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080:鬼の居ぬ間に
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ギルドの出張所と商業棟の間に集まっていた兵士たちがぞろぞろとふぞろいな形でダンジョンへ向かって歩き始めた。先ほどの声を聞く限りダンジョンの前で整列してそこからスタートということなのだろう。昇降機を使って5階に下りるまでにはまだ少し時間がかかると思われた。出張所の2階からその様子を眺めていたアドルフォは窓を閉めて振り返りこれからダンジョンに持ち込もうという荷物の目録を確認していたモニカに声をかけた。
「ようやく出発だ。あと1時間もすれば1階には誰もいない状態になるだろう」
「ああ、やっとですか。ずいぶんゆっくりですよね」
「まあ戦力には自信があるんだろう。今日中に8階、明日にはそれも突破してとか考えているんじゃないか」
こちらが先回りして10階に行こうとしていることも分かっているのかもしれない。それでも構わないのだろう。軍の目標は恐らく門前の魔物だ。6階のメッセージから最大の脅威とみなしそれを排除する功績を持って地下世界に国軍の威信を示し、そして地上でもダンジョン利権に食い込もうというのだろう。それはそれで構わないのだ。ギルドとしては先に10階を押さえて出入りする人間と物品を管理できればそれでいいのだ。クリストたちが先に軍に取られるのは気に入らないと思っていることは分かっているが、倒すのがどちらでもギルドは困らない。とにかく10階の場所を確保だ。
セルバ家がどう考えているかは分からない。いつの間にかノッテの地権者は長女のステラになっていて、頭首ブルーノの妹、アーシアがその後見人に収まっていた。冒険者向けの道具や食品を新たな事業として打ち立てるつもりでいるようだが、ダンジョンの利権はどう考えているのだろうか。今回は10階にセルバ家の旗を立ててくるつもりでいるようなのだが、細かい話は聞いていない。アドルフォたちと一緒に下りるというアーシアの他には新しくノッテの森の管理人として雇ったという女性、確かヴァイオラといったか、その女性が同行しているのだが、2人は今モニカとは別のテーブルでのんきに茶を飲んでいた。
扉が開きクリストたちが室内に入ってくる。すでにいつでも出発できるように装備を身につけていた。彼らは自分たちを10階まで案内して、その後は1階でやることがあると言っていた。それが何かは冒険の秘密で、無事解決したら報告してもらえるのだという。どうも10階の案内人から聞いてきた話であるようで、人なのかそうではないのか不明なその案内人の話を彼らは信じているようだった。
10階に下りるメンバーとしては他にギルドからケイロス、このノッテの出張所の職員でもあるトーリ、マージェリィ、カシアン、パウルス、イーツトリの6人が参加だ。トーリは許されるのであれば10階に設置する分室の管理を任せたい。他の4人はギルド施設の建設作業に当たる。さすがに完全な作業員を今回連れて行くわけにもいかず、信頼の置ける職員がその作業に従事することになる。もちろんアドルフォやモニカ、ケイロスも必要となればそれをするだろう。
「そろそろ行けそうか、準備はいいか?」
立ち上がりながら声をかけると全員が顔を上げ、そして立ち上がる。いよいよ10階へ向かう時だ。国がどう軍がどうとあれこれ考えはするが、結局自分自身が思うことは早く10階へ行ってみたいという気持ちの強さだった。
出張所を出て兵士がいなくなって安心したのか、門の建設を再開した作業員たちに声をかけながらダンジョンへ向かって歩き始める。ここはいつ来ても変わらない。視線の先にはダンジョンの入り口、頭上には青空。まあ日によっては曇りだったり雨だったりすることはあるのだが、それはそれとして空が広がっている。森の木立の向こうからは鳥の声。森にもダンジョンの中にも魔物が巣くっているはずだというのにこの穏やかな気持ちよ。
いつの間にかダンジョンまで到達していた。今日も変わらずその口を開けて自分たちを飲み込もうとしている。ここからはさすがにクリストたちが先頭に立ち、まずは地下1階の昇降機だ。通路を進むと地上の階段室に到達、階段の向こう側の壁には国、州、セルバ家とノッテの旗が掲げられている。クリストは一度後ろを振り返って全員の顔を確かめると、ランタンに火をともして階段を慎重に下り始めた。
