婚約破棄?望むところですわ!悪役令嬢の爆走?

八雲

文字の大きさ
8 / 28

8

しおりを挟む
「……アルスター様。その顔、やめていただけません?」

北の地の冷たい朝。
私は執務室の窓を開け放ち、机に向かって唸っている「死神」へと声をかけました。

「…………な、なにを」

「その『今から親の仇を討ちに行きます』というような険しい表情ですわ。今から行くのは戦場ではなく、領民たちが集まる市場(マーケット)ですのよ?」

アルスター様は、鏡を見るように自分の頬を両手で挟みました。
ですが、緊張のせいか表情筋はコンクリートのように固まっており、余計に凶悪な人相になっています。

「…………わら、えない。……こわが、られる」

「ええ、そのままだと子供は泣き出し、鶏は卵を産むのをやめるでしょうね。ですが、安心なさい。私が隣で『翻訳』して差し上げますから」

私は満足げに頷き、自分の身なりを整えました。
今日の私の装いは、動きやすさを重視しつつも、公爵令嬢としての品格を忘れないシックな防寒ドレス。
これなら、雪道を爆走しても、悪徳商人を論破しても、エレガントに見えるはずです。

城を出てすぐの市場に到着すると、辺りの空気が一瞬で凍りつきました。

「ひ、ひぃぃ……! し、死神伯爵様だ!」
「おい、隠れろ! 目を合わせるな、魂を抜かれるぞ!」

領民たちがクモの子を散らすように道を開けます。
アルスター様はその反応に傷ついたのか、さらに眉間のシワを深くし、周囲を威圧するように見渡しました。

(……あ、これ、完全に『獲物を選んでいる捕食者』の目ですわね)

私はすかさず、彼の腕に自分の腕を絡めました。
アルスター様が「なっ!?」と声を漏らして飛び上がりましたが、私はがっしりとホールドして離しません。

「皆様、ごきげんよう! 今日はお騒がせして申し訳ありませんわ。こちらのアルスター様は、皆様の冬の備えが十分かどうか、心配で心配で夜も眠れず、こうして直接様子を見に来られたのですの」

「………………!?」

アルスター様が驚愕の表情で私を見ました。
『そんなこと一言も言ってないぞ!』という心の叫びが聞こえてきそうですが、私は無視して続けます。

「さあ、アルスター様。あちらのリンゴ売りの老婆に、励ましの言葉を。……さあ、『いつもご苦労、リンゴが美味しそうだ』と言うのですわ。……はい、リピート・アフター・ミー」

「………………い、いつも……ごく、ろう……」

アルスター様が、地獄の底から響くような低い声で呟きました。
老婆はガタガタと震え、リンゴを一房差し出しました。

「あ、あぁ……! ど、どうぞ、全部持っていってください! 命だけは、命だけはぁぁ!」

「あら、太っ腹ですわね! では、適正価格でお買い上げいたしますわ。アルスター様、お財布を」

「…………う、うむ」

アルスター様が震える手で金貨を取り出すと、私はそれを奪い取り、老婆の手に握らせました。
相場の三倍近い金額に、老婆は目を丸くしています。

「これは、アルスター様からの『いつも領地を支えてくれてありがとう』というチップですわ。さあ、アルスター様。最後にとびきりの笑顔を!」

「…………ぐ、ぬ……ぬぅ…………」

アルスター様は顔を真っ赤にし、口角を無理やり一ミリほど引き上げました。
その結果、まるで「後で裏路地に来い」と脅しているような、凄まじく邪悪な笑みが完成しました。

「…………だりあ。……もう、かえりたい」

「ダメですわ。次はあちらの肉屋です。……あ、逃げようとしているあのおじさんを捕まえてくださいな。逃がしたら今日の夕食は抜きですわよ?」

「…………っ!」

食事を人質に取られたアルスター様は、音もなく背後へ回り込み、肉屋の店主の肩をがっしりと掴みました。
「ぎゃあああ!」という悲鳴が上がりましたが、私が即座に「新作のソーセージの試食を希望されていますわ!」と被せることで、事態を平和的(?)に解決していきます。

そんなことを繰り返しながら市場を一通り回る頃には、領民たちの間に奇妙な空気が流れていました。

「……なぁ、死神様、意外とお金をしっかり払ってくれるんだな」
「隣の綺麗なお姉さんが、猛獣使いみたいに手懐けてるぞ……」
「もしや、あの方は死神ではなく、ただの『ものすごく口下手な旦那様』なのでは……?」

人々の囁き声を背中で聞きながら、私はアルスター様を引き連れて城へと戻りました。
アルスター様は、魂を抜かれたような顔をして私の後ろをとぼとぼと歩いています。

「お疲れ様でしたわ、アルスター様。これで少しは、あなたの『真実』が伝わったはずですわ」

「…………つかれた。……ころされるかと、おもった」

「殺されるのはあなたではなく領民の方ですわよ。……でも、よく頑張りましたわね」

私は立ち止まり、彼の胸元についた雪を優しく払ってあげました。
すると、アルスター様が不意に私の手を、大きな手で包み込みました。

「…………だりあ」

「……なんですの? まだ何か不満でも?」

「…………ありがとう。……おまえが、きてから……まわりが、あかるい」

彼は俯いたまま、消え入りそうな声で言いました。
いつもの演技ではなく、心からの言葉。
その耳はリンゴのように真っ赤に染まっていました。

(……あら。不意打ちでそんなことをおっしゃるなんて、反則ではありませんか?)

私の心臓が、ほんの少しだけ、いつもより早く跳ねたような気がしました。
ですが、私は毒舌の仮面を脱ぎ捨てるつもりはありません。

「当然ですわ。私は公爵令嬢。歩く場所すべてを黄金に輝かせるのが仕事ですもの。……さあ、戻って事務作業の続きですわよ。次は道路の補修計画の修正です!」

「………………はい、おじょうさま」

アルスター様の返事が、今までで一番、力強く聞こえた冬の午後でした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

《完結》悪女と噂されたわたくしのざまぁ

ヴァンドール
恋愛
悪女と噂のわたくしとの結婚なら、どれほど軽んじても問題はないと思っていた旦那様。 ところが……。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

『呪いのせいで愛妻家になった公爵様は、もう冷徹を名乗れない(天然妻は気づかない)』

星乃和花
恋愛
【完結済:全20話+番外3話+@】 「冷徹公爵」と呼ばれるレオンハルトが、ある日突然“愛妻家”に豹変――原因は、妻リリアにだけ発動する呪いだった。 手を離せない、目を逸らせない、褒めたくなる、守りたくなる……止まれない溺愛が暴走するのに、当のリリアは「熱(体調不良)」と心配または「治安ですね」と天然で受け流すばかり。 借金を理由に始まった契約結婚(恋愛なし)だったはずなのにーー?? そんなふたりの恋は愉快な王都を舞台に、屋敷でも社交界でも面白……ゆるふわ熱烈に見守られる流れに。 甘々・溺愛・コメディ全振り! “呪いのせい”から始まった愛が、最後は“意思”になる、にやにや必至の夫婦ラブファンタジー。

処理中です...