婚約破棄を待ってました!喜んで帰りますわ!

ハチワレ

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「……結婚式、中止の危機です」

執務室に飛び込んできたハンスの第一声は、あまりに不穏だった。

ルーアは結婚式の招待状リスト(送付先五百名、切手代だけで金貨三枚)のチェックを止め、眉をひそめた。

「どういうこと? 資金なら潤沢にあるし、会場も押さえたわ。まさか、ウェディングケーキの砂糖が輸入禁止になったとか?」

「いえ、もっと人為的かつ悪質な……『風評被害』です!」

ハンスは一枚の新聞をデスクに広げた。

それは、近隣諸国で広く読まれている大衆ゴシップ紙『週刊・王室の裏側』だった。

一面トップには、おどろおどろしい見出しが躍っている。

『告発! 氷の公爵をたぶらかした稀代の悪女、ルーア・バーンスタインの正体!』

さらにサブタイトルには、『無実の令嬢ミナをいじめ抜き、王子の財産を横領し、黒魔術で公爵を洗脳した手口とは!?』とある。

「……ほう」

ルーアの声がワントーン低くなった。

横で紅茶を飲んでいたクラウスが、新聞を覗き込み、そしてカップを握りつぶした。

パリン。

「……誰が書いた記事だ。出版社ごと氷河期にしてやる」

「お、お待ちください閣下! 記事のソース元はこちらです!」

ハンスが震える手で差し出したのは、涙ながらにインタビューに答えるミナの挿絵だった。

『私、怖かったんですぅ……。ルーア様は、私のドレスを切り裂いたり、紅茶に雑巾の絞り汁を入れたり……。あ、あと、王家の金庫からお金を盗んで、それを自分の懐に入れていたんですぅ! 私たちが貧乏になったのは、全部ルーア様のせいなんですぅ!』

記事には、ミナの悲劇のヒロイン然としたコメントと、それに同調するロランド王子の『私も騙されていた!』という証言が掲載されている。

「……なるほど。自分たちの浪費による財政破綻を、私の『横領』ということにすり替えましたか」

ルーアは冷静に分析した。

「しかも、ドレスを切り裂く? 雑巾の絞り汁? ……発想が貧困ですね。私がそんな非効率な嫌がらせをするわけがないでしょう。やるなら、ドレスの縫製業者を買収してサイズを2ミリ小さくし、パーティー当日に破けるように仕向けます」

「ルーア様、具体的すぎて怖いです」

「とにかく!」

ハンスが悲鳴を上げた。

「この記事のせいで、他国の貴族たちが動揺しています! 『あんな悪女の結婚式には出られない』とか、『ドラグーン公爵領との取引を見直すべきだ』といった声が……!」

「実害が出ているのか」

クラウスが立ち上がった。その瞳は完全に魔王モードだ。

「許さん。ロランドとミナ、あのゴミ屑ども……一度ならず二度までも、私の花嫁を侮辱するとは。今すぐ奴らの潜伏先を特定し、国ごと地図から消去する」

「待ってください、閣下」

ルーアが手を挙げた。

「虐殺は国際法違反です。それに、彼らを消しても、一度広まった噂は消えません」

「ではどうする!? 君が泥棒扱いされているのだぞ! 私は耐えられん!」

クラウスが机をバンと叩く。

しかし、ルーアは静かに、そして不気味に口角を上げた。

「……あら、閣下。これは『ビジネスチャンス』ですよ」

「は?」

「名誉毀損、信用毀損、偽証罪、および業務妨害。……これらに対する慰謝料は、以前の『婚約破棄』の比ではありません」

ルーアは引き出しから、分厚いファイルを取り出した。

その背表紙には『対ロランド・ミナ用 完全記録データ』と書かれている。

「彼らは知らないのです。私が、王宮にいた頃から、彼らの会話、行動、そして金の流れを全て『記録』していたことを」

ルーアはファイルをポンと叩いた。

「嘘の証言をした時点で、彼らは自ら『断頭台』への階段を登ったのです。……さあ、反撃(カウンター)の準備をしましょうか」

***

一方その頃。

隣国の、王都の片隅にある安宿。

国を追い出されこそしなかったが、王城の豪華な部屋を追われ、質素な生活を強いられているロランドとミナは、コタツ(に似た安物の暖房器具)に入りながら、ニヤニヤと新聞を読んでいた。

