12 / 17
第十二 価値観
しおりを挟む
我が身に宿るは天邪鬼
世界が神を祀れども
己の心は変わらずや
クリスマス・・・聖人の誕生を祝う日。
二千年以上も経過しているというのに、その日は未だ、世界中に影響を与える、特別な日としてみなされている。
世界は、全体的にクリスマスでお祭り騒ぎだ。
人々は、聖人の誕生に便乗して、浮かれている。
大して宗教が浸透していない日本もまた、その文化に呑まれている。
教会の教えは浸透していないが、都合の良い部分だけは利用する。
それとも、日本では聖人も、八百万の神に含まれるのだろうか。
私には、日本におけるクリスマスというものが何なのか、イマイチ理解できない。
あの下水道も、それに合わせて「特別なように見せかけたいつものこと」をやっている。
実家にいるため、食事を摂る際は、どうしてもあの嫌な「下水道の臭い」が私のもとへと辿り着いてしまう。
私の家族達は、楽しそうにその下水道を眺めている。一体何がおもしろいのか、私にはさっぱり理解できなかった。
恐らく、彼らこそが普通で、私が異形なだけなのだ。私には、きっと天邪鬼が取り憑いているに違いない。
比喩などに利用するために、私に宗教的知識はあっても、宗教的価値観はない。
私は、毎年必ず、弟と妹達に、プレゼントは渡さない。
私にとっては普通の日だし、彼らは信者でもないのだから。
奇妙な表現だが、私は無意識なだけであって、聖人のアンチなのだろうか。
正月・・・新たな年を迎える日。
数え切れないほど昔から、歴こそ変わってしまったが、その日は未だ、世界中に影響を与える、特別な日としてみなされている。
世界は、全体的に正月でお祭り騒ぎだ。
人々は、新たな年を迎え、再び浮かれている。
地球が太陽の周りを約一回廻っただけなのだが、歴が変わったにもかかわらず、日本もまた、その文化を維持している。
特に、この地は相変わらず、冬がわかりにくい。
昼間は汗をかくほど暑い陽が差しているのに、夜間は凍えるほど冷たい風が吹く。
しかし、雪が降ることは零に等しい。南部の離島でもないのに、特有の立地のおかげで、ここは、常に比較的暖かいのだ。
そのため、正月のこの地の情景は、一般的な正月の日本の情景が、全く当てはまらない。
陽が照り、ヤシの木が揺れ、海は唸る。
私には、日本における正月というものが何なのか、イマイチ理解できない。
あの下水道も、再びそれに合わせて「特別なように見せかけたいつものこと」をまたやっている。
未だに実家にいるため、食事を摂る際は、どうしてもあの嫌な「下水道の臭い」が毎回私のもとへと辿り着いてしまう。
私の家族達は、またしても楽しそうに、その下水道を眺めている。一体何がおもしろいのか、私にはやっぱり理解できなかった。
きっと、彼らこそが普通で、私が異形なだけなのだ。私には、やはり天邪鬼が取り憑いているに違いない。
とはいえ、永く続いている文化を蔑ろにするのは、些か気が引ける。
私は、毎年必ず、弟と妹達に、お年玉を渡している。
私にとっては普通の日でも、彼らにとっては特別な日なのだから。
微妙な表現だが、私は文化を認めてこそいるが、理解はできていないのだろうか。
私にとって、特別な日などというものはない。
正月も、誕生日も、クリスマスも、私にとっては普通の日だ。
悪い意味で言っているのではない。なぜなら、私にとって、普通の毎日それぞれが「特別な日」なのだから。
物事も、歴史も、人々も、自然も、毎日変化している。特別な日が当たり前なので、私にはもはや、そのような概念がないのだ。
それ故「普通で特別な毎日」が、新たな発見や面白さで満たされている。反面、人々の「特別な日」で浮かれるという気持ちが理解できない。
しかし、自分自身の価値観と、他者の価値観を一つにしてしまうのは、非常に愚かだ。
世の中には、自分の価値観で善悪を決めつけ、そうして、決めつけた悪に対して善を押し付ける者がいる。
自分は自分、他者は他者。
その境界線がわからない者こそ、真の悪と言えよう。
私は、私の目に映る他者を、私の中で捻じ曲げ、こうして暗喩的に批判している。私もまた、悪の一部なのだ。
私が「問題」と捉えているのは、あくまでも「輩共」の中の善と、私の中の善が鬩ぎ合っているだけの物事に過ぎない。
それも、私が一方的にそう思っているだけであり、輩共は悪いことをしているという自覚はないだろうし、私がそう思っていることも知らないだろう。
今起こっている「問題」は、輩共にとっては利益でしかなく、恐らくそれが自然にとって脅威となることも、認識できていない。
私と同じ考えを持つ人間も少なくないようだが、こうして「問題」を食い止められていないのが、現実だ。
同じ考えを持っていても、実際に行動する人間は、限られている。
考えと目的を持った上で、問題に立ち向かえる者こそ、真の善と言えよう。
私は自分で考え、問題を食い止めるという目的をもち、実際に行動している。私もまた、善の一部なのだ。
私は、また私の価値観で物事を決めつけてしまった。
確実に、私には天邪鬼が取り憑いているに違いない。
世界が神を祀れども
