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「……はぁ。まさか、あの国がここまで早く『賞味期限切れ』になるとは思いませんでしたわ」
バルカ帝国の皇太子妃専用のサンルーム。
マーシャは、ハンスが持ってきた最新の報告書を眺めながら、上品にスコーンを口へ運んだ。
隣で書類に目を通していたカイルが、苦笑混じりに顔を上げる。
「マーシャ。お前が突きつけた『金貨五万枚の請求書』が、王国の財政にトドメを刺したらしいぞ。ウィフレッドの奴、支払い期限を守るために王室の食器まで売り払っているそうだ」
「あら、当然ですわ。踏み倒しは美食家(グルメ)の風上にも置けませんもの。……それで、肝心のお食事事情はいかがかしら?」
マーシャの問いに、ハンスが真剣な顔で一歩前に出た。
「報告いたします、マーシャ様。王国では現在、まともな塩すら手に入らなくなっているようです。ウィフレッド殿下は昨夜、あまりの空腹に耐えかねて、庭に生えている『食用に適さない雑草』をソテーにして召し上がったとのことです」
「……雑草のソテー? あの方、あんなに偏食だったのに、ついにそこまで堕ちましたのね」
マーシャは紅茶を一口飲み、ため息をついた。
「でも、その雑草の火加減は? ソースは何を合わせましたの?」
「火力が強すぎて焦げ付いており、ソースはただの泥水のようなものだったと聞き及んでおります」
「万死! 万死に値しますわ! 食材に対する冒涜も大概になさい!」
マーシャがテーブルを叩くと、カイルが慌てて彼女の手を押さえた。
「落ち着け、マーシャ。……それよりも、リリアのことだ。彼女は今、王宮の広場で『ジャガイモこそが唯一の神である』と説法を説き歩いているらしい。……完全に、お前の教育の影響だな」
「あら、彼女は新しい才能に目覚めただけですわ。……でもカイル様、王国からまた別の密使が来ているのでしょう?」
カイルは黙って、一通の汚れた手紙を差し出した。
それは、かつてマーシャを陥れた側近たちから連名で届いた「助けてくれ」という懇願書だった。
『マーシャ様、どうか戻ってきてください。リリア様のジャガイモ料理しか出ない毎日に、我々の胃袋は限界です。今なら、これまでの無礼をすべて水に流しますから!』
「……水に流す? 面白い冗談ですわね。私の貴重な時間を無駄にした慰謝料も、まだ全額いただいておりませんのに」
マーシャは手紙を破り捨て、窓の外に広がる帝国の豊かな農地を見つめた。
「カイル様。私、あんな国にはもう一ミリの未練もありませんわ。……でも、あの方たちが不味いものを食べて苦しんでいるのは、少しだけ……ほんの少しだけ、料理家として心が痛みますの」
「……お前、まさか助けに行くつもりか?」
カイルが警戒したように瞳を細める。
「いいえ。……代わりに、あちらの国に『私のレシピ本』を十倍の値段で売りつけて差し上げますわ。……自分で美味しく作る努力もできない者に、私の料理を食べる資格はありませんもの」
「……なるほど。最後まで商魂逞しいことだ」
カイルは安堵したように、マーシャの肩を抱き寄せた。
「王国は今、真実を知った民衆による暴動寸前だそうだ。ウィフレッドが『悪役令嬢』としてお前を追い出したことが、自らの首を絞める最大の失策だったと……ようやく理解したらしいが、もう遅い」
「ええ、遅すぎますわ。……さあ、カイル様。そんな暗い話はデザートの後にしましょう。今夜は、帝都で一番美味しいと噂の『熟成牛のパイ包み焼き』を私がさらに改良して差し上げますわよ!」
「ああ。お前の毒……いや、スパイスなら、いくらでも歓迎しよう」
マーシャの笑い声が、平和なサンルームに響き渡る。
一方、国境の向こう側では、一皿のジャガイモを巡って王太子の叫び声が虚しく響いていたが、それを知る者はバルカ帝国にはもう誰もいなかった。
