婚約破棄、心より感謝申し上げます!

苺マカロン

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「……快適ですね」

私はデッキチェアに寝そべり、トロピカルジュース(飾り傘付き)を啜った。

目の前には広がる青い海。
頬を撫でる潮風。
そして、私たちが乗っているのは、オリエント王国が誇る超豪華客船『クイーン・シャルロット号』のスイート専用デッキだ。

「経費で落ちるバカンス、最高です」

「任務だと言ったはずだが」

隣のチェアで優雅に読書をしていたシグルド様が、呆れたようにページをめくった。

「お前、緊張感というものがないのか? これから向かうのは、あの『ドS王子』と『核弾頭王女』が支配する魔窟だぞ」

「あら、魔窟だろうが地獄だろうが、最高級のベッドと食事があるなら天国です」

私はサングラスをずらして、シグルド様を見た。

「それに、私には最強の用心棒(あなた)がついていますから」

「……ふん。調子のいいことだ」

シグルド様は口元を緩め、本を閉じた。

「だが、忘れるなよ。今回の表向きの名目は『王太子夫妻の結婚式への参列』だが、裏の目的は『両国の親善』だ」

「親善?」

「ああ。ラファエル王子が『アンズを連れてくれば、関税を撤廃してやる』と言い出したらしい」

「私、いつの間にか貿易摩擦の解消アイテムになってません?」

「その通りだ。だからこそ、私とお前は『仲睦まじい公認カップル』として振る舞わなければならん。ラファエルに隙を見せないためにな」

シグルド様は立ち上がり、私のチェアの縁に手をついた。
顔が近づく。
周囲の乗客(主に貴族の奥様方)が「キャーッ!」と黄色い声を上げるのが聞こえる。

「……というわけで、練習だ」

「練習?」

「『あーん』だ」

シグルド様は、テーブルの上のフルーツ盛り合わせから、フォークでカットパインを刺して差し出した。

「はい、アンズ。口を開けて」

「……公爵様。ここ、衆人環視のデッキですよ?」

「だからやるんだ。見せつけろ。ほら、あーん」

拒否権はないようだ。
私は観念して口を開けた。
甘酸っぱいパインが口に広がる。

「……美味しい?」

シグルド様が、とろけるような甘い声(演技力高すぎ)で聞いてくる。

「……はい、あなた(ハート)」

私も負けじと、女優魂を発揮して猫なで声で返した。

「ふっ、いい表情だ。合格点をやろう」

「後で特別手当を請求しますからね」

私たちがバカップルの茶番を繰り広げている間に、船はオリエント王国の港へと近づいていった。

◇ ◇ ◇

オリエント王国、王都港。

船を降りた瞬間、私はその熱気に圧倒された。
我が国とは違う、エキゾチックな香辛料の匂いと、極彩色の建物。
そして何より、出迎えの規模が異常だった。

ドオォォォン!!

