泣き喚け! 婚約破棄された悪役令嬢は、全速力でどん底へ

八雲

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「ナタリー! 私の顔を見て安心しろ。特別に見舞いに来てやったぞ!」


公爵邸の静寂を切り裂くような、よく通る声。
部屋の扉が乱暴に開けられ、香水の匂いを漂わせたリュカ王子が、まばゆいばかりの笑顔で入ってきた。


……眩しい。
物理的にではなく、その「自分は好かれている」という全能感が眩しすぎて、今の私には有害ですわ。


私は真っ暗な部屋の隅で、昨日セドリック様に無理やり着替えさせられた「地味な黒パジャマ」の上から、さらに厚手の黒い毛布を被って丸まっていた。


「……どなた? ここは黄泉の国。生きた人間が足を踏み入れていい場所ではありませんわ」


「何を言っているんだ。ほら、ミエルが君のために焼いたクッキーを持ってきた。これを食べて、私への未練を少しでも和らげるがいい」


「クッキー……。ふん、毒の味がしそうですわね。今の私に必要なのは食べ物ではなく、棺桶に敷き詰めるための枯れたバラですのよ」


私は毛布から一本の腕だけを出し、床に置いてあった銀のトレイを探った。


「おい、ナタリー。暗くて顔が見えないぞ。せっかく私が来てやったというのに、その態度はなんだ。やはり君は、ミエルに比べて可愛げが――」


「……えい」


私はトレイに用意していた「清めの塩」を、王子の足元に向けて思い切り放り投げた。


「うわっ!? なんだ、何を投げた! 砂か!? 私の特注ブーツが汚れたではないか!」


「砂ではありません。悪霊退散のための塩ですわ。……ああ、恐ろしい。鏡を見るたびに自分の不幸に怯えている私に、これ以上の邪気(あなた)を近づけないでくださいまし」


「邪気だと!? この私を捕まえて、なんて失礼な! 君、さては本当に頭がおかしくなったのか?」


リュカ様が怒鳴りながら歩み寄ってくる。
私はすかさず、予備の塩を掴んで追い打ちをかけた。


「来ないで! 近寄らないでください! 今の私は、失恋という名の呪いによって、半径三メートル以内に近づく男を不幸にする歩く呪物なんですのよ!」


「呪物!? バカバカしい。そんな嘘に騙される私が――」


その時、リュカ様が足元の塩で滑り、派手にしりもちをついた。


「……あだだだっ! 腰が、私の腰が!」


「ほら! おっしゃったでしょう! 呪いですわ! 私の悲しみが、あなたの不届きな腰を直撃したのですわ!」


「ナタリー……! 君、わざとやっただろう!」


「わざと? そんな高度な計算ができるほど、私の脳は生きていませんわ。今はただ、悲しみの波に揺られるだけの海藻なんですもの」


私は毛布の中から、恨めしげな目で王子を睨みつけた。


「リュカ様……。あなたがミエル様と幸せになるのは勝手ですわ。でも、わざわざ死体に鞭を打ちに来るのは、悪趣味が過ぎますわよ。死体だって、プライバシーくらいありますの」


「死体死体と言うな! 気味が悪い! ……もういい、君を慰めようと思った私が馬鹿だった! 一生そうやって暗闇で腐っているがいい!」


リュカ様は真っ赤な顔をして立ち上がると、クッキーの袋を床に叩きつけて部屋を出ていこうとした。


その背中に、私は最後の塩をパラパラと振りかける。


「……さようなら、光の世界の住人様。どうか、私の呪いが解けるまでは、二度と現れないでくださいましね」


「……狂ってる。絶対に狂っているぞ、あいつは!」


王子の叫び声が廊下に響き渡り、やがて遠ざかっていった。


静かになった部屋で、私は毛布を脱ぎ捨て、床に落ちたクッキーの袋を拾い上げた。


「……ミエル様のお手製? ……まあ、毒見は必要ですわね」


袋を開けると、バターのいい香りが漂った。
一枚口に入れると、サクサクとした食感と共に、優しい甘さが広がる。


「……美味しい。おのれ、ミエル様。立ち直れない私を、胃袋から攻略しようとするなんて、なんて恐ろしい女……!」


ムシャムシャとクッキーを頬張っていると、不意に部屋の明かりが点いた。


「……おい。塩だらけの部屋で、何をしている」


そこには、腕を組んで壁に寄りかかるセドリック様の姿があった。


「セドリック様!? いつからそこに!?」


「王子が腰を抜かしたあたりからだ。……ナタリー、お前。悲しみの海藻の割には、クッキーを食べる音が景気良すぎないか?」


「これは、供養ですわ! あ、セドリック様もいかが? 毒見は済みましたわよ」


「いらん。……お前、あんな真似をして、後で王家に呼び出されても知らないぞ」


セドリック様は歩み寄ると、私の頭に付いた塩を、乱暴に払い落とした。


「いいんですわ。呼び出されたら、棺桶に入ったまま登城しますから。それが今の私の、正装ですもの」


「……勝手にしろ。だが、掃除は自分でやれよ。使用人が泣いていたぞ」


セドリック様は呆れたように言い捨てたが、その瞳には、ほんの少しだけ可笑しそうな色が混じっているのを、私は見逃さなかった。
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