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雲一つない、抜けるような青空。
絶好の行楽日和であり、本来なら公爵令嬢が庭園で優雅にティータイムを楽しむべき午後。
しかし、ゴールドマン公爵邸の裏庭では、一人の令嬢がドレスの裾を捲り上げ、無心にシャベルを振るっていた。
「……ふんっ! はあっ! ……重い、重いですわ。私の業が、この土の一粒一粒に宿っているようですわ……!」
「おい。公務の合間に生存確認に来てみれば、今度は土木作業か?」
頭上から降ってきた呆れ果てた声に、私はシャベルを杖のようにして立ち上がった。
「……セドリック様。……見ての通りですわ。私は今、自分の『心』を埋めるための聖域を作っているのです」
「聖域? どう見ても、ただの不法投棄現場にしか見えないが。……公爵自慢の芝生をこれ以上剥がすのはやめろ」
セドリック様は、ぴしりと整った官服のまま、私の掘った穴を冷ややかに見下ろした。
深さ五十センチ。
令嬢が一人で掘ったにしては、なかなかの重労働だったはずだ。
「不法投棄ではありませんわ。ここは、ナタリー・ゴールドマンの『かつての愛』を埋葬するための墓所ですの。……ほら、これをご覧くださいまし」
私は穴の底に、小さな小箱を置いた。
「……それはなんだ。宝石箱か?」
「リュカ様からいただいた、数々の思い出の品ですわ。……と言っても、彼がくださったのは『期限切れの香水のサンプル』とか『趣味の悪いカブトムシの標本』とか、そんなものばかりですけれど」
「……お前、よくそんなゴミを今まで取っておいたな」
「ゴミではありませんわ、絶望の種ですのよ! これを埋めることで、来年の春には、ここから美しい『失恋の花』が咲き誇るはずですわ。……ああ、想像しただけで悲劇的……」
私は額の汗を拭い、再び土を被せようとした。
しかし、セドリック様がそのシャベルの柄を掴んで止めた。
「待て。そんな非生産的なことをしている暇があるなら、これを見ろ」
セドリック様は、懐から一通の書類を取り出した。
「なんですの? ……『婚約破棄に伴う、贈与品の返還および慰謝料算定に関する中間報告書』?」
「そうだ。お前がここでゴミを埋めている間に、私は実務をこなしている。……リュカ王子側から返還された品物の中に、ゴールドマン家代々の家宝である『碧眼の涙』というブローチが含まれていない。これについて、心当たりは?」
「碧眼の涙……? ああ、あの、お豆みたいな形の青い宝石ですわね」
「豆と言うな。国宝級の価値があるものだ」
「……あれなら、一ヶ月前にリュカ様が『ミエルの瞳に似ているから、ちょっと貸してほしい』と仰ったので、差し上げましたわ」
「……。……今、なんと?」
セドリック様の眼鏡の奥の瞳が、一瞬で凍りついた。
周囲の温度が五度くらい下がった気がする。
「貸してほしいと仰ったので、貸しましたの。……返ってきていないということは、きっとミエル様が、それを『美味しいキャンディか何か』と間違えて食べてしまったのかもしれませんわ。ああ、私の家宝まで失われるなんて、なんて不運なヒロイン……」
「……笑えない。全く笑えないぞ、ナタリー」
セドリック様は、こめかみを押さえて深く、深いため息をついた。
「いいか、これは重大な横領だ。……お前が『立ち直れない』とか何とか言って現実逃避している間に、ゴールドマン家の資産が食いつぶされているんだぞ。わかっているのか?」
「資産なんて、愛の前では無力ですわ……」
「愛など、資産の前では無力だ! いいからシャベルを捨てろ。これから私と一緒に、王宮へ行くぞ」
「嫌ですわ! 今の私を外に出すなんて、熟しすぎたトマトを街中で振り回すようなものですのよ! 少しの衝撃で、ドロドロの悲しみが溢れ出して、街を赤く染めてしまいますわ!」
「……例えが不衛生だ。いいから来い」
セドリック様は私の泥だらけの手を掴むと、強引に穴から引きずり出した。
「離して! まだ埋葬が終わっていませんの! カブトムシの標本が、寂しそうにこちらを見ていますわ!」
「標本はもう死んでいる。……お前も、死んだふりをするのはもうやめろ」
セドリック様の強い力に逆らえず、私はずるずると屋敷の方へ引き立てられていく。
「セドリック様……! あなた、もしかして私を連れ出すために、わざわざこんな難しい書類を作ってきたのですか?」
「……勘違いするな。これは仕事だ。お前という『歩く爆弾』を管理するのも、宰相補佐官としての私の義務に含まれているんだ」
「管理……? まあ、私をペットのように扱うなんて、なんて傲慢な! 悲劇のヒロインを飼い慣らせると思ったら大間違いですわよ!」
「飼い慣らすつもりはない。ただ、野放しにして庭を穴だらけにされるのを防ぎたいだけだ」
セドリック様の言葉はどこまでも冷たく、事務的だった。
けれど、握られた手の温かさだけは、昨日の鴨のローストと同じくらい、ほんのりと熱を持っていて。
私は「立ち直れない」という設定を守るため、わざとらしく大きなため息をついて見せた。
「……わかりましたわ。そこまで仰るなら、同行してあげます。……ただし! 移動の馬車の中では、ずっと私の身の上話を一から百まで、涙ながらに聞いていただきますからね!」
「……地獄だな。……一分で寝てやる」
セドリック様はそう言いながらも、私の泥だらけの手を離すことはなかった。
こうして、私は自作の墓地を後にして、再び「現実」という名の戦場へ連れ戻されることになったのである。
絶好の行楽日和であり、本来なら公爵令嬢が庭園で優雅にティータイムを楽しむべき午後。
しかし、ゴールドマン公爵邸の裏庭では、一人の令嬢がドレスの裾を捲り上げ、無心にシャベルを振るっていた。
「……ふんっ! はあっ! ……重い、重いですわ。私の業が、この土の一粒一粒に宿っているようですわ……!」
「おい。公務の合間に生存確認に来てみれば、今度は土木作業か?」
頭上から降ってきた呆れ果てた声に、私はシャベルを杖のようにして立ち上がった。
「……セドリック様。……見ての通りですわ。私は今、自分の『心』を埋めるための聖域を作っているのです」
「聖域? どう見ても、ただの不法投棄現場にしか見えないが。……公爵自慢の芝生をこれ以上剥がすのはやめろ」
セドリック様は、ぴしりと整った官服のまま、私の掘った穴を冷ややかに見下ろした。
深さ五十センチ。
令嬢が一人で掘ったにしては、なかなかの重労働だったはずだ。
「不法投棄ではありませんわ。ここは、ナタリー・ゴールドマンの『かつての愛』を埋葬するための墓所ですの。……ほら、これをご覧くださいまし」
私は穴の底に、小さな小箱を置いた。
「……それはなんだ。宝石箱か?」
「リュカ様からいただいた、数々の思い出の品ですわ。……と言っても、彼がくださったのは『期限切れの香水のサンプル』とか『趣味の悪いカブトムシの標本』とか、そんなものばかりですけれど」
「……お前、よくそんなゴミを今まで取っておいたな」
「ゴミではありませんわ、絶望の種ですのよ! これを埋めることで、来年の春には、ここから美しい『失恋の花』が咲き誇るはずですわ。……ああ、想像しただけで悲劇的……」
私は額の汗を拭い、再び土を被せようとした。
しかし、セドリック様がそのシャベルの柄を掴んで止めた。
「待て。そんな非生産的なことをしている暇があるなら、これを見ろ」
セドリック様は、懐から一通の書類を取り出した。
「なんですの? ……『婚約破棄に伴う、贈与品の返還および慰謝料算定に関する中間報告書』?」
「そうだ。お前がここでゴミを埋めている間に、私は実務をこなしている。……リュカ王子側から返還された品物の中に、ゴールドマン家代々の家宝である『碧眼の涙』というブローチが含まれていない。これについて、心当たりは?」
「碧眼の涙……? ああ、あの、お豆みたいな形の青い宝石ですわね」
「豆と言うな。国宝級の価値があるものだ」
「……あれなら、一ヶ月前にリュカ様が『ミエルの瞳に似ているから、ちょっと貸してほしい』と仰ったので、差し上げましたわ」
「……。……今、なんと?」
セドリック様の眼鏡の奥の瞳が、一瞬で凍りついた。
周囲の温度が五度くらい下がった気がする。
「貸してほしいと仰ったので、貸しましたの。……返ってきていないということは、きっとミエル様が、それを『美味しいキャンディか何か』と間違えて食べてしまったのかもしれませんわ。ああ、私の家宝まで失われるなんて、なんて不運なヒロイン……」
「……笑えない。全く笑えないぞ、ナタリー」
セドリック様は、こめかみを押さえて深く、深いため息をついた。
「いいか、これは重大な横領だ。……お前が『立ち直れない』とか何とか言って現実逃避している間に、ゴールドマン家の資産が食いつぶされているんだぞ。わかっているのか?」
「資産なんて、愛の前では無力ですわ……」
「愛など、資産の前では無力だ! いいからシャベルを捨てろ。これから私と一緒に、王宮へ行くぞ」
「嫌ですわ! 今の私を外に出すなんて、熟しすぎたトマトを街中で振り回すようなものですのよ! 少しの衝撃で、ドロドロの悲しみが溢れ出して、街を赤く染めてしまいますわ!」
「……例えが不衛生だ。いいから来い」
セドリック様は私の泥だらけの手を掴むと、強引に穴から引きずり出した。
「離して! まだ埋葬が終わっていませんの! カブトムシの標本が、寂しそうにこちらを見ていますわ!」
「標本はもう死んでいる。……お前も、死んだふりをするのはもうやめろ」
セドリック様の強い力に逆らえず、私はずるずると屋敷の方へ引き立てられていく。
「セドリック様……! あなた、もしかして私を連れ出すために、わざわざこんな難しい書類を作ってきたのですか?」
「……勘違いするな。これは仕事だ。お前という『歩く爆弾』を管理するのも、宰相補佐官としての私の義務に含まれているんだ」
「管理……? まあ、私をペットのように扱うなんて、なんて傲慢な! 悲劇のヒロインを飼い慣らせると思ったら大間違いですわよ!」
「飼い慣らすつもりはない。ただ、野放しにして庭を穴だらけにされるのを防ぎたいだけだ」
セドリック様の言葉はどこまでも冷たく、事務的だった。
けれど、握られた手の温かさだけは、昨日の鴨のローストと同じくらい、ほんのりと熱を持っていて。
私は「立ち直れない」という設定を守るため、わざとらしく大きなため息をついて見せた。
「……わかりましたわ。そこまで仰るなら、同行してあげます。……ただし! 移動の馬車の中では、ずっと私の身の上話を一から百まで、涙ながらに聞いていただきますからね!」
「……地獄だな。……一分で寝てやる」
セドリック様はそう言いながらも、私の泥だらけの手を離すことはなかった。
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