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「……決めたわ。アン、今すぐ私の髪を、このハサミでバッサリと切り落としてちょうだい!」
王宮から帰還した翌朝。
私は鏡の前で、代々ゴールドマン家に伝わる「名もなき名刀(実はただの肉切り包丁)」を握りしめて叫んだ。
「お嬢様、落ち着いてください! それは修道院に入る決意というより、今夜のメインディッシュを捌く決意に見えますわ!」
侍女のアンが、必死の形相で私の腕を掴んで止める。
「いいえ、切るのよ! 婚約破棄された女が辿り着く終着駅……。それは、人里離れた修道院での祈りの日々! そのためには、この艶やかな金髪も、華美なドレスも不要ですわ!」
「艶やかだと自覚していらっしゃるなら、なおさら切らないでください! それに、その包丁では髪がちぎれるだけですわよ!」
「いいのよ、ガタガタの切り口こそが、私の心の荒廃を表現するのに相応しいの! 私は今日から、聖女ナタリーとして、全人類の不幸を背負って生きるんですのよ!」
私は包丁を高く掲げ、自分を悲劇のヒロインの頂点へと導こうとした。
その時、部屋の扉がノックもなしに開き、いつもの「冷たい風」が吹き込んできた。
「……朝から何の騒ぎだ。肉でも焼くのか?」
セドリック様だ。
彼は私の手にある包丁と、乱れた髪を一瞥し、深く、今日一番の深いため息をついた。
「セドリック様! 見てください! 私は今、俗世の未練を断ち切ろうとしているところですわ!」
「未練を断ち切るのに肉切り包丁は必要ない。……アン、その危険物を取り上げろ」
「はい、喜んで!」
アンが素早い動きで私の手から包丁を奪い取った。
私は椅子に崩れ落ち、ハンカチを噛み締める。
「ひどいですわ……! 私の『断髪式』という名の聖なる儀式を邪魔するなんて! セドリック様、あなた、私を一生この地獄(公爵邸)に縛り付けておくおつもり!?」
「地獄にしては、朝からクロワッサンのいい香りが漂っているがな。……ナタリー、お前に修道院は無理だ。あそこは朝の四時に起床し、冷たい水で床を磨き、食事はパンと薄いスープだけだぞ」
「朝の、四時……?」
私は、一瞬だけ動きを止めた。
……四時。それは、私がようやく一番深い眠りにつく時間ですわ。
「……。……え、ええ、構いませんわ! 暗闇の中で床を磨きながら、一粒の涙を床に落とす……。なんて、なんてストイックでドラマチックなのかしら!」
「暖房もないぞ。冬は霜焼けで指がパンパンに腫れるだろうな」
「……指が、パンパン……。それは、ピアノが弾けなくなりますわね」
「それ以前に、あそこでは宝石も、鏡も、お徳用マドレーヌも持ち込み禁止だ」
私は、絶句した。
宝石のない生活? 鏡を見られない日々?
そして何より、マドレーヌという名の「精神安定剤」を奪われるというのか。
「……セドリック様。それ、本当に修道院のお話? 監獄の間違いではなくて?」
「信仰の道とは、それほどに厳しいものだ。……お前の考えている『修道院』は、どうせレースの付いた黒い修道服を着て、イケメンの司祭様に懺悔を聞いてもらうような、ふざけた妄想だろう?」
「……。……なぜ、それを」
図星だった。
私は、ステンドグラスから差し込む光を浴びながら、漆黒のベール越しに「ああ、私の罪は、美しすぎること……」と呟く自分を想像していたのだ。
「お前の脳内は、常に安っぽい恋愛小説の舞台装置で埋まっているからな。……いいか、ナタリー。髪を切りたいなら、普通に美容師を呼べ。修道院に行きたいなら、まず明日の朝四時に起きて、自分でこの部屋の床を磨いてみろ。一分で挫折する方に、私の月収を賭けてもいい」
「……バカにしないでくださいまし! 私だって、やればできるんですのよ!」
私はムッとして立ち上がった。
しかし、セドリック様は私に構わず、アンに向かって指示を出した。
「アン。彼女に新しいドレスのカタログを見せてやれ。……今、王都では『儚い失恋令嬢』をコンセプトにした、淡いパープルのドレスが流行り始めているらしいぞ」
「儚い、失恋令嬢……!?」
私の耳が、ピクリと反応した。
「お、お聞きなさい、セドリック様。……そのドレス、私の今の『立ち直れない』というイメージに、ぴったりではありませんこと?」
「……だろうな。修道服よりは、お前の顔色の悪さに映えるだろう」
「顔色が悪いのではありません! 絶望のパウダーをはたいているのですわ! ……アン! 修道院の話は一旦保留よ! 今すぐそのカタログを持ってきなさい!」
私は、ハサミ(包丁)を捨て、鼻息荒くカタログに飛びついた。
セドリック様は、それを見て、小さく口角を上げた。
「……チョロいな」
「何か仰いました、セドリック様?」
「いや、何も。……カタログを熟読するのはいいが、また墓穴を掘りに行くのはやめろよ。芝生の植え替え費用も、お前の小遣いから引くことになったからな」
「……っ! あ、あのお父様、いつの間にそんな実務的な制裁を……!」
私はカタログを握りしめながら、再び「金欠」という名の現実的な悲劇に震えるのだった。
