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「ファルル・ボナパルト! 貴様のような冷酷な女との婚約は、今この瞬間をもって破棄させてもらう!」
きらびやかなシャンデリアが輝く夜会の中心で、第一王子シリウスが声を張り上げた。
その隣には、彼に守られるようにして震える男爵令嬢リリアンの姿がある。
周囲の貴族たちは一斉に息を呑み、憐れみと好奇の視線を一人の令嬢へと向けた。
公爵令嬢ファルル・ボナパルト。
彼女は、手にした扇をゆっくりと閉じると、感情の読めない瞳で婚約者を見つめた。
「……婚約破棄、でございますか?」
「そうだ! 言い逃れはさせんぞ。リリアンに対する数々の嫌がらせ、そして王族である俺への不敬な態度……。貴様の罪は枚挙に暇がない!」
シリウスは、まるで劇場の主役を演じているかのように、ドラマチックな身振りで彼女を指差した。
対するファルルは、ドレスのポケットから銀の懐中時計を取り出し、カチリと蓋を開けた。
「……午後九時十五分。予定より三十分ほど早いですね。ですが、許容範囲内です」
「な……何をブツブツと言っている! ショックで頭が狂ったか?」
「いいえ。ちょうど今、本日分の『王子のスケジュール管理』および『各部署への根回し』という業務がすべて完了したところですので、タイミングとしては完璧だと思いまして」
ファルルは懐中時計をしまい、ふぅ、と深く、あまりにも深い、魂の底から絞り出したような溜息をついた。
「承知いたしました。婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」
「は……? そんなに簡単に認めるのか? もっとこう、泣き叫んでリリアンに謝罪するとか、俺の足に縋り付いて許しを乞うとか、あるだろう!」
「いえ、結構です。面倒ですので」
ファルルのあまりにも淡々とした返答に、会場全体が静まり返る。
隣で「ヒロイン」を演じていたリリアンも、目を見開いて硬直していた。
「シリウス殿下。確認ですが、これは殿下からの一方的な破棄、つまり私側の非による『解雇』ではなく、双方合意の上での『契約終了』ということでよろしいですね?」
「解雇だと……? 貴様、婚約を何だと思っている!」
「仕事ですわ。それも、超ブラックな、残業代ゼロの、二十四時間拘束される地獄のような激務です」
ファルルは一歩前へ踏み出し、指を折りながら語り始めた。
「殿下、思い出してください。毎朝五時にあなたを叩き起こし、寝癖を直し、その日の予定を三回説明しても忘れるあなたの脳内に無理やりスケジュールを叩き込んでいたのは誰だと思って? 私ですわ」
「そ、それは婚約者として当然の務めだろう!」
「他国の使節団が来た際、あなたが居眠りをしている横で、完璧な語学を駆使して外交交渉を成立させていたのは? 私です。あなたが遊び呆けている間に溜まった、山のような決済書類を代わりに処理していたのは? 私と、私の家の執事たちです」
一気にまくしたてられたシリウスは、数歩後ずさった。
「さらには、あなたが勝手に買い込んだ高価な魔導具の支払い調整、リリアン様との密会を隠蔽するためのルート確保……。あぁ、思い出すだけで胃に穴が空きそうですわ」
「そ、それは……だが、リリアンは俺に安らぎをくれたんだ! お前のような冷徹な事務処理機とは違う!」
リリアンが勝ち誇ったように、シリウスの腕に胸を押し付けた。
「そうですわ、ファルル様。シリウス様は、愛を求めていらっしゃるのです。書類の完璧さではなく、心の温もりを……!」
「どうぞどうぞ、存分に温め合ってくださいませ。その温もりが、明日の朝食時に『あれ、今日着る服の準備ができてないぞ?』という絶望に変わる瞬間を、私は心から楽しみにしておりますわ」
ファルルは優雅にカーテシーをした。
その顔には、今まで一度も見せたことのないような、晴れやかで美しい微笑みが浮かんでいる。
「これにて、私は『第一王子の婚約者』という役職を円満退社させていただきます。引き継ぎ資料は、後ほど殿下の机の上に(ダンボール三箱分)置いておきますので、自力で読み解いてくださいね」
「待て! ダンボール三箱分だと!? そんなの読めるわけがないだろう!」
「あら、リリアン様がいらっしゃるのでしょう? 『真実の愛』があれば、難しい行政用語や予算案の数字だって、甘いお菓子の名前にでも見えるのではありませんか?」
ファルルはくるりと背を向け、出口に向かって颯爽と歩き出した。
「おい! まだ話は終わっていない! ファルル!」
背後でシリウスが叫んでいるが、彼女の耳にはもう届かない。
会場の端で待機していた、公爵家の有能すぎる執事セバスが、素早く扉を開けた。
「お疲れ様でございました、お嬢様。お車のご用意はできております」
「セバス、最高にいい気分よ。明日の朝は、十時まで寝かせてちょうだい」
「承知いたしました。お嬢様のご快眠のために、王宮からの緊急連絡はすべて『迷子センター』に転送するよう手配済みでございます」
「ふふ、気が利くわね」
重厚な扉が閉まると同時に、背後の騒音は遮断された。
夜風を浴びながら、ファルルは大きく伸びをする。
