婚約破棄を待ってました!喜んで帰りますわ!

ハチワレ

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結婚式を三日後に控えた、ある晴れた日の午後。

ドラグーン公爵城は、これまでにない緊張感と、それ以上の祝祭ムードに包まれていた。

「玄関ホールの花飾り、位置が2センチ右です!」

「引き出物のクッキー、検品完了! 割れ欠けなし!」

「招待客の馬車誘導ルート、シミュレーション最終確認!」

使用人たちはルーア直伝の効率的な動きで準備を進めていた。

そんな喧騒の中、執務室で最終的な席次表のチェックをしていたはずのクラウスが、血相を変えて廊下に飛び出してきた。

「おい! ルーアを見ていないか!?」

その声には、ただならぬ焦りが滲んでいた。

通りがかったハンスが驚いて立ち止まる。

「えっ? ルーア様なら、先ほどまで執務室にいらしたのでは?」

「三十分前まではいた! だが、私が少し目を離した隙に、煙のように消えたのだ!」

クラウスは青ざめた顔で叫んだ。

「トイレかと思って待っていたが、戻らない。部屋中を探したが、どこにもいない! 書き置きも残されていない!」

「ま、まさか……」

ハンスの脳裏に、最悪の可能性がよぎる。

ロランドたちは追放された。ガミールも逮捕された。

だが、彼らの残党が報復のためにルーアを誘拐したとしたら?

あるいは、結婚式直前になって「マリッジブルー」になったルーアが、逃げ出したとしたら?

「緊急事態だ! 全職員に告ぐ! ルーアを捜せ!」

クラウスの怒号と共に、城中に警報が鳴り響いた。

「城門を閉鎖しろ! ネズミ一匹逃がすな! 私の感知魔法で探すが、君の魔力反応が見当たらない……どういうことだ!?」

クラウスの周囲から、バリバリと音がするほどの冷気が溢れ出す。

城内の温度が急激に下がり始めた。

「閣下、落ち着いてください! 廊下が凍ります!」

「落ち着いていられるか! ルーアがいなくなったんだぞ! 私の酸素がなくなったも同然だ!」

クラウスは正気を失いかけていた。

「もしや……結婚するのが嫌になったのか? 昨日の夕食で、私がニンジンのグラッセを残したのが原因か? それとも、誓いのキスの回数を『一日十回』から『五回』に減らそうとした私の弱腰に失望したのか!?」

「多分違います! もっと物理的な理由です!」

「なら誘拐か! どこのどいつだ! 私の花嫁を奪った愚か者は! この大陸ごと凍結させてやる!」

クラウスの瞳が赤く発光し、窓の外の天候が急変した。

真夏のような快晴だった空が、一瞬で分厚い雪雲に覆われ、猛吹雪が吹き荒れる。

城の使用人たちは悲鳴を上げた。

「ひいいい! 閣下が暴走したぁ!」

「ルーア様ぁ! 早く出てきてくださぁい! 世界が終わっちゃいますぅ!」

城内は大パニックに陥った。

騎士団が総出で部屋を捜索し、メイドたちが庭を走り回る。

しかし、ルーアの姿はどこにもない。

一時間後。

エントランスホールに立ち尽くすクラウスは、もはや生ける氷像と化していた。

「……いない」

絶望の声。

「どこにもいない……。私の感知魔法にも引っかからない……」

「か、閣下……」

ハンスが恐る恐る声をかける。

「もしかして、城の『外』ではなく、『遮蔽された場所』にいるのでは?」

「遮蔽された場所?」

「はい。例えば……魔力を遮断するような、分厚い石壁や結界に守られた場所……」

クラウスがハッと顔を上げた。

「……地下だ」

「地下?」

「この城の地下深くに、先々代が作った『禁断の書庫』がある。そこは重要機密を守るために、強力な魔力遮断結界が張られている……!」

クラウスは弾かれたように走り出した。

「そこか! そこに閉じ込められているのか!」

「閣下、お待ちください! あそこは迷宮のように入り組んでいて危険です!」

クラウスはハンスの静止も聞かず、地下への階段を転げ落ちるように駆け下りた。

「ルーア! 今行くぞ! 無事でいてくれ!」

彼の脳内では、すでに最悪のシナリオが展開されていた。

賊に襲われ、手足を縛られ、冷たい地下室で震えているルーア。

「許さん……犯人は八つ裂きにしてやる……!」

クラウスは地下室の厳重な扉を、鍵も使わずに氷魔法で粉砕した。

ドオォォォン!!

