切り札の男

古野ジョン

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第二部 大砲と魔術師

最終話 爪痕

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 かつて、「怪物」と呼ばれた投手がいた。中学二年生ながら時速百五十キロメートルを超える直球を投げ、多彩な変化球で打者を翻弄する。打っては特大ホームランを連発し、そのポテンシャルはとどまるところを知らなかった。

 だが、その投手は忽然と姿を消した。二年生の全国大会を最後に、一度も登板しなかったのだ。誰もその理由を知らず、いつしか彼は幻の存在と化した。もう二度と表舞台には出てこない。そう思われていた。しかし、彼は今――三年ぶりにマウンドへと舞い戻った。

「大林高校、シートの変更をお知らせします。ピッチャーの加賀谷くんが、レフト。そして――」

「レフトの久保くんが、ピッチャー。以上に代わります」

 久保は左手に投手用グラブを着けて、ゆっくりとベンチから歩き出した。悠北高校の選手たちはざわつき始め、特に野村は目を丸くしてその光景を見ていた。

「ピッチャーに戻るの、来年のはずじゃ……」

 九回表、悠北高校の打順は二番からだ。当然、四番の野村にも打席が回る。中学時代に待ち望んでいた、久保との対決。まさか今日実現するとは思わず、喜びと困惑で胸がいっぱいだった。

「まな先輩、良いんですか?」

「一回だけなら投げられるって言うからね。止める理由は無いよ」

「でも、どうして投げるって言い出したんでしょうか」

「『爪痕』を残すんだって」

「爪痕?」

「悠北高校に良い思いだけさせてたら、来年に活きないから――だって」

 レイが登板の理由を尋ねると、まなが経緯を説明した。六点差で既に最終回。追い付くには厳しい状況となった。それならせめて、悠北高校に嫌な印象を植え付けたい。そのような考えだったのだ。

 久保はマウンドに上がると、投球練習するのを断った。少しでも球数を節約し、腕への負担を減らすためだった。プレイが始まる前に芦田がマウンドへと向かい、打ち合わせを行っていた。

「久保、サインはどうする?」

「いらない。コースだけ決めて構えてくれ」

「いらないって、真っすぐしか投げないのかよ!?」

「ああ。それで十分だ」

 久保はきっぱりとそう言った。彼は感触を確かめるように右手でお手玉し、打者が打席に入るのを待っていた。

(まさか、久保先輩が投げるなんて……!)

 一塁を守っているリョウは、胸を高鳴らせていた。憧れの先輩が、三年ぶりにマウンドに立つ。その様子を一番近くで見られるとあって、喜びを隠せなかったのだ。

「でも、久保先輩はどれくらい投げられるんですか?」

「私にも分からない。最近は右投げの練習も多くしてるけど、本気で投げてるのは見てないから」

 レイが問うと、まながそのように答えた。久保はまなとのキャッチボールで右投げの練習を重ねていたが、まだ一度もブルペンで投げたことはない。そして今大会にも、左投げで出場している。そんな彼がどれほどの球を投げるのか、彼女にも見当がつかなかったのだ。

 間もなく、二番打者が打席に入った。まさか久保が登板するとは思わず、困惑した表情を見せている。そして、審判が試合を再開した。

「プレイ!!」

 それと共に、球場中の視線がマウンドに集まった。スタンドの観客たちは久保を見て、いろいろと話をしている。

「久保って左投げじゃないのか?」

「バカ、アイツはすげえピッチャーなんだぞ」

「え、そうなの?」

「今日まで投げてなかったのが不思議なくらいだよ」

 当の久保はというと、落ち着いてマウンドに立っていた。中学時代に全国大会まで経験したこともあり、その投手としての振る舞いも堂に入っている。エースとしての風格すら漂い、打者は既にその雰囲気に飲まれつつあった。

(久しぶりだな、この感じ)

 久保はゆっくりと振りかぶった。打者を威圧するようなワインドアップで、ぐっと前を向く。そのまま右足をプレートにかけると、左足を上げた。右腕を後ろに持っていくと、思い切り左足を踏み込んだ。その勢いのまま、思い切り投げおろした。

 綺麗なバックスピンがかかったボールが、唸りをあげて突き進んでいった。目にも止まらぬ速さで、そのまま芦田のミットへと吸い込まれていく。ドンという重い捕球音が響き渡ると、観客が一斉にどよめいた。

「「えっ」」

 大林高校の選手たちも、その球を見て目を見開いた。彼らは初めて久保の投球を目にしたのだ。その凄まじさに、ただただ驚くばかりだった。

「ス、ストライク!!」

 審判も遅れてコールした。打者は全く手が出ず、ただ見逃すことしか出来なかった。そうこうしているうちに、電光掲示板に球速が表示された。そこにははっきりと「151」と示されており、再び観客席がどよめいた。

