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「……着きましたわ。ここが、私の新たなる聖域(ジム)ですのね!」
目の前にそびえ立つのは、数十年は手入れをされていないであろう、古びた離宮だった。
壁には蔦が絡まり、庭の噴水は枯れ、窓には厚い埃が積もっている。
「お嬢様、やはりここは……。公爵令嬢が住むには、あまりにも劣悪な環境です。今からでも、私の屋敷の隠し部屋へ……」
ゼノンが心配そうに眉を寄せるが、チャーミーはそれを遮るように片手を挙げた。
「何を弱気なことをおっしゃいますの、ゼノン様! 見てくださいませ、この階段の角度! 掃除のしがいがありそうな、広大な床! そして何より、誰も私を叱らないという、極上の静寂!」
チャーミーは埃を吸い込むのも構わず、豪快に館の扉を蹴り開けた。
バタンッ、という音と共に、大量の埃が舞い上がる。
「ゲホッ、ゴホッ……! 素晴らしい! この埃の量、実質的に『天然のプロテイン』と言っても過言ではありませんわ!」
「……それは流石に、肺に悪いだけかと。お嬢様、まずは掃除を」
ゼノンが懐から清潔なハンカチを取り出し、チャーミーの口元を覆おうとした。
しかし、チャーミーは既に、ボロボロになったドレスの袖をさらに肩まで捲り上げていた。
「掃除? いいえ、これは『全身全霊の有酸素運動』ですわ! ゼノン様、バケツと雑巾を! 今すぐ、この家を私の汗と情熱で磨き上げて差し上げますわ!」
「……分かりました。お嬢様の『特訓』、私も微力ながらお手伝いしましょう」
ゼノンは上着を脱ぎ捨てると、見事な筋肉が浮き出るシャツ姿になった。
そこからは、まさに修羅場であった。
「はぁーっ、雑巾がけ・デッドリフト! 右腕! 左腕! 背筋を使って一気に拭き上げますわよ!」
チャーミーは、四つん這いになって床を爆走した。
その速度は、一般的なメイドの十倍はあろうかという猛スピードである。
「……お嬢様、そのフォーム、素晴らしい。広背筋にしっかりと負荷がかかっているのが分かります」
「でしょう!? これまでの夜会では、肩甲骨を寄せることすら禁じられておりましたもの! 見てください、私の筋肉が喜んで叫んでおりますわ!」
チャーミーは、埃まみれになりながらも、その瞳はかつてないほどに輝いていた。
数時間後、あれほど汚れていた広間は、チャーミーの執念とゼノンの完璧な補佐によって、鏡のようにピカピカに磨き上げられていた。
「ふぅ……。やり遂げましたわ。見てください、この達成感」
チャーミーは床に大の字になって寝転んだ。
「お疲れ様です、お嬢様。……しかし、追放されたというのに、これほど嬉しそうに働く方を私は他に知りません」
ゼノンが、冷えた水が入った水筒を差し出す。
チャーミーはそれを一気に飲み干すと、満足げに喉を鳴らした。
「当たり前ですわ! 王宮にいた頃の私は、『高価な壺』のようなものでしたの。動かず、喋らず、ただ美しく飾られているだけの。でも今は……見てくださいませ!」
彼女は、泥と埃で黒ずんだ自分の掌を見つめた。
「自分の手で床を磨き、自分の足で水を汲み、自分の意志で空腹を満たす。これが自由でなくて、何が自由ですの!」
「……自由、ですか」
「そうですわ! 私にとって、この追放は『刑罰』ではありません。神様がくださった、最高に贅沢な『夏休み』ですのよ!」
チャーミーは、ピカピカになった天井に向かって、朗らかに笑い声を上げた。
その笑い声は、カビ臭かったはずの離宮を、一瞬で明るい光で満たしていくようだった。
「……お嬢様。その夏休み、私も……その、ご一緒してもよろしいでしょうか」
ゼノンが、少しだけ照れ臭そうに視線を逸らした。
「何を今更。もう、私の『特訓』に付き合う運命共同体ではありませんか! さあ、ゼノン様。次は庭の草むしり——いえ、『指先の握力強化訓練』に行きますわよ!」
「……御意。喜んでお供いたします」
離宮の庭からは、淑女とは思えない「ドッコイセー!」という掛け声が、夕暮れの空に響き渡った。
一方、王都では。
チャーミーがいなくなった公爵家で、父親のベルサイユ公爵が「ようやく娘が、あのナルシスト王子から解放された……!」と祝杯を挙げ、使用人たちに臨時ボーナスを支給していた。