修道院への道は遠のいたが、私の「悲劇のプロデュース」は、今日も順調に(?)方向転換を続けていた。
王宮から帰還した翌朝。
私は鏡の前で、代々ゴールドマン家に伝わる「名もなき名刀(実はただの肉切り包丁)」を握りしめて叫んだ。
「お嬢様、落ち着いてください! それは修道院に入る決意というより、今夜のメインディッシュを捌く決意に見えますわ!」
侍女のアンが、必死の形相で私の腕を掴んで止める。
「いいえ、切るのよ! 婚約破棄された女が辿り着く終着駅……。それは、人里離れた修道院での祈りの日々! そのためには、この艶やかな金髪も、華美なドレスも不要ですわ!」
「艶やかだと自覚していらっしゃるなら、なおさら切らないでください! それに、その包丁では髪がちぎれるだけですわよ!」
「いいのよ、ガタガタの切り口こそが、私の心の荒廃を表現するのに相応しいの! 私は今日から、聖女ナタリーとして、全人類の不幸を背負って生きるんですのよ!」
私は包丁を高く掲げ、自分を悲劇のヒロインの頂点へと導こうとした。
その時、部屋の扉がノックもなしに開き、いつもの「冷たい風」が吹き込んできた。
「……朝から何の騒ぎだ。肉でも焼くのか?」
セドリック様だ。
彼は私の手にある包丁と、乱れた髪を一瞥し、深く、今日一番の深いため息をついた。
「セドリック様! 見てください! 私は今、俗世の未練を断ち切ろうとしているところですわ!」
「未練を断ち切るのに肉切り包丁は必要ない。……アン、その危険物を取り上げろ」
「はい、喜んで!」
アンが素早い動きで私の手から包丁を奪い取った。
私は椅子に崩れ落ち、ハンカチを噛み締める。
「ひどいですわ……! 私の『断髪式』という名の聖なる儀式を邪魔するなんて! セドリック様、あなた、私を一生この地獄(公爵邸)に縛り付けておくおつもり!?」
「地獄にしては、朝からクロワッサンのいい香りが漂っているがな。……ナタリー、お前に修道院は無理だ。あそこは朝の四時に起床し、冷たい水で床を磨き、食事はパンと薄いスープだけだぞ」
「朝の、四時……?」
私は、一瞬だけ動きを止めた。
……四時。それは、私がようやく一番深い眠りにつく時間ですわ。
「……。……え、ええ、構いませんわ! 暗闇の中で床を磨きながら、一粒の涙を床に落とす……。なんて、なんてストイックでドラマチックなのかしら!」
「暖房もないぞ。冬は霜焼けで指がパンパンに腫れるだろうな」
「……指が、パンパン……。それは、ピアノが弾けなくなりますわね」
「それ以前に、あそこでは宝石も、鏡も、お徳用マドレーヌも持ち込み禁止だ」
私は、絶句した。
宝石のない生活? 鏡を見られない日々?
そして何より、マドレーヌという名の「精神安定剤」を奪われるというのか。
「……セドリック様。それ、本当に修道院のお話? 監獄の間違いではなくて?」
「信仰の道とは、それほどに厳しいものだ。……お前の考えている『修道院』は、どうせレースの付いた黒い修道服を着て、イケメンの司祭様に懺悔を聞いてもらうような、ふざけた妄想だろう?」
「……。……なぜ、それを」
図星だった。
私は、ステンドグラスから差し込む光を浴びながら、漆黒のベール越しに「ああ、私の罪は、美しすぎること……」と呟く自分を想像していたのだ。
「お前の脳内は、常に安っぽい恋愛小説の舞台装置で埋まっているからな。……いいか、ナタリー。髪を切りたいなら、普通に美容師を呼べ。修道院に行きたいなら、まず明日の朝四時に起きて、自分でこの部屋の床を磨いてみろ。一分で挫折する方に、私の月収を賭けてもいい」
「……バカにしないでくださいまし! 私だって、やればできるんですのよ!」
私はムッとして立ち上がった。
しかし、セドリック様は私に構わず、アンに向かって指示を出した。
「アン。彼女に新しいドレスのカタログを見せてやれ。……今、王都では『儚い失恋令嬢』をコンセプトにした、淡いパープルのドレスが流行り始めているらしいぞ」
「儚い、失恋令嬢……!?」
私の耳が、ピクリと反応した。
「お、お聞きなさい、セドリック様。……そのドレス、私の今の『立ち直れない』というイメージに、ぴったりではありませんこと?」
「……だろうな。修道服よりは、お前の顔色の悪さに映えるだろう」
「顔色が悪いのではありません! 絶望のパウダーをはたいているのですわ! ……アン! 修道院の話は一旦保留よ! 今すぐそのカタログを持ってきなさい!」
私は、ハサミ(包丁)を捨て、鼻息荒くカタログに飛びついた。
セドリック様は、それを見て、小さく口角を上げた。
「……チョロいな」
「何か仰いました、セドリック様?」
「いや、何も。……カタログを熟読するのはいいが、また墓穴を掘りに行くのはやめろよ。芝生の植え替え費用も、お前の小遣いから引くことになったからな」
「……っ! あ、あのお父様、いつの間にそんな実務的な制裁を……!」
私はカタログを握りしめながら、再び「金欠」という名の現実的な悲劇に震えるのだった。
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