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柔太郎と鷹女
饒舌な剣豪
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どれほど時が経ったか。
目を覚ました柔太郎は、豪華な天井と柔らかい蒲団に驚いたが、喉がかすれて声を立てることが出来ず、また腕や胴が非道く痛んで身を起こすことも出来なかった。
目玉だけであたりをぐるりと見回すと、枕頭に人影を見付けた。
「ご家老……河合様」
ガサガサにかすれた声が、ようやっと出た。喉がギリギリと痛む。
これに気付いた河合五郎太夫は、
「おお、気が付いたか。よしよし、無理に動くな。
そして、ゆっくり休みながら、お前に頑丈な体を暮れた両親に感謝するとよい。骨は折れておらぬし、筋も切れていない。
ただ、声はしばらくはまともには出ぬそうな。だから明倫堂教授のお勤めはしばし休むことになる。
ああ心配するな。明倫堂の目付には儂から知らせておいた。
いやいやひどく叱られたぞ。お前のような優秀な学者を、趣味の剣術で浪費させるな、とな。藩を代表する才能として、近々江戸の昌平黌へ遊学させる逸材なのだぞ、とな。
お主のことは儂も見込んではおる。腕前のことではないぞ。人柄を買っている。しかし、明倫堂からもよくよく見込まれておるようだな。うむ、良いことである。
それとな、腕もしばらくつかえぬぞ。広瀬の於鷹の竹刀がな、アレの莫迦力のせいでササラにばらけてしもうた。その竹串のようになったヤツめらが、お前の腕の皮を切ったり脚の肉に突き刺さったりしての。革胴を付けていて良かったのぅ。腹は無傷であった。
一つ一つは大した傷ではないが、数が多くて厄介だ。塞がるまでは安静に、安静に、な」
優しげな声で、しかし口を挟む余裕もなく、しゃべり上げた。
五郎太夫の声が途切れた後、柔太郎はようよう声を絞り出した。
「私の剣術は……決して趣味などでは……」
「解っておるよ。お主は確かに頭の切れる学者かも知れぬが、なによりもまず武士じゃからな」
柔太郎には、この五郎太夫の声が、何処かしら淋しげに聞こえた。
「しかし今日は粘り強かったな。よく守った」
五郎太夫が感心しきりに言うのに、柔太郎は、
「初手から頭を狙われましたので」
「頭は打たれたくないか?」
「腕や足を折られても、頭さえ生きておれば学問を続けられますが、頭に傷を受けて学問を続けられなくなっては、五体が満足でも生きる甲斐がなくなってしまいます」
「ははは、なるほどお主らしいことだ」
必要十分なことを告げ終わったはずの五郎太夫だが、柔太郎の枕頭から離れようとしない。
僅かに無言の時が過ぎた。
「鷹女殿は、なぜあのような……」
ふっと、柔太郎の口から、疑問が言葉になってあふれ出た。
「察しが付かぬ、か?」
「さっぱり。ただ、以前から私に、その、稽古を付けてくれるのですが、その時もあたりが強いと申しますか」
「そう……か」
五郎太夫は大きな息を一つ吐いた。
「鷹はな、儂の支配下の者の娘でな。訳あって儂が預かっている格好なのだ。名乗らせている名字も、実のところ本来のものではない」
武門の家柄である河合家老の配下には、町奉行、盗賊改、目付衆など、治安維持にあたる組織が集められている。番方の総元締めであるといっても良い。
そういったお役目を勤める者は、日頃から命の危険にさらされている。その家族も、だ。
「それでな。
アレには親同士が決めた、相手からしたらアレの顔も見知らぬような許嫁がいる……のだが、これが破談になりかけている」
「それは父御のお役目故に、でございますか」
「うむ。父親の役目も絡んでいるが、どちらかというとアレの兄が、な」
「兄御が?」
目を覚ました柔太郎は、豪華な天井と柔らかい蒲団に驚いたが、喉がかすれて声を立てることが出来ず、また腕や胴が非道く痛んで身を起こすことも出来なかった。
目玉だけであたりをぐるりと見回すと、枕頭に人影を見付けた。
「ご家老……河合様」
ガサガサにかすれた声が、ようやっと出た。喉がギリギリと痛む。
これに気付いた河合五郎太夫は、
「おお、気が付いたか。よしよし、無理に動くな。
そして、ゆっくり休みながら、お前に頑丈な体を暮れた両親に感謝するとよい。骨は折れておらぬし、筋も切れていない。
ただ、声はしばらくはまともには出ぬそうな。だから明倫堂教授のお勤めはしばし休むことになる。
ああ心配するな。明倫堂の目付には儂から知らせておいた。
いやいやひどく叱られたぞ。お前のような優秀な学者を、趣味の剣術で浪費させるな、とな。藩を代表する才能として、近々江戸の昌平黌へ遊学させる逸材なのだぞ、とな。
お主のことは儂も見込んではおる。腕前のことではないぞ。人柄を買っている。しかし、明倫堂からもよくよく見込まれておるようだな。うむ、良いことである。
それとな、腕もしばらくつかえぬぞ。広瀬の於鷹の竹刀がな、アレの莫迦力のせいでササラにばらけてしもうた。その竹串のようになったヤツめらが、お前の腕の皮を切ったり脚の肉に突き刺さったりしての。革胴を付けていて良かったのぅ。腹は無傷であった。
一つ一つは大した傷ではないが、数が多くて厄介だ。塞がるまでは安静に、安静に、な」
優しげな声で、しかし口を挟む余裕もなく、しゃべり上げた。
五郎太夫の声が途切れた後、柔太郎はようよう声を絞り出した。
「私の剣術は……決して趣味などでは……」
「解っておるよ。お主は確かに頭の切れる学者かも知れぬが、なによりもまず武士じゃからな」
柔太郎には、この五郎太夫の声が、何処かしら淋しげに聞こえた。
「しかし今日は粘り強かったな。よく守った」
五郎太夫が感心しきりに言うのに、柔太郎は、
「初手から頭を狙われましたので」
「頭は打たれたくないか?」
「腕や足を折られても、頭さえ生きておれば学問を続けられますが、頭に傷を受けて学問を続けられなくなっては、五体が満足でも生きる甲斐がなくなってしまいます」
「ははは、なるほどお主らしいことだ」
必要十分なことを告げ終わったはずの五郎太夫だが、柔太郎の枕頭から離れようとしない。
僅かに無言の時が過ぎた。
「鷹女殿は、なぜあのような……」
ふっと、柔太郎の口から、疑問が言葉になってあふれ出た。
「察しが付かぬ、か?」
「さっぱり。ただ、以前から私に、その、稽古を付けてくれるのですが、その時もあたりが強いと申しますか」
「そう……か」
五郎太夫は大きな息を一つ吐いた。
「鷹はな、儂の支配下の者の娘でな。訳あって儂が預かっている格好なのだ。名乗らせている名字も、実のところ本来のものではない」
武門の家柄である河合家老の配下には、町奉行、盗賊改、目付衆など、治安維持にあたる組織が集められている。番方の総元締めであるといっても良い。
そういったお役目を勤める者は、日頃から命の危険にさらされている。その家族も、だ。
「それでな。
アレには親同士が決めた、相手からしたらアレの顔も見知らぬような許嫁がいる……のだが、これが破談になりかけている」
「それは父御のお役目故に、でございますか」
「うむ。父親の役目も絡んでいるが、どちらかというとアレの兄が、な」
「兄御が?」
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