泥まみれ悪役令嬢、隠居先で帝国を築く?

ハチワレ

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「……計算が合わないな。この土壌の粘度と傾斜、そしてシャーミーの鍬を振るうスイングの軌道を考慮すれば、あと三度、角度を深く入れるべきだ。そうすれば、一回あたりのエネルギー消費を八パーセント削減しつつ、耕作面積を十二パーセント拡大できる」

別荘の庭、もといシャーミー農場の一角で、異様な光景が繰り広げられていた。
ボロボロの作業着を纏ったカイルが、折れた眼鏡を紐で無理やり固定し、地面に複雑な数式を書き殴っていた。

「ねえ、セバス。あの人、何をしてるのかしら。私は草をむしれって言ったはずなんだけど、あいつ、さっきから草の分布を統計学的に分析してるだけに見えるわよ」

シャーミーは泥だらけの手で腰を支え、呆れたようにカイルを指差した。

「お嬢様、あれが『エリートの草むしり』でございます。カイル様は、まず根の張り方のパターンを分類し、最も効率的に根絶やしにする順序を構築されているのです」

「……ただ抜けばいいじゃない。力いっぱい、フンッて」

「それでは筋肉の無駄遣いです、シャーミー。君のやり方は原始的すぎる」

カイルが顔を上げ、冷徹な視線をこちらに向けた。
彼はいつの間にか手にした小さな鎌を、プロの暗殺者のような手つきで構える。

「いいか、よく見ていろ。この一点を、この角度で……こうだ」

カイルがスッと腕を動かすと、密集していた雑草たちが、まるで吸い込まれるように一気に土から離れた。
その動作に一切の無駄はなく、抜かれた後の土壌は完璧な平らさを保っている。

「……なっ。何よその動き、気持ち悪いわね! 草むしりにそんなスペクタクル求めてないわよ!」

「黙って見ていろ。これが『視察』の真髄だ。私は君の生活を監視すると同時に、この農場の生産性を極限まで高める義務がある」

カイルは再び無表情で作業に戻った。
そのスピードは、レオとシャーミーが二人でかかるよりも速い。
レオは横で「宰相様、マジですげえ……」と目を輝かせて拍手している。

「……視察っていうか、ただのストーキングじゃない。私の作業効率をいちいちメモして、ニヤニヤして。あいつ、私が失敗して転ぶ瞬間を狙ってペンを走らせてるわよ」

「お嬢様、それは愛……いえ、友情ゆえの熱心な観察かと」

セバスの言葉に、シャーミーは「絶対に違うわ」と断言した。
実際、カイルは隙あらばシャーミーの「元令嬢とは思えないガサツな言動」を帳簿に記録し、『後で王家に報告する(という脅し)』として楽しんでいる節があった。

「でも、おかげで仕事が進むのは確かね。……あ、白ちゃん! そこ、カイルが計算した場所だから、変に動かさないでね!」

シャーミーが何もない空間に注意を飛ばすと、カイルの手がぴたりと止まった。
彼はゆっくりと顔を上げ、シャーミーが「白ちゃん」と呼ぶ方向を見つめる。

「……シャーミー。以前から気になっていたが、君は本気でそこに『何か』がいると思っているのか?」

「思ってるんじゃなくて、いるのよ。ほら、そこに透き通ったおじいちゃんが。今はカイルが抜いた草を、綺麗に一箇所にまとめてくれてるわ」

カイルは数秒間、虚空を見つめていた。
すると、確かにカイルの目の前で、抜かれたばかりの草がひとりでに宙に浮き、近くのカゴの中へ整然と収まった。

「……ふむ。気象条件による突風……ではないな。重力異常、あるいは未知の魔力残滓か」

「ただの幽霊よ。理屈っぽいわね、この眼鏡は。ほら、白ちゃんが挨拶してるわよ。『宰相さんの手際の良さに感動しました』って」

カイルは一瞬、眉を寄せたが、すぐにまた冷徹な表情に戻った。

「……幽霊だろうが何だろうが、労働力として機能するなら問題ない。おい、幽霊。次の区画の石灰を撒くタイミングを、私の指の合図に合わせろ。無駄な散布はコストの損失だ」

「ちょっと、幽霊にまで効率を求めるなんて、ブラック上司もいいところだわ!」

シャーミーが抗議するが、白ちゃん(幽霊)はなぜか楽しそうにカイルの指揮に従い始めた。
エリート宰相と幽霊の、異様な連携作業。
それは、ある意味でシャーミーの「悪役令嬢」としての迫力を上回る、奇妙な威圧感を放っていた。

夕暮れ時。
一日で驚異的な面積を耕し終えた一行は、縁側に座って休憩をとっていた。
カイルは泥にまみれた作業着のまま、シャーミーが淹れた(少し苦い)茶を口にする。

「……カイル。あなた、本当に王宮に戻らなくていいの? あっち、今頃パニックでしょうに」

「あんな場所に、誰が戻るか。……ポエムの韻を踏むのを手伝えと言われる生活よりは、幽霊と石灰を撒いている方が、よほど健康的で知性的だ」

カイルが眼鏡の奥の瞳を少しだけ和らげ、沈みゆく夕日を見つめた。

「それに、ここは『視察』し甲斐がある。……シャーミー、お前が本当にここでどう生きていくのか、最後まで見届けさせてもらうぞ」

「……ふん。せいぜい特等席で見てなさい。私のジャガイモが王都の市場を独占する日に、後悔しても遅いんだからね!」

シャーミーは強気に言い返したが、その表情はどこか満足げだった。
かつては「敵」ばかりだと思っていた世界に、少しずつ、自分を認め、共に泥にまみれてくれる「仲間」が増えていく。

……もっとも、その中の一人は、重度の理屈屋で、もう一人は透き通った幽霊なのだが。

「よし! 明日は村長を呼んで、本格的な流通の相談よ! カイル、あなたのその無駄に回る口、交渉で使いなさいよね!」

「……代償は、明日の朝食の芋を二個に増やすことだ」

「安いもんよ! 働け、宰相!」

シャーミーの高笑いが、静かな田舎の夜に溶けていった。
彼女の「自由への計画」は、カイルという強力な(そして面倒な)エンジンを積み、さらに加速し始めていた。
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