爆音と共に鉄扉が吹き飛ぶ。

土埃が舞う中、クラウスは地下書庫へと踏み込んだ。

「ルーア!!」

広い地下空間。

カビ臭い空気と、古い紙の匂い。

本棚が迷路のように並ぶその奥で、小さな灯りが揺れていた。

クラウスは剣を抜き、殺気を漲らせてその光へ向かって突進した。

「そこか! 賊め、覚悟し――」

「……うるさいですね」

冷ややかな声が響いた。

「え?」

クラウスが急ブレーキをかける。

そこには、山積みの古文書に囲まれ、床に座り込んで一心不乱に本を読んでいるルーアの姿があった。

怪我はない。縛られてもいない。

ただ、眼鏡(伊達)が少しずれているだけだ。

「……ル、ルーア?」

「あ、閣下。どうしたんですか、そんなに慌てて。またニンジンの食べ残しを隠そうとして見つかったんですか?」

ルーアは本から目を離さずに言った。

クラウスは剣を取り落とし、膝から崩れ落ちた。

「……無事……なのか?」

「はい? 見ての通りですが」

「な、なぜこんなところに……! 探したんだぞ! 城中が大騒ぎになっている!」

「えっ、そうなんですか?」

ルーアはきょとんとして顔を上げた。

「すみません。ちょっと『調べ物』をしたくてここに入ったら、面白そうな文献を見つけてしまって……つい没頭してしまいました」

「調べ物?」

「はい。これを見てください」

ルーアは興奮気味に、手元の古文書を差し出した。

それは、ボロボロになった革表紙の帳簿だった。

「これ、三百年前の『ドラグーン領・初代公爵の家計簿』ですよ!」

「……は?」

「すごいんです! 当時の物価指数と、魔石の流通レートが詳細に記録されているんです! しかも、初代公爵ったら、へそくりを隠すために『裏帳簿』を作っていたみたいで、その隠し場所の暗号がここに……!」

ルーアの目が、宝石を見た時以上に輝いている。

「この暗号を解読すれば、初代の隠し財産が見つかるかもしれません! 歴史的発見であり、臨時収入のチャンスです!」

クラウスは呆然とした。

誘拐でも、マリッジブルーでもなかった。

ただの『古文書(家計簿)オタク』の発作だった。

「……それだけか?」

「それだけとは何ですか。これは重大な――」

ガバッ!

クラウスはルーアに飛びつき、力一杯抱きしめた。

「うわっ! ちょ、閣下!?」

「バカ者! 心配させやがって……! 心臓が止まるかと思ったぞ!」

クラウスの声が震えている。

その腕の力強さと、微かに震える体温に、ルーアはようやく事の重大さに気づいた。

「……もしかして、いなくなったと思って、焦りました?」

「当たり前だ! 君がいなければ、私は生きていけないと言っただろう!」

「……ごめんなさい」

ルーアは反省し、クラウスの背中をポンポンと叩いた。

「ここは魔力遮断結界があるから、気配が消えちゃってたんですね。計算外でした」

「もう二度と、私の目の届かないところに行くな」

「はい、気をつけます。……でも、あと1ページでへそくりの場所が……」

「後でいい! 今は私を見ろ!」

クラウスはルーアの頬を両手で挟み、強引に自分の方を向かせた。

至近距離で見つめ合う二人。

地下室の薄暗い灯りの中、クラウスの蒼い瞳が濡れたように光っている。

「……ルーア。罰として、ここで『誓いのキス』の前払いをする」

「えっ、ここ地下室ですよ? カビ臭いし、埃っぽいし……」

「関係ない。君の生存確認が必要だ」

「むぐっ」

反論する間もなく、唇が塞がれた。

古文書と埃の舞う地下書庫で、長くて情熱的な口付けが交わされる。

数分後。

顔を真っ赤にしたルーアと、すっかり生気を取り戻したクラウスが、地下から出てきた。

廊下で待ち構えていたハンスたちが、二人を見て安堵の涙を流す。

「よかったぁぁぁ! ルーア様ご無事でしたかぁ!」

「閣下の機嫌が直ったぁ! 世界が救われたぁ!」

「皆様、お騒がせしました」

ルーアはバツが悪そうに頭を下げた。

「ちょっと地下で『埋蔵金の発掘調査』をしていただけです」

「埋蔵金……?」

ハンスたちは顔を見合わせたが、無事なら何でもいいと拍手喝采した。

その後、執務室に戻ったクラウスは、ルーアの足首に何かをつけようとした。

「……閣下。これは何ですか?」

「『魔導GPSアンクレット』だ。私の魔力を込めてある。これで君が世界のどこにいても、位置をミリ単位で特定できる」

「却下です。囚人じゃないんですから」

「なら、手首にするか? それとも首輪?」

「全部ダメです! ……はぁ、わかりましたよ」

ルーアは自分の左手の薬指を差し出した。

「どうせつけるなら、指輪にしてください。それなら、まあ……許容範囲です」

「……指輪か」

クラウスは嬉しそうに目を細めた。

「結婚式まで待てないな。今すぐつけたいくらいだ」

「式まで我慢してください。楽しみは後にとっておくものです」

こうして、誘拐(未遂)事件は解決した。

ルーアの「数字への執着」が引き起こした騒動だったが、結果としてクラウスの愛の重さを再確認することとなった。

そして翌日。

ついに、待ちに待った結婚式の日がやってくる。

しかし、ルーアにはまだ一つ、気がかりなことがあった。

地下室で見つけた「初代公爵の家計簿」。

その最後のページに、奇妙な『予言』めいた数字の羅列があったのだ。

『200年後の未来、氷の心を持つ者を、異界の知識を持つ乙女が溶かすだろう』

(……異界の知識? 私のこと?)

ルーアは首を傾げた。

(まさかね。私はただの計算好きだし)

彼女は深く考えるのをやめ、純白のドレスに袖を通した。

今日だけは、数字も計算も忘れて(多分無理だが)、世界で一番幸せな花嫁になるために。
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