婚約破棄を待ってました!喜んで帰りますわ!

ハチワレ

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「お断りします」

執務室で、ルーアは即答した。

「なぜだ! 我が領の経済復興を祝う記念舞踏会だぞ? その立役者である君が参加しないなど、あり得ない!」

クラウスがデスクをバンと叩いて抗議する。

しかし、ルーアは書類から目を離さずにペンを動かし続けた。

「参加しないとは言っていません。『パートナーとして踊る』ことをお断りしているのです。当日は裏方として、ケータリングの在庫管理と、招待客の不審な動き(主にスパイ行為や引き抜き)を監視する任務があります」

「そんなものはハンスたちに任せておけばいい!」

「彼らでは甘いです。酔っ払った貴族が経費で落とそうとする『謎の領収書』を見抜く眼力が足りません」

ルーアはキッパリと言い放った。

実家から届いた『お見合い写真の山』の件以来、クラウスは焦っていた。

有象無象の貴族たちが、「あの有能なバーンスタイン公爵令嬢を手に入れれば、家が繁栄する」と嗅ぎつけ、ハイエナのように群がってきているのだ。

クラウスとしては、この舞踏会でルーアを自身の『パートナー』として公表し、周囲に「手を出すな」とマーキングする必要があった。

「いいか、ルーア。これは業務命令だ」

クラウスは低い声で告げた。

「今夜の舞踏会、君は私のエスコートを受け、私とだけ踊る。これは『対外的な牽制』という重要な外交任務だ」

「牽制?」

「そうだ。君に変な虫がつかないよう、私が『狂犬』として横に立つ。そうすれば、お見合いおじさんたちも恐れをなして逃げ出すだろう。……これは、君のお見合い処理業務を効率化するための最善策だ」

ルーアの手が止まった。

彼女は計算機を取り出し、数秒ほど弾いた。

「……なるほど。お見合いの断り状を一通書くのに平均十五分。写真が百枚あるとして、千五百分……二十五時間のロス。閣下と一度踊るだけでそれが全てキャンセルできるなら……」