「やったわロランド様! 見て、この記事の反響!」

ミナが新聞の読者投稿欄を指差す。

『可哀想なミナ様! 私たちはあなたの味方です!』
『悪女ルーアを許すな! ドラグーン公爵を救い出せ!』

同情の声が多数寄せられていた。

「ふははは! ざまあみろルーア! これでお前の評判はガタ落ちだ!」

ロランドは安酒を煽りながら、高笑いした。

「世論が動けば、他国も黙っていない! きっと『正義の軍』が動いて、ルーアを捕らえ、私を再び王位に戻してくれるはずだ!」

「そしたらぁ、また豪華なドレスを買ってくれますよねぇ? 私、もうこのボロ服やだぁ」

「もちろんだとも! 慰謝料として、ドラグーン家の資産を根こそぎ奪ってやる!」

二人は、「嘘も百回言えば真実になる」と信じて疑わなかった。

ルーアがどれほど恐ろしい『記録魔』であるかを忘れ、自分たちの都合の良い妄想に浸っていたのだ。

コンコン。

安宿のドアがノックされた。

「お? なんだ、支援物資でも届いたか?」

ロランドがウキウキしながらドアを開ける。

そこに立っていたのは、見知らぬ男だった。

黒いスーツに身を包み、手には一枚の封筒を持っている。

「……ロランド・元王子、およびミナ・元男爵令嬢ですね?」

「いかにも! なんだ、ファンからの寄付金か?」

「いいえ」

男は無表情で封筒を差し出した。

「ドラグーン公爵家法務部より、『公開裁判への召喚状』です」

「……は?」

「あなた方の発言に対し、ルーア様は『事実無根』として提訴されました。一週間後、国際司法裁判所にて公開審理が行われます。出廷なき場合は、全財産の差し押さえおよび強制労働刑が確定します」

「な、なんだとぉ!?」

ロランドが叫ぶ。

「裁判だと!? ふん、受けて立つ! こっちには『可哀想な被害者』という最強のカードがあるんだ! 世論は我々の味方だ!」

「そうですぅ! 意地悪なルーアなんかに負けませんぅ!」

ミナも強気に叫ぶ。

使者は「……では、現地でお待ちしております」とだけ言い残し、冷ややかな目で二人を一瞥して去っていった。

「見てろよルーア……! 法廷でお前の悪事を全て暴いてやる!」

ロランドとミナは、自分たちが掘った墓穴の深さにも気づかず、意気揚々と拳を突き上げた。

***

ドラグーン公爵城。

ルーアは召喚状の送達完了報告を聞き、満足げに頷いた。

「よし。魚は餌に食いつきました」

「……ルーア。本当に裁判で勝てるのか? 奴らは涙で同情を誘うのが得意だぞ」

クラウスが心配そうに尋ねる。

「法廷は劇場ではありません。証拠が全てです」

ルーアは愛用の魔導計算機を撫でた。

「閣下。明日の出発に向けて、私の『証拠コレクション』を馬車に積み込んでください。ダンボール箱で五十箱分ありますので」

「……五十箱?」

「はい。彼らが食べたお菓子のレシートから、密会の日時、放った暴言の録音データまで、全て網羅してあります」

ルーアはニッコリと笑った。

その笑顔は、美しいが、背筋が凍るほど冷徹だった。

「ミナ様は『嘘』をつきました。ビジネスにおいて、虚偽報告は万死に値します。……その代償、きっちりと払っていただきましょう」

悪役令嬢ルーアの『華麗なる倍返し』。

その舞台は、国際司法裁判所へと移る。

そこは、感情論が通用しない、ルーアにとってのホームグラウンド(狩り場)だった。
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