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「……アルスター様。その顔、やめていただけません?」
北の地の冷たい朝。
私は執務室の窓を開け放ち、机に向かって唸っている「死神」へと声をかけました。
「…………な、なにを」
「その『今から親の仇を討ちに行きます』というような険しい表情ですわ。今から行くのは戦場ではなく、領民たちが集まる市場(マーケット)ですのよ?」
アルスター様は、鏡を見るように自分の頬を両手で挟みました。
ですが、緊張のせいか表情筋はコンクリートのように固まっており、余計に凶悪な人相になっています。
「…………わら、えない。……こわが、られる」
「ええ、そのままだと子供は泣き出し、鶏は卵を産むのをやめるでしょうね。ですが、安心なさい。私が隣で『翻訳』して差し上げますから」
私は満足げに頷き、自分の身なりを整えました。
今日の私の装いは、動きやすさを重視しつつも、公爵令嬢としての品格を忘れないシックな防寒ドレス。
これなら、雪道を爆走しても、悪徳商人を論破しても、エレガントに見えるはずです。
城を出てすぐの市場に到着すると、辺りの空気が一瞬で凍りつきました。
「ひ、ひぃぃ……! し、死神伯爵様だ!」
「おい、隠れろ! 目を合わせるな、魂を抜かれるぞ!」
領民たちがクモの子を散らすように道を開けます。
アルスター様はその反応に傷ついたのか、さらに眉間のシワを深くし、周囲を威圧するように見渡しました。
(……あ、これ、完全に『獲物を選んでいる捕食者』の目ですわね)
私はすかさず、彼の腕に自分の腕を絡めました。
アルスター様が「なっ!?」と声を漏らして飛び上がりましたが、私はがっしりとホールドして離しません。
「皆様、ごきげんよう! 今日はお騒がせして申し訳ありませんわ。こちらのアルスター様は、皆様の冬の備えが十分かどうか、心配で心配で夜も眠れず、こうして直接様子を見に来られたのですの」
「………………!?」
アルスター様が驚愕の表情で私を見ました。
『そんなこと一言も言ってないぞ!』という心の叫びが聞こえてきそうですが、私は無視して続けます。
「さあ、アルスター様。あちらのリンゴ売りの老婆に、励ましの言葉を。……さあ、『いつもご苦労、リンゴが美味しそうだ』と言うのですわ。……はい、リピート・アフター・ミー」
「………………い、いつも……ごく、ろう……」
アルスター様が、地獄の底から響くような低い声で呟きました。
老婆はガタガタと震え、リンゴを一房差し出しました。
「あ、あぁ……! ど、どうぞ、全部持っていってください! 命だけは、命だけはぁぁ!」
「あら、太っ腹ですわね! では、適正価格でお買い上げいたしますわ。アルスター様、お財布を」
「…………う、うむ」
アルスター様が震える手で金貨を取り出すと、私はそれを奪い取り、老婆の手に握らせました。
相場の三倍近い金額に、老婆は目を丸くしています。
「これは、アルスター様からの『いつも領地を支えてくれてありがとう』というチップですわ。さあ、アルスター様。最後にとびきりの笑顔を!」
「…………ぐ、ぬ……ぬぅ…………」
アルスター様は顔を真っ赤にし、口角を無理やり一ミリほど引き上げました。
その結果、まるで「後で裏路地に来い」と脅しているような、凄まじく邪悪な笑みが完成しました。
「…………だりあ。……もう、かえりたい」
「ダメですわ。次はあちらの肉屋です。……あ、逃げようとしているあのおじさんを捕まえてくださいな。逃がしたら今日の夕食は抜きですわよ?」
「…………っ!」
食事を人質に取られたアルスター様は、音もなく背後へ回り込み、肉屋の店主の肩をがっしりと掴みました。
「ぎゃあああ!」という悲鳴が上がりましたが、私が即座に「新作のソーセージの試食を希望されていますわ!」と被せることで、事態を平和的(?)に解決していきます。
そんなことを繰り返しながら市場を一通り回る頃には、領民たちの間に奇妙な空気が流れていました。
「……なぁ、死神様、意外とお金をしっかり払ってくれるんだな」
「隣の綺麗なお姉さんが、猛獣使いみたいに手懐けてるぞ……」
「もしや、あの方は死神ではなく、ただの『ものすごく口下手な旦那様』なのでは……?」
人々の囁き声を背中で聞きながら、私はアルスター様を引き連れて城へと戻りました。
アルスター様は、魂を抜かれたような顔をして私の後ろをとぼとぼと歩いています。
「お疲れ様でしたわ、アルスター様。これで少しは、あなたの『真実』が伝わったはずですわ」
「…………つかれた。……ころされるかと、おもった」
「殺されるのはあなたではなく領民の方ですわよ。……でも、よく頑張りましたわね」
私は立ち止まり、彼の胸元についた雪を優しく払ってあげました。
すると、アルスター様が不意に私の手を、大きな手で包み込みました。
「…………だりあ」
「……なんですの? まだ何か不満でも?」
「…………ありがとう。……おまえが、きてから……まわりが、あかるい」
彼は俯いたまま、消え入りそうな声で言いました。
いつもの演技ではなく、心からの言葉。
その耳はリンゴのように真っ赤に染まっていました。
(……あら。不意打ちでそんなことをおっしゃるなんて、反則ではありませんか?)
私の心臓が、ほんの少しだけ、いつもより早く跳ねたような気がしました。
ですが、私は毒舌の仮面を脱ぎ捨てるつもりはありません。
「当然ですわ。私は公爵令嬢。歩く場所すべてを黄金に輝かせるのが仕事ですもの。……さあ、戻って事務作業の続きですわよ。次は道路の補修計画の修正です!」
「………………はい、おじょうさま」
アルスター様の返事が、今までで一番、力強く聞こえた冬の午後でした。
北の地の冷たい朝。
私は執務室の窓を開け放ち、机に向かって唸っている「死神」へと声をかけました。
「…………な、なにを」
「その『今から親の仇を討ちに行きます』というような険しい表情ですわ。今から行くのは戦場ではなく、領民たちが集まる市場(マーケット)ですのよ?」
アルスター様は、鏡を見るように自分の頬を両手で挟みました。
ですが、緊張のせいか表情筋はコンクリートのように固まっており、余計に凶悪な人相になっています。
「…………わら、えない。……こわが、られる」
「ええ、そのままだと子供は泣き出し、鶏は卵を産むのをやめるでしょうね。ですが、安心なさい。私が隣で『翻訳』して差し上げますから」
私は満足げに頷き、自分の身なりを整えました。
今日の私の装いは、動きやすさを重視しつつも、公爵令嬢としての品格を忘れないシックな防寒ドレス。
これなら、雪道を爆走しても、悪徳商人を論破しても、エレガントに見えるはずです。
城を出てすぐの市場に到着すると、辺りの空気が一瞬で凍りつきました。
「ひ、ひぃぃ……! し、死神伯爵様だ!」
「おい、隠れろ! 目を合わせるな、魂を抜かれるぞ!」
領民たちがクモの子を散らすように道を開けます。
アルスター様はその反応に傷ついたのか、さらに眉間のシワを深くし、周囲を威圧するように見渡しました。
(……あ、これ、完全に『獲物を選んでいる捕食者』の目ですわね)
私はすかさず、彼の腕に自分の腕を絡めました。
アルスター様が「なっ!?」と声を漏らして飛び上がりましたが、私はがっしりとホールドして離しません。
「皆様、ごきげんよう! 今日はお騒がせして申し訳ありませんわ。こちらのアルスター様は、皆様の冬の備えが十分かどうか、心配で心配で夜も眠れず、こうして直接様子を見に来られたのですの」
「………………!?」
アルスター様が驚愕の表情で私を見ました。
