呼ばれても戻りません!婚約破棄された悪役令嬢ですので。

八雲

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「な、なんだ貴様は!」

アレック殿下が叫んだ相手は、リゾートのゲートから不機嫌そうに出てきた、恰幅の良い紳士だった。

湯上がりのバスローブ姿で、片手にはコーヒー牛乳の瓶を持っている。

「騒がしいな。せっかくの湯上がりの余韻が台無しではないか」

紳士は髭を撫でながら、殿下をジロリと睨んだ。

「お前こそ何だ? 仮装行列の団長か?」

「ぶっ、無礼者! 私はこの国の第二王子、アレックだ!」

殿下が胸を張る。

しかし、紳士は「ふん」と鼻を鳴らしただけだった。

「王子? ああ、噂の『ピンク王子』か。なるほど、その鎧……噂以上に目に痛いな」

「な、なんだと……!?」

「私の名はガレリア帝国の公爵、バルバロスだ。ここではただの『温泉愛好家』だがね」

「ガ、ガレリア帝国の公爵だと!?」

殿下の顔色がサッと変わった。

ガレリア帝国は大国だ。その公爵ともなれば、我が国の王族といえども無碍にはできない。

「な、なぜそのような高貴な方が、こんな辺境に……」

「辺境? 何を言う。ここは大陸一の癒やしの聖地『ベルガモット・リゾート』だぞ?」

公爵は私の肩をポンと叩いた。

「ここのオーナー、コロロ嬢は私の恩人でね。彼女の作るドラゴンバーガーとマッサージのおかげで、長年の腰痛が完治したのだ。素晴らしい経営者だよ」

「そ、そんな……」

殿下は絶句した。

自分が「罪人」として追放した女が、他国の重鎮から絶大な信頼を得ているのだ。

プライドがズタズタだろう。

私はここぞとばかりに微笑んだ。

「お分かりいただけましたか、殿下? 当リゾートは、国際的な賓客をお迎えする格式高い場所なのです。騒音を立てるなら、外交問題になりかねませんわよ?」

「ぐぬぬ……!」

殿下は歯ぎしりをした。

「……わ、わかった。騒ぐのはやめよう。だが、私は領主の元婚約者だ! 視察する権利がある!」

殿下は強引に話題を変えた。

「中に入れろ! 私の目で、ここが本当に健全な施設か確かめてやる!」

「入りたいのですか?」

「当たり前だ! ミナも疲れているし、騎士たちも限界だ!」

殿下の後ろでは、ミナが「お風呂ぉ……」とゾンビのように呻き、騎士たちが「温泉……温泉……」と虚ろな目で呟いている。

限界寸前だ。

私は電卓(魔道具)を取り出し、パチパチと叩いた。

「分かりました。お客様としてのご利用なら歓迎いたします」

「ふん、最初からそう言えばいいのだ」

殿下がズカズカとゲートをくぐろうとする。

「お待ちください」

私は鉄扇で通せんぼをした。

「入場料をいただきます」

「……は?」

「当リゾートは会員制に近い高級リゾートですので。入場料は、お一人様金貨一枚となっております」

「き、金貨一枚!? 高すぎるだろう! 王都の高級ホテルでも銀貨数枚だぞ!」

「ここは秘境ですので。輸送コストやドラゴン対策費がかかるのです」

私はニッコリと笑い、さらに付け加えた。

「あ、それと。殿下に関しては『特別料金』が適用されます」

「特別料金? 割引か?」

「いいえ。割増です。通常料金の三倍、金貨三枚をいただきます」

「なっ、なぜだ!」

「『迷惑料』および『精神的苦痛への慰謝料』、さらに『ピンク色が景観を損ねるための景観税』が含まれております」

「ふざけるなあああああ!!」

殿下の絶叫が荒野に響いた。

「そんな金、持っているわけなかろう! ここに来るまでの食費でスッカラカンだ!」

「あら、無一文ですか?」

私は冷ややかな目で見下ろした。

「お金のないお客様は、お帰りください。あ、野宿ならゲートの外でどうぞ。ただし、夜は冷えますし、野良ドラゴンが出ますけど」

「お、鬼か貴様!」

「経営者です」

殿下がワナワナと震える。

その時、横からミナが飛び出してきた。

「あります! お金ならありますぅ!」

彼女は自分の首にかけていた宝石のネックレスを引きちぎり、私に差し出した。

「これ! パパに買ってもらったダイヤです! これでお風呂に入れますか!?」

「ミ、ミナ!? それは私がプレゼントした……」

「うるさいですアレック様! ミナはもう限界なんです! 汗でベタベタだし、髪はバシバシだし! お風呂に入れるなら何でもしますぅ!」

ミナの目は血走っていた。

女性の美容への執念を舐めてはいけない。

私は宝石を鑑定スキル(セバス直伝)で見た。

「……うん、質は悪くないわね。これでミナ様と、殿下の分くらいは払えるでしょう」

「やったぁ! 早く! 一番高いトリートメントコースで!」

ミナは殿下を置いてけぼりにして、脱兎のごとくリゾート内へ走っていった。

「ミ、ミナァァァ……!」

残されたのは、呆然とする殿下と、絶望的な顔をした騎士たち五十名。

騎士団長が涙目で私を見た。

「あの……コロロ様。俺たちは……」

彼らは無一文だ。

しかし、その疲れ切った顔と、ピンク色の鎧の哀愁。

さすがに少し同情する。

それに、貴重な「労働力」を逃す手はない。

「お金がないなら、身体で払っていただきます」

私は背後のガストンに目配せをした。

ガストンがニヤリと笑い、大量のつるはしを持ってきた。

「え?」

「裏山の岩盤削り、二時間。それをこなせば、入浴料とお食事をタダにしてあげます」

「や、やりますッ!!」

「岩でも何でも削ります! 温泉に入らせてください!」

騎士たちは即答した。

プライドよりも温泉。それが人間の真理だ。

「よし、契約成立ね! ガストン、彼らを『現場』へ案内して!」

「おうよ! 新入りども、ついてきな! まずはその動きにくいピンクの鎧を脱げ!」

「はい喜んでぇぇぇ!」

騎士たちは歓喜の声を上げ、鎧を脱ぎ捨ててガストンについていった。

「お、おい! 待て! 私の近衛騎士団が!」

殿下が叫ぶが、誰も振り返らない。

最後に残ったのは、無一文の殿下ひとり。

「……さて、殿下」

私は彼を見下ろした。

「ミナ様のお支払いで入ることはできますが、どうします? プライドを守って野宿しますか? それとも、元婚約者に頭を下げてお風呂に入りますか?」

「…………」

殿下の顔が、赤から青、そして白へと変わっていく。

「……は、入る」

蚊の鳴くような声だった。

「聞こえませんわ?」

「入る! 入らせてくれ! もう三日も体を洗っていないんだ!」

殿下は泣き崩れた。

私は満足げに頷き、ゲートを開けた。

「ようこそ、ベルガモット・リゾートへ。……ただし、他のお客様のご迷惑になりますので、そのピンク色のマントは脱いでくださいね」

こうして、王国の威信をかけた「親征」は、ゲートの前であっけなく崩壊した。

しかし、本当の地獄はこれからだ。

リゾートの中には、彼が絶対に会ってはいけない人物――シロこと、隣国皇帝シリウスが待ち構えているのだから。
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