地下1階最初の部屋を抜け、そのまま真っすぐに進み、曲がり角の向こうにいるラットの姿がすでに見あたらないことを確かめながら十字路を左へ。すぐに隠し扉にたどり着き、フリアが慣れた様子で扉を開ける。ちなみにこの近くの部屋には何もなかった。宝箱でもないかとのぞいてみたのだが期待外れな結果だ。軍の時はどうだったのか少し気になるがどうせ何も教えてはくれないだろう。
全員が隠し部屋へ入ると、まずは安全を確かめるためにクリストたちが先に10階へと下りていく。しばらく待っているとクリストがまた上がってきて、そしていよいよアドルフォたちの番だ。アドルフォ、モニカ、ケイロス、アーシア、ヴァイオラがこの組に入る。それ以外のギルド職員が最後の組ということになる。
全員がやや緊張した面持ちで籠に乗り込む。籠の中の目的地を示す表示は1、5、10と3つが表示されていた。今までは10は消えていたことを思い出し感慨深くその10を押すクリストの手の動きを見守っているとガコンという音をさせて籠が動き出し、ゆっくりと石組みの縦坑を降りていった。
下降時間は今までの5階までとは比較にならないほど長かった。報告で9階や10階に下りる階段がとても長かったことや9階のハーピーのエリアでは天上も床もなかったことは聞いていた。そして案内人が語ったという直線で600キロメートルだという高さ。この昇降機で降りる場合にはその600キロを実際に降りているのだろうか。だが待っている時間はそこまで長くは続かなかった。縦坑の下の方が少し明るくなってきたかと思うと、すぐに広い円形の部屋へと到着したのだ。部屋の中にはエディが待っていて、そしてゴトンという音をさせて停止した籠から降りた目の前には、その先に続いていく通路が見えている。ついに10階に降り立ったのか。皆一様に辺りをぐるぐると見渡していた。
いつまでもこうしているわけにもいかない。背後でクリストがもう一度1階へと昇っていく音を聞きながら、アドルフォは意を決して通路へと進んでいった。報告どおり、通路の左右には2つずつの部屋が口を開けている。なるほどここを使わせてもらうことができるのだろう。そしてその部屋の内、左側の奥の部屋、そこには木製のカウンターがしつらえられているのが見えてきた。その前まで進んでいくと、カウンターの向こう側にいる女性と目が合い、にこりとほほ笑んだように見えた。報告には聞いていた。銀色の髪、陶器のような肌。口元の溝や首元の間接部などが人形であることを教えてくれる。開いた目はガラス細工のようで、緑色の瞳がじっとこちらを見つめている。
「ようこそ、来訪者の皆様。こちらは夜明けの塔一層案内窓口、私は案内人を務めますルーナと申します――」
結論を言おう。アドルフォも何ならケイロスもモニカもうまく話し始めることができなかった。あいさつをして再びにこりと笑ったように見えるそのルーナと名乗る案内人を前にして緊張してしまったのだ。最も早く動き出したのはノッテの森の管理人になったというヴァイオラだった。
さっさと案内人の前に進むと名乗り、クリストたちをこのダンジョンに派遣したセルバ家の、地上での地権者であるステラから土地の管理を任されているものだと自己紹介を始めたのだ。その上でセルバ家とギルドが共同でクリストたちにこの場所を目指させたこと、アーシアが今回そのセルバ家の代表であること、そして可能であればこの場所で拠点を作らせてほしいことなど、要望を告げ始めた。これはアドルフォかケイロスがやらなければならない話だったのだが、あー、えーなどと言っていてらちがあかないと見られてしまったのだ。
「申し訳ない、私はアドルフォ、冒険者ギルドの、あー、地上のこの辺りをまとめているミルト支部の支部長を務めている。それでこっちが――」
さすがにこれはいけないとアドルフォも会話に参加。ケイロスやモニカを紹介、そしてこの後にも職員が来ることを告げる。
「ようこそいらっしゃいました。皆様のことはお聞きしております。ここ以外の場所はどこでも自由に使っていただいて構いません」
「ありがたい、それで、この向かいもいいのか? できればここにギルドの分室を置きたいんだが」
「構いませんよ。どうぞお使いください」
