公となった小白は、自分を暗殺しようとしたかんちゅうも処刑しようとしたが、自身の家臣のほうしゅくから強い推薦があり、彼を取り立てて宰相とした。

 桓公は、国内政治は経済振興、外交は積極的融和路線をとり、諸侯の信頼を得た。
 しかし宰相・管仲が死亡すると、桓公は国政をかえりみなくなり、ねいしんを起用するようになった。
 やがて家臣の間で権力争いが起きた。佞臣たちは病を得た桓公を病室に閉じ込め、食事も与えなかった。

 紀元前643年、桓公は餓死した。
 桓公の死後も家臣たちの争いは収まらず、遺体は二ヶ月以上放置された。

◆◆◆

かんちゅう(生年不詳-紀元前645年)

 春秋時代、斉の政治家。宰相。
 姓は管、名は、字は仲。

 始め斉のこうきゅうに仕える。
 きゅうの兄であるじょうこうは暴虐で、その兄弟達に命の危険が及んだため、糾と家臣の管仲らはへ、弟のしょうはくとその家臣のほうしゅくらはきょへ亡命した。
 襄公が従弟のこうそんに暗殺され、その無知も暗殺されると、糾と小白が斉の君主の位を争った。
 管仲は小白を暗殺しようとしたが失敗。結果として小白が即位して桓公となり、破れた糾は処刑された。管仲も連座させられるところであったが、桓公の重臣であった親友のほうしゅくの取りなしで助命された上に、宰相として取り立てられる。

 管仲は内政改革を行って国力を高めると、諸国の紛争を武力で収めるなどして、斉を発展させた。

 紀元前645年、管仲は桓公に「佞臣を近づけないように」と遺言して死亡した。

◆◆◆

ほうしゅく(生年不詳- 没年不詳)

 春秋時代、斉の政治家。姓名は鮑叔牙とも。
 姓は、氏はほう、諱は、字はしゅく

 かんちゅうの親友。
 管仲に「私を生んだのは父母だが、父母以上に私を知る者は鮑叔である」と言われる。
 こうしょうはく(後のかんこう)に仕える。
 後継者争いを制した桓公に、敵方の陣営にいた管仲の登用を薦めた。管仲が宰相となるとその補佐を務めた。

 史記には「人々は桓公を覇者に押し上げた管仲よりも、管仲の力量を見抜き信頼し続けた鮑叔を称えた」とある。


◆◆◆


せんしょ(生年不詳-  紀元前515年)

 名はせんせつしょとも。
 春秋時代の呉の公子光(後の呉王闔閭こうりょ)の側近。刺客。呉王りょう暗殺の実行犯。

 呉のどうゆう(現在のなんきん市の一部)の出身。
 伍子胥によって公子光(闔閭)に推薦され、側近となる。
 紀元前515年、呉王僚が楚へ軍を送り、国内に残された王の兵力が手薄になったのを見て、光(闔閭)は王権を奪取する好機であると考えた。そこで專諸に、後に遺される老母と子どもの面倒を見ることを約束し、刺客として王を暗殺させることを決めた。
 僚は光(闔閭)の招待に警戒しており、警備は厳重であった。専諸は魚料理を運ぶ振りをして僚に近づき、魚の中に隠しておいた匕首で僚を突き殺した。
 専諸は、王の護衛たちによってその場で切り殺された。しかし、光(闔閭)による政権奪取は成功した。

 紀元前514年、光(闔閭)は呉王に即位。専諸の子にはじょうけいの地位が与えられた。
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