婚約破棄!悪役令嬢は手切れ金で優雅に高飛びさせていただきますわ!

苺マカロン

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王都を立ち、数日が経過した。

私たちを乗せた馬車は、懐かしい北の景色の中を走っていた。

車窓から見えるのは、見渡す限りの雪原と、針葉樹の森。

王都の華やかさとは対極にある、厳しくも美しい白銀の世界だ。

「……戻ってきましたわね」

私は膝上の帳簿(王都での稼ぎをまとめた最終決算書)を閉じ、大きく息を吐いた。

「ああ。やはり俺には、この冷たい空気が合っている」

向かいに座るギルバート様も、リラックスした表情で軍服の襟を緩めている。

王都での彼は、常に「猫を被って(王弟としての威厳を保って)」いたから、相当肩が凝ったに違いない。

「お疲れ様でした、閣下。今回の王都出張、利益率は過去最高でした。コンサル報酬、慰謝料、そして商品の売上……合わせて金貨五万枚の黒字です」

「金貨五万枚……。小国の国家予算並みだな」

ギルバート様は苦笑した。

「だが、俺にとって一番の『黒字』は、君を連れて帰れたことだ」

彼は自然な動作で、私の手を握った。

その手は温かく、そして以前よりも強く、私の指に絡まる。

「王城での君は、見事だった。だが、同時に少し心配でもあったんだ」

「心配? 私が計算ミスをすると思いましたか?」

「いや。……あまりに優秀すぎて、陛下が本気で君を離さないんじゃないかとヒヤヒヤしていた」

ギルバート様は、拗ねた子供のような顔をした。

「もし君が『王妃の方が利益が出る』と判断していたら、俺は兄上と戦争をしてでも君を奪い返すつもりだったぞ」

「物騒ですね。戦争はコストパフォーマンスが悪すぎます」

私は呆れて笑ったが、胸の奥がくすぐったかった。

この人は、国一番の武人でありながら、私に関することになると途端にIQが下がる(合理的判断ができなくなる)。

それが、どうしようもなく愛おしい。

「ご安心ください。私は貴方を選びました。……いえ、訂正します」

私は彼の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

「私が『選んだ』のではありません。貴方が私を『必要とした』のです。そして、私も貴方を『必要とした』。……これは、相互利益(Win-Win)の関係を超えた、不可逆的な結合です」

「……ははっ、相変わらず君の愛の言葉は難解だな」

ギルバート様は吹き出し、そして私の手を引き寄せ、指先に口付けた。

「では、改めて申し込もう。エーミール、砦に着いたら、正式に結婚式の準備を始めないか?」

「結婚式、ですか」

「ああ。契約上のパートナーではなく、神に誓った夫婦として。……嫌か?」

不安そうに揺れる瞳。

私は少し意地悪く、計算機を取り出すフリをした。

「そうですね……結婚式の費用、招待客のリストアップ、新居の改装費……試算が必要ですが」

「おいおい、ここでも計算か?」

「ですが」

私は計算機を置き、彼の手を両手で包み込んだ。

「貴方となら、どんな予算オーバーも『必要経費』として計上できそうです。……謹んで、お受けいたします」

「エーミール……!」

ギルバート様が身を乗り出し、私を抱きしめようとした、その時。

ガタンッ!!