ちょうど昇降機がガコンと音をさせて到着したところだった。降りてきた職員も皆ダンジョン内の様子をきょろきょろと眺め回し、そしてこの案内窓口まで来て目の前の人形がにこりと笑って会釈をする様子にどぎまぎと動きをぎこちなくさせるのだ。気持ちは分かるがいつまでもそうしているわけにもいかない。アドルフォがせっつき、案内窓口の向かいの空いている場所に全員が移動してマジックバッグから荷物を出し始める。
カウンターや机、イス、棚といった家具類は出張所にあったものをそのまま持ち込んだ。それを一つずつこの辺と当たりを付けて並べていくのだ。とにかく一度作ってしまえばあとは気になったときに直せばいい。このギルド分室の隣の場所もギルド職員の休憩所や倉庫として利用するつもりだ。今回は入り口部分にロープを張って中にとにかく雑多に物を置いておく。その部屋の向かいをセルバ家の控室とするそうで、同じようにロープが張られ中にセルバ家とノッテの旗が掲げられた。
それ以外の場所については、階段側の4カ所がセルバ家、転移の魔法円だという場所の側の4カ所をギルドで押さえておく。実際何に使うかは今後検討することになるのだろう。ギルドとしては地下世界へ降り立つ冒険者の人数次第ということにはなるのだが、売店や買取所、解体所、医務室といったことを考えていた。とにかく今回はロープを張って権利を主張するものを置くなりして場所の確保だ。
そうこうするうちに外だという方向から宙を舞う丸い物体が近づいてきた。球体の中央に大きな目、羽があり、細い手足があり、手には槍を持っていた。報告にあったモノドロンというものだろうか。それはそのまま案内人のところまでいき、部屋の中へ入るとちょうど高さの合っていた棚の上にひょいと腰、腰か? とにかくそこに降りて足を下ろした。その様子を見守っていた案内人が口を開く。
「皆様、門前の獣はご覧になられましたか?」
「ああ、いや、だいぶやばそうだって話でな、まだなんだ」
ギルドの作業を見守っていたクリストが答えると、案内人は座席ごと部屋の中を後ろに下がり、そしてモノドロンに手を差しのばす。
「今でしたらこちらのモノドロンが安全な場所までご案内いたしますが」
「お? マジか? それはありがたい。まだ1階が終わっていないんでそれからのつもりだったが、今から見られるってのは助かる」
「それではご覧になられたい方は表へ。モノドロンに案内させましょう。その後で構いませんので皆様の来訪の登録をお願いいたします」
「おっと、そういえばそれをやらないと鍵がもらえないんだったな。分かった」
案内人がぽんと横からモノドロンを押すようにすると、面倒くさそうな表情を見せたモノドロンがふわりと浮かび上がり通路へと出て来る。クリストたちの前でくいと手招きするようなしぐさを見せるとそのまま外への通路へと向かっていった。作業を続けるつもりだという職員を残し、それ以外の全員がモノドロンのあとを追う。
ダンジョンを出ると、聞いていたとおりに頭上には青空が広がっていた。木立が草が、肌にも感じる風にさわさわと音を立てている。モノドロンが後ろを振り返って手招きしながら木立の間を縫う道へと誘う。そこは同じ森だからだろうか、何となくノッテの森と似た雰囲気があった。だが木立のさわさわという音に混じって、どこかからブフーという鼻息というか吐息というか、そういう音がして思わず足が止まる。
「怖い。何かよくないものがいるよ」
そういうのはフリアだ。
「ああ、俺にも分かる。やべーな。モノドロンの案内がなければ絶対にこれ以上は進みたくはないぞ」
クリストは額に汗を浮かべていた。エディもフェリクスもカリーナも武器をぎゅっとにぎっている。それに続くアドルフォやケイロスも嫌な緊張感に襲われていた。
それでもモノドロンは気にする様子もなく振り返って手招きをする。半目になっているのは足を止めたことを気にしてでもいるのか。皆が意を決して再び進み始める。
しばらく進んだ先で木立の向こう側がおぼろげに見え始めた。そこには小山のような大きさの何かがいた。ブフーという音が大きくなっている。肌を刺すようなビリビリとした気配。大きさ、そしてこの空気を震わせるような雰囲気だ。どう考えてもまともな魔物ではない。
その先でモノドロンが止まり、前方を槍先で指し示し、ここまでというように両手を広げた。クリストを先頭にしてそこまで進み、そしてその向こうの広い場所へと視線を向けると、そこには巨大な魔物が寝そべっていた。