「ひゃ、ひゃくごじゅう……!?」

「アイツ、なんで外野守ってたんだ……?」

 芦田は、久保が変化球は不要だと言った理由をようやく理解した。自らの左手に残った重い感触を味わいながら、マウンドにボールを返した。

「まな先輩、今の……!」

「信じられない、右腕を怪我してたなんて思えないよ」

 マネージャー二人も、久保の投球に圧倒されていた。右腕を怪我していて、ようやく復帰したはずの投手がいきなり時速百五十キロメートルの速球を投じる。常識では考えられない出来事に、理解が追い付いていなかった。

 久保は振りかぶって、第二球を投じた。打者はスイングをかけていったが、振り遅れて空振りした。スピードガンは「153」を示しており、スタンドから大きな歓声があがった。そのまま久保は第三球を投じ、空振り三振に打ち取ってみせた。

「ストライク!! バッターアウト!!」

「いいぞ久保ー!!」

「ナイスピー!!」

 最初は困惑していたナインも、久保の投球に引き込まれていた。来年になれば、彼の全力投球が見られる。その事実に、皆の心は昂っていた。

(本当に戻ってきたんだね、久保くん)

 野村はネクストバッターズサークルに向かいながら、かつて見た「怪物」のことを思い出していた。中学生離れした速球で次々に打者を圧倒していたその姿と、今の久保は重なって見えたのだ。

「三番、ライト、尾田くん」

 続いて、三番の尾田が左打席に向かった。今日の彼は好調で、リョウからタイムリーヒットを放っている。しかし、久保は全く気にせずに芦田のミットを見つめていた。

「打てよ尾田ー!!」

「頼むぞー!!」

 悠北高校のベンチは、好打者の尾田が久保の速球を捉えることを期待していた。それに対し、久保は堂々とストライクゾーンに直球を投げ込んでいく。尾田はバットに当てることすら叶わず、ノーボールツーストライクと追い込まれた。

「いいぞ久保ー!!」

「決めろー!!」

 ナインからの声援を受け、久保はゆっくりと振りかぶる。その豪快なフォームで、第三球を投げた。白球が風を切るように進んでいく。ど真ん中の直球だったが、尾田は捉えることは出来なかった。そのままバットは空を切り、審判が右手を突き上げた。

「ストライク!! バッターアウト!!」

 三振した尾田も呆然としており、ただ天を仰ぐことしか出来なかった。悠北高校のベンチも、その様子をただただ見つめることしか出来なかった。

「尾田がバットに当てられないなんて」

「信じられない、どんな球筋してるんだ」

 ベンチがざわつく中、野村はゆっくりと歩き出した。ネクストバッターズサークルで待っている間、彼は久保の直球にタイミングを合わせていた。四番の自分が捉えてみせようと、強く決意していたのだ。

「四番、サード、野村くん」

「野村頼むぞー!!」

「お前しかいないぞー!!」

 リードしているのは悠北高校であるのに、球場の雰囲気は大林高校寄りだった。というより、久保が一人でスタジアム全体を支配していたのだ。観客全ての視線を集め、飄々と振舞っている。そんな彼の姿を見て、リョウは身震いしていた。

(俺、この人とエース争いしなくちゃいけないのか)

 中学時代に憧れた先輩が、今まさに復活を遂げようとしている。そのことの喜びよりも、自らの背番号が奪われるという恐怖の方が上回っていた。その圧倒的な存在感と、驚くべき実力。リョウは自分に足りないものをまざまざと思い知らされたような気がしていたのだ。

(ここで野村に打たれるわけにはいかない。絶対にねじ伏せる)

 一方で、久保は打席に入った野村を見て気を引き締めていた。悠北高校に自分の存在を印象付けるには、四番の野村を抑える必要がある。たとえ単打でも許すわけにはいかないのだ。

 久保は振りかぶって、第一球を投じた。力のある直球が、高めに構えられた芦田のミットに向かって突き進んでいく。野村もバットを出していったが、空振りした。

「ストライク!!」

「いいぞ久保ー!!」

「絶対抑えろー!!」

 その投球に、スタンドからも声援が送られている。突如として現れた剛腕投手に、観客の心が奪われていたのだ。その雰囲気に押され、悠北高校のベンチは徐々に静かになっていく。久保は芦田の構えを見ると、振りかぶって第二球を投じた。

「くっ……!」

 野村はバットを短く持ち、コンパクトにスイングした。苦しそうな声を漏らしながら、辛うじてボールの下部に当ててみせたのだ。強烈なファウルボールがバックネットに突き刺さり、またも観客席がどよめいた。

