誘拐されて、悪役令嬢として断罪されているよです!

ハチワレ

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「……フッ。今日の玉ねぎは、なかなか手強い抵抗を見せるな」

バルカ帝国、皇太子妃専用厨房。
そこには、かつて「影の死神」と恐れられた元暗殺者、ハンスの姿があった。

彼の右手にあるのは暗殺用の短剣ではなく、マーシャから授かった「最高級モリブデン鋼の牛刀」。
ハンスは無表情のまま、玉ねぎの繊維を細胞単位で見極め、音速の速さで刻んでいく。

トトトトトトトトト……ッ!!

まな板の上には、機械で測ったかのように寸分の狂いもない、0.5ミリ角の微塵切りが積み上がっていた。

「……ハンスさん、相変わらず無駄に殺気立っていますわね。玉ねぎは敵ではなく、ソースの深みを生み出す協力者ですのよ?」

背後から呆れたような声をかけたのは、元王国の聖女、リリアである。
かつての清らかな法衣はどこへやら、今の彼女は「私は土と共に生きる」と書かれた前掛けを締め、手には泥付きのジャガイモを握りしめていた。

「リリアか。……お前こそ、そのジャガイモを愛おしそうに撫でるのはやめろ。傍から見れば、不気味な呪術師にしか見えんぞ」

「失礼ね! これは撫でているのではなく、対話しているのですわ。この子は少しデンプン質が足りないから、じっくり低温で蒸し上げてあげないと、最高のマッシュポテトにはなれないの」

リリアは神聖な祈りを捧げるような手つきで、ジャガイモの芽を「聖女の指先(物理)」で弾き飛ばした。

王国を追われ、マーシャに「再教育」された二人は、今や帝国の厨房を支える二大巨頭……もとい、美食の奴隷と化していた。

「……なあ、リリア。お前は、王国に戻りたいと思ったことはないのか?」

ハンスがふと、包丁を止めて尋ねた。

リリアは一瞬だけ遠くを見つめ、それから思い切り首を振った。

「まさか! あんな、隠し味に金平糖を入れるような味盲の王子がいる国なんて、こちらから願い下げですわ。……何より、ここにはマーシャ様がいるもの」

「……同感だ」

ハンスは再び包丁を動かし始めた。

「俺はかつて、人の息の根を止めることだけが自分の存在価値だと思っていた。だが、マーシャ様に『あなたの指先は、人を生かす黄金の千切りを作るためにあるのよ』と言われてから、世界が変わった」

「……あの方、たまにさらっと恐ろしいことを言いますわよね。私がジャガイモの芽取りをサボった時、『そんなに芽が惜しいなら、あなたの頭に植えて差し上げましょうか?』って微笑まれましたの。……あれは本気でしたわ」

二人は同時に、マーシャの笑顔を思い出して背筋を震わせた。

その時、厨房の扉が勢いよく開いた。

「皆様! 準備はよろしくて!? 今、カイル様が森で『幻の白イノシシ』を仕留めてくださいましたわ! 今すぐ解体して、特製の赤ワイン煮込みを作りますわよ!」

返り血ならぬ、イノシシの返り脂を少しだけ頬につけたマーシャが、興奮気味に飛び込んできた。
その後ろには、大きな獲物を担いで「また無茶を言う……」と苦笑いするカイルの姿もある。

「ハンスさん! 骨周りの肉を削ぎ落とすのは、あなたの超高速捌きが頼りですわ!」

「はっ! 細胞一つ残さず、完璧に分離させてみせましょう!」

「リリア様! 付け合わせのジャガイモは、あなたが昨日から『説教』していたあの自信作を使いなさいな!」

「お任せくださいませ! あの子たちは今、最高にホクホクしたがっていますわ!」

主人の号令一下、元暗殺者と元聖女は、かつてない機敏な動きで戦場(コンロ)へと向かった。

そこには、国家の陰謀も、ドロドロの断罪劇も存在しない。
ただ、「美味しいものを作りたい」という純粋で、かつ狂気的な情熱だけが、厨房の熱気と共に渦巻いていた。

「……ふふ。今日も私の厨房は、最高の布陣ですわね!」

マーシャの笑い声が、香ばしい肉の匂いと共に、バルカ帝国の空へと高く響き渡った。
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