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「待て! 待てと言っているだろう、ベルベット!」
背後から響くライオネル様の怒声。
私はジークフルト様と共に歩みを進めようとしていましたが、やむなく足を止めました。
ゆっくりと振り返ると、そこには顔を真っ赤にして肩で息をする元婚約者と、その袖を掴んでおどおどしているクロエ様の姿。
「……殿下。静止を求めるのであれば、叫ぶよりも先に私の歩調と距離を計算し、先回りして進路を塞ぐべきではありませんか? その無駄な叫び声で、会場の空気振動を無駄に浪費するのはおやめください」
「うるさい! 貴様、まだ婚約破棄の儀式は終わっていないぞ! 公爵令嬢としての謝罪と、クロエへの許しを請う言葉がまだだ!」
私は天を仰ぎ、深いため息をつきました。
隣に立つジークフルト様の「やれやれ」といった気配が伝わってきます。
「殿下。そもそも、このパーティーで婚約破棄を宣言すること自体の『コストパフォーマンス』について、お考えになったことはありますか?」
「はあ!? コスト……なんだと?」
「まず、この卒業パーティーの主催は王家です。多額の国税が投じられたこの公的な場で、個人的な色恋沙汰を理由に不祥事を起こす。これは、王家の品格という無形資産を著しく毀損する行為ですわ」
私は指を折って数え始めました。
「第二に、本日の出席者の顔ぶれをご覧ください。隣国の外交官、有力貴族、主要商会の代表。彼らの前で、次期王妃と目されていた私を『冤罪』で糾弾したことにより、明日以降の王国の株価および信用格付けは暴落するでしょう。その経済的損失を、殿下はどう補填されるおつもりで?」
「そ、それは……クロエの清廉さを証明するためには必要な犠牲で……」
「『清廉さ』でパンは買えません。さらに言えば、この場で私を追い出したところで、私の実家であるローゼライト公爵家が管理する北部の物流網が明日から停止した場合、王都の食糧価格は三割上昇します。……まさか、愛の力で市民の胃袋を満たすとおっしゃるわけではありませんよね?」
ライオネル様は言葉を詰まらせ、クロエ様を振り返りました。
しかし、守ってもらえると思っていたクロエ様は、なぜか私の顔をキラキラとした目で見つめています。
「すごい……。ベルベット様、今の計算、暗算ですか……? かっこいい……」
「ちょっと、クロエ!? 何を言っているんだ!」
「あ、いえ! すみません殿下! でも、お姉様……じゃなくてベルベット様、おっしゃる通りですわ! 私、お腹が空くのは嫌です!」
ヒロインにあるまじき発言に、周囲の貴族たちからも失笑が漏れ始めました。
私は構わず、トドメの正論を叩き込みます。
「殿下。貴方がすべきだった『効率的な婚約破棄』はこうです。まず内々に私と父に相談し、円満な解消を条件に慰謝料の交渉を行う。そして私の体面を保つための嘘の理由――例えば『修行のために聖域へ隠居する』等――を用意し、数ヶ月かけて段階的に発表する。これならば、王国の信用を損なわず、私も無駄な労力を使わずに済みました」
「くっ……。貴様のように可愛げのない女と、相談などできるか!」
「感情を優先して国益を損なう。それを『王者の資質』と呼ぶのであれば、この国の未来は計算するまでもありませんわね。……ジークフルト様、行きましょう。これ以上ここにいても、私の脳細胞が死滅するだけです」
「承知した。……殿下、あとの処理は我ら近衛と文官で行いますので、どうぞその『愛』とやらに溺れていてください」
ジークフルト様が冷ややかな一言を残し、私をエスコートして歩き出しました。
今度こそ、引き止める声はありません。
会場を出て、静かな廊下に出たところで、ジークフルト様が低く笑いました。
「……くく、あははは! いや、失礼。あまりに痛快だったのでね。あのライオネル殿下が、あんなに手も足も出ない姿は初めて見た」
「笑い事ではありませんわ。これからの事後処理を考えると、頭が痛くなります。父様への説明、領地への通達、そして私自身の今後のキャリアプランの再構築……。一秒も無駄にはできません」
「キャリアプラン、か。貴女なら、どこへ行っても重宝されるだろうが……。ベルベット様、一つ提案がある」
彼は立ち止まり、私の方を向きました。
「私と共に、王宮の裏帳簿を洗ってみる気はないか? 貴女のその『眼』があれば、長年蔓延っている汚職を一掃できる。……もちろん、報酬は望むままだ」
「裏帳簿……。面白そうですわね。非効率な中抜きや横領は、この世で最も憎むべき不純物です」
私は口角を少しだけ上げました。
それは、社交界で「冷酷な笑み」と恐れられていたものですが、ジークフルト様は怯むどころか、満足そうに頷きました。
「交渉成立だな。では、私の執務室へ。最高級の茶葉と、最高に複雑な会計資料を用意させよう」
「最高に複雑な資料……。ふふ、最高の誘い文句ですわ。期待しております」
婚約破棄された夜に、騎士団長の執務室へ向かう。
世間的にはスキャンダルかもしれませんが、私にとってはこれ以上ない「有意義な夜」の始まりでした。
前世がどうだとか、運命がどうだとか、そんな不確かなものは必要ありません。
私は私の知性と、そして目の前の信頼できる(筋肉質な)パートナーと共に、この国を劇的に効率化して差し上げましょう。
「ところで、ジークフルト様」
「なんだ?」
「歩幅が広すぎます。私の歩調に合わせることで、エスコートの摩擦抵抗を減らしてください。……あと、三センチ左を歩いていただけると、私のドレスの裾が汚れずに済みます」
「……善処しよう。貴女の隣を歩くには、かなりの精進が必要なようだな」
私たちは夜の王宮を、足早に進んでいきました。
背後から響くライオネル様の怒声。
私はジークフルト様と共に歩みを進めようとしていましたが、やむなく足を止めました。
ゆっくりと振り返ると、そこには顔を真っ赤にして肩で息をする元婚約者と、その袖を掴んでおどおどしているクロエ様の姿。
「……殿下。静止を求めるのであれば、叫ぶよりも先に私の歩調と距離を計算し、先回りして進路を塞ぐべきではありませんか? その無駄な叫び声で、会場の空気振動を無駄に浪費するのはおやめください」
「うるさい! 貴様、まだ婚約破棄の儀式は終わっていないぞ! 公爵令嬢としての謝罪と、クロエへの許しを請う言葉がまだだ!」
私は天を仰ぎ、深いため息をつきました。
隣に立つジークフルト様の「やれやれ」といった気配が伝わってきます。
「殿下。そもそも、このパーティーで婚約破棄を宣言すること自体の『コストパフォーマンス』について、お考えになったことはありますか?」
「はあ!? コスト……なんだと?」
「まず、この卒業パーティーの主催は王家です。多額の国税が投じられたこの公的な場で、個人的な色恋沙汰を理由に不祥事を起こす。これは、王家の品格という無形資産を著しく毀損する行為ですわ」
私は指を折って数え始めました。
「第二に、本日の出席者の顔ぶれをご覧ください。隣国の外交官、有力貴族、主要商会の代表。彼らの前で、次期王妃と目されていた私を『冤罪』で糾弾したことにより、明日以降の王国の株価および信用格付けは暴落するでしょう。その経済的損失を、殿下はどう補填されるおつもりで?」
「そ、それは……クロエの清廉さを証明するためには必要な犠牲で……」
「『清廉さ』でパンは買えません。さらに言えば、この場で私を追い出したところで、私の実家であるローゼライト公爵家が管理する北部の物流網が明日から停止した場合、王都の食糧価格は三割上昇します。……まさか、愛の力で市民の胃袋を満たすとおっしゃるわけではありませんよね?」
