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「……寒い。寒すぎるわよ、この山! お父様の『自由への鍵』は、冷凍庫の鍵だったのかしら!」
吹雪が吹き荒れる北の聖峰。
私は軍服の上に毛皮を重ね着し、膝まで埋まる雪を掻き分けていた。
背後では、ララさんが完全に魂の抜けた顔で、ゼクスの背中に背負い袋のようにしがみついている。
「……イーズ様ぁ……。私、もう、シロクマさんの幻覚が見えますぅ……。あそこでお茶会をしてますぅ……」
「しっかりしなさい、ララさん! あれはただの雪に覆われた岩よ!」
激励する私の声も、強風にかき消されそうになる。
逃走を開始して三時間。
要塞の裏道から脱出した私たちは、最短ルートで隣国の王都へ抜けるための難所、極寒の峠にいた。
「……おい、止まれ。……追っ手が、もうそこまで来ている」
先頭を行くゼクスが、雪の中にピタリと足を止めた。
彼は胃を押さえるのをやめ、鋭い眼光で背後の斜面を見下ろしている。
そこには、松明の光が列をなし、猛スピードでこちらへ迫ってくるのが見えた。
「……嘘でしょう!? この吹雪の中、馬を走らせてくるなんて正気の沙汰じゃないわ!」
「お前の兄、カイン卿だろう? ……あいつは『効率』の化身だ。妹の歩幅、疲労度、そしてララ嬢が三十分おきに『お腹空いた』と立ち止まる時間まで計算に入れて、最短距離を突いてきている」
ゼクスの言葉に、私は戦慄した。
そう、お兄様はそういう男だ。
昔、私が隠したおやつを、私の過去三ヶ月の食行動パターンから割り出した数式で、一分足らずで発見した前科がある。
「このままじゃ、あと十五分で追いつかれるわ。……ゼクス、何か手はないの?」
「……。…………はぁ、仕方ないな。閣下には『正体は隠せ』と言われていたんだが……。胃が保たないし、ここで捕まるのも寝覚めが悪すぎる」
ゼクスが、重い腰を上げるように溜息をついた。
彼は背中のララさんを雪の上にそっと下ろすと、首にかけていた古びたペンダントを力任せに引きちぎった。
その瞬間、彼の周囲の空気が一変した。
今まで「薄汚い傭兵」だと思っていた彼の体から、圧倒的なまでの魔力と、冷徹なまでの覇気が溢れ出したのだ。
「……え。ちょっと、ゼクス? あなた、急にキラキラしだしてどうしたの?」
「……少し黙っていろ。……『氷壁の守護者』、その真の名において命ずる。吹雪よ、我が盾となれ!」
ゼクスが雪面を強く踏みしめると、私たちの周囲の雪が竜巻のように舞い上がり、巨大な氷の壁を作り上げた。
それは追っ手の視界を遮るだけでなく、周囲の温度を不思議と一定に保ち始めた。
「……凄いわ。これ、超高等な環境魔法じゃない。……あなた、ただの用心棒じゃないわね?」
「……。……隣国の元騎士団長だ。訳あって退役し、今は公爵閣下の『掃除屋』として雇われている。……胃が弱いのは、現役時代の激務のせいだ」
「騎士団長!? そんなすごい人が、どうして私の胃薬に執着してたのよ!」
「あんなに効く薬、うちの国の最高錬金術師でも作れなかったからな……。……さあ、行くぞ。この氷壁が維持されている間に、峠の向こうの隠れ家まで逃げ切る」
ゼクスは再びララさんを軽々と担ぎ上げ、先ほどまでの「よろよろ感」を微塵も感じさせない速度で歩き出した。
正体が判明しても「胃が弱い騎士団長」という設定は変わらないようだが、頼もしいことこの上ない。
一方その頃、氷壁の反対側では。
「……ふむ。計算外の魔法障壁か。イーズ、君の雇った用心棒はなかなかやるね。……だが、愛する妹の逃走劇に付き合うのも、そろそろ限界だ」
漆黒の鎧に身を包んだ、麗しき美青年――カイン・ラングマイヤーが、眼鏡をクイッと上げながら微笑んでいた。
彼の背後には、凍え死にそうな顔をしながらも整列する黒騎士団。
「全軍、突撃。壁を壊す必要はない。……イーズなら、この先の分岐路で、必ず『一番美味しそうな看板』がある方へ向かう。そこを先回りするぞ」
「……カイン様。イーズ様は今、雪山にいるのですが。看板なんてあるのでしょうか?」
「私がさっき、魔法で立てておいた。『この先、絶品シチューあり』とね」
カインの瞳には、狂気にも似た「兄の愛」が宿っていた。