己の心は変わらずや
クリスマス・・・聖人の誕生を祝う日。
二千年以上も経過しているというのに、その日は未だ、世界中に影響を与える、特別な日としてみなされている。
世界は、全体的にクリスマスでお祭り騒ぎだ。
人々は、聖人の誕生に便乗して、浮かれている。
大して宗教が浸透していない日本もまた、その文化に呑まれている。
教会の教えは浸透していないが、都合の良い部分だけは利用する。
それとも、日本では聖人も、八百万の神に含まれるのだろうか。
私には、日本におけるクリスマスというものが何なのか、イマイチ理解できない。
あの下水道も、それに合わせて「特別なように見せかけたいつものこと」をやっている。
実家にいるため、食事を摂る際は、どうしてもあの嫌な「下水道の臭い」が私のもとへと辿り着いてしまう。
私の家族達は、楽しそうにその下水道を眺めている。一体何がおもしろいのか、私にはさっぱり理解できなかった。
恐らく、彼らこそが普通で、私が異形なだけなのだ。私には、きっと天邪鬼が取り憑いているに違いない。
比喩などに利用するために、私に宗教的知識はあっても、宗教的価値観はない。
私は、毎年必ず、弟と妹達に、プレゼントは渡さない。
私にとっては普通の日だし、彼らは信者でもないのだから。
奇妙な表現だが、私は無意識なだけであって、聖人のアンチなのだろうか。
正月・・・新たな年を迎える日。
数え切れないほど昔から、歴こそ変わってしまったが、その日は未だ、世界中に影響を与える、特別な日としてみなされている。
世界は、全体的に正月でお祭り騒ぎだ。
人々は、新たな年を迎え、再び浮かれている。
地球が太陽の周りを約一回廻っただけなのだが、歴が変わったにもかかわらず、日本もまた、その文化を維持している。
特に、この地は相変わらず、冬がわかりにくい。
昼間は汗をかくほど暑い陽が差しているのに、夜間は凍えるほど冷たい風が吹く。
しかし、雪が降ることは零に等しい。南部の離島でもないのに、特有の立地のおかげで、ここは、常に比較的暖かいのだ。
そのため、正月のこの地の情景は、一般的な正月の日本の情景が、全く当てはまらない。
陽が照り、ヤシの木が揺れ、海は唸る。
私には、日本における正月というものが何なのか、イマイチ理解できない。
あの下水道も、再びそれに合わせて「特別なように見せかけたいつものこと」をまたやっている。
未だに実家にいるため、食事を摂る際は、どうしてもあの嫌な「下水道の臭い」が毎回私のもとへと辿り着いてしまう。
私の家族達は、またしても楽しそうに、その下水道を眺めている。一体何がおもしろいのか、私にはやっぱり理解できなかった。
きっと、彼らこそが普通で、私が異形なだけなのだ。私には、やはり天邪鬼が取り憑いているに違いない。
とはいえ、永く続いている文化を蔑ろにするのは、些か気が引ける。
私は、毎年必ず、弟と妹達に、お年玉を渡している。
私にとっては普通の日でも、彼らにとっては特別な日なのだから。
微妙な表現だが、私は文化を認めてこそいるが、理解はできていないのだろうか。
私にとって、特別な日などというものはない。
正月も、誕生日も、クリスマスも、私にとっては普通の日だ。
悪い意味で言っているのではない。なぜなら、私にとって、普通の毎日それぞれが「特別な日」なのだから。
物事も、歴史も、人々も、自然も、毎日変化している。特別な日が当たり前なので、私にはもはや、そのような概念がないのだ。
それ故「普通で特別な毎日」が、新たな発見や面白さで満たされている。反面、人々の「特別な日」で浮かれるという気持ちが理解できない。
しかし、自分自身の価値観と、他者の価値観を一つにしてしまうのは、非常に愚かだ。
世の中には、自分の価値観で善悪を決めつけ、そうして、決めつけた悪に対して善を押し付ける者がいる。
自分は自分、他者は他者。
その境界線がわからない者こそ、真の悪と言えよう。
私は、私の目に映る他者を、私の中で捻じ曲げ、こうして暗喩的に批判している。私もまた、悪の一部なのだ。
私が「問題」と捉えているのは、あくまでも「輩共」の中の善と、私の中の善が鬩ぎ合っているだけの物事に過ぎない。
それも、私が一方的にそう思っているだけであり、輩共は悪いことをしているという自覚はないだろうし、私がそう思っていることも知らないだろう。
今起こっている「問題」は、輩共にとっては利益でしかなく、恐らくそれが自然にとって脅威となることも、認識できていない。
私と同じ考えを持つ人間も少なくないようだが、こうして「問題」を食い止められていないのが、現実だ。
同じ考えを持っていても、実際に行動する人間は、限られている。
考えと目的を持った上で、問題に立ち向かえる者こそ、真の善と言えよう。
私は自分で考え、問題を食い止めるという目的をもち、実際に行動している。私もまた、善の一部なのだ。
私は、また私の価値観で物事を決めつけてしまった。
確実に、私には天邪鬼が取り憑いているに違いない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる