竜頭――柔太郎と清次郎――

神光寺かをり

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柔太郎と清次郎

旅装を整える

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 柔太郎は弟が人にこびを売るような物言いをできないことを知っている。つまり、本心兄に感心しているのだ。幾分面映ゆい。咳払いして、

「お前は桂園先生のところにも出入りしているのか?」

 少々わざとらしくあったが、威厳ありげな低い声音で言った。

「はい、砲術と算術は切っても切り離せぬ学問ですから。それで、桂園先生のところで何冊か書物を拝見したのです。これの原書もその一つです」

 桂園の私塾は好評で、ことに浦賀に黒船が来航してからは入門希望者が増えているという。教科書・参考書はいくらあっても足りない。

「そういうわけで、足かけ三日間しか借していただけなかったのです。
 ですから大急ぎで書写したのです。いえ、書写せずにはいられなかったのです。一読するだけでは足らぬと思ったのです。
 昼は内田先生の講義と、下曽根先生の洋式砲術術塾への『出稽古』がありますから、日が落ちてから……他の寄宿塾生の迷惑にならないように、あんどんに羽織を掛けて暗くして、夜通し書き続けました。
 日が切られているから急がねばならない、ということも有りますが、とにかく書き写したかったのです。そしてその作業しごとが楽しくてならなかった。
 楽しくて、楽しくて、楽しいあまり、昨晩は筆が止められなくなりまして。全ての文字と図案を書き写し、気が付けば、今日が借り受けの期限のであるのに、陽が南中しておりました。
 大慌てで下曽根先生の所へ駆けつけました。息を吐いたときに、それから兄上との落ち合いの時間を思い出した次第です」

「……思い出して、書写した本だけを背負って、旅支度もせずに、四谷の瑪得瑪弟加塾から走ってきた、と?」

 兄に言われてから、清次郎はようやく自分の格好に気付いたらしい。
 古びて生地がくたくたに柔らかくなっている、墨やインクと汗の染みた、うえじまひとと、したおび。それと徹夜を続けて書き上げた写本。
 それ以外はなにも持っていない。
 そのことに気付いたに清次郎の顔色が、さすがに白んだ。大いに慌てて、

「ですが兄上。兄上には俺の気持ちがお解かり頂けますでしょう? こんな本を見せられたなら、どうあっても手に入れたいと思われるでしょう? 実物が手に入れられないなら、写本してでも手に入れたいと。そうして手に入れたなら、全部を自分の知識にしてしまいたいと!」

 熱っぽく言う清次郎に対して柔太郎が返した言葉は、至極簡単であった。

「解る」

 ただ一言、清次郎の目をじっと見て、柔太郎は言った。
 言い切ったあと、柔太郎の目は清次郎から離れ、その後ろ側、部屋の外の廊下に向けられた。微笑を顔に貼り付けた、旅籠の女将おかみがいる。

「無駄な手間をかけることになるのだが、これに合いそうな古着を一揃い、急ぎ整えて頂けまいか? そう……そでおりたっつけばかまばかますげがさてっこうきゃはん草鞋わらじうちかいぶくろと……それからたてわきしも」
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