婚約破棄?望むところですわ!悪役令嬢の爆走?

八雲

文字の大きさ
5 / 28

5

しおりを挟む
「……何ですの、この地獄絵図は」

翌朝、私が案内された城の執務室の惨状を見て、最初に口から出たのはそんな言葉でした。

机の上には整理されていない書類が雪崩を起こし、床には数年前のものと思われる領民からの嘆願書が埃を被っています。
窓際には、中身の干からびたインク瓶が墓標のように並んでいました。

「……あ、あるすたー様。これ、わざとやっていらっしゃいますの?」

「………………」

部屋の隅で、置物のように椅子に深く腰掛けていたアルスター様が、ビクッと肩を震わせました。
彼は相変わらずの「氷の死神」フェイスでこちらを睨んで……いえ、怯えて見つめています。

「…………いそが、しくて……」

「お黙りなさい。忙しいのではなく、単に優先順位がつけられず、人に頼むこともできず、抱え込んで自爆しただけでしょう? 見ていられませんわ」

私は腕まくりをすると(もちろん淑女としてギリギリの範囲で、ですわよ)、まずは入り口付近に溜まっていた書類の山を鷲掴みにしました。

「ボリス! 大きなゴミ箱と、新しいインク、それから私のために最高に濃いお茶を用意してちょうだい!」

「は、はい! ただいま!」

扉の外で待機していた老執事が、救世主でも見るような目で私を拝んでから走り去っていきました。

私が猛然と書類を仕分けし始めてから三十分。
執務室の扉が、おずおずと開きました。

「だ、旦那様……失礼いたします。昨月の騎士団の遠征費の承認をいただきたく……」

入ってきたのは、熊のような体格をした髭面の騎士でした。
彼はアルスター様の顔を見た瞬間、ヒッ、と短い悲鳴を上げてその場に直立不動になりました。

「………………」

アルスター様は、騎士に声をかけられてさらに緊張したのでしょう。
眉間に深いシワが刻まれ、瞳には鋭い光が宿ります。
傍から見れば、今にも大剣を抜いて騎士の首を跳ね飛ばしそうな殺気です。

「ひ、ひぃぃ……! も、申し訳ございません! まだ予算が足りなかったでしょうか、それとも書類の不備で……死罪だけはご勘弁を!」

「…………っ!」

アルスター様が何か言おうとして、口をパクパクさせました。
ですが、言葉が出てこない。
その沈黙が、騎士にとっては「死の宣告」を待つ時間に感じられたようです。

「……あの、よろしいかしら?」

私は二人の間に割って入ると、騎士が持っていた書類をひったくりました。

「な、なんだ貴様は!? 旦那様の前だぞ!」

「今日からこちらの事務全般を担当することになりました、ダリアですわ。騎士様、この書類……数字が三箇所も間違っていますわよ。それに、馬の飼料代が相場の二割も高い。どこの業者と契約していらっしゃいますの?」

「えっ……? あ、いや、それは……」

「やり直し。あと三十分以内に、正しい数字に書き直して持ってきなさい。それから、アルスター様は『死罪にする』とおっしゃっているのではなく、『緊張しすぎて喉の筋肉が固まっているだけ』ですので、安心してお下がりなさいな」

「………………な」

騎士は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、私とアルスター様を交互に見ました。
アルスター様は、消え入りそうな顔でコクリと頷きました。

「……な、なるほど……緊張、ですか……。し、失礼いたしました!」

嵐のように騎士が去っていくと、アルスター様はガタガタと崩れるように机に伏しました。

「…………み、みられた……なさ、けない……」

「いいえ。あなたは座っているだけで役に立ちましたわ。あなたの威圧感のおかげで、相手が一切の言い訳をせずに引き下がりましたもの。素晴らしい『魔王』の演技でしたわよ」

私は彼の背中をポン、と叩きました。
鋼のように硬い筋肉の感触に少し驚きましたが、すぐに手を離して書類に戻ります。

「……だりあ」

「なんですの? 手は動かしていませんけれど、口なら貸して差し上げますわ」

「……どうして、わかるんだ」

「何がですの?」

「……おれが、いいたいこと。……みんな、こわがって……にげるのに」

アルスター様が、机に顔を伏せたまま、ぼそりと呟きました。
その声には、少しだけ切ない響きが含まれているような気がしました。

私は羽ペンを動かす手を止めず、平然と答えました。

「私、王都で十年間、ジュリアン様という別の意味で言葉が通じない生き物の相手をして参りましたの。あの方は、自分の都合の良いことしか話さない。あなたは、相手を気遣いすぎて何も話せなくなる。……後者の方が、よほど翻訳しがいがありますわ」

「………………」

「それに」

私は顔を上げ、彼を真っ直ぐに見つめました。

「あなたの目は、嘘をついていませんもの。……不器用なだけの方を放っておくほど、私は性格が良くありませんのよ。さあ、次はこれです。隣領との水利権についての合意書。これ、完全に舐められていますわね。私が毒入りの返信を書いて差し上げますから、あなたは最後にハンコだけ押しなさいな」

「……あ、ああ。……わかった」

アルスター様が、おずおずと手を伸ばし、私が差し出した書類を受け取りました。
その時、指先が触れ合いました。
氷の死神という割には、彼の指は驚くほど熱を持っていたのを、私は気づかないふりをしました。

「ふふ、契約成立ですわね」

私は勝ち誇ったように笑い、山積みの書類へと再び挑みかかりました。
悪役令嬢と、引きこもりの死神。
この最凶のコンビが、辺境を、そしていずれは王国全体を揺るがすことになるなんて。
まだ誰も、予想だにしていないことでした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

《完結》悪女と噂されたわたくしのざまぁ

ヴァンドール
恋愛
悪女と噂のわたくしとの結婚なら、どれほど軽んじても問題はないと思っていた旦那様。 ところが……。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

『呪いのせいで愛妻家になった公爵様は、もう冷徹を名乗れない(天然妻は気づかない)』

星乃和花
恋愛
【完結済:全20話+番外3話+@】 「冷徹公爵」と呼ばれるレオンハルトが、ある日突然“愛妻家”に豹変――原因は、妻リリアにだけ発動する呪いだった。 手を離せない、目を逸らせない、褒めたくなる、守りたくなる……止まれない溺愛が暴走するのに、当のリリアは「熱(体調不良)」と心配または「治安ですね」と天然で受け流すばかり。 借金を理由に始まった契約結婚(恋愛なし)だったはずなのにーー?? そんなふたりの恋は愉快な王都を舞台に、屋敷でも社交界でも面白……ゆるふわ熱烈に見守られる流れに。 甘々・溺愛・コメディ全振り! “呪いのせい”から始まった愛が、最後は“意思”になる、にやにや必至の夫婦ラブファンタジー。

処理中です...