竜頭――柔太郎と清次郎――

神光寺かをり

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柔太郎と鷹女

恥ずべきこと

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 その時、

「そこまでじゃ、!」

 鷹女たかじょの背後からすばらしいたいせいが響いた。鷹女の動きがピタリと止まる。
 場がざわめいた。
 道場の入り口に六尺豊かな大兵の影が立っている。
 座っていた者は居住まいを正し、立っていた者はその場に膝をついた。

「先生!」
「ご家老様!」

 柔太郎と鷹女以外の者は皆、平伏してその人物……上田藩国家老、明倫堂武芸目付・かわゆうなおよしを迎え入れた。

 河合五郎太夫は早足に鷹女の正面へ回り込むと、

「屋敷へ戻れ」

 一言だけ告げた。鷹女は動かない。
 五郎太夫は三間先の壁際へ向かいつつ、

「急いで戸板を持って参れ。芦田を儂の屋敷に運んで手当をする」

「はっ!」

 六名ほどの男たちが、道場の裏手側の戸板を一枚外して運んできた。

「それから、誰ぞ藩主屋敷おやしきまで走って、詰めておられる表御番の医者殿を、すぐに儂の屋敷にご案内せよ。うむ、確かやまぎわしょうあん先生がおられたはずだ」


「承知いたしました」

 若い藩士が二人ほど矢のように道場を飛び出して行く間に、柔太郎が戸板に乗せられていた。
 竹刀を掴んだ指を開かせようとしても開かない。
 仕方なくそのままで運ばれることになった。

 血まみれの腕が竹刀を掲げた形のまま戸板で運ばれて行く柔太郎が横を通り過ぎても、鷹女は動けなかった。茫漠ととしてたたずんでいる。
 五郎太夫が再度、

「屋敷へ戻れ」

 強く言うと、鷹女は膝からがくりと崩れ落ちた。またそのまま動かない。

「誰か、この者を儂の屋敷の女中部屋まで連れて行っやってくれぬか」

 五郎太夫は、道場の隅の方に固まっていたなぎなたの稽古に来ていた奥女中たちに、鷹女を指し示して言った。

「かしこまりました」

 小さな声が帰ってきた。二人三人の奥女中たちが、鷹女の腕をとり、肩を貸して、背中を押し、何かささやいて励ましながら歩き出す。

 これを見送った後、五郎太夫は道場内をぐるりと見渡した。
 稽古に来ていた藩士達は、皆その場に正座をしたまま申し訳なさそうにうつむいている。
 河合五郎太夫は微笑して、

「さてご貴殿方も武士であるなら、一人の弱い者が理不尽に暴力を振るわれているのを見ていながら何も出来ずにいたということが、どれほど恥ずべきことであるか、解っておいでのことであろうと存ずる。
 とは言うものの、あの広瀬の様相を見たなら、恐ろしくて身動きが取れなくなるのも致し方ない。あの時、広瀬の総身にはなにやら人にあらざるものが憑いていたのやもしれぬ。
 だがそれを呼び込んだのは、しかし広瀬という人間自身に違いござらぬ。それ程に、怒りやそねねたみ、増長やまんや強欲といったものは恐ろしいものだということであろう。
 ご貴殿たちはあのようなことに陥らぬよう、益々励まれよ」

 そのように人々に言い置いて、柔太郎や鷹女が出て行ったのと同じ戸口から、自分の屋敷に戻っていった。
 河合五郎太夫の屋敷は明倫堂文武館の目と鼻の先、上田城の二の丸口の正面にある。
 先行した柔太郎の戸板や鷹女たちは、すでに屋敷内に入っていた。
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