誘拐されて、悪役令嬢として断罪されているよです!

ハチワレ

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「……ここが帝都の社交界ですのね。なんだか、漂ってくる空気が少しばかり『お堅い』ですわ」

バルカ帝国の帝都。豪華絢爛な夜会会場の入り口で、マーシャは扇を片手に小さく鼻を鳴らした。

隣に立つカイルは、第一皇太子としての正装に身を包み、苦笑しながら彼女の手を引いた。

「当然だろう。バルカの貴族たちは、実力主義で真面目な連中が多いんだ。……それに、お前については『王国を食い潰して逃げてきた毒婦』という噂が、かなり脚色されて広まっているからな」

「毒婦だなんて失礼ね。私はただ、美味しいものを追求しているだけですのに。……あら、カイル様。見てくださいませ、あちらのビュッフェテーブルを」

マーシャの目が、獲物を狙う鷹のように鋭く光った。

会場の壁際に並べられた料理の数々。
見た目は整っているが、マーシャの鼻はそれらが「作り置きで乾燥し始めている」ことを見抜いていた。

「……信じられませんわ。皇太子殿下の凱旋パーティーだというのに、あの乾ききったカナッペ。それに、あの冷え固まった家禽のテリーヌ……。これはもはや、私に対する宣戦布告と受け取ってもよろしくて?」

「いや、ただの料理だろう。……おい、マーシャ。今日は大人しくしていると約束したはずだぞ」

「大人しくしておりますわよ。……この『不味い料理』という名の悪を、徹底的にお掃除するまでは!」

マーシャはカイルの手をすり抜けると、優雅な足取りでビュッフェテーブルへと向かった。
周囲の貴族たちが、「あれが噂の悪役令嬢か」「なんて恐ろしい目をして料理を睨んでいるんだ」と、ヒソヒソと囁き合う。

「……ちょっと、そこの給仕の方」

マーシャが声をかけると、若い給仕は蛇に睨まれた蛙のように硬直した。

「は、はいっ! マーシャ・ランドール様でしょうか!?」

「ええ。……このコンソメスープ、温め直す際に火を入れすぎましたわね? 香りが飛んで、雑味が出ていますわ。……それと、このチーズ。常温に戻すのが早すぎて、脂が浮いています。……厨房の責任者を呼んでくださる?」

「ま、マーシャ様! ここは社交の場であって、料理の査定会場では……」

慌てて駆け寄ってきた中年の侯爵が口を挟んだが、マーシャは扇で彼を制した。

「侯爵様。美味しい料理こそが、最高の外交。そうではありませんこと? こんな不出来な料理を客人に勧めることこそ、帝国の名誉に関わりますわ」

マーシャはそのまま厨房へと「乱入」した。
カイルは頭を抱えながら、彼女の後を追う。

数分後。
パーティー会場には、これまでの「お上品な香り」とは明らかに違う、暴力的なまでに食欲をそそる匂いが漂い始めた。

「な、なんだこの香りは……。バターと……焦がしたお醤油のような、不思議な……」

「……旨い! なんだこの、表面はカリッとしているのに中はふわふわのパンは!」

厨房から戻ってきたマーシャの手には、先ほどの「死にかけのテリーヌ」をソースのベースに作り替えた、極上の煮込み料理が握られていた。

「皆様。これが本当の『バルカの味』ですわ。……さあ、冷めないうちに召し上がれ」

マーシャが微笑むと、警戒していた貴族たちが一人、また一人と皿を差し出し始めた。
一口食べた瞬間、会場のあちこちで「おおお……!」という、感動とも嗚咽とも取れる声が上がる。

「……マーシャ様。疑って申し訳なかった。あなたは毒婦などではない……『食の救世主』だ!」

「このソースのレシピを……どうか我が家にも伝授していただけないでしょうか!」

一瞬にして、マーシャを取り囲む輪は「非難」から「崇拝」へと変わった。
カイルは、自分の婚約者が一瞬で帝都の貴族たちを「餌付け」した光景を目の当たりにし、深く溜息をついた。

「……カイル様。見てください。皆様、とってもいい笑顔ですわ」

マーシャが満足げにカイルの元へ戻ってくる。その口元には、ちゃっかり自分でも味見をしたらしいソースがついている。

「……ああ、そうだな。お前の前では、政治的な駆け引きなど無意味だ。……だがマーシャ、お前のドレスにソースが飛んでいるぞ」

「あら、大変! ……でも大丈夫ですわ。これもまた、美味しさの証ですもの!」

カイルはハンカチを取り出すと、呆れながらも愛おしそうに彼女の頬を拭った。

「……これからは帝都でも、お前の『胃袋支配』に付き合わされることになりそうだな」

「もちろんですわ。……さあ、カイル様。次はお口直しのソルベを、もっと滑らかに作り直してまいりますわね!」

「……ほどほどにしておけよ」

マーシャの帝都デビューは、王国の予想を遥かに超えた「美味しすぎる大成功」となったのである。
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