婚約破棄、心より感謝申し上げます!

苺マカロン

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オリエント王国の大使館は、王都の一等地にありながら、そこだけ異界のような空気を放っていた。

「……趣味が悪いな」

シグルド様がポツリと漏らす。
エントランスは黒と赤を基調とした装飾で埋め尽くされ、壁にはなぜか動物の剥製(しかも猛獣ばかり)がズラリと並んでいる。

「ドS王子の城へようこそ、って感じですね」

私はため息をつきつつ、シグルド様の腕にしっかりとしがみついた。
今日のドレスは、シグルド様が用意した漆黒のベルベット。
「私の色だ」と言い張って着せられたが、明らかに「他の男に見せないため」の露出控えめなデザインだ。

ホールに入ると、すでに多くの招待客が集まっていた。
だが、その空気は重い。
皆、主催者であるラファエル王子の顔色を窺い、ヒソヒソと話している。

「ようこそ、愛しのアンズ。そして招かれざる客、シグルド殿」

ホールの最奥、一段高い場所に設けられた玉座から、甘い声が響いた。
ラファエル王子だ。
彼は深紅のワイングラスを片手に、妖艶な笑みを浮かべている。

そして、その足元には。

「……ひぃっ! た、助けてくれぇ……!」

四つん這いになり、王子の「足置き(オットマン)」にされている男がいた。
金髪。
情けない声。
間違いなく、我が国の王太子、クロード殿下である。

「クロード殿下!?」

私が声を上げると、ラファエル王子は楽しそうにクロード殿下の背中を靴底でグリグリと踏みつけた。

「ああ、気にしないでくれ。ちょうど良い高さの椅子がなくてね。彼が『アンズのためなら何でもする』と言うから、有効活用させてもらっているんだ」

「うぐっ……! ア、アンズ……見てくれ、この愛の証を……! 僕は君のために、プライドを捨てて……!」

「捨てすぎです。国の尊厳まで捨てないでください」

私は頭を抱えた。
隣国の王子の足置きにされる次期国王。
外交問題どころか、歴史の教科書に載るレベルの恥だ。

「ラファエル」

シグルド様の全身から、ドス黒い殺気が噴き出した。
周囲の招待客が「ヒッ」と悲鳴を上げて道を開ける。

「我が国の王太子を椅子にするとは……宣戦布告と受け取っていいのだな?」

「おや、怖い怖い」

ラファエル王子は悪びれもせず、クロード殿下の背中で足を組み替えた。

「これは『ゲーム』だよ、シグルド殿」

「ゲーム?」

「そう。今宵のパーティーの余興だ」

ラファエル王子は指を鳴らした。
すると、会場の左右から、黒い覆面をした屈強な衛兵たちが現れ、出口を封鎖した。

「ルールは簡単だ。私と『賭け』をしよう」

「断る、と言ったら?」

「この可愛い『椅子』がどうなるか分からないよ? 例えば、そのまま剥製にして私のコレクションに加えるとか」

「ひいぃぃぃ!! アンズぅぅぅ! 助けてぇぇぇ!!」

クロード殿下が泣き叫ぶ。
シグルド様は舌打ちをした。
人質(というか椅子質)を取られては、無下にもできない。

「……いいだろう。賭けの内容は?」

「単純さ。私が用意した『拷問……おっと、アトラクション』を、君たちがクリアできるかどうかだ」

ラファエル王子はニヤリと笑った。

「もしクリアできれば、この椅子は解放しよう。そして私は大人しく帰国する。だが、もしクリアできなければ……」

彼は熱っぽい瞳で私を見た。

「アンズ、君を頂く。私の国で、一生私の『お気に入り』として暮らしてもらうよ」

「ふざけるな」

シグルド様が吠えるより早く、私が口を開いた。

「受けます」

「アンズ!?」

シグルド様が驚いて私を見る。
私は彼の手をギュッと握り返した。

「大丈夫です。売られた喧嘩は買う主義ですから。それに……」

私はラファエル王子を睨み据えた。

「他人の尊厳を踏みにじって楽しむようなゲス野郎には、一発お見舞いしてやらないと気が済みません」

「ハハッ! いい目だ! ゾクゾクするねぇ!」

ラファエル王子は高笑いした。

「では、ゲーム開始だ! 第一の関門は……これだ!」

彼が合図を送ると、ホールの扉が開き、地響きのような足音が近づいてきた。
現れたのは、身長二メートルを超す巨漢たち。
オリエント王国の精鋭部隊『鉄の処刑人』と呼ばれる兵士たちだ。
全員が鋼のような筋肉を鎧の下に隠し持っている。

「我が国の最強格闘家たちだ。彼らと戦い、一分間立っていられたら合格としよう。ただし、君たちのようなひ弱な貴族に勝てるかな?」

ラファエル王子は勝ち誇った顔だ。
シグルド様がマントを脱ぎ捨て、前に出ようとした。

「私がやる」

「いいえ、シグルド様」

私は彼を止めた。
そして、ニヤリと笑った。

「ここは『専門家』に任せましょう」

「専門家?」

その時。
会場の空気を読まない、元気な声が響いた。

「きゃあああああ!! すごい!! 筋肉の博覧会ですか!?」

ピンク色のドレスを着た小柄な令嬢が、人混みをかき分けて最前列に飛び出してきた。
ミナ様だ。
彼女は招待されていないはずだが、いつの間にか紛れ込んでいたらしい。

「な、なんだあの女は?」

ラファエル王子が眉をひそめる。

ミナ様は、目の前に並ぶ巨漢たちを見て、目をハートにして身悶えていた。

「素晴らしい……! あの大腿四頭筋の張り! まるで丸太です! それにあちらの方の広背筋! 翼が生えているようですわ!」

「お、おい、娘。邪魔だ、下がれ」

巨漢の一人が威嚇するが、ミナ様には通じない。

「ねえ、触ってもいいですか? 硬さは? カットの深さは?」

ミナ様は巨漢に詰め寄り、その太い腕をペタペタと触り始めた。

「うわぁ……! カチカチです! どんなトレーニングを? やっぱり高重量低回数ですか? それとも加圧?」

「え、あ、いや……毎日の素振りだが……」

「素振りだけでこのトライセプス(上腕三頭筋)!? 才能ですね! 神に愛されてますね!」

ミナ様の熱量に、殺戮マシーンのような兵士たちがタジタジになっている。

「え、ええと……ありがとう?」

「ポージングをお願いしても!? 是非、モスト・マスキュラーを!」

「もすと……?」

「こうです! グッと力を込めて!」

「こ、こうか?」

「キャーーッ! キレてる! デカイ! 冷蔵庫!」

ミナ様が黄色い声援を送ると、兵士たちはまんざらでもない顔をし始めた。
普段は「処刑人」として恐れられている彼らにとって、純粋に筋肉を褒め称えてくれる美少女は、初めての存在だったのだ。

「隊長、俺も見てくれ!」
「俺の腹直筋はどうだ!」

「いいですねぇ! 板チョコみたいです!」

あっという間に、殺伐とした処刑タイムが、和やかなボディビル大会へと変わってしまった。

「な……なんなんだ、これは……」

ラファエル王子が玉座の上で呆然としている。
足元のクロード殿下も「ミナ……恐ろしい子……」と震えている。

私は扇子を開き、ラファエル王子に微笑みかけた。

「いかがですか、殿下。彼らはもう、戦意喪失しているようですが?」

「くっ……! わけのわからん女を使いおって!」

ラファエル王子は悔しげに歯ぎしりした。
第一関門、突破だ。

「いいだろう! だが次はそうはいかん! 第二の関門は『恐怖の晩餐』だ!」

王子が手を叩くと、ワゴンが運ばれてきた。
そこに乗っているのは、見るからに毒々しい色の料理……いや、ゲテモノ料理だ。
生きたまま動く触手のようなものや、得体の知れない臓器の煮込み。

「我が国の珍味だ。これを完食できれば認めてやろう。さあ、アンズ。君のその綺麗な口が、悲鳴を上げずにいられるかな?」

これは……。
私はワゴンを覗き込んだ。

(……これ、ただの海鮮料理じゃない?)