巨大な骨の塊だった。朽ちた皮や濁った色の肉をまとった死体のようでもあった。魔物として言うなればスケルトンかあるいはゾンビか。いずれにせよアンデッドであろうと思われた。だが巨大だった。トカゲのような形をした頭部、太い腕と脚には鋭い爪があり、長い尻尾を持ち、そして大きな翼があった。眼下には暗い黄色をした光があり、閉じた口の牙の隙間からは紫色や灰色や黒色や、さまざまな色をした煙が漏れていて、ブシューという音とともにその煙が激しく立ち上っていく。
モノドロンが手を上げて少し下がるように指示する。固まっていたクリストたちが下がってくるモノドロンに押されるようにして木立の中へ戻っていくと、その向こうでゴフーという大きな音と何かが動くゴリゴリという大きな音が聞こえてきた。顔をこわばらせたフリアが早く戻れと後ろを向いて手を動かす。急ぎ足になって皆が下がっていくとモノドロンがにこりと笑顔を作って右手の親指を立てて突き出した。
「なあ、あれは‥‥」
「‥‥ドラゴンよ。ドラゴン・ゾンビでいいのかスケルトンなのか、それとも」
「それともの方だと思った方がいいんじゃないかな。あんなに怖いものなんだね」
ドラゴンは長い長い時を生きると言われている。生きるということは死ぬということでもあるのだが、それを嫌がってアンデッドになるドラゴンもいるのだという話はあった。そういったドラゴンはドラゴン・ゾンビやドラゴン・スケルトン、そして最上位としてドラゴン・リッチ、あるいはドラコリッチと呼ばれるものになるのだ。
塔まで戻り顔をこわばらせたまま案内人の元へ戻る。
「お疲れさまでした。いかがでしたでしょうか、現状一切の弱体化を受けていないドラコリッチは」
「ああ、やっぱりドラコリッチなんだ、あれ」
「どうもこうも、弱体化させて本当になんとかなるところまで下がるのか?」
「はい。それなりのレベルまで落ちるだろうと考えておりますよ。撃破されるその時をお待ちしております」
「‥‥なあ、あんたはあれを‥‥」
「私には用のないものですので。皆様が撃破されるその時をお待ちしておりますよ」
にこりと笑いながらのとても興味のなさそうな返答だった。
そしてこちらをと鑑定盤を差し出してくる。クリストたちの時と同じようにこれで鑑定をしてそして登録しろということだった。これもアドルフォたちが一瞬ためらっている間にヴァイオラがさっさと手を出して鑑定してしまう。エキスパートのレベル3だそうだ。まあそれはいい。種族はハーフエルフだそうだ。これはヴェントヴェール国、それもリッカテッラ州では珍しいだろう亜人ということになる。まあそれもいい。とにかくこれで来訪者の称号が得られ、10階へ来ることが許されるようになるのだと説明がなされる。鍵は2本、セルバ家とギルドに1本ずつが提供されるということだった。セルバ家は地上の地権者ということで案内人からするとまさに天上の人に当たるのだととても喜んでいた。
とにかくこれで目的は達成された。これからも順次この場所の整備を行うことになるだろう。少なくとも案内人はセルバ家とギルドの来訪を歓迎してくれたのだ。この場所に拠点を設けて冒険者が来ることを良しとしてくれたのだ。今はそれでいい。とにかく軍が来るまでにここの整備は間に合う。あとはクリストたちが間に合わせるだけだった。次は1階、魔法の仕掛けの向こうにあるエリアに挑むのだ。何しろそれを頑張らないことにはあのドラコリッチとそのまま向かい合うことになってしまうのだから。せめてそれなりのところまで落ちてくるというところまではやらなければ、とても挑もうという気持ちが湧いてこないのだから。
「ようやく出発だ。あと1時間もすれば1階には誰もいない状態になるだろう」
「ああ、やっとですか。ずいぶんゆっくりですよね」
「まあ戦力には自信があるんだろう。今日中に8階、明日にはそれも突破してとか考えているんじゃないか」
こちらが先回りして10階に行こうとしていることも分かっているのかもしれない。それでも構わないのだろう。軍の目標は恐らく門前の魔物だ。6階のメッセージから最大の脅威とみなしそれを排除する功績を持って地下世界に国軍の威信を示し、そして地上でもダンジョン利権に食い込もうというのだろう。それはそれで構わないのだ。ギルドとしては先に10階を押さえて出入りする人間と物品を管理できればそれでいいのだ。クリストたちが先に軍に取られるのは気に入らないと思っていることは分かっているが、倒すのがどちらでもギルドは困らない。とにかく10階の場所を確保だ。
