婚約破棄、心より感謝申し上げます!

苺マカロン

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王宮の最奥、国王執務室。

国の最高権力者である国王陛下が、眉間を押さえて深い深いため息をついた。

「……シグルドよ」

「はい、父上」

「そして、アンズ嬢よ」

「はい、陛下」

「……なんだ、これは」

陛下が震える指でつまみ上げたのは、私たちが提出した一枚の羊皮紙だった。

タイトルは『婚姻に関する特別合意契約書』。

「結婚の許可を求めに来たと思ったら、なぜこのような……ふざけた書類が出てくるのだ?」

「ふざけておりません。私たちの結婚生活における、譲れない条件を明文化したものです」

私はキッパリと言い放った。

隣に立つシグルド様も、涼しい顔で頷く。

「父上。我々は合理的な夫婦を目指しております。後々のトラブルを防ぐためにも、契約は必須です」

「……中身が合理的とは程遠い気がするのだが」

陛下は眼鏡の位置を直し、契約書の条文を読み上げ始めた。

「第一条。『妻アンズは、王太子妃(将来の王妃)となった後も、下町における相談所「バーミリオン」の経営を継続する権利を有する』……」

陛下が顔を上げた。

「本気か? 王妃が下町で夫婦喧嘩の仲裁をするなど、前代未聞だぞ」

「ですが陛下。民の声を直接聞くことは、王族の務めではありませんか?」

私は屁理屈……いえ、正論を展開した。

「私が下町で集めた情報は、シグルド様の監査業務にも役立っております。これを辞めることは、国家的損失です」

「……うむ、まあ、それは一理あるかもしれんが……」

「それに、ストレス発散の場がないと、私が城を爆破する恐れがあります」

「脅迫か!?」

陛下がビクッとする。

「許可しましょう、父上」

シグルド様が援護射撃をする。

「私も、王宮の執務室よりあの店の方が仕事が捗ります。週の半分はあそこで執務を行う予定です」

「お前もか! 王宮にいろ!」

陛下は頭を抱えた。

「次だ。第二条。『面倒な夜会、舞踏会、および意味のないお茶会の出席は、原則としてクロード・フォン・エルグランド殿下に委任する』」

「……おい、クロード」

陛下が部屋の隅に控えていた次男に視線を向けた。

そこには、大量の書類を抱えて直立不動で待機している、新生クロード殿下の姿があった。

「はい! 喜んでお引き受けいたします!」

クロード殿下が爽やかに叫んだ。

「兄上と師匠(アンズ)の愛の時間を守るためなら、僕は喜んでピエロになりましょう! パーティーの主役は任せてください!」

「……お前、本当に変わったな」

陛下が引いている。

「第三条。『おやつは一日二回、王都で一番人気のパティスリーのケーキを用意すること』。……これはなんだ。子供の小遣い帳か?」

「重要です」

私は真顔で答えた。

「糖分が不足すると、私の思考回路は停止し、シグルド様への当たりが強くなります。夫婦円満の秘訣です」

「その通りです父上。アンズの機嫌を損ねることは、国家の危機に直結します」

「大袈裟な……」

陛下はため息をつきながら、さらに読み進める。

「ここまでは、まあ百歩譲ってアンズ嬢の希望だとして……問題は後半だ。シグルド、これはお前が書いたのか?」

「はい」

シグルド様が胸を張った。

「第四条。『妻アンズは、夫シグルドの半径五メートル以内から離れてはならない。ただし、トイレと入浴時は除く』」

「……」

「第五条。『妻アンズは、他の男(クロード含む)と会話する際、三分以上笑顔を見せてはならない』」

「……」

「第六条。『毎朝の「行ってらっしゃいのキス」と、就寝時の「おやすみのキス」は義務とする。忘れた場合は罰金(または現物支給)』」

陛下は羊皮紙を机に叩きつけた。

「バッカモーーーーン!!」

雷が落ちた。

「ここは神聖な執務室だ! ノロケるなら家でやれ! なんだこの粘着質な条文は! お前は思春期の恋する少年か!」

