フツウな日々―ぼくとあいつの夏休み―

神光寺かをり

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夏休みの間

68.降ってきたもの。

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 地面をもやのようなものが覆っているのが、戸の隙から見える。
 叩きつけられた雨が飛び跳ねているのか、それとも溶けるほど熱くなっていたアスファルトが雨に冷やされて湯気をふいているのかもしれない。
 そのもやが、猛烈な湿気となって店の中に侵入してきている。

「今度は相当近いぞ」

 幾度目かの雷鳴を聞きながら、龍の父親は大あわてで店の戸締まりを始めた。
 古い住居いえ店舗おみせの出入り口の、木でできた敷居しきいが水気を吸ってふくらんだ。タダでさえ立て付けの悪い引き戸は、ガタガタ言うばかりでなかなか閉まらない。

 目に見えない湿気の波は、あっという間もなく売り物のうちで、紙や布でできた物を飲み込む。
 大学ノートの表紙が湿気を吸い込み、ほんわりとふくらんだ。

「龍、裏の雨戸、締めて」

 母親が白い顔で言う。龍には蚊の鳴くような小さな声に聞こえたのだけれど、母親は実際には普段より大分大声でしゃべっていた。

 プールをひっくり返したみたいな勢いの大雨だから、雨音だって並じゃない。どんなに大声を出したところで、空の吠え声にはかないっこない。
 龍の返事だって多分母親には聞こえてなかっただろう。
 彼女は夫と一緒になって店の戸を閉めたり、棚にビニルのシートをかぶせたりしていた。
 龍は居間から飛び出した。小さな家だから、戸という戸、窓という窓を閉めて歩くのに、それほど時間はかからない。
 自分の部屋、両親の部屋、廊下の突き当たり、風呂にトイレ、とくるりと回り、最後に狭い中庭に面した掃き出し窓にたどり着いた。
 木枠に似合わない銀色のアルミサッシを閉めながら、龍は猫の額ほどの中庭の様子をちらりと見た。
 雨樋あまどいから、いつか見た「消防車のホースから噴き出す水」みたいな勢いで、水があふれ出ている。それは庭の隅に掘られた細い排水溝では、とうてい流しきれない量だった。

 水がたまった庭は、池みたいになった。

 龍は大きな窓ガラスに張り付いた。透明な自分の姿の向こう側で、雨粒が跳ねている。
 茶色に濁った水の上に大きな雨粒が突き刺さる。はじき飛ばされて粉々に砕けた水滴が雲のように水面をただう。
 閉めた窓の、髪の毛ほどの隙から、土の匂いがする湿気がじっとりと染みこんできた。
 家中ぐんぐんと湿っぽくなってゆく。龍がおでこをくっつけている板ガラスも曇り始めた。

 雨脚はちっとも弱まらない。

 大量の水が地面を殴る音と、大量の電気が空気を裂く音以外、なにも聞こえない。
 龍は目を閉じた。

 ゴウゴウ、ザアザア、ゴロゴロ、ザブザブ。

 怖い音だ。でも龍の耳には、なんだかなつかしいような、うれしいようなひびきとして入ってきた。
 流れる水、揺れる空気、漂う白い影。

『どこで聞いた音だろう』

 思い出そうとして龍が目を開こうとしたその瞬間、空が光った。
 痛いほど明るい光が目蓋まぶたの隙間をこじ開け、網膜もうまくに突き刺さる。
 鼓膜こまくの奥でキーンと高い音が反響する。
 びりびりと音を立てて震えるガラスから、龍ははじき飛ばされた。

 彼の身体は廊下ろうかを転がり、障子しょうじを二枚ばかり倒し、古い和箪笥わだんすにぶつかって、止まった。

 光と音と、そして体中の痛みに、龍は全身を振るわせた。
 顔を上げると、和箪笥わずかに揺れているのが見えた。

「倒れる!」

 とっさに飛び退いたあと、ちょっと前まで龍のいた場所へ、和箪笥の上に積まれていたボール紙の箱が二つ三つ崩れ落ちた。
 箱は、龍の足先の床の上で、ぱっくりと蓋を開けた。
 引き出物のタオルや良い匂いのする石鹸せっけんが床に散らばった上に、白い紙切れが降り注ぐ。

 それは人の形に切り抜かれ、幾つも難しい字が書かれていた。
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