「ファウルボール!!」

「「おお~」」

 久保は表情を変えず、芦田からの返球を受け取った。電光掲示板には「150」と表示されており、依然として彼の球速が落ちていないことを示している。

(流石野村だな。けど、次は当てさせない)

 どよめきが収まらぬ中、久保は次の球について考えていた。二球見ただけで、野村はきっちりと彼の速球にタイミングを合わせたのだ。けれども、彼には野村を抑える自信があった。

「これが、雄大の本当の姿……」

 ベンチにいるまなは、久保のことをじっと見つめていた。彼女は今まで、久保の「打」の才能しか見てこなかった。しかし、今まさに「投」の才能を見せつけられている。彼が「怪物」という二つ名で呼ばれている理由を、ようやく理解し始めたのだ。

 久保は振りかぶって、その体を始動した。野村はバットを強く握り、次の球に備えている。久保はそのまま右腕を振るって、第三球を解き放った。

「うぉらっ!!」

 彼は大きな声を出し、全身の力を白球に込めていた。ボールは今日一番のスピードで、ミットに向かって吸い込まれていく。野村はスイングを開始したが、そのバットは球の軌道のはるか下を通過していった。

「ストライク!! バッターアウト!!」

 次の瞬間、審判が右手を突き上げた。スタジアム全体から拍手と歓声が巻き起こり、久保の投球が讃えられていた。野村は悔しそうにうなだれ、マウンドを降りる久保の姿を見つめている。電光掲示板には「156」という数字が躍っていた――

***

 九回裏、大林高校は得点を挙げることが出来なかった。これで試合が終わり、結局は九対三で敗北することになった。両校の選手たちが本塁を挟んで整列し、審判が試合終了を告げる。

「九対三で悠北高校の勝利! 礼!!」

「「「「ありがとうございました!」」」」

 ぱちぱちと拍手が巻き起こる中、久保はベンチに帰ろうとした。その時、野村が彼のことを呼び止めた。

「久保くん!!」

「ああ、野村くん」

 久保が返事をすると、野村はじっと彼の目を見つめた。そして、ゆっくりと口を開いた。

「次こそは、絶対打つよ」

 その言葉を聞き、久保の表情が引き締まった。そしてすうと息を吸い込み、野村にこう返した。

「絶対に抑えてやる。また会おう」

 そして二人は握手を交わし、別れた。久保の思惑通り、野村を始めとした悠北高校ナインは今日の出来事を強く意識するようになった。来年の夏、とんでもない剛腕投手が現れる。そのことに恐れおののき、勝利の喜びなどどこかへ飛んでいってしまった。

 大林高校の選手たちはベンチの片づけを終え、球場を出た。その帰途で、久保とまなは話をしていた。

「雄大、腕は大丈夫?」

「これくらいは平気だよ。来年はもっと投げるわけだし、どうってことないさ」

「だったらいいんだけど」

「それより、今日は完全に負けちまったな。流石にこれじゃあ選抜は無理だな」

「そうだね。うちのチームに足りないもの、まだまだあるよ」

 二人は今日の試合を振り返っていた。攻撃面では思うように点を取れず、守備面では悠北高校に大量得点を許すことになった。攻守両面で課題が多く見つかり、大林高校にとっては厳しい結果となった。

「明日からオフトレだな。俺もいろいろやらないとな」

「厳しくやるからね! 覚悟しておいてよ」

「ハハハ、怖い監督さんだ」

 久保は笑いながら、まなの言葉に返事した。今年、大林高校は大躍進を果たした。けれども、部員たちはさらなる高みを目指している。県内で一校にしか渡されない、甲子園への切符。それを掴み取るため、彼らはひたむきに努力を続ける。

 久保雄大という選手にとっても、今年は実りある年になった。四番としてチームを背負い、結果を出した。森山隆という存在の前に屈し、敗北の悔しさを改めて思い知った。リョウという後輩に、自分の立場を脅かされた。そして主将として、チームに甲子園という目標を与えた。

 今日の試合で、彼はたしかに爪痕を残した。その「怪物」の爪痕は、他のチームに恐怖を与えることとなった。大林高校に潜んでいた剛腕投手が、ついに復活した。そのニュースは県内の野球界に知れ渡り、他のライバル達の耳にも入っていたのだ。

 森山へのリベンジ、甲子園出場、そしてプロ入り。三つの目標を掲げ、久保は前を向いて練習に励む。野球を諦め、絶望していた彼はもういない。厳しい冬を越えたその先に、明るい未来が待っているのだ――

◇◇◇

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
第二部はこれにて完結となります。第三部については、少しお休みをいただいてから投稿させていただきます。
また、感想などいただけると大変励みになります。よろしければお寄せください。
今後とも、よろしくお願いいたします。
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