婚約破棄、ありがとうございます!自由に空を舞う!

八雲

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森の朝は、小鳥のさえずりと、腹の底から響くような咆哮と共に幕を開けた。


「グッドモーニンッ! 愛しき野生の世界よ! 私は今、空腹という名の戦場に立っておりますわ!」


切り株の上で大の字になって寝ていたチャーミーは、目を開けるなり飛び起きた。


寝癖で爆発した髪を気にする様子もなく、彼女は自分の腹を力強く叩く。


「……お目覚めですか。実に見事な跳躍でした」


少し離れた場所で、焚き火の番をしていたゼノンが、感心したように声をかけた。


彼は一睡もせずに周囲を警戒していたようだが、その顔に疲れの色はない。


「あら、ゼノン様。まだいらっしゃったの? 騎士団長ともあろう方が、無断欠勤でクビになりませんこと?」


「有給休暇を消化しているだけです。お気になさらず」


ゼノンは淡々と答えながら、持参していた食料袋を差し出した。


「これ、昨日お渡しできなかった干し肉とパンです。まずは腹を満たして……」


「甘いですわ、ゼノン様! そんな加工された食べ物で、私の野生が満足するとお思い!?」


チャーミーはシュパッと指を突き立て、森の奥を指差した。


「見てくださいませ、あの樹上! たわわに実った森の恵みと、走り回るプロテイン(野生動物)たちを! 今の私は、自分の手で掴み取ったものしか信じられませんの!」


言うが早いか、チャーミーはドレスの裾をさらに短く捲り上げ、近くの大木に飛びついた。


「お、お嬢様!? 何をされるつもりだ!」


「淑女の嗜み……『垂直登攀(すいちょくとうはん)』ですわ!」


チャーミーは、まるでリスのような素早さで木を登り始めた。


木の幹をがっしりと掴み、脚力だけで重力を無視して駆け上がるその姿は、もはや人間というよりは新種の霊長類のようだった。


「……垂直、登攀。そんなマナー、聞いたことがないが……」


ゼノンは呆然と見上げていたが、すぐに納得したように頷いた。


「……いや、敵に城壁を背に追い詰められた際、自力で脱出するための高度な技術。流石はベルサイユ公爵家の教育だ」


「ただの木登りですわよ、ゼノン様! ほら、見てくださいませ!」


木の上、地上十メートルほどの枝に立ったチャーミーが、何かを高く掲げた。


「幻の黄金果実、見つけましたわ! これを食べて、私の細胞を覚醒させますの!」


彼女が手にしていたのは、野生の大きな梨のような果実だった。


彼女はその場で豪快にかぶりつき、果汁を撒き散らしながら絶叫した。


「ウ、ウマいいいいい! 糖分が! 野生の糖分が脳に突き刺さりますわー!」


「……お嬢様、危ないですから早く降りて……」


「降りる? いいえ、今の私には『羽』がありますのよ! 自由を手に入れた瞬間に生えた、見えない翼が!」


チャーミーは両腕を大きく広げ、枝の上でバランスを取った。


彼女の背後には朝日が差し込み、泥だらけの姿を神々しく照らし出している。


「ゼノン様、受け止めてくださるかしら!? 重力からの解放、第二弾ですわよ!」


「まさか、飛び降りる気ですか!? 今度は下が植え込みではありませんぞ!」


「問題ありませんわ! 私、こう見えて『受け身』の成績は満点でしたの! トオーッ!」


チャーミーは再び、迷いなく宙へと身を投げ出した。


ゼノンは反射的に駆け出し、彼女の落下地点を見極めて両腕を広げる。


ドスンッ、という鈍い音と共に、凄まじい衝撃がゼノンを襲った。


並の男なら骨が砕けていてもおかしくない衝撃だったが、ゼノンは一歩も引かずにチャーミーを抱き止めた。


「……ふふっ。ナイスキャッチですわ、騎士様」


腕の中で、チャーミーが勝ち誇ったように笑っている。


「……心臓が止まるかと思いました。これが、あなたの言う『自由の翼』ですか」


「ええ、そうですわ! 物理的な衝突こそが、生きている実感を与えてくれますの!」


チャーミーはゼノンの腕からぴょんと飛び降りると、満足げに鼻を鳴らした。


「さあ、お腹も落ち着きましたし。次は拠点を築きに行きますわよ! 雨風を凌げて、かつ、私の筋肉を存分に動かせるアスレチックのような場所を!」


「……それなら、心当たりがあります。私の知人が管理している、放棄された離宮がこの先に」


「離宮!? そんな贅沢品、いりませんわ! 洞窟で十分ですのよ!」


「いえ、そこは階段が五百段あり、水汲みには崖を降りなければなりません。非常に『鍛錬』向きの場所かと」


ゼノンが真面目な顔で提案すると、チャーミーの目がキラリと輝いた。


「……五百段の階段。崖。素晴らしいですわ、ゼノン様! あなた、意外と『分かって』いらっしゃいますのね!」


「光栄です、お嬢様」


こうして、爆走令嬢と勘違い騎士の、奇妙なサバイバル生活が本格的に幕を開けた。


一方その頃、王宮では、アルフォンス王子が「チャーミーが私の愛を確かめるために、あえて過酷な自然に身を投じた」という妄想をさらに膨らませ、勝手に感動の涙を流していた。
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