バルカ帝国の皇太子妃専用のサンルーム。
マーシャは、ハンスが持ってきた最新の報告書を眺めながら、上品にスコーンを口へ運んだ。
隣で書類に目を通していたカイルが、苦笑混じりに顔を上げる。
「マーシャ。お前が突きつけた『金貨五万枚の請求書』が、王国の財政にトドメを刺したらしいぞ。ウィフレッドの奴、支払い期限を守るために王室の食器まで売り払っているそうだ」
「あら、当然ですわ。踏み倒しは美食家(グルメ)の風上にも置けませんもの。……それで、肝心のお食事事情はいかがかしら?」
マーシャの問いに、ハンスが真剣な顔で一歩前に出た。
「報告いたします、マーシャ様。王国では現在、まともな塩すら手に入らなくなっているようです。ウィフレッド殿下は昨夜、あまりの空腹に耐えかねて、庭に生えている『食用に適さない雑草』をソテーにして召し上がったとのことです」
「……雑草のソテー? あの方、あんなに偏食だったのに、ついにそこまで堕ちましたのね」
マーシャは紅茶を一口飲み、ため息をついた。
「でも、その雑草の火加減は? ソースは何を合わせましたの?」
「火力が強すぎて焦げ付いており、ソースはただの泥水のようなものだったと聞き及んでおります」
「万死! 万死に値しますわ! 食材に対する冒涜も大概になさい!」
マーシャがテーブルを叩くと、カイルが慌てて彼女の手を押さえた。
「落ち着け、マーシャ。……それよりも、リリアのことだ。彼女は今、王宮の広場で『ジャガイモこそが唯一の神である』と説法を説き歩いているらしい。……完全に、お前の教育の影響だな」
「あら、彼女は新しい才能に目覚めただけですわ。……でもカイル様、王国からまた別の密使が来ているのでしょう?」
カイルは黙って、一通の汚れた手紙を差し出した。
それは、かつてマーシャを陥れた側近たちから連名で届いた「助けてくれ」という懇願書だった。
『マーシャ様、どうか戻ってきてください。リリア様のジャガイモ料理しか出ない毎日に、我々の胃袋は限界です。今なら、これまでの無礼をすべて水に流しますから!』
「……水に流す? 面白い冗談ですわね。私の貴重な時間を無駄にした慰謝料も、まだ全額いただいておりませんのに」
マーシャは手紙を破り捨て、窓の外に広がる帝国の豊かな農地を見つめた。
「カイル様。私、あんな国にはもう一ミリの未練もありませんわ。……でも、あの方たちが不味いものを食べて苦しんでいるのは、少しだけ……ほんの少しだけ、料理家として心が痛みますの」
「……お前、まさか助けに行くつもりか?」
カイルが警戒したように瞳を細める。
「いいえ。……代わりに、あちらの国に『私のレシピ本』を十倍の値段で売りつけて差し上げますわ。……自分で美味しく作る努力もできない者に、私の料理を食べる資格はありませんもの」
「……なるほど。最後まで商魂逞しいことだ」
カイルは安堵したように、マーシャの肩を抱き寄せた。
「王国は今、真実を知った民衆による暴動寸前だそうだ。ウィフレッドが『悪役令嬢』としてお前を追い出したことが、自らの首を絞める最大の失策だったと……ようやく理解したらしいが、もう遅い」
「ええ、遅すぎますわ。……さあ、カイル様。そんな暗い話はデザートの後にしましょう。今夜は、帝都で一番美味しいと噂の『熟成牛のパイ包み焼き』を私がさらに改良して差し上げますわよ!」
「ああ。お前の毒……いや、スパイスなら、いくらでも歓迎しよう」
マーシャの笑い声が、平和なサンルームに響き渡る。
一方、国境の向こう側では、一皿のジャガイモを巡って王太子の叫び声が虚しく響いていたが、それを知る者はバルカ帝国にはもう誰もいなかった。
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