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「……ちょっと、ララさん。さっきから景色がどんどん殺風景になっている気がするんだけど」
隣国へと足を踏み入れて数時間。
私は、目の前に広がる灰色の岩肌と、吹き抜ける寒々しい風に身震いした。
南の港町ポート・サウスの陽気さは微塵もない。
むしろ、空気がピンと張り詰め、遠くには雪を頂いた山々が見え始めている。
「大丈夫ですってば、エド……イーズ様! 私、地図を読むのは苦手ですけど、美味しいものの匂いを嗅ぎ分ける能力には自信があるんです! こっちの方に、最高にふわふわなパンを出す隠れ家的なお店があるって、ヴィル様が言っていました!」
「……あの王子の情報を信じる時点で、私たちの敗北だとは思わなかった?」
私は溜息をつき、お父様から貰った銀の指輪を指で弄んだ。
本来なら、国境を越えてすぐ西の保養地へ向かうはずだったのだ。
しかし、ララさんが「近道を知っています!」と自信満々に北へ続く脇道へ突っ込んだ結果、私たちは今、どこにいるのかも分からない状況に陥っている。
「見てください、イーズ様! あそこに大きな建物が見えます! きっとあそこが美味しいパン屋さんです!」
ララさんが指差したのは、切り立った崖の上にそびえ立つ、無骨な石造りの要塞だった。
パン屋? あんなところに?
どう見ても「焼きたての香り」より「焼けた鉄の匂い」がしそうな、ゴツい大砲が並んでいるんですけれど。
「……ララさん。あれ、どう見ても軍事拠点よ」
「えっ? でも、あんなに立派な門があるんですよ? きっと中には広々としたテラス席があって……」
「ないわよ! あるのは射撃訓練場か、地下牢に決まってるでしょ!」
私がツッコミを入れる間もなく、要塞の物見櫓から鋭い笛の音が響き渡った。
瞬く間に、武装した兵士たちが門から飛び出し、私たちを包囲する。
「止まれ! 貴様ら、何者だ! ここは隣国第一守備軍、北部『鉄壁の牙』要塞である!」
「ひえぇぇ! パン屋さんじゃなかったー!」
ララさんが私の背後に隠れてガタガタと震え出した。
今更すぎるわよ。
兵士たちは、泥だらけで髪の短い私と、煤まみれのララさんを不審者以外の何者でもないという目で見ている。
「……怪しい奴らめ。スパイか? それとも王都から逃げてきた密輸商人のガキか」
「ま、待ちなさい! 私たちはただの旅人よ! ……というか、これを見なさい!」
私は意を決して、右手の銀の指輪を兵士の目の前に突き出した。
お父様が言っていた「顔が利く証」だ。
効果がなかったら、今すぐララさんを置いて全力で崖を駆け下りる準備はできている。
「……!? そ、その紋章は……!」
兵士の顔色が、疑念から驚愕、そして戦慄へと変わった。
彼は慌てて剣を収めると、直立不動の姿勢で敬礼をした。
「……し、失礼いたしました! ラングマイヤー公爵閣下の『特使』殿でしたか! いや、しかし、なぜこのような……その、薄汚い格好で?」
「……。隠密行動よ、隠密。目立ったらスパイに狙われるでしょう?」
「なるほど、流石です! さあ、皆の者、道を空けろ! 特使殿を応接室へご案内するのだ!」
兵士たちの態度の急変に、ララさんが「……特使?」と不思議そうな顔をしたが、私は彼女の脇腹を小突いて黙らせた。
とにかく、この場は凌げたみたいね。
お父様、本当にあなたは何者なのよ。隣国の軍隊まで動かせるなんて、公爵の枠を超えているわ。
案内された要塞の内部は、外観以上に質実剛健だった。
冷たい石の廊下を歩いていると、前から一人の男が歩いてきた。
整えられた金髪に、真っ赤な軍服。
どこか気品を感じさせるが、その目は笑っていない。
「……ほう。父上の古い友人、ラングマイヤー公爵の『愛娘』が迷い込んできたと聞いたが……。随分と、野生味の溢れる姿だな」
「……あなたは?」
「この要塞の司令官、レオンハルトだ。……それと、君が捨ててきた婚約者の『従兄弟』でもある」
(最悪だわ。ここにも親戚がいた!)
私は絶望的な気分で天を仰いだ。
ヴィルフリードの従兄弟。
ということは、あの「ポエム体質」や「ドッキリ好き」の血が流れている可能性があるということだわ。
「……安心しろ。私はあの大バカとは仲が悪い。あいつの書くポエムは、軍事機密よりも理解不能だからな」
レオンハルトの言葉に、私は今日一番の安堵を覚えた。
「……よかった。話が分かりそうな人で」
「だが、事情は聞かせてもらうぞ。……それと、そこの煤だらけの少年……いや、少女。君、さっきから私のマントをパンの袋か何かだと思って触っていないか?」
「ふぇっ!? ご、ごめんなさい! あまりに赤くて、美味しそうな色だったもので……!」
ララさんが慌てて手を離した。
レオンハルトは深い溜息をつき、私に向き直った。
「……イーズ嬢。君たちがここに来たということは、じきにあの『紫のストーカー』もここへ現れるということだ。……今のうちに、君を地下牢……いや、一番安全な客間に匿ってやろう」
「……助かるわ。でも、美味しいパンも用意してくれる?」
「……善処しよう。ただし、私の軍服をかじるのはやめろ」
こうして、私たちはさらなるトラブルを予感させつつも、要塞という名の「巨大な隠れ家」を手に入れた。
しかし、私はまだ知らない。
ヴィルフリードが、要塞の壁を素手で登ろうとしていることを。
隣国へと足を踏み入れて数時間。
私は、目の前に広がる灰色の岩肌と、吹き抜ける寒々しい風に身震いした。
南の港町ポート・サウスの陽気さは微塵もない。
むしろ、空気がピンと張り詰め、遠くには雪を頂いた山々が見え始めている。
「大丈夫ですってば、エド……イーズ様! 私、地図を読むのは苦手ですけど、美味しいものの匂いを嗅ぎ分ける能力には自信があるんです! こっちの方に、最高にふわふわなパンを出す隠れ家的なお店があるって、ヴィル様が言っていました!」
「……あの王子の情報を信じる時点で、私たちの敗北だとは思わなかった?」
私は溜息をつき、お父様から貰った銀の指輪を指で弄んだ。
本来なら、国境を越えてすぐ西の保養地へ向かうはずだったのだ。
しかし、ララさんが「近道を知っています!」と自信満々に北へ続く脇道へ突っ込んだ結果、私たちは今、どこにいるのかも分からない状況に陥っている。
「見てください、イーズ様! あそこに大きな建物が見えます! きっとあそこが美味しいパン屋さんです!」
ララさんが指差したのは、切り立った崖の上にそびえ立つ、無骨な石造りの要塞だった。
パン屋? あんなところに?
