誘拐されて、悪役令嬢として断罪されているよです!

八雲

文字の大きさ
24 / 29

24

しおりを挟む
「……見えてきましたわ! 我が心の故郷、そして最高の熟成庫こと、黒鉄の砦が!」

馬車の窓から身を乗り出し、マーシャはちぎれんばかりに手を振った。

国境を越え、バルカ帝国の領土に入った瞬間から、彼女の表情は目に見えて活気を取り戻していた。
王都での「断罪ごっこ」で削られた精神的エネルギー(主に食欲)を、今すぐこの地で回復させたいという執念が伝わってくる。

「……マーシャ、危ないから引っ込め。それに、故郷を捨ててまだ数日だぞ。切り替えが早すぎないか?」

カイルが苦笑しながら彼女の腰を掴んで引き戻すが、マーシャの鼻はすでに砦から漂う「ある匂い」を捉えていた。

「いいえ、カイル様。美食家に過去などありませんわ。あるのは、今この瞬間の鮮度と、未来の献立だけです。……それより、嗅いでくださいませ。この風に乗ってやってくる、芳醇で、少し刺激的な、あの青カビの芳香を!」

「……ああ、例のブルーチーズか。お前が王国へ発つ前に仕込んだやつだな」

馬車が砦の正門をくぐると、そこには整列した兵士たちが……ではなく、手に手に空の皿とフォークを持った屈強な男たちが、期待に満ちた目で待ち構えていた。

「マーシャ様! お帰りなさいませ!」

「王国の飯が不味くて痩せちまったんじゃないかって、みんなで心配してたんですぜ!」

「さあ、早く厨房へ! バルドさんが、マーシャ様の指示がないと味付けが決まらないって泣いてるんです!」

凱旋した皇太子への敬意よりも、料理顧問への食欲が勝っている。
カイルは自分の部下たちの変わり果てた(?)姿に、もはや怒る気も起きなかった。

「皆様、ただいま戻りましたわ! 安心なさい、あちらの国から最高級のバルサミコ酢を分捕って……いえ、譲り受けてまいりました。今夜はこれを使って、とっておきの宴を催しますわよ!」