セルバ家がどう考えているかは分からない。いつの間にかノッテの地権者は長女のステラになっていて、頭首ブルーノの妹、アーシアがその後見人に収まっていた。冒険者向けの道具や食品を新たな事業として打ち立てるつもりでいるようだが、ダンジョンの利権はどう考えているのだろうか。今回は10階にセルバ家の旗を立ててくるつもりでいるようなのだが、細かい話は聞いていない。アドルフォたちと一緒に下りるというアーシアの他には新しくノッテの森の管理人として雇ったという女性、確かヴァイオラといったか、その女性が同行しているのだが、2人は今モニカとは別のテーブルでのんきに茶を飲んでいた。
扉が開きクリストたちが室内に入ってくる。すでにいつでも出発できるように装備を身につけていた。彼らは自分たちを10階まで案内して、その後は1階でやることがあると言っていた。それが何かは冒険の秘密で、無事解決したら報告してもらえるのだという。どうも10階の案内人から聞いてきた話であるようで、人なのかそうではないのか不明なその案内人の話を彼らは信じているようだった。
10階に下りるメンバーとしては他にギルドからケイロス、このノッテの出張所の職員でもあるトーリ、マージェリィ、カシアン、パウルス、イーツトリの6人が参加だ。トーリは許されるのであれば10階に設置する分室の管理を任せたい。他の4人はギルド施設の建設作業に当たる。さすがに完全な作業員を今回連れて行くわけにもいかず、信頼の置ける職員がその作業に従事することになる。もちろんアドルフォやモニカ、ケイロスも必要となればそれをするだろう。
「そろそろ行けそうか、準備はいいか?」
立ち上がりながら声をかけると全員が顔を上げ、そして立ち上がる。いよいよ10階へ向かう時だ。国がどう軍がどうとあれこれ考えはするが、結局自分自身が思うことは早く10階へ行ってみたいという気持ちの強さだった。
出張所を出て兵士がいなくなって安心したのか、門の建設を再開した作業員たちに声をかけながらダンジョンへ向かって歩き始める。ここはいつ来ても変わらない。視線の先にはダンジョンの入り口、頭上には青空。まあ日によっては曇りだったり雨だったりすることはあるのだが、それはそれとして空が広がっている。森の木立の向こうからは鳥の声。森にもダンジョンの中にも魔物が巣くっているはずだというのにこの穏やかな気持ちよ。
いつの間にかダンジョンまで到達していた。今日も変わらずその口を開けて自分たちを飲み込もうとしている。ここからはさすがにクリストたちが先頭に立ち、まずは地下1階の昇降機だ。通路を進むと地上の階段室に到達、階段の向こう側の壁には国、州、セルバ家とノッテの旗が掲げられている。クリストは一度後ろを振り返って全員の顔を確かめると、ランタンに火をともして階段を慎重に下り始めた。
地下1階最初の部屋を抜け、そのまま真っすぐに進み、曲がり角の向こうにいるラットの姿がすでに見あたらないことを確かめながら十字路を左へ。すぐに隠し扉にたどり着き、フリアが慣れた様子で扉を開ける。ちなみにこの近くの部屋には何もなかった。宝箱でもないかとのぞいてみたのだが期待外れな結果だ。軍の時はどうだったのか少し気になるがどうせ何も教えてはくれないだろう。
全員が隠し部屋へ入ると、まずは安全を確かめるためにクリストたちが先に10階へと下りていく。しばらく待っているとクリストがまた上がってきて、そしていよいよアドルフォたちの番だ。アドルフォ、モニカ、ケイロス、アーシア、ヴァイオラがこの組に入る。それ以外のギルド職員が最後の組ということになる。
全員がやや緊張した面持ちで籠に乗り込む。籠の中の目的地を示す表示は1、5、10と3つが表示されていた。今までは10は消えていたことを思い出し感慨深くその10を押すクリストの手の動きを見守っているとガコンという音をさせて籠が動き出し、ゆっくりと石組みの縦坑を降りていった。