どう見ても「焼きたての香り」より「焼けた鉄の匂い」がしそうな、ゴツい大砲が並んでいるんですけれど。
「……ララさん。あれ、どう見ても軍事拠点よ」
「えっ? でも、あんなに立派な門があるんですよ? きっと中には広々としたテラス席があって……」
「ないわよ! あるのは射撃訓練場か、地下牢に決まってるでしょ!」
私がツッコミを入れる間もなく、要塞の物見櫓から鋭い笛の音が響き渡った。
瞬く間に、武装した兵士たちが門から飛び出し、私たちを包囲する。
「止まれ! 貴様ら、何者だ! ここは隣国第一守備軍、北部『鉄壁の牙』要塞である!」
「ひえぇぇ! パン屋さんじゃなかったー!」
ララさんが私の背後に隠れてガタガタと震え出した。
今更すぎるわよ。
兵士たちは、泥だらけで髪の短い私と、煤まみれのララさんを不審者以外の何者でもないという目で見ている。
「……怪しい奴らめ。スパイか? それとも王都から逃げてきた密輸商人のガキか」
「ま、待ちなさい! 私たちはただの旅人よ! ……というか、これを見なさい!」
私は意を決して、右手の銀の指輪を兵士の目の前に突き出した。
お父様が言っていた「顔が利く証」だ。
効果がなかったら、今すぐララさんを置いて全力で崖を駆け下りる準備はできている。
「……!? そ、その紋章は……!」
兵士の顔色が、疑念から驚愕、そして戦慄へと変わった。
彼は慌てて剣を収めると、直立不動の姿勢で敬礼をした。
「……し、失礼いたしました! ラングマイヤー公爵閣下の『特使』殿でしたか! いや、しかし、なぜこのような……その、薄汚い格好で?」
「……。隠密行動よ、隠密。目立ったらスパイに狙われるでしょう?」
「なるほど、流石です! さあ、皆の者、道を空けろ! 特使殿を応接室へご案内するのだ!」
兵士たちの態度の急変に、ララさんが「……特使?」と不思議そうな顔をしたが、私は彼女の脇腹を小突いて黙らせた。
とにかく、この場は凌げたみたいね。
お父様、本当にあなたは何者なのよ。隣国の軍隊まで動かせるなんて、公爵の枠を超えているわ。
案内された要塞の内部は、外観以上に質実剛健だった。
冷たい石の廊下を歩いていると、前から一人の男が歩いてきた。
整えられた金髪に、真っ赤な軍服。
どこか気品を感じさせるが、その目は笑っていない。
「……ほう。父上の古い友人、ラングマイヤー公爵の『愛娘』が迷い込んできたと聞いたが……。随分と、野生味の溢れる姿だな」
「……あなたは?」
「この要塞の司令官、レオンハルトだ。……それと、君が捨ててきた婚約者の『従兄弟』でもある」
(最悪だわ。ここにも親戚がいた!)
私は絶望的な気分で天を仰いだ。
ヴィルフリードの従兄弟。
ということは、あの「ポエム体質」や「ドッキリ好き」の血が流れている可能性があるということだわ。
「……安心しろ。私はあの大バカとは仲が悪い。あいつの書くポエムは、軍事機密よりも理解不能だからな」
レオンハルトの言葉に、私は今日一番の安堵を覚えた。
「……よかった。話が分かりそうな人で」
「だが、事情は聞かせてもらうぞ。……それと、そこの煤だらけの少年……いや、少女。君、さっきから私のマントをパンの袋か何かだと思って触っていないか?」
「ふぇっ!? ご、ごめんなさい! あまりに赤くて、美味しそうな色だったもので……!」
ララさんが慌てて手を離した。
レオンハルトは深い溜息をつき、私に向き直った。
「……イーズ嬢。君たちがここに来たということは、じきにあの『紫のストーカー』もここへ現れるということだ。……今のうちに、君を地下牢……いや、一番安全な客間に匿ってやろう」
「……助かるわ。でも、美味しいパンも用意してくれる?」
「……善処しよう。ただし、私の軍服をかじるのはやめろ」
こうして、私たちはさらなるトラブルを予感させつつも、要塞という名の「巨大な隠れ家」を手に入れた。
しかし、私はまだ知らない。
ヴィルフリードが、要塞の壁を素手で登ろうとしていることを。
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