ライオネル様は言葉を詰まらせ、クロエ様を振り返りました。
しかし、守ってもらえると思っていたクロエ様は、なぜか私の顔をキラキラとした目で見つめています。
「すごい……。ベルベット様、今の計算、暗算ですか……? かっこいい……」
「ちょっと、クロエ!? 何を言っているんだ!」
「あ、いえ! すみません殿下! でも、お姉様……じゃなくてベルベット様、おっしゃる通りですわ! 私、お腹が空くのは嫌です!」
ヒロインにあるまじき発言に、周囲の貴族たちからも失笑が漏れ始めました。
私は構わず、トドメの正論を叩き込みます。
「殿下。貴方がすべきだった『効率的な婚約破棄』はこうです。まず内々に私と父に相談し、円満な解消を条件に慰謝料の交渉を行う。そして私の体面を保つための嘘の理由――例えば『修行のために聖域へ隠居する』等――を用意し、数ヶ月かけて段階的に発表する。これならば、王国の信用を損なわず、私も無駄な労力を使わずに済みました」
「くっ……。貴様のように可愛げのない女と、相談などできるか!」
「感情を優先して国益を損なう。それを『王者の資質』と呼ぶのであれば、この国の未来は計算するまでもありませんわね。……ジークフルト様、行きましょう。これ以上ここにいても、私の脳細胞が死滅するだけです」
「承知した。……殿下、あとの処理は我ら近衛と文官で行いますので、どうぞその『愛』とやらに溺れていてください」
ジークフルト様が冷ややかな一言を残し、私をエスコートして歩き出しました。
今度こそ、引き止める声はありません。
会場を出て、静かな廊下に出たところで、ジークフルト様が低く笑いました。
「……くく、あははは! いや、失礼。あまりに痛快だったのでね。あのライオネル殿下が、あんなに手も足も出ない姿は初めて見た」
「笑い事ではありませんわ。これからの事後処理を考えると、頭が痛くなります。父様への説明、領地への通達、そして私自身の今後のキャリアプランの再構築……。一秒も無駄にはできません」
「キャリアプラン、か。貴女なら、どこへ行っても重宝されるだろうが……。ベルベット様、一つ提案がある」
彼は立ち止まり、私の方を向きました。
「私と共に、王宮の裏帳簿を洗ってみる気はないか? 貴女のその『眼』があれば、長年蔓延っている汚職を一掃できる。……もちろん、報酬は望むままだ」
「裏帳簿……。面白そうですわね。非効率な中抜きや横領は、この世で最も憎むべき不純物です」
私は口角を少しだけ上げました。
それは、社交界で「冷酷な笑み」と恐れられていたものですが、ジークフルト様は怯むどころか、満足そうに頷きました。
「交渉成立だな。では、私の執務室へ。最高級の茶葉と、最高に複雑な会計資料を用意させよう」
「最高に複雑な資料……。ふふ、最高の誘い文句ですわ。期待しております」
婚約破棄された夜に、騎士団長の執務室へ向かう。
世間的にはスキャンダルかもしれませんが、私にとってはこれ以上ない「有意義な夜」の始まりでした。
前世がどうだとか、運命がどうだとか、そんな不確かなものは必要ありません。
私は私の知性と、そして目の前の信頼できる(筋肉質な)パートナーと共に、この国を劇的に効率化して差し上げましょう。
「ところで、ジークフルト様」
「なんだ?」
「歩幅が広すぎます。私の歩調に合わせることで、エスコートの摩擦抵抗を減らしてください。……あと、三センチ左を歩いていただけると、私のドレスの裾が汚れずに済みます」
「……善処しよう。貴女の隣を歩くには、かなりの精進が必要なようだな」
私たちは夜の王宮を、足早に進んでいきました。
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