下降時間は今までの5階までとは比較にならないほど長かった。報告で9階や10階に下りる階段がとても長かったことや9階のハーピーのエリアでは天上も床もなかったことは聞いていた。そして案内人が語ったという直線で600キロメートルだという高さ。この昇降機で降りる場合にはその600キロを実際に降りているのだろうか。だが待っている時間はそこまで長くは続かなかった。縦坑の下の方が少し明るくなってきたかと思うと、すぐに広い円形の部屋へと到着したのだ。部屋の中にはエディが待っていて、そしてゴトンという音をさせて停止した籠から降りた目の前には、その先に続いていく通路が見えている。ついに10階に降り立ったのか。皆一様に辺りをぐるぐると見渡していた。
いつまでもこうしているわけにもいかない。背後でクリストがもう一度1階へと昇っていく音を聞きながら、アドルフォは意を決して通路へと進んでいった。報告どおり、通路の左右には2つずつの部屋が口を開けている。なるほどここを使わせてもらうことができるのだろう。そしてその部屋の内、左側の奥の部屋、そこには木製のカウンターがしつらえられているのが見えてきた。その前まで進んでいくと、カウンターの向こう側にいる女性と目が合い、にこりとほほ笑んだように見えた。報告には聞いていた。銀色の髪、陶器のような肌。口元の溝や首元の間接部などが人形であることを教えてくれる。開いた目はガラス細工のようで、緑色の瞳がじっとこちらを見つめている。
「ようこそ、来訪者の皆様。こちらは夜明けの塔一層案内窓口、私は案内人を務めますルーナと申します――」
結論を言おう。アドルフォも何ならケイロスもモニカもうまく話し始めることができなかった。あいさつをして再びにこりと笑ったように見えるそのルーナと名乗る案内人を前にして緊張してしまったのだ。最も早く動き出したのはノッテの森の管理人になったというヴァイオラだった。
さっさと案内人の前に進むと名乗り、クリストたちをこのダンジョンに派遣したセルバ家の、地上での地権者であるステラから土地の管理を任されているものだと自己紹介を始めたのだ。その上でセルバ家とギルドが共同でクリストたちにこの場所を目指させたこと、アーシアが今回そのセルバ家の代表であること、そして可能であればこの場所で拠点を作らせてほしいことなど、要望を告げ始めた。これはアドルフォかケイロスがやらなければならない話だったのだが、あー、えーなどと言っていてらちがあかないと見られてしまったのだ。
「申し訳ない、私はアドルフォ、冒険者ギルドの、あー、地上のこの辺りをまとめているミルト支部の支部長を務めている。それでこっちが――」
さすがにこれはいけないとアドルフォも会話に参加。ケイロスやモニカを紹介、そしてこの後にも職員が来ることを告げる。
「ようこそいらっしゃいました。皆様のことはお聞きしております。ここ以外の場所はどこでも自由に使っていただいて構いません」
「ありがたい、それで、この向かいもいいのか? できればここにギルドの分室を置きたいんだが」
「構いませんよ。どうぞお使いください」
ちょうど昇降機がガコンと音をさせて到着したところだった。降りてきた職員も皆ダンジョン内の様子をきょろきょろと眺め回し、そしてこの案内窓口まで来て目の前の人形がにこりと笑って会釈をする様子にどぎまぎと動きをぎこちなくさせるのだ。気持ちは分かるがいつまでもそうしているわけにもいかない。アドルフォがせっつき、案内窓口の向かいの空いている場所に全員が移動してマジックバッグから荷物を出し始める。
カウンターや机、イス、棚といった家具類は出張所にあったものをそのまま持ち込んだ。それを一つずつこの辺と当たりを付けて並べていくのだ。とにかく一度作ってしまえばあとは気になったときに直せばいい。このギルド分室の隣の場所もギルド職員の休憩所や倉庫として利用するつもりだ。今回は入り口部分にロープを張って中にとにかく雑多に物を置いておく。その部屋の向かいをセルバ家の控室とするそうで、同じようにロープが張られ中にセルバ家とノッテの旗が掲げられた。
それ以外の場所については、階段側の4カ所がセルバ家、転移の魔法円だという場所の側の4カ所をギルドで押さえておく。実際何に使うかは今後検討することになるのだろう。ギルドとしては地下世界へ降り立つ冒険者の人数次第ということにはなるのだが、売店や買取所、解体所、医務室といったことを考えていた。とにかく今回はロープを張って権利を主張するものを置くなりして場所の確保だ。
