冤罪断罪、お断り!婚約破棄の前に夜逃げを決め込む。

八雲

文字の大きさ
15 / 28

15

しおりを挟む
「……ちょっと、ララさん。さっきから景色がどんどん殺風景になっている気がするんだけど」

隣国へと足を踏み入れて数時間。
私は、目の前に広がる灰色の岩肌と、吹き抜ける寒々しい風に身震いした。
南の港町ポート・サウスの陽気さは微塵もない。
むしろ、空気がピンと張り詰め、遠くには雪を頂いた山々が見え始めている。

「大丈夫ですってば、エド……イーズ様! 私、地図を読むのは苦手ですけど、美味しいものの匂いを嗅ぎ分ける能力には自信があるんです! こっちの方に、最高にふわふわなパンを出す隠れ家的なお店があるって、ヴィル様が言っていました!」

「……あの王子の情報を信じる時点で、私たちの敗北だとは思わなかった?」

私は溜息をつき、お父様から貰った銀の指輪を指で弄んだ。
本来なら、国境を越えてすぐ西の保養地へ向かうはずだったのだ。
しかし、ララさんが「近道を知っています!」と自信満々に北へ続く脇道へ突っ込んだ結果、私たちは今、どこにいるのかも分からない状況に陥っている。

「見てください、イーズ様! あそこに大きな建物が見えます! きっとあそこが美味しいパン屋さんです!」

ララさんが指差したのは、切り立った崖の上にそびえ立つ、無骨な石造りの要塞だった。
パン屋? あんなところに?
どう見ても「焼きたての香り」より「焼けた鉄の匂い」がしそうな、ゴツい大砲が並んでいるんですけれど。

「……ララさん。あれ、どう見ても軍事拠点よ」

「えっ? でも、あんなに立派な門があるんですよ? きっと中には広々としたテラス席があって……」

「ないわよ! あるのは射撃訓練場か、地下牢に決まってるでしょ!」

私がツッコミを入れる間もなく、要塞の物見櫓から鋭い笛の音が響き渡った。
瞬く間に、武装した兵士たちが門から飛び出し、私たちを包囲する。

「止まれ! 貴様ら、何者だ! ここは隣国第一守備軍、北部『鉄壁の牙』要塞である!」

「ひえぇぇ! パン屋さんじゃなかったー!」

ララさんが私の背後に隠れてガタガタと震え出した。
今更すぎるわよ。
兵士たちは、泥だらけで髪の短い私と、煤まみれのララさんを不審者以外の何者でもないという目で見ている。

「……怪しい奴らめ。スパイか? それとも王都から逃げてきた密輸商人のガキか」

「ま、待ちなさい! 私たちはただの旅人よ! ……というか、これを見なさい!」

私は意を決して、右手の銀の指輪を兵士の目の前に突き出した。
お父様が言っていた「顔が利く証」だ。
効果がなかったら、今すぐララさんを置いて全力で崖を駆け下りる準備はできている。

「……!? そ、その紋章は……!」

兵士の顔色が、疑念から驚愕、そして戦慄へと変わった。
彼は慌てて剣を収めると、直立不動の姿勢で敬礼をした。

「……し、失礼いたしました! ラングマイヤー公爵閣下の『特使』殿でしたか! いや、しかし、なぜこのような……その、薄汚い格好で?」

「……。隠密行動よ、隠密。目立ったらスパイに狙われるでしょう?」

「なるほど、流石です! さあ、皆の者、道を空けろ! 特使殿を応接室へご案内するのだ!」

兵士たちの態度の急変に、ララさんが「……特使?」と不思議そうな顔をしたが、私は彼女の脇腹を小突いて黙らせた。
とにかく、この場は凌げたみたいね。
お父様、本当にあなたは何者なのよ。隣国の軍隊まで動かせるなんて、公爵の枠を超えているわ。

案内された要塞の内部は、外観以上に質実剛健だった。
冷たい石の廊下を歩いていると、前から一人の男が歩いてきた。
整えられた金髪に、真っ赤な軍服。
どこか気品を感じさせるが、その目は笑っていない。

「……ほう。父上の古い友人、ラングマイヤー公爵の『愛娘』が迷い込んできたと聞いたが……。随分と、野生味の溢れる姿だな」

「……あなたは?」

「この要塞の司令官、レオンハルトだ。……それと、君が捨ててきた婚約者の『従兄弟』でもある」

(最悪だわ。ここにも親戚がいた!)

私は絶望的な気分で天を仰いだ。
ヴィルフリードの従兄弟。
ということは、あの「ポエム体質」や「ドッキリ好き」の血が流れている可能性があるということだわ。

「……安心しろ。私はあの大バカとは仲が悪い。あいつの書くポエムは、軍事機密よりも理解不能だからな」

レオンハルトの言葉に、私は今日一番の安堵を覚えた。

「……よかった。話が分かりそうな人で」

「だが、事情は聞かせてもらうぞ。……それと、そこの煤だらけの少年……いや、少女。君、さっきから私のマントをパンの袋か何かだと思って触っていないか?」

「ふぇっ!? ご、ごめんなさい! あまりに赤くて、美味しそうな色だったもので……!」

ララさんが慌てて手を離した。
レオンハルトは深い溜息をつき、私に向き直った。

「……イーズ嬢。君たちがここに来たということは、じきにあの『紫のストーカー』もここへ現れるということだ。……今のうちに、君を地下牢……いや、一番安全な客間に匿ってやろう」

「……助かるわ。でも、美味しいパンも用意してくれる?」

「……善処しよう。ただし、私の軍服をかじるのはやめろ」

こうして、私たちはさらなるトラブルを予感させつつも、要塞という名の「巨大な隠れ家」を手に入れた。
しかし、私はまだ知らない。
ヴィルフリードが、要塞の壁を素手で登ろうとしていることを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました

山田ランチ
恋愛
想い合う二人のすれ違いラブストーリー。 ※以前掲載しておりましたものを、加筆の為再投稿致しました。お読み下さっていた方は重複しますので、ご注意下さいませ。 コレット・ロシニョール 侯爵家令嬢。ジャンの双子の姉。 ジャン・ロシニョール 侯爵家嫡男。コレットの双子の弟。 トリスタン・デュボワ 公爵家嫡男。コレットの婚約者。 クレマン・ルゥセーブル・ジハァーウ、王太子。 シモン・グレンツェ 辺境伯家嫡男。コレットの従兄。 ルネ ロシニョール家の侍女でコレット付き。 シルヴィー・ペレス 子爵令嬢。 〈あらすじ〉  コレットは愛しの婚約者が自分の容姿について話しているのを聞いてしまう。このまま大好きな婚約者のそばにいれば疎まれてしまうと思ったコレットは、親類の領地へ向かう事に。そこで新しい商売を始めたコレットは、知らない間に国の重要人物になってしまう。そしてトリスタンにも女性の影が見え隠れして……。  ジレジレ、すれ違いラブストーリー

皇子の婚約者になりたくないので天の声に従いました

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
幼い頃から天の声が聞こえるシラク公爵の娘であるミレーヌ。 この天の声にはいろいろと助けられていた。父親の命を救ってくれたのもこの天の声。 そして、進学に向けて騎士科か魔導科を選択しなければならなくなったとき、助言をしてくれたのも天の声。 ミレーヌはこの天の声に従い、騎士科を選ぶことにした。 なぜなら、魔導科を選ぶと、皇子の婚約者という立派な役割がもれなくついてきてしまうからだ。 ※完結しました。新年早々、クスっとしていただけたら幸いです。軽くお読みください。

彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。 ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。 ※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。 ※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。

なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。 本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!

処理中です...