馬車が大きく揺れ、急停止した。

「な、なんだ!?」

「敵襲か!?」

ギルバート様が瞬時に剣に手をかけ、私を庇うように抱き寄せる。

しかし、外から聞こえてきたのは、剣戟の音ではなく――。

「「「おかえりなさいませぇぇぇぇ!!!」」」

地響きのような大音声だった。

「……は?」

私たちは顔を見合わせ、恐る恐る窓の外を覗いた。

そこには、信じられない光景が広がっていた。

白銀砦の正門前。
そこに続く街道の両脇に、数百人の騎士と領民たちが整列している。

彼らの手には、色とりどりの旗や横断幕。

『祝・凱旋! 我らが女神!』
『おかえりなさい! 肉をありがとう!』
『エーミール様万歳! 物理万歳!』

さらに、正門の上には、巨大な『何か』が鎮座していた。

氷で作られた、高さ五メートルはある巨像。
片手に電卓、片手に肉を持った、眼鏡の女性の像だ。

どう見ても、私である。

「……なんですか、あれは」

私の声が震えた。

「『氷の女神エーミール像』……か?」

ギルバート様も引きつった声で呟く。

馬車の扉が開けられた。
そこには、満面の笑み(と涙と鼻水)で顔をぐしゃぐしゃにしたガストン団長が立っていた。

「エーミール様ぁ! 閣下ぁ! お待ちしておりましたぁぁ!」

「ガ、ガストン? なんだこの騒ぎは」

「歓迎式典であります! お二人が王都の悪党どもを成敗し、凱旋されると聞きまして! 俺たち、三日三晩寝ずに準備したんすよ!」

ガストン団長が胸を張る。

「見てください、あの氷像! 俺が彫った『守護神エーミール』っす! ご利益があるって、領民たちが拝んでます!」

見ると、確かに領民のおばあちゃんたちが、氷像に向かって手を合わせ、賽銭(野菜など)を供えている。

「神格化されている……」

私はめまいを覚えた。

「しかも! 今日は祝砲の代わりに、これを準備しました!」

ガストン団長が合図をすると、砦の城壁から一斉に『何か』が発射された。

ドォォォン!!

空中で弾けたのは、花火ではない。

キラキラと光る粉末と……割引券?

「『温泉半額券』と『氷イチゴ無料券』をばら撒きました! 経済効果を狙った演出っす!」

「……」

私は計算機を取り落とした。

「ど、どうすかエーミール様! 俺たち、マーケティングも覚えたんすよ!」

「……」

「え? エーミール様? 顔色が……」

私は深呼吸をした。
一度、二度、三度。

そして、馬車から降り立ち、満面の笑みで叫んだ。

「――バカ者どもぉぉぉ!!」

「ひぃっ!?」

騎士たちが直立不動になる。

「誰が紙屑をばら撒けと言いましたか! 清掃コストがかかるでしょう! それにあの氷像! 私の眼鏡の角度が二度ズレています! 作り直し!」

「そ、そこぉ!?」

「ですが……」

私は一度言葉を切り、整列する彼らの顔を見渡した。
皆、寒さで鼻を赤くしながらも、私たちの帰りを心から喜んでいる。その目はキラキラと輝いている。

これだけの人数を動員し、準備にかけた時間と労力(コスト)。
それを「無駄」と切り捨てることは、今の私にはできなかった。

「……ですが、その『熱意(パッション)』だけは、評価してあげます」

私は少しだけ頬を染め、ボソッと言った。

「ただいま戻りました。……留守番、ご苦労様でした」

その言葉を聞いた瞬間。

「「「うおおおおお!! 女神がデレたぁぁぁ!!」」」

「宴だぁぁ! 今日は朝まで宴会だぁぁ!」

わっと歓声が上がり、もみくちゃにされる。

「ちょ、こら! 私のドレスに鼻水をつけないで!」

「閣下も! 胴上げっす!」

「おい待て、俺はまだ心の準備が……うわぁぁ!」

ギルバート様が宙を舞う。

混沌(カオス)。
まさに混沌だ。
王都の気取ったパーティーとは比べ物にならない、野蛮で、騒がしくて、汗臭い歓迎。

でも。

(……悪くないですね)

空を舞うギルバート様と目が合った。
彼もまた、呆れながらも楽しそうに笑っていた。

ここが、私の帰る場所。
私が立て直した、世界で一番騒がしい『我が家』だ。

「さあ皆さん! 宴会費は経費で落としますよ! ただし上限ありです!」

「「「イエッサー!!」」」

辺境の空に、私たちの笑い声がいつまでも響き渡った。

……かに思えたが。

その翌日。

私は新たな『計算外の事態』に直面することになる。
このバカ騒ぎのせいで、私の体調に『ある異変』が起きていることに、まだ気づいていなかったのだ。

「あれ……? なんだか、計算機の数字が歪んで見える……?」

これが、幸せすぎる結末への最後の試練(フラグ)だとは、夢にも思わずに。
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