「あぁ……自由って、なんて素晴らしいのかしら!」
悪役令嬢と呼ばれた女の、本当の「余生」が今、幕を開けたのである。
きらびやかなシャンデリアが輝く夜会の中心で、第一王子シリウスが声を張り上げた。
その隣には、彼に守られるようにして震える男爵令嬢リリアンの姿がある。
周囲の貴族たちは一斉に息を呑み、憐れみと好奇の視線を一人の令嬢へと向けた。
公爵令嬢ファルル・ボナパルト。
彼女は、手にした扇をゆっくりと閉じると、感情の読めない瞳で婚約者を見つめた。
「……婚約破棄、でございますか?」
「そうだ! 言い逃れはさせんぞ。リリアンに対する数々の嫌がらせ、そして王族である俺への不敬な態度……。貴様の罪は枚挙に暇がない!」
シリウスは、まるで劇場の主役を演じているかのように、ドラマチックな身振りで彼女を指差した。
対するファルルは、ドレスのポケットから銀の懐中時計を取り出し、カチリと蓋を開けた。
「……午後九時十五分。予定より三十分ほど早いですね。ですが、許容範囲内です」
「な……何をブツブツと言っている! ショックで頭が狂ったか?」
「いいえ。ちょうど今、本日分の『王子のスケジュール管理』および『各部署への根回し』という業務がすべて完了したところですので、タイミングとしては完璧だと思いまして」
ファルルは懐中時計をしまい、ふぅ、と深く、あまりにも深い、魂の底から絞り出したような溜息をついた。
「承知いたしました。婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」
「は……? そんなに簡単に認めるのか? もっとこう、泣き叫んでリリアンに謝罪するとか、俺の足に縋り付いて許しを乞うとか、あるだろう!」
「いえ、結構です。面倒ですので」
ファルルのあまりにも淡々とした返答に、会場全体が静まり返る。
隣で「ヒロイン」を演じていたリリアンも、目を見開いて硬直していた。
「シリウス殿下。確認ですが、これは殿下からの一方的な破棄、つまり私側の非による『解雇』ではなく、双方合意の上での『契約終了』ということでよろしいですね?」
「解雇だと……? 貴様、婚約を何だと思っている!」
「仕事ですわ。それも、超ブラックな、残業代ゼロの、二十四時間拘束される地獄のような激務です」
ファルルは一歩前へ踏み出し、指を折りながら語り始めた。
「殿下、思い出してください。毎朝五時にあなたを叩き起こし、寝癖を直し、その日の予定を三回説明しても忘れるあなたの脳内に無理やりスケジュールを叩き込んでいたのは誰だと思って? 私ですわ」
「そ、それは婚約者として当然の務めだろう!」
「他国の使節団が来た際、あなたが居眠りをしている横で、完璧な語学を駆使して外交交渉を成立させていたのは? 私です。あなたが遊び呆けている間に溜まった、山のような決済書類を代わりに処理していたのは? 私と、私の家の執事たちです」
一気にまくしたてられたシリウスは、数歩後ずさった。
「さらには、あなたが勝手に買い込んだ高価な魔導具の支払い調整、リリアン様との密会を隠蔽するためのルート確保……。あぁ、思い出すだけで胃に穴が空きそうですわ」
「そ、それは……だが、リリアンは俺に安らぎをくれたんだ! お前のような冷徹な事務処理機とは違う!」
リリアンが勝ち誇ったように、シリウスの腕に胸を押し付けた。
「そうですわ、ファルル様。シリウス様は、愛を求めていらっしゃるのです。書類の完璧さではなく、心の温もりを……!」
「どうぞどうぞ、存分に温め合ってくださいませ。その温もりが、明日の朝食時に『あれ、今日着る服の準備ができてないぞ?』という絶望に変わる瞬間を、私は心から楽しみにしておりますわ」
ファルルは優雅にカーテシーをした。
その顔には、今まで一度も見せたことのないような、晴れやかで美しい微笑みが浮かんでいる。
「これにて、私は『第一王子の婚約者』という役職を円満退社させていただきます。引き継ぎ資料は、後ほど殿下の机の上に(ダンボール三箱分)置いておきますので、自力で読み解いてくださいね」
「待て! ダンボール三箱分だと!? そんなの読めるわけがないだろう!」
「あら、リリアン様がいらっしゃるのでしょう? 『真実の愛』があれば、難しい行政用語や予算案の数字だって、甘いお菓子の名前にでも見えるのではありませんか?」
ファルルはくるりと背を向け、出口に向かって颯爽と歩き出した。
「おい! まだ話は終わっていない! ファルル!」
背後でシリウスが叫んでいるが、彼女の耳にはもう届かない。
会場の端で待機していた、公爵家の有能すぎる執事セバスが、素早く扉を開けた。
「お疲れ様でございました、お嬢様。お車のご用意はできております」
「セバス、最高にいい気分よ。明日の朝は、十時まで寝かせてちょうだい」
「承知いたしました。お嬢様のご快眠のために、王宮からの緊急連絡はすべて『迷子センター』に転送するよう手配済みでございます」
「ふふ、気が利くわね」
重厚な扉が閉まると同時に、背後の騒音は遮断された。
夜風を浴びながら、ファルルは大きく伸びをする。
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