チーン。

「採用です。その作戦、乗りましょう」

「よ、よし!」

クラウスは内心でガッツポーズをした。

論理で攻めれば落ちる。学習の成果だ。

「では、私は一度部屋に戻って着替えてきます。いつもの事務服にアイロンをかけて……」

「待て」

クラウスが食い気味に止めた。

「なぜ事務服なんだ?」

「え? だって、牽制が目的なら、色気のない事務服の方が『私は仕事と結婚しました』感が出て効果的では?」

「馬鹿者。牽制とは、『高嶺の花』を見せつけることでもあるのだ。『この女は公爵の隣に立つに相応しい』と思わせねば意味がない」

クラウスは指を鳴らした。

パチン。

執務室の扉が開き、大量の衣装箱を抱えたメイドたちが雪崩れ込んできた。

「さあ、選べ。いや、全て試着しろ。私が選んでやる」

「……これ、全部ですか? 試着だけで残業確定なのですが」

「残業代は出す!」

***

数時間後。

ドラグーン公爵城の大広間は、華やかな音楽と着飾った貴族たちで溢れかえっていた。

隣国の経済崩壊により、ドラグーン領は北方の経済ハブとして急速に注目を集めている。

今日の舞踏会には、近隣諸国の有力者たちもこぞって参加していた。

「いやあ、ドラグーン公爵領の発展ぶりは凄まじいですな」

「噂の『敏腕補佐官』とやらにお会いしたいものだ」

「なんでも、公爵閣下が囲い込んでいる絶世の美女だとか?」

招待客たちがグラスを片手に噂話をしていると、不意にファンファーレが鳴り響いた。

「領主、クラウス・フォン・ドラグーン公爵閣下、ならびに、補佐官ルーア・バーンスタイン嬢の入場です!」

重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。

会場の視線が一斉に注がれた瞬間。

ざわめきが、ピタリと止んだ。

そこに立っていたのは、闇夜のような漆黒のタキシードに身を包んだクラウスと、深いミッドナイトブルーのドレスを纏ったルーアだった。

「……美しい」

誰かが、思わず漏らした。

ルーアのドレスは、クラウスがこだわり抜いて選んだ一着だ。

フリルやレースといった甘い装飾は一切ない。

身体のラインを美しく見せるマーメイドライン。生地には細かく砕いた魔石が織り込まれており、動くたびに星空のように静かに煌めく。

髪は高く結い上げられ、うなじの白さが際立つ。

そして何より、彼女の表情だ。

媚びるような愛想笑いは一切ない。凛とした、冷たくも知的な瞳で会場を見下ろしている。

その隣に立つクラウスもまた、氷のような美貌と威圧感を放っている。

二人が並ぶと、そこだけ空気が研ぎ澄まされ、誰も近寄れない神聖にして不可侵な領域が形成されていた。

まさに、『悪役』と『悪役令嬢』。

しかし、その悪役顔の二人が並ぶ姿は、皮肉にも会場の誰よりもお似合いで、圧倒的に美しかった。

「……緊張しているか?」

クラウスが、ルーアの手を取りながら小声で尋ねる。

「いいえ。ただ、このヒールの高さが非効率だと分析しているだけです。重心が不安定で、緊急時のダッシュに不向きです」

ルーアも小声で返す。

「ダッシュする必要はない。私が支える」

クラウスはルーアの腰に手を回し、エスコートした。

二人が階段を降りていくと、モーゼの十戒のように人垣が割れていく。

「見ろ、あのドレス……隣国の王妃が着ていたものより上質だぞ」

「公爵閣下のあの視線……『俺の女に触れたら殺す』って書いてある……」

「お見合いの話なんて持ちかけたら、その場で氷漬けにされそうだ」

囁き声が聞こえてくる。作戦は成功だ。

「閣下。聞こえますか? 効果覿面です。皆さん、私を『猛獣使いの女』を見るような目で見ています」

「フッ、誰が猛獣だ。……だが、これで煩わしい羽虫どもも寄ってこれまい」

二人はホールの中央へと進んだ。

音楽がワルツへと変わる。

「踊っていただけますか、マイ・レディ」

クラウスが恭しく手を差し出す。

ルーアは一瞬ためらった後、その手を取った。

「……一曲につき、特別手当金貨一枚ですよ」

「安いものだ」

二人は踊り出した。

優雅に、そして完璧に。

ルーアはダンスも得意だった。王宮時代、ロランド王子の下手くそなリードに合わせて踊るという苦行をこなしていたため、クラウスの完璧なリードには驚くほどスムーズについていける。

「……上手いな」

「閣下こそ。ロランド殿下の足を踏まないように踊るのと違って、ストレスフリーです」

「元婚約者と比べるな。不愉快だ」

クラウスは不満げに眉を寄せ、ルーアをぐっと引き寄せた。

体が密着する。

冷たい氷の公爵のはずなのに、伝わってくる体温は熱い。

「ルーア。今夜の君は、宝石よりも輝いている」

耳元で囁かれる甘い言葉。

ルーアはドキリとしたが、すぐに平静を装った。

「……照明効果とドレスの反射率のおかげです」

「素直じゃないな」

クラウスは楽しげに笑い、ターンを決める。

ドレスの裾が夜空の渦のように広がり、観衆からため息が漏れる。

「ねえ、見た? あんなに楽しそうな公爵様、初めてよ」

「お二人の世界に入り込んでるわね……入り込む隙なんてないわ」

周囲の貴族たちは、完全に圧倒されていた。

打算や政略で近づこうとしていた者たちも、二人の間に流れる『絶対的な信頼』と『阿吽の呼吸』を見せつけられ、白旗を上げざるをえなかったのだ。

一曲が終わり、二人がお辞儀をすると、割れんばかりの拍手が湧き起こった。

「……ふう。任務完了ですね」

ルーアが息をつく。

「ああ。最高のダンスだった」

クラウスはルーアの手を離そうとしない。

「さて、次は商談の時間だ。あの拍手をしている太った男は、南方の宝石商だ。君のドレスの生地に興味津々だぞ」

「なんですって?」

ルーアの目が、一瞬で『¥(エン)』マークに変わった。

「このドレスの生地、我が領の特産として売り込めるかもしれませんね。閣下、彼を紹介してください!」

「……おい、ムードはどうした」

「ムードで外貨は稼げません! さあ、行きますよ!」

先ほどまでの「優雅な悪役令嬢」はどこへやら、ルーアは獲物を見つけた狩人の目で、宝石商の方へと早足で向かっていく。

クラウスは呆れつつも、その後ろ姿を愛おしそうに見つめた。

「……まったく。君には勝てないな」

彼は苦笑しながら、彼女の後を追った。

しかし。

その華やかな夜会の陰で、招かれざる客が紛れ込んでいることに、二人はまだ気づいていなかった。

会場の隅、給仕係に変装した一人の男。

その目は憎悪に燃え、手には怪しげな小瓶が握られている。

「……おのれ、ルーア。幸せそうに笑いおって」

男の正体は、隣国を追放され、流れ着いた元財務大臣、ガミールだった。

彼は全てを失った逆恨みから、最後の復讐を企てていたのである。

「この『真実の口止めの薬』を飲めば……貴様のその減らず口も、二度と利けなくなるはずだ……」

ガミールはニヤリと笑い、ルーアが次に手に取るであろうグラスに、そっと毒を垂らした。

華麗なる夜会の裏で、陰湿な罠が動き出す。

だが、彼は知らなかった。

ルーア・バーンスタインという女が、毒見スキルすらも業務効率化の一環として習得済みであることを。
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