「「「うおおおおおっ!!」」」

地鳴りのような歓声が砦に響き渡る。
マーシャは馬車を降りるなり、真っ先に地下の「秘密の熟成庫」へと駆け込んだ。

そこには、ハンスが魔力で温度管理を続けていた、例のブルーチーズが鎮座していた。

「……ハンスさん、状況は?」

「はっ。マーシャ様が不在の間も、一分一秒の狂いなく温度を保ちました。……今、まさに最高の『食べ頃』を迎えております」

「素晴らしいわ。……では、この三百年熟成のバルサミコ酢を……一滴」

マーシャが小瓶から黒い雫を垂らすと、チーズの芳香と酢の甘い香りが溶け合い、その場にいた者全員が、抗いがたい空腹感に膝を突きそうになった。

「……完成ですわ。これこそが、王国を経済的に屈服させ、帝国を豊かにする我が軍の最終兵器、『至高のブルー・バルサミコ』です!」

その日の夕食。
砦の食堂は、もはや祝宴の会場というよりは、宗教的な儀式の場のような静謐さと、それに続く狂喜乱舞に包まれた。

「……旨すぎる。このチーズの塩気と、酢のコク……。これがあれば、硬い軍用パンが王宮のケーキより贅沢な味に変わるぞ……!」

「マーシャ様……。俺、一生この砦から異動願いは出しません。バルカ帝国の兵士で本当に良かった!」

兵士たちが涙を流しながらパンを貪る様子を見て、カイルはマーシャの隣で静かにワインを傾けた。

「……マーシャ。お前の言った通りだな。武力で国を守るより、胃袋を満たす方が、ずっと強固な忠誠心を生む」

「あら。私はただ、自分が一番美味しい状態で食べたかっただけですわよ、カイル様」

マーシャは自分の皿に山盛りにした料理を幸せそうに頬張りながら、上機嫌で答えた。

「でも、これで確信しましたわ。バルカ帝国には、まだまだ眠っている食材が山ほどあります。……カイル様、私を正式に妃に迎えてくださるなら、条件が一つありますわ」

カイルは、ついに来たか、と背筋を伸ばした。
彼女が何を要求するのか。宝石か、権力か、あるいは……。

「……言ってみろ。可能な限り、叶えよう」

「帝国中の『未開の特産品』を探すための、専用の『美食調査団』を組織させてくださいませ。私は、この国のすべての美味しいものを、地図に書き込みたいのです!」

「…………」

「……カイル様? 難しいかしら?」

カイルは、噴き出しそうになるのを必死に堪え、彼女の頭を優しく撫でた。

「……いや、お前らしい。いいだろう、俺がその調査団の団長になってもいい。……ただし、一番最初に味見をするのは、俺であること。それを忘れるなよ」

「もちろんですわ! カイル様は私の、世界で一番大切な『味見役』ですもの!」

満面の笑みで答えるマーシャ。
その瞳には、かつて「悪役令嬢」として断罪された悲劇の影など、微塵も残っていなかった。

彼女にとって、王国での生活は前菜に過ぎない。
バルカ帝国で始まる、終わりのないフルコース。
それが、彼女の本当の人生の幕開けだったのだ。

「さあ、リリア様! あなたもジャガイモを剥いてばかりいないで、このチーズを召し上がれ! 新しい世界が開けますわよ!」

「……うるさいわね。私は今、マッシュポテトの滑らかさを追求するのに忙しいのよ! ……あ、でも一口だけなら……もぐっ。……な、何これ……! 明日からジャガイモ、全部これに浸して食べるわ!」

聖女さえも完全に堕落(あるいは開眼)させた、マーシャの凱旋夜。
砦を包む香ばしい匂いは、新しい時代の訪れを告げるかのように、バルカの夜空へと高く、高く舞い上がっていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした

ぜんだ 夕里
恋愛
傾きかけた家を救うため、私が結んだのはあまりにも不謹慎な契約――余命いくばくもない大富豪の辺境伯様と結婚し、彼の最期を穏やかに看取ることで莫大な遺産を相続する、というものだった。 しかし、人の死を利用して富を得るなど不正義! そう考えた私が立てたのは、前代未聞の計画。 「そうだ、遺産が残らないくらい贅沢の限りを尽くしてもらえば、すべて丸く収まるじゃない!」

元婚約者からの嫌がらせでわたくしと結婚させられた彼が、ざまぁしたら優しくなりました。ですが新婚時代に受けた扱いを忘れてはおりませんよ?

3333(トリささみ)
恋愛
貴族令嬢だが自他ともに認める醜女のマルフィナは、あるとき王命により結婚することになった。 相手は王女エンジェに婚約破棄をされたことで有名な、若き公爵テオバルト。 あまりにも不釣り合いなその結婚は、エンジェによるテオバルトへの嫌がらせだった。 それを知ったマルフィナはテオバルトに同情し、少しでも彼が報われるよう努力する。 だがテオバルトはそんなマルフィナを、徹底的に冷たくあしらった。 その後あるキッカケで美しくなったマルフィナによりエンジェは自滅。 その日からテオバルトは手のひらを返したように優しくなる。 だがマルフィナが新婚時代に受けた仕打ちを、忘れることはなかった。

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

【完結】魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――

ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。 魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。 ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。 誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。

ブサイク令嬢は、眼鏡を外せば国一番の美女でして。

みこと。
恋愛
伯爵家のひとり娘、アルドンサ・リブレは"人の死期"がわかる。 死が近づいた人間の体が、色あせて見えるからだ。 母に気味悪がれた彼女は、「眼鏡をかけていれば見えない」と主張し、大きな眼鏡を外さなくなった。 無骨な眼鏡で"ブサ令嬢"と蔑まれるアルドンサだが、そんな彼女にも憧れの人がいた。 王女の婚約者、公爵家次男のファビアン公子である。彼に助けられて以降、想いを密かに閉じ込めて、ただ姿が見れるだけで満足していたある日、ファビアンの全身が薄く見え? 「ファビアン様に死期が迫ってる!」 王女に新しい恋人が出来たため、ファビアンとの仲が危ぶまれる昨今。まさか王女に断罪される? それとも失恋を嘆いて命を絶つ? 慌てるアルドンサだったが、さらに彼女の目は、とんでもないものをとらえてしまう──。 不思議な力に悩まされてきた令嬢が、初恋相手と結ばれるハッピーエンドな物語。 幸せな結末を、ぜひご確認ください!! (※本編はヒロイン視点、全5話完結) (※番外編は第6話から、他のキャラ視点でお届けします) ※この作品は「小説家になろう」様でも掲載しています。第6~12話は「なろう」様では『浅はかな王女の末路』、第13~15話『「わたくしは身勝手な第一王女なの」〜ざまぁ後王女の見た景色〜』、第16~17話『氷砂糖の王女様』というタイトルです。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

処理中です...