オリエント王国は海に面している。
これはタコやナマコの踊り食い的なものだろう。
内陸国のこの国では「ゲテモノ」に見えるかもしれないが。

「食べます」

私は即答した。

「なっ!? 正気か!?」

「いただきます」

私はフォークを手に取り、踊る触手をパクリと口に入れた。
コリコリとした食感。
新鮮な磯の香り。

「ん、美味しい。新鮮ですね、これ」

「はぁ!?」

ラファエル王子が目を剥いた。

「美味しいだと!? それは深海の魔物の足だぞ!?」

「タコですよね? 実家の領地が海沿いだったので、よく食べてました。……シグルド様もどうぞ。精がつきますよ?」

「……アンズが言うなら」

シグルド様も恐る恐る口にし、「……意外といけるな」と頷いた。
私たちはあっという間に完食した。

「ごちそうさまでした。デザートはありませんか?」

「ば、馬鹿な……。私の計算が……」

ラファエル王子のドSプランが音を立てて崩れていく。

「さあ、殿下。ゲームオーバーです」

私はナプキンで口を拭き、王子の前に立った。

「約束通り、クロード殿下を返していただきましょうか。そして、二度と私の前に現れないでください」

ラファエル王子は震えていた。
怒りではない。
その目は、異様な興奮に輝いていた。

「……素晴らしい」

王子はクロード殿下を蹴り飛ばして立ち上がり、私の手を取った。

「筋肉女に怯まない度胸。ゲテモノを食らう野性味。……やはり君は最高だ! ますます欲しくなったよ!」

「は?」

「決めた! 君を私の『正妃』にする! ペットなどという半端な扱いではない、この国の国交ごと君を奪ってみせる!」

話が斜め上に飛躍した。
この人、逆境に燃えるタイプか。

「調子に乗るなよ、変態王子」

シグルド様が私の腰を引き寄せ、ラファエル王子を睨みつけた。

「アンズは渡さん。国交? 上等だ。お前の国が干上がるまで経済制裁をしてやろうか」

「ハハッ! 受けて立とう! 愛の戦争だ!」

会場はカオスだった。
筋肉ポーズを決める兵士たち。
足蹴にされて転がっているクロード殿下。
そして、私を挟んで火花を散らす二人の権力者。

「……帰りたい」

私の切実な願いは、誰にも届かなかった。

その時だった。
会場の入り口が、ドカン!! と爆発音と共に吹き飛んだ。

「お兄様ーーーーッ!!」

土煙の中から現れたのは、巨大な鉄球を引きずった赤髪の美少女。
シャルロット王女だ。
背中には、リュックサックに入ったコーギーのアレクサンダーを背負っている。

「シャ、シャルロット!? なぜここに!?」

ラファエル王子が初めて焦りの色を見せた。

「何やってんのよ、この変態兄貴! パパ(国王)が『ラファエルがまた悪い病気を出してないか連れ戻せ』ってカンカンだったわよ!」

「うっ……父上が?」

「強制送還よ! さあ、帰るわよ!」

シャルロット王女は鉄球をブン回し、ラファエル王子の襟首を掴んだ。

「離せシャルロット! 私は今、運命の愛を……!」

「うるさい! アンズは私の友達(犬の恩人)なの! 手を出したら私がぶっ飛ばすわよ!」

王女は私に向かってニカッと笑った。

「ごめんねアンズ! このバカ兄貴は私が処分しとくから! またアレクサンダーと遊んでやってね!」

「あ、はい。ありがとうございます……」

嵐のような兄妹喧嘩の末、ラファエル王子は妹に引きずられて退場していった。

「アンズぅぅぅ! 必ず迎えに来るからなぁぁぁ!」

王子の叫び声が消えていく。

残されたのは、静まり返った会場と、
「あ、あの……俺たちのポージング指導は?」と戸惑う兵士たち。
そして、床で白目を剥いているクロード殿下だけだった。

「……終わったな」

シグルド様が深く息を吐いた。

「本当に、台風のような一家だ」

「ですね。……でも、助かりました」

私はシグルド様を見上げた。

「守ってくれて、ありがとうございました」

「……結局、妹君に持っていかれたがな」

シグルド様は苦笑し、私の頭をポンと撫でた。

「だが、約束は守ったぞ。お前は無傷だ」

「ええ。最高のパートナーです」

私たちは顔を見合わせて笑った。

足元でクロード殿下が「僕も……僕も頑張ったよ……」と呻いていたが、それは見なかったことにした。

こうして、隣国との外交トラブル(?)は、妹王女の鉄拳制裁によって幕を閉じた。
だが、これで全てが終わったわけではない。
クロード殿下の廃嫡危機、そして私たちの関係の決着。
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