「愛する妻への正当な権利主張です」

シグルド様は全く動じない。

「私は独占欲が強いと申し上げたはずです。これでも妥協して減らしたのです」

「減らしてこれか! 『半径五メートル』とか、物理的に無理だろう!」

「ならば鎖で繋ぎますか?」

「やめろ! 逮捕されるぞ!」

陛下はぜぇぜぇと息を切らし、水差しから水を煽った。

「……はぁ、はぁ。もういい。頭が痛くなってきた」

陛下は疲労困憊の様子で、羽根ペンを手に取った。

「好きにしろ。ただし、公務に支障をきたしたら即刻破棄するぞ」

「ありがとうございます、陛下!」

「感謝する、父上」

陛下はサラサラと署名し、王印を押した。

これで、私たちの『変則的結婚』は公的に認められたのだ。

「……アンズよ」

最後に、陛下が私を呼び止めた。

「は、はい」

「シグルドは……見ての通り、優秀だが少々ズレている。そしてクロードは、あの通りの極端な性格だ」

陛下は苦笑交じりに、二人の息子を見た。

「この厄介な兄弟を扱えるのは、世界でお前しかおらん。……頼んだぞ、次期王妃」

その言葉には、王としての威厳と、父としての不器用な愛情が込められていた。

私は背筋を伸ばし、深くカーテシーをした。

「謹んで、お引き受けいたします。……返品は不可となっておりますので、ご了承くださいませ」

「ふっ、違約金が高そうだからな」

陛下が笑い、その場は和やかな空気に包まれた。

◇ ◇ ◇

数日後。
相談所『バーミリオン』にて。

「……というわけで、無事に契約成立だ」

シグルド様が、額縁に入れた契約書の写しを、店の壁(一番目立つところ)に飾った。

「なんで飾るんですか。恥ずかしい」

「魔除けだ。これを見れば、言い寄ってくる男も逃げ出すだろう」

確かに、『半径五メートル以内』とか書かれた契約書を見たら、普通の男はドン引きして近寄らないだろう。
効果は抜群だ。

「さて、契約も済んだことだし」

シグルド様は私の方を向き、ニヤリと笑った。

「第六条の履行をお願いしようか」

「第六条? ……あ」

『行ってらっしゃいのキス』だ。

「これから私は王宮へ監査に行く。アンズは店番だ。……ほら」

シグルド様は顔を近づけ、頬をトントンと指差した。
待っている。
完全に待っている。

「……ここ、お店ですよ? 外から見えますよ?」

「契約書に場所の指定はない」

「うう……」

私は観念して、背伸びをした。
そして、彼の頬にチュッと軽く触れた。

「……行ってらっしゃいませ、旦那様」

顔から火が出るほど恥ずかしい。
だが、シグルド様は満足げに目を細めた。

「行ってくる。……夕食までには戻る」

彼は上機嫌で店を出て行った。
その背中からは、隠しきれないハートマークが飛んでいるように見えた。

「……はぁ」

私はカウンターに突っ伏した。

「とんでもない契約を結んじゃったかもしれない」

カランカラン。

入れ替わりで、ミナ様が入ってきた。
手には、お揃いの作業着を着たマッチョな彼氏(最近できたらしい、ガレス団長の部下)を連れている。

「こんにちは、アンズ様! 聞きましたよ、ご成婚おめでとうございます!」

「ありがとう、ミナ様」

「契約書も見ました! 第六条、素敵ですね! 私たちも真似して『筋肉契約書』を作ったんです!」

「筋肉契約書?」

「はい! 『プロテインは一日三回』とか『お互いの筋肉を毎日褒め合う』とか!」

「……お幸せにね」

どうやら、この国には「変な契約書」を作るカップルが増えそうだ。

私は窓の外を見た。
青い空。
賑やかな下町。
そして、愛すべき変人たち。

私の「悪役令嬢」としての人生は終わり、これからは「最強に自由な王太子妃」としての新しい物語が始まる。

契約期間は……永遠。
違約金は……愛、ということで。
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