泣き喚け! 婚約破棄された悪役令嬢は、全速力でどん底へ

八雲

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「……皆様、お聞きなさい! この軽快な三拍子は、今の私の『壊れた心拍数』には速すぎますわ!」


きらびやかなダンスホールの中心で、私は楽団に向かって扇を突きつけた。
周囲では色とりどりのドレスが蝶のように舞っているが、私は漆黒のドレスのまま、仁王立ちで音楽を止める。


「な、ナタリー! 君、せっかく私がダンスに誘ってやったというのに、何を言い出すんだ!」


私の正面で、差し出した手を空中で彷徨わせているリュカ王子が、顔を引きつらせて叫ぶ。


「リュカ様。……今の私は、愛の重力に押し潰された、ただの肉塊ですのよ? そんな私が、この『お花畑でスキップ』するような曲で踊れるとお思い?」


「お花畑ではない、王宮伝統のワルツだ! いいから来い、踊れば少しは頭が冷えるだろう!」


リュカ様が強引に私の手を取る。
私はズルズルと引きずられながら、楽団の指揮者に鋭い視線を送った。


「指揮者さん! 曲を替えてちょうだい! もっとこう、地の底から響くような……そう、ショパンの『葬送行進曲』を三拍子にアレンジしたような、地獄のワルツを要求しますわ!」


「葬送曲で踊る奴があるか! 縁起でもない!」


リュカ様のツッコミを無視して、私は無理やりステップを踏み始めた。


「……ああっ! 重い、重いですわ、私の足が! まるで未練という名の鉛を引きずっているようですわ……!」


「痛っ!? ナタリー、踏んだ! 今、私の親指を全力で踏んだぞ!」


「失礼。……それは、私の心が流した涙が、たまたま物理的な衝撃となってあなたの足元に落下しただけですわ。……はい、もう一発」


「ぐえっ!? わざとだろう! 今、明らかに狙って踵で踏み抜いたよな!?」


「わざとだなんて心外ですわ。……今の私は魂が抜けていますもの、足の制御なんて、風に舞う枯葉に期待するようなものですのよ。……ほら、ターンですわよ! 三途の川を渡るイメージで!」


私は漆黒のドレスをバサバサと翻し、リュカ様を振り回した。
黒いベールが王子の顔にベチベチと当たり、彼はもはやダンスを踊っているというより、荒ぶるカラスに襲われている被害者にしか見えない。


「……ナタリー、やめろ! 私の正装が……私の威厳が、君の黒い布に包まれて消えていく……!」


「いいではありませんか、私と一緒に闇に染まりましょう? さあ、リュカ様、もっと悲しそうな顔をして! 『ごめんなさいナタリー、僕がバカだった』というステップを踏んでくださいまし!」


「そんなステップ、習っていない! ……だめだ、誰か、誰か私を救ってくれ!」


王子が涙目で周囲に助けを求めたその時。
私の腰に、鉄のような強い力が回された。


「……そこまでだ、ナタリー。……殿下、お怪我はありませんか」


セドリック様だ。
彼は、荒れ狂う私を片腕でガシッと捕まえ、リュカ様から引き剥がした。


「セ、セドリック! 助かった……! あいつ、本当に私の足の骨を折るつもりだったぞ!」


「……殿下の足の骨よりも、会場の空気がこれ以上冷え切る方が問題です。……ナタリー、お前。葬送曲でワルツを踊るなど、どんな悪趣味な冗談だ」


セドリック様が、私の耳元で低く、呆れた声を出す。


「冗談ではありませんわ! 私は、自分の『婚約期間』という名の死体を、こうして華やかに弔ってあげたかっただけですのよ!」


「弔うのはいいが、他人を巻き込むな。……殿下、彼女の『死後硬直(わがまま)』は私が預かります。どうぞ、ミエル嬢のところへ戻って、平和なワルツを楽しんでください」


「……ああ、そうさせてもらうよ! ……ナタリー、君、明日には絶対『筋肉痛』という名の現実を味わうことになるからな、覚えておけ!」


リュカ様は捨て台詞を残し、逃げるようにミエル様の元へ走り去った。


静まり返った(ただし私の周囲だけ)ダンスホール。
セドリック様は私を離さず、そのままゆっくりと音楽に合わせて体を動かし始めた。


「……セドリック様。……私、まだ踊る元気なんてございませんわよ。……今はただ、床に伏して『絶望の魚』になりたい気分なんですの」


「……喋るな。……お前が暴れるから、私のステップが乱れる。……ほら、足元を見ろ。……お前が私の足を踏んだら、その瞬間にこの夜会から強制退去させるからな」


「……厳しいですわね。……でも、セドリック様。……あなたのリード、なんだか……とても、落ち着きますわ」


私は、彼の胸板に黒いベールを押し当てた。
規則正しい、彼の力強い心臓の音が聞こえる。


「……。……。……当然だ。……私は、お前のような『暴走特急』を止めるためのブレーキ役なんだからな」


セドリック様の手が、私の背中に優しく添えられる。
漆黒のドレスと、彼の端正な燕尾服が、ホールの中心でゆっくりと混ざり合う。


それは、葬送曲なんかよりもずっと、私のささくれた心に深く、静かに染み渡る時間だった。


「……ブレーキ役、ですか。……ふふ。……なら、一生私の隣で、そのブレーキを握っていてくださる?」


「……。……。……お前の月々の修理費(小遣い)次第だな」


「……あら。……そこは『命に代えても』と仰るところですわよ、死神様」


私は彼の腕の中で、少しだけいたずらっぽく笑った。
立ち直れない令嬢のダンスは、悲鳴から始まり、いつの間にか小さな吐息へと変わっていくのだった。
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