『そんなこと一言も言ってないぞ!』という心の叫びが聞こえてきそうですが、私は無視して続けます。
「さあ、アルスター様。あちらのリンゴ売りの老婆に、励ましの言葉を。……さあ、『いつもご苦労、リンゴが美味しそうだ』と言うのですわ。……はい、リピート・アフター・ミー」
「………………い、いつも……ごく、ろう……」
アルスター様が、地獄の底から響くような低い声で呟きました。
老婆はガタガタと震え、リンゴを一房差し出しました。
「あ、あぁ……! ど、どうぞ、全部持っていってください! 命だけは、命だけはぁぁ!」
「あら、太っ腹ですわね! では、適正価格でお買い上げいたしますわ。アルスター様、お財布を」
「…………う、うむ」
アルスター様が震える手で金貨を取り出すと、私はそれを奪い取り、老婆の手に握らせました。
相場の三倍近い金額に、老婆は目を丸くしています。
「これは、アルスター様からの『いつも領地を支えてくれてありがとう』というチップですわ。さあ、アルスター様。最後にとびきりの笑顔を!」
「…………ぐ、ぬ……ぬぅ…………」
アルスター様は顔を真っ赤にし、口角を無理やり一ミリほど引き上げました。
その結果、まるで「後で裏路地に来い」と脅しているような、凄まじく邪悪な笑みが完成しました。
「…………だりあ。……もう、かえりたい」
「ダメですわ。次はあちらの肉屋です。……あ、逃げようとしているあのおじさんを捕まえてくださいな。逃がしたら今日の夕食は抜きですわよ?」
「…………っ!」
食事を人質に取られたアルスター様は、音もなく背後へ回り込み、肉屋の店主の肩をがっしりと掴みました。
「ぎゃあああ!」という悲鳴が上がりましたが、私が即座に「新作のソーセージの試食を希望されていますわ!」と被せることで、事態を平和的(?)に解決していきます。
そんなことを繰り返しながら市場を一通り回る頃には、領民たちの間に奇妙な空気が流れていました。
「……なぁ、死神様、意外とお金をしっかり払ってくれるんだな」
「隣の綺麗なお姉さんが、猛獣使いみたいに手懐けてるぞ……」
「もしや、あの方は死神ではなく、ただの『ものすごく口下手な旦那様』なのでは……?」
人々の囁き声を背中で聞きながら、私はアルスター様を引き連れて城へと戻りました。
アルスター様は、魂を抜かれたような顔をして私の後ろをとぼとぼと歩いています。
「お疲れ様でしたわ、アルスター様。これで少しは、あなたの『真実』が伝わったはずですわ」
「…………つかれた。……ころされるかと、おもった」
「殺されるのはあなたではなく領民の方ですわよ。……でも、よく頑張りましたわね」
私は立ち止まり、彼の胸元についた雪を優しく払ってあげました。
すると、アルスター様が不意に私の手を、大きな手で包み込みました。
「…………だりあ」
「……なんですの? まだ何か不満でも?」
「…………ありがとう。……おまえが、きてから……まわりが、あかるい」
彼は俯いたまま、消え入りそうな声で言いました。
いつもの演技ではなく、心からの言葉。
その耳はリンゴのように真っ赤に染まっていました。
(……あら。不意打ちでそんなことをおっしゃるなんて、反則ではありませんか?)
私の心臓が、ほんの少しだけ、いつもより早く跳ねたような気がしました。
ですが、私は毒舌の仮面を脱ぎ捨てるつもりはありません。
「当然ですわ。私は公爵令嬢。歩く場所すべてを黄金に輝かせるのが仕事ですもの。……さあ、戻って事務作業の続きですわよ。次は道路の補修計画の修正です!」
「………………はい、おじょうさま」
アルスター様の返事が、今までで一番、力強く聞こえた冬の午後でした。
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