イーズの逃亡生活、最大のピンチは、兄の「徹底的な妹理解」によってもたらされようとしていた。
吹雪が吹き荒れる北の聖峰。
私は軍服の上に毛皮を重ね着し、膝まで埋まる雪を掻き分けていた。
背後では、ララさんが完全に魂の抜けた顔で、ゼクスの背中に背負い袋のようにしがみついている。
「……イーズ様ぁ……。私、もう、シロクマさんの幻覚が見えますぅ……。あそこでお茶会をしてますぅ……」
「しっかりしなさい、ララさん! あれはただの雪に覆われた岩よ!」
激励する私の声も、強風にかき消されそうになる。
逃走を開始して三時間。
要塞の裏道から脱出した私たちは、最短ルートで隣国の王都へ抜けるための難所、極寒の峠にいた。
「……おい、止まれ。……追っ手が、もうそこまで来ている」
先頭を行くゼクスが、雪の中にピタリと足を止めた。
彼は胃を押さえるのをやめ、鋭い眼光で背後の斜面を見下ろしている。
そこには、松明の光が列をなし、猛スピードでこちらへ迫ってくるのが見えた。
「……嘘でしょう!? この吹雪の中、馬を走らせてくるなんて正気の沙汰じゃないわ!」
「お前の兄、カイン卿だろう? ……あいつは『効率』の化身だ。妹の歩幅、疲労度、そしてララ嬢が三十分おきに『お腹空いた』と立ち止まる時間まで計算に入れて、最短距離を突いてきている」
ゼクスの言葉に、私は戦慄した。
そう、お兄様はそういう男だ。
昔、私が隠したおやつを、私の過去三ヶ月の食行動パターンから割り出した数式で、一分足らずで発見した前科がある。
「このままじゃ、あと十五分で追いつかれるわ。……ゼクス、何か手はないの?」
「……。…………はぁ、仕方ないな。閣下には『正体は隠せ』と言われていたんだが……。胃が保たないし、ここで捕まるのも寝覚めが悪すぎる」
ゼクスが、重い腰を上げるように溜息をついた。
彼は背中のララさんを雪の上にそっと下ろすと、首にかけていた古びたペンダントを力任せに引きちぎった。
その瞬間、彼の周囲の空気が一変した。
今まで「薄汚い傭兵」だと思っていた彼の体から、圧倒的なまでの魔力と、冷徹なまでの覇気が溢れ出したのだ。
「……え。ちょっと、ゼクス? あなた、急にキラキラしだしてどうしたの?」
「……少し黙っていろ。……『氷壁の守護者』、その真の名において命ずる。吹雪よ、我が盾となれ!」
ゼクスが雪面を強く踏みしめると、私たちの周囲の雪が竜巻のように舞い上がり、巨大な氷の壁を作り上げた。
それは追っ手の視界を遮るだけでなく、周囲の温度を不思議と一定に保ち始めた。
「……凄いわ。これ、超高等な環境魔法じゃない。……あなた、ただの用心棒じゃないわね?」
「……。……隣国の元騎士団長だ。訳あって退役し、今は公爵閣下の『掃除屋』として雇われている。……胃が弱いのは、現役時代の激務のせいだ」
「騎士団長!? そんなすごい人が、どうして私の胃薬に執着してたのよ!」
「あんなに効く薬、うちの国の最高錬金術師でも作れなかったからな……。……さあ、行くぞ。この氷壁が維持されている間に、峠の向こうの隠れ家まで逃げ切る」
ゼクスは再びララさんを軽々と担ぎ上げ、先ほどまでの「よろよろ感」を微塵も感じさせない速度で歩き出した。
正体が判明しても「胃が弱い騎士団長」という設定は変わらないようだが、頼もしいことこの上ない。
一方その頃、氷壁の反対側では。
「……ふむ。計算外の魔法障壁か。イーズ、君の雇った用心棒はなかなかやるね。……だが、愛する妹の逃走劇に付き合うのも、そろそろ限界だ」
漆黒の鎧に身を包んだ、麗しき美青年――カイン・ラングマイヤーが、眼鏡をクイッと上げながら微笑んでいた。
彼の背後には、凍え死にそうな顔をしながらも整列する黒騎士団。
「全軍、突撃。壁を壊す必要はない。……イーズなら、この先の分岐路で、必ず『一番美味しそうな看板』がある方へ向かう。そこを先回りするぞ」
「……カイン様。イーズ様は今、雪山にいるのですが。看板なんてあるのでしょうか?」
「私がさっき、魔法で立てておいた。『この先、絶品シチューあり』とね」
カインの瞳には、狂気にも似た「兄の愛」が宿っていた。
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