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「……閣下。言っておきますが、これはデートではありませんわよ。あくまで、領内における物価の推移と、流通網の末端を確認するための『実地棚卸』ですわ。勘違いしてその緩んだ口角をこれ以上上げようものなら、即座に帰宅して反省文を十枚書いていただきます」
カシアン閣下の屋敷を出て、活気あふれる領都の市場へ。
私は、隣を歩く閣下に釘を刺した。
彼は、平民のような身なりに着替えていても隠しきれない色気(と変態性)を撒き散らしながら、深く頷いた。
「分かっているよ、ミリアーナ。棚卸だろう? 君が冷徹な目で街を品定めし、無駄を見つける姿を特等席で見られる。こんなに素晴らしい休日……いや、勤務日はない」
「……。その『勤務日』という言葉の響きに、邪な感情が混ざっているのが不愉快ですわね」
私は手帳を広げ、立ち並ぶ屋台を厳