そうこうするうちに外だという方向から宙を舞う丸い物体が近づいてきた。球体の中央に大きな目、羽があり、細い手足があり、手には槍を持っていた。報告にあったモノドロンというものだろうか。それはそのまま案内人のところまでいき、部屋の中へ入るとちょうど高さの合っていた棚の上にひょいと腰、腰か? とにかくそこに降りて足を下ろした。その様子を見守っていた案内人が口を開く。
「皆様、門前の獣はご覧になられましたか?」
「ああ、いや、だいぶやばそうだって話でな、まだなんだ」
ギルドの作業を見守っていたクリストが答えると、案内人は座席ごと部屋の中を後ろに下がり、そしてモノドロンに手を差しのばす。
「今でしたらこちらのモノドロンが安全な場所までご案内いたしますが」
「お? マジか? それはありがたい。まだ1階が終わっていないんでそれからのつもりだったが、今から見られるってのは助かる」
「それではご覧になられたい方は表へ。モノドロンに案内させましょう。その後で構いませんので皆様の来訪の登録をお願いいたします」
「おっと、そういえばそれをやらないと鍵がもらえないんだったな。分かった」
案内人がぽんと横からモノドロンを押すようにすると、面倒くさそうな表情を見せたモノドロンがふわりと浮かび上がり通路へと出て来る。クリストたちの前でくいと手招きするようなしぐさを見せるとそのまま外への通路へと向かっていった。作業を続けるつもりだという職員を残し、それ以外の全員がモノドロンのあとを追う。
ダンジョンを出ると、聞いていたとおりに頭上には青空が広がっていた。木立が草が、肌にも感じる風にさわさわと音を立てている。モノドロンが後ろを振り返って手招きしながら木立の間を縫う道へと誘う。そこは同じ森だからだろうか、何となくノッテの森と似た雰囲気があった。だが木立のさわさわという音に混じって、どこかからブフーという鼻息というか吐息というか、そういう音がして思わず足が止まる。
「怖い。何かよくないものがいるよ」
そういうのはフリアだ。
「ああ、俺にも分かる。やべーな。モノドロンの案内がなければ絶対にこれ以上は進みたくはないぞ」
クリストは額に汗を浮かべていた。エディもフェリクスもカリーナも武器をぎゅっとにぎっている。それに続くアドルフォやケイロスも嫌な緊張感に襲われていた。
それでもモノドロンは気にする様子もなく振り返って手招きをする。半目になっているのは足を止めたことを気にしてでもいるのか。皆が意を決して再び進み始める。
しばらく進んだ先で木立の向こう側がおぼろげに見え始めた。そこには小山のような大きさの何かがいた。ブフーという音が大きくなっている。肌を刺すようなビリビリとした気配。大きさ、そしてこの空気を震わせるような雰囲気だ。どう考えてもまともな魔物ではない。
その先でモノドロンが止まり、前方を槍先で指し示し、ここまでというように両手を広げた。クリストを先頭にしてそこまで進み、そしてその向こうの広い場所へと視線を向けると、そこには巨大な魔物が寝そべっていた。
巨大な骨の塊だった。朽ちた皮や濁った色の肉をまとった死体のようでもあった。魔物として言うなればスケルトンかあるいはゾンビか。いずれにせよアンデッドであろうと思われた。だが巨大だった。トカゲのような形をした頭部、太い腕と脚には鋭い爪があり、長い尻尾を持ち、そして大きな翼があった。眼下には暗い黄色をした光があり、閉じた口の牙の隙間からは紫色や灰色や黒色や、さまざまな色をした煙が漏れていて、ブシューという音とともにその煙が激しく立ち上っていく。
モノドロンが手を上げて少し下がるように指示する。固まっていたクリストたちが下がってくるモノドロンに押されるようにして木立の中へ戻っていくと、その向こうでゴフーという大きな音と何かが動くゴリゴリという大きな音が聞こえてきた。顔をこわばらせたフリアが早く戻れと後ろを向いて手を動かす。急ぎ足になって皆が下がっていくとモノドロンがにこりと笑顔を作って右手の親指を立てて突き出した。
「なあ、あれは‥‥」
「‥‥ドラゴンよ。ドラゴン・ゾンビでいいのかスケルトンなのか、それとも」
「それともの方だと思った方がいいんじゃないかな。あんなに怖いものなんだね」
ドラゴンは長い長い時を生きると言われている。生きるということは死ぬということでもあるのだが、それを嫌がってアンデッドになるドラゴンもいるのだという話はあった。そういったドラゴンはドラゴン・ゾンビやドラゴン・スケルトン、そして最上位としてドラゴン・リッチ、あるいはドラコリッチと呼ばれるものになるのだ。