「ひゃっ!?」

空砲が鳴り響き、紙吹雪が舞う。
港にはレッドカーペットが敷き詰められ、その先には武装した兵士たちが整列していた。

「アンズーーーーッ!!」

猛獣の咆哮のような声と共に、赤い影が突っ込んできた。

「ぐふっ!?」

タックルを受け止めきれず、私はシグルド様の胸に倒れ込んだ。
私に抱きついているのは、シャルロット王女だ。

「待ってたわよアンズ! よく来たわね! 寂しかったわあああ!」

「お、王女殿下……苦しいです……背骨が……」

「わんっ!」

足元にはアレクサンダー(元ハニーちゃん)もいて、私の靴をガジガジと噛んでいる。

「シャルロット。客人が窒息死するぞ」

シグルド様が冷ややかに指摘すると、王女はようやく私を解放した。

「ごめんごめん! 嬉しくてつい力加減が! さあ、歓迎するわ! ここが私の国よ!」

「お招きいただき光栄です……が、随分と派手なお出迎えですね」

「当然よ! 私の『マブダチ』だもの! パパ(国王)にも紹介するから覚悟してね!」

マブダチ。
王族の語彙ではない。

「やあ、アンズ。待ちかねたよ」

王女の後ろから、ねっとりとした声がした。
ラファエル王子だ。
今日も今日とて、無駄に煌びやかな衣装を着ている。

「よく来てくれたね。シグルド殿も、ご苦労」

「招かれたから来たまでだ。……ラファエル、その嫌らしい視線をアンズに向けるな」

シグルド様が私を背後に隠す。

「ハハッ、相変わらずガードが堅い。だが、我が国に入った以上、ルールは私が決める」

ラファエル王子は指を鳴らした。

「君たちの宿舎だが、大使館ではなく、王宮の特別棟を用意した」

「王宮? それはまた豪勢だな」

「ただし!」

ラファエル王子はニヤリと笑った。

「部屋は『一室』しか用意していない」

「……は?」

私とシグルド様の声が重なった。

「一室? 私たちはまだ結婚していないが?」

「『新婚旅行』なんだろう? なら同室が当然だ。それに、我が国の王宮は今、結婚式の来賓で満室でね。どうしても部屋が空けられなかったんだ」

嘘だ。
絶対に嘘だ。
あの巨大な王宮に部屋がないわけがない。

「それに、その部屋は『愛の試練の間』と呼ばれていてね」

ラファエル王子は楽しそうに続けた。

「夜になると、部屋の鍵が内側からも外側からも開かなくなる。二人の『愛の波長』が合致しない限り、朝まで出られないという、ロマンチックな呪いがかかっているんだ」

「ただの監禁部屋じゃないですか!」

私がツッコミを入れると、ラファエル王子はウインクした。

「もしその部屋が嫌なら、私の寝室に来てもいいんだよ、アンズ?」

「喜んで『愛の試練の間』を使わせていただきます」

私は即答した。
変態王子の寝室よりは、シグルド様との同室の方が一億倍マシだ。

「ふふ、そう言うと思ったよ。……では、存分に楽しんでくれ。今夜は長いぞ?」

ラファエル王子の含み笑いに、背筋が寒くなった。

◇ ◇ ◇

王宮の特別棟、最上階。

案内された部屋は、無駄に広かった。
天蓋付きのキングサイズベッド(ハート型)。
ガラス張りのバスルーム(なぜ透けてる?)。
そして、部屋の中央にはなぜか「二人乗りブランコ」が設置されている。

「……悪趣味ですね」

「同感だ」

シグルド様も顔をしかめている。

「これが『愛の試練の間』か。ラファエルの奴、我々を試すつもりか、それとも単に嫌がらせか」

「両方でしょうね」

私は荷物を置き、ベッドの弾力を確かめた。

「まあ、ベッドが広いのは助かります。真ん中に枕で壁を作れば、何とか……」

カチャリ。

重い音がした。
ドアの方を見ると、鍵穴が勝手に回転し、施錠されていた。

「……始まったな」

シグルド様がドアノブを回すが、ビクともしない。

「物理的に破壊するか?」

「やめてください。外交問題になります」

私はため息をつき、ソファに座り込んだ。

「仕方ありません。朝まで耐久戦ですね。シグルド様、トランプでもします?」

「いや」

シグルド様は上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた。
その姿が妙に色っぽくて、私は思わず視線を逸らした。

「アンズ。一つ確認しておきたいことがある」

「な、なんですか?」

彼は私の前のローテーブルに手をつき、覗き込むように言った。

「この部屋には、おそらく『監視魔法』か『盗聴』が仕掛けられている」

「っ!?」

「ラファエルのことだ。我々が本当に『恋人』なのか、それとも『ビジネスパートナー』なのか、見極めようとしているはずだ」

なるほど。
もし私たちが、枕で壁を作って背中合わせに寝たりしたら、「なんだ、偽物じゃないか」とバレてしまう。
そうなれば、関税撤廃の話も、私の身の安全も危うくなる。

「つまり……?」

「演じる必要があるということだ」

シグルド様は、私の耳元に唇を寄せた。

「『熱烈に愛し合う恋人同士』をな」

彼の吐息が耳にかかり、全身が粟立った。

「え、えん、演じるって……どこまで?」

「さあな。ラファエルが満足して、盗聴を切るまでか? それとも……」

彼は悪戯っぽく笑った。

「お前が本気になるまでか」

「公爵様!!」

私が真っ赤になって抗議しようとした瞬間、部屋の照明がフッと落ち、ピンク色のムーディーなライトだけになった。

『さあ、ショータイムの始まりだよ、お二人さん』

天井のスピーカーから、ラファエル王子の楽しげな声が聞こえてきた。

「……最悪だ」

「……同感だ」

密室。
怪しい照明。
監視の目。
そして、目の前には国一番の色男。

私の貞操と理性が試される、オリエント王国の夜が始まった。
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