目の前にそびえ立つのは、数十年は手入れをされていないであろう、古びた離宮だった。
壁には蔦が絡まり、庭の噴水は枯れ、窓には厚い埃が積もっている。
「お嬢様、やはりここは……。公爵令嬢が住むには、あまりにも劣悪な環境です。今からでも、私の屋敷の隠し部屋へ……」
ゼノンが心配そうに眉を寄せるが、チャーミーはそれを遮るように片手を挙げた。
「何を弱気なことをおっしゃいますの、ゼノン様! 見てくださいませ、この階段の角度! 掃除のしがいがありそうな、広大な床! そして何より、誰も私を叱らないという、極上の静寂!」
チャーミーは埃を吸い込むのも構わず、豪快に館の扉を蹴り開けた。
バタンッ、という音と共に、大量の埃が舞い上がる。
「ゲホッ、ゴホッ……! 素晴らしい! この埃の量、実質的に『天然のプロテイン』と言っても過言ではありませんわ!」
「……それは流石に、肺に悪いだけかと。お嬢様、まずは掃除を」
ゼノンが懐から清潔なハンカチを取り出し、チャーミーの口元を覆おうとした。
しかし、チャーミーは既に、ボロボロになったドレスの袖をさらに肩まで捲り上げていた。
「掃除? いいえ、これは『全身全霊の有酸素運動』ですわ! ゼノン様、バケツと雑巾を! 今すぐ、この家を私の汗と情熱で磨き上げて差し上げますわ!」
「……分かりました。お嬢様の『特訓』、私も微力ながらお手伝いしましょう」
ゼノンは上着を脱ぎ捨てると、見事な筋肉が浮き出るシャツ姿になった。
そこからは、まさに修羅場であった。
「はぁーっ、雑巾がけ・デッドリフト! 右腕! 左腕! 背筋を使って一気に拭き上げますわよ!」
チャーミーは、四つん這いになって床を爆走した。
その速度は、一般的なメイドの十倍はあろうかという猛スピードである。
「……お嬢様、そのフォーム、素晴らしい。広背筋にしっかりと負荷がかかっているのが分かります」
「でしょう!? これまでの夜会では、肩甲骨を寄せることすら禁じられておりましたもの! 見てください、私の筋肉が喜んで叫んでおりますわ!」
チャーミーは、埃まみれになりながらも、その瞳はかつてないほどに輝いていた。
数時間後、あれほど汚れていた広間は、チャーミーの執念とゼノンの完璧な補佐によって、鏡のようにピカピカに磨き上げられていた。
「ふぅ……。やり遂げましたわ。見てください、この達成感」
チャーミーは床に大の字になって寝転んだ。
「お疲れ様です、お嬢様。……しかし、追放されたというのに、これほど嬉しそうに働く方を私は他に知りません」
ゼノンが、冷えた水が入った水筒を差し出す。
チャーミーはそれを一気に飲み干すと、満足げに喉を鳴らした。
「当たり前ですわ! 王宮にいた頃の私は、『高価な壺』のようなものでしたの。動かず、喋らず、ただ美しく飾られているだけの。でも今は……見てくださいませ!」
彼女は、泥と埃で黒ずんだ自分の掌を見つめた。
「自分の手で床を磨き、自分の足で水を汲み、自分の意志で空腹を満たす。これが自由でなくて、何が自由ですの!」
「……自由、ですか」
「そうですわ! 私にとって、この追放は『刑罰』ではありません。神様がくださった、最高に贅沢な『夏休み』ですのよ!」
チャーミーは、ピカピカになった天井に向かって、朗らかに笑い声を上げた。
その笑い声は、カビ臭かったはずの離宮を、一瞬で明るい光で満たしていくようだった。
「……お嬢様。その夏休み、私も……その、ご一緒してもよろしいでしょうか」
ゼノンが、少しだけ照れ臭そうに視線を逸らした。
「何を今更。もう、私の『特訓』に付き合う運命共同体ではありませんか! さあ、ゼノン様。次は庭の草むしり——いえ、『指先の握力強化訓練』に行きますわよ!」
「……御意。喜んでお供いたします」
離宮の庭からは、淑女とは思えない「ドッコイセー!」という掛け声が、夕暮れの空に響き渡った。
一方、王都では。
チャーミーがいなくなった公爵家で、父親のベルサイユ公爵が「ようやく娘が、あのナルシスト王子から解放された……!」と祝杯を挙げ、使用人たちに臨時ボーナスを支給していた。
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