塔まで戻り顔をこわばらせたまま案内人の元へ戻る。
「お疲れさまでした。いかがでしたでしょうか、現状一切の弱体化を受けていないドラコリッチは」
「ああ、やっぱりドラコリッチなんだ、あれ」
「どうもこうも、弱体化させて本当になんとかなるところまで下がるのか?」
「はい。それなりのレベルまで落ちるだろうと考えておりますよ。撃破されるその時をお待ちしております」
「‥‥なあ、あんたはあれを‥‥」
「私には用のないものですので。皆様が撃破されるその時をお待ちしておりますよ」
にこりと笑いながらのとても興味のなさそうな返答だった。
そしてこちらをと鑑定盤を差し出してくる。クリストたちの時と同じようにこれで鑑定をしてそして登録しろということだった。これもアドルフォたちが一瞬ためらっている間にヴァイオラがさっさと手を出して鑑定してしまう。エキスパートのレベル3だそうだ。まあそれはいい。種族はハーフエルフだそうだ。これはヴェントヴェール国、それもリッカテッラ州では珍しいだろう亜人ということになる。まあそれもいい。とにかくこれで来訪者の称号が得られ、10階へ来ることが許されるようになるのだと説明がなされる。鍵は2本、セルバ家とギルドに1本ずつが提供されるということだった。セルバ家は地上の地権者ということで案内人からするとまさに天上の人に当たるのだととても喜んでいた。
とにかくこれで目的は達成された。これからも順次この場所の整備を行うことになるだろう。少なくとも案内人はセルバ家とギルドの来訪を歓迎してくれたのだ。この場所に拠点を設けて冒険者が来ることを良しとしてくれたのだ。今はそれでいい。とにかく軍が来るまでにここの整備は間に合う。あとはクリストたちが間に合わせるだけだった。次は1階、魔法の仕掛けの向こうにあるエリアに挑むのだ。何しろそれを頑張らないことにはあのドラコリッチとそのまま向かい合うことになってしまうのだから。せめてそれなりのところまで落ちてくるというところまではやらなければ、とても挑もうという気持ちが湧いてこないのだから。
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そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。
こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。
チート魅了スキルで始まる、美少女たちとの異世界ハーレム生活
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ごく普通の会社員だった佐々木健太は、異世界へ転移してして、あらゆる女性を無条件に魅了するチート能力を手にする。
彼はこの能力で、女騎士セシリア、ギルド受付嬢リリア、幼女ルナ、踊り子エリスといった魅力的な女性たちと出会い、絆を深めていく。
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
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異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
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大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
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冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
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カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
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