婚約破棄、心より感謝申し上げます!

八雲

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「おはようございます、師匠(マスター)!!」

爽やかな朝の光と共に、私の相談所のドアが開かれた。

入ってきたのは、パリッとした執事服(なぜ?)に身を包んだ、クロード殿下だった。

以前のような派手な装飾品はない。
髪は清潔感あふれる短髪に整えられ、背筋はピンと伸びている。
そして何より、その瞳は狂気じみた……いや、純粋すぎる尊敬の念で輝いていた。

「……おはようございます、殿下。その『師匠』というのはやめていただけますか?」

私が引きつった笑顔で返すと、殿下はキリッと敬礼した。

「いいえ! 貴女は僕の腐った性根を叩き直し、王としての道を切り拓いてくれた恩人です! 一生ついていきます、師匠!」

「帰りなさい」

「そう仰らずに! 本日の公務は早朝四時に起きて全て終わらせてきました! これより夕刻まで、貴女の業務の補佐をさせていただきます!」

殿下は言うやいなや、雑巾を取り出し、猛烈なスピードで床を拭き始めた。

シュッシュッシュッ!

その動きには無駄がない。
私のスパルタ教育の成果だ。
素晴らしい。
素晴らしいが……。

「……鬱陶しいな」

窓際の定位置で新聞を読んでいたシグルド様が、露骨に嫌な顔をした。

「クロード。お前、いつまでここに通う気だ? 廃嫡の危機は去っただろう」

「兄上! いえ、監査役殿!」

クロード殿下は手を止めず、爽やかに答えた。

「危機が去ったからこそ、恩返しが必要なのです! 僕は誓いました。この命ある限り、アンズ師匠と兄上に尽くすと!」

「頼むから国に尽くしてくれ」

「国務は完璧です! 昨日の決裁書類、三百件を二時間で処理しました!」

「……チッ。無駄に有能になりおって」

シグルド様が舌打ちした。

そうなのだ。
私たちの教育は、成功しすぎてしまった。

あのおバカ王子は、「超・真面目な仕事人間」へと進化を遂げた。
それだけなら良いのだが、副作用として「アンズへの崇拝」という新たなバグが発生してしまったのである。

「師匠! 床磨き完了しました! 次は窓ガラスを鏡のように磨き上げます!」

「あ、はい。ほどほどにね……」

「了解です! 命を燃やして磨きます!」

殿下は窓に向かって突撃していった。
その背中には、以前のような「僕を見て!」という自己顕示欲はない。
あるのは「役に立ちたい!」という、重すぎる善意だけだ。

(……やりにくい)

私はため息をついた。
以前のナルシスト王子なら「うるさい、帰れ」と扇子で叩けた。
だが、今の彼は労働力として優秀すぎる上に、純粋な善意で動いている。
無下にするには、良心が痛むのだ。

「……アンズ」

シグルド様が私を手招きした。

「はい?」

「あいつをどうにかしろ。私の視界でチョロチョロされると気が散る」

「どうにかしろと言われましても。物理攻撃(ハリセン)が効かないんですよ、今の彼は。『ありがとうございます! 気合が入りました!』とか言って喜ぶんです」

「……ドMになったのか?」

「ポジティブの方向性が変わっただけです」

私たちがひそひそ話していると、窓磨きを終えた殿下が、一枚の紙を持って近づいてきた。

「師匠! 兄上! お二人に、感謝状をしたためて参りました!」

「感謝状?」

「はい! 僕の溢れる思いを、五千文字に凝縮しました!」

殿下は巻物を広げ、朗読を始めた。

「『拝啓、春暖の候。かつて愚かであった私を、愛の鞭で導いてくださったアンズ師匠へ。貴女の罵倒は、まるで天使のラッパのように僕の心に響き……』」

「ストップ。気持ち悪いです」

「『……特に、あの日言われた「ゴミを見るような目」は、僕の魂を浄化し……』」

「もっと気持ち悪いです!」

私は頭を抱えた。
これは感謝状ではない。
新たな形の精神攻撃だ。

「クロード」

シグルド様が耐えかねて立ち上がった。

「その紙を今すぐ食べろ。さもなくば燃やす」

「兄上! 照れ隠しですね! 分かります、僕たちの兄弟愛も深まりましたね!」

「……殺すか」

シグルド様が剣に手をかけた時、カランカランとドアベルが鳴った。

「こんにちはー! マッスル!」

ミナ様だ。
彼女は今日も元気いっぱい、ダンベル片手に来店した。
しかし、店内の異様な光景(掃除する王子、殺気立つ公爵、死んだ目の私)を見て、動きを止めた。

「……え、何この状況」

「あ、ミナ!」

クロード殿下が反応した。
以前なら「愛しのミナ!」と抱きついていたところだが、新生クロードは違った。

彼は姿勢を正し、深々と頭を下げたのだ。

「ミナ嬢。先日は大変失礼しました」

「えっ?」

「君の『筋肉への愛』を理解できず、自分の価値観を押し付けてしまった。深く反省している」

「は、はあ……」

「君の幸せを、心より願っている。もし君が良いパートナー(マッチョ)を見つけたら、僕が全力で仲人をしよう」

「……殿下?」

ミナ様がポカンとしている。
クロード殿下は、憑き物が落ちたような穏やかな笑顔を見せた。

「僕はもう、君を束縛しない。君は君の好きな道を歩んでくれ。……筋肉と共に」

「……殿下ぁぁぁ!!」

ミナ様が感動して叫んだ。

「素晴らしいです! 成長されましたね! その潔さ、まるで極限まで絞り込んだ肉体のようです!」

「ありがとう。君にそう言ってもらえるよう、僕も心の筋トレを続けたんだ」

「心の筋トレ! 名言です!」

二人はガッチリと握手を交わした。
和解だ。
感動的な光景だが、会話の内容がおかしい。

「……なんだ、この茶番は」

シグルド様が呆れ果てている。

「まあ、いいじゃないですか。これでミナ様へのストーカー被害はなくなりましたし」

「代わりにお前へのストーカー被害が悪化しているがな」

「うっ……」

痛いところを突かれた。
クロード殿下はミナ様との握手を終えると、再び私に向き直った。

「というわけで、師匠! 僕は恋愛という俗な欲を捨て、これからは『アンズ師匠の忠実な下僕』として生きることにしました!」

「いや、捨てないでください。王太子なんですから結婚して跡継ぎ作ってください」

「いいえ! 僕の心を満たすのは、師匠への奉仕のみ! さあ、次はどこの掃除をしましょうか! トイレですか! 排水溝ですか!」

殿下の目がキラキラしすぎていて怖い。
このままでは、私の店が「王太子出張所」になってしまう。

私は助けを求めてシグルド様を見た。
彼はやれやれとため息をつき、私の腰に手を回した。

「……おい、下僕」

「はい! 何でしょう兄上!」

「その師匠は、私のものだ」

「はい?」

シグルド様は私を強く引き寄せ、見せつけるように言った。

「掃除も、補佐も、奉仕も必要ない。アンズの世話をするのは私の特権だ。お前の出る幕はない」

「えっ……でも、兄上は公爵で、お忙しいのでは……」

「忙しくても作るのが時間だ。それに」

シグルド様はニヤリと笑った。

「アンズは、出来すぎた優等生よりも、少し手のかかる『悪友』の方を好む」

「……シグルド様?」

「お前のように『はい!』と従うだけの男では、彼女の知的好奇心は満たせんよ。彼女は、私と口喧嘩をしている時が一番楽しそうだからな」

私は顔が熱くなるのを感じた。
悔しいけれど、図星だ。
この男、私の扱いを完全にマスターしている。

クロード殿下は、私とシグルド様を交互に見た。
そして、ハッと息を呑んだ。

「……なるほど! そういうことでしたか!」

殿下はポンと手を打った。

「僕はまたしても勘違いをしていました! 師匠に必要なのは『下僕』ではなく『対等なパートナー』……つまり兄上だったのですね!」

「理解が早くて助かる」

「くっ……! さすが兄上! 僕が目指すべき高みは、そこにあったのか!」

殿下は感涙し、ハンカチで目頭を押さえた。

「分かりました。二人の愛の巣を邪魔するほど、僕は野暮ではありません。……師匠、卒業させていただきます!」

「えっ、卒業? もう?」

「はい! 師匠の教えを胸に、僕は立派な国王になります! そしていつか、兄上を超える『いい男』になって、また会いに来ます!」

殿下は爽やかに敬礼し、くるりと踵を返した。

「行くぞ、ミナ嬢! 君も筋肉探しの旅に出るのだろう? 途中まで送ろう!」

「はい! ありがとうございます殿下! ……あ、プロテイン飲みます?」

「いただこう!」

嵐のように、二人は去っていった。
店内に、ようやく静寂が戻る。

「……行っちゃいましたね」

「ああ。やっと静かになった」

シグルド様はふぅっと息を吐き、ソファに座り直した。

「……しかし、最後のアレは余計でしたよ」

私は彼を睨んだ。

「『私のもの』とか、『世話をするのは私の特権』とか」

「事実だろう?」

シグルド様は悪びれもせず、紅茶を一口飲んだ。

「それとも、あんな暑苦しい下僕に一生付きまとわれたかったか?」

「……それは御免です」

「ならば礼を言え」

「……ありがとうございます」

私が不貞腐れて礼を言うと、シグルド様は楽しそうに笑った。

「いい子だ。……さて、邪魔者も消えたことだし」

彼は新しい書類の束を取り出した。

「仕事の話をしようか」

「仕事?」

「ああ。クロードが持ってきた王宮の依頼だ。……『隣国の王太子夫妻の結婚式への招待』についてだが」

「へ?」

隣国。
オリエント王国。
あのラファエル王子とシャルロット王女の国だ。

「まさか、行くんですか?」

「先方の指名だ。『アンズとシグルドを主賓として招く。来なければミサイルを撃ち込む』とシャルロット王女からの手紙にある」

「……あの国、外交の手段が物騒すぎませんか?」

「拒否権はないようだ。それに、ラファエルからも『君との決着をつけたい』と伝言がきている」

シグルド様の目が、鋭く光った。

「アンズ。ハネムーンの予行演習だと思って、付き合ってくれるか?」

「……ハネムーン?」

「嫌か?」

「……経費で落ちるなら、考えてあげます」

「全額、私の奢りだ」

「なら、行きます」

私たちは顔を見合わせて笑った。

かつて「悪役令嬢」と呼ばれた私。
そして「氷の公爵」と呼ばれた彼。
二人の冒険は、まだ終わらない。
いや、これからが本番なのかもしれない。

最高のパートナーと共に、次なる修羅場へ。
私の「観察ライフ」は、まだまだ続きそうだ。
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