68 / 78
夏休みの間
68.降ってきたもの。
しおりを挟む
地面をもやのようなものが覆っているのが、戸の隙から見える。
叩きつけられた雨が飛び跳ねているのか、それとも溶けるほど熱くなっていたアスファルトが雨に冷やされて湯気をふいているのかもしれない。
そのもやが、猛烈な湿気となって店の中に侵入してきている。
「今度は相当近いぞ」
幾度目かの雷鳴を聞きながら、龍の父親は大あわてで店の戸締まりを始めた。
古い住居兼店舗の出入り口の、木でできた敷居が水気を吸ってふくらんだ。タダでさえ立て付けの悪い引き戸は、ガタガタ言うばかりでなかなか閉まらない。
目に見えない湿気の波は、あっという間もなく売り物のうちで、紙や布でできた物を飲み込む。
大学ノートの表紙が湿気を吸い込み、ほんわりとふくらんだ。
「龍、裏の雨戸、締めて」
母親が白い顔で言う。龍には蚊の鳴くような小さな声に聞こえたのだけれど、母親は実際には普段より大分大声でしゃべっていた。
プールをひっくり返したみたいな勢いの大雨だから、雨音だって並じゃない。どんなに大声を出したところで、空の吠え声にはかないっこない。
龍の返事だって多分母親には聞こえてなかっただろう。
彼女は夫と一緒になって店の戸を閉めたり、棚にビニルのシートをかぶせたりしていた。
龍は居間から飛び出した。小さな家だから、戸という戸、窓という窓を閉めて歩くのに、それほど時間はかからない。
自分の部屋、両親の部屋、廊下の突き当たり、風呂にトイレ、とくるりと回り、最後に狭い中庭に面した掃き出し窓にたどり着いた。
木枠に似合わない銀色のアルミサッシを閉めながら、龍は猫の額ほどの中庭の様子をちらりと見た。
雨樋から、いつか見た「消防車のホースから噴き出す水」みたいな勢いで、水があふれ出ている。それは庭の隅に掘られた細い排水溝では、とうてい流しきれない量だった。
水がたまった庭は、池みたいになった。
龍は大きな窓ガラスに張り付いた。透明な自分の姿の向こう側で、雨粒が跳ねている。
茶色に濁った水の上に大きな雨粒が突き刺さる。はじき飛ばされて粉々に砕けた水滴が雲のように水面を漂う。
閉めた窓の、髪の毛ほどの隙から、土の匂いがする湿気がじっとりと染みこんできた。
家中ぐんぐんと湿っぽくなってゆく。龍がおでこをくっつけている板ガラスも曇り始めた。
雨脚はちっとも弱まらない。
大量の水が地面を殴る音と、大量の電気が空気を裂く音以外、なにも聞こえない。
龍は目を閉じた。
ゴウゴウ、ザアザア、ゴロゴロ、ザブザブ。
怖い音だ。でも龍の耳には、なんだか懐かしいような、嬉しいような響きとして入ってきた。
流れる水、揺れる空気、漂う白い影。
『どこで聞いた音だろう』
思い出そうとして龍が目を開こうとしたその瞬間、空が光った。
痛いほど明るい光が目蓋の隙間をこじ開け、網膜に突き刺さる。
鼓膜の奥でキーンと高い音が反響する。
びりびりと音を立てて震えるガラスから、龍ははじき飛ばされた。
彼の身体は廊下を転がり、障子を二枚ばかり倒し、古い和箪笥にぶつかって、止まった。
光と音と、そして体中の痛みに、龍は全身を振るわせた。
顔を上げると、和箪笥わずかに揺れているのが見えた。
「倒れる!」
とっさに飛び退いたあと、ちょっと前まで龍のいた場所へ、和箪笥の上に積まれていたボール紙の箱が二つ三つ崩れ落ちた。
箱は、龍の足先の床の上で、ぱっくりと蓋を開けた。
引き出物のタオルや良い匂いのする石鹸が床に散らばった上に、白い紙切れが降り注ぐ。
それは人の形に切り抜かれ、幾つも難しい字が書かれていた。
叩きつけられた雨が飛び跳ねているのか、それとも溶けるほど熱くなっていたアスファルトが雨に冷やされて湯気をふいているのかもしれない。
そのもやが、猛烈な湿気となって店の中に侵入してきている。
「今度は相当近いぞ」
幾度目かの雷鳴を聞きながら、龍の父親は大あわてで店の戸締まりを始めた。
古い住居兼店舗の出入り口の、木でできた敷居が水気を吸ってふくらんだ。タダでさえ立て付けの悪い引き戸は、ガタガタ言うばかりでなかなか閉まらない。
目に見えない湿気の波は、あっという間もなく売り物のうちで、紙や布でできた物を飲み込む。
大学ノートの表紙が湿気を吸い込み、ほんわりとふくらんだ。
「龍、裏の雨戸、締めて」
母親が白い顔で言う。龍には蚊の鳴くような小さな声に聞こえたのだけれど、母親は実際には普段より大分大声でしゃべっていた。
プールをひっくり返したみたいな勢いの大雨だから、雨音だって並じゃない。どんなに大声を出したところで、空の吠え声にはかないっこない。
龍の返事だって多分母親には聞こえてなかっただろう。
彼女は夫と一緒になって店の戸を閉めたり、棚にビニルのシートをかぶせたりしていた。
龍は居間から飛び出した。小さな家だから、戸という戸、窓という窓を閉めて歩くのに、それほど時間はかからない。
自分の部屋、両親の部屋、廊下の突き当たり、風呂にトイレ、とくるりと回り、最後に狭い中庭に面した掃き出し窓にたどり着いた。
木枠に似合わない銀色のアルミサッシを閉めながら、龍は猫の額ほどの中庭の様子をちらりと見た。
雨樋から、いつか見た「消防車のホースから噴き出す水」みたいな勢いで、水があふれ出ている。それは庭の隅に掘られた細い排水溝では、とうてい流しきれない量だった。
水がたまった庭は、池みたいになった。
龍は大きな窓ガラスに張り付いた。透明な自分の姿の向こう側で、雨粒が跳ねている。
茶色に濁った水の上に大きな雨粒が突き刺さる。はじき飛ばされて粉々に砕けた水滴が雲のように水面を漂う。
閉めた窓の、髪の毛ほどの隙から、土の匂いがする湿気がじっとりと染みこんできた。
家中ぐんぐんと湿っぽくなってゆく。龍がおでこをくっつけている板ガラスも曇り始めた。
雨脚はちっとも弱まらない。
大量の水が地面を殴る音と、大量の電気が空気を裂く音以外、なにも聞こえない。
龍は目を閉じた。
ゴウゴウ、ザアザア、ゴロゴロ、ザブザブ。
怖い音だ。でも龍の耳には、なんだか懐かしいような、嬉しいような響きとして入ってきた。
流れる水、揺れる空気、漂う白い影。
『どこで聞いた音だろう』
思い出そうとして龍が目を開こうとしたその瞬間、空が光った。
痛いほど明るい光が目蓋の隙間をこじ開け、網膜に突き刺さる。
鼓膜の奥でキーンと高い音が反響する。
びりびりと音を立てて震えるガラスから、龍ははじき飛ばされた。
彼の身体は廊下を転がり、障子を二枚ばかり倒し、古い和箪笥にぶつかって、止まった。
光と音と、そして体中の痛みに、龍は全身を振るわせた。
顔を上げると、和箪笥わずかに揺れているのが見えた。
「倒れる!」
とっさに飛び退いたあと、ちょっと前まで龍のいた場所へ、和箪笥の上に積まれていたボール紙の箱が二つ三つ崩れ落ちた。
箱は、龍の足先の床の上で、ぱっくりと蓋を開けた。
引き出物のタオルや良い匂いのする石鹸が床に散らばった上に、白い紙切れが降り注ぐ。
それは人の形に切り抜かれ、幾つも難しい字が書かれていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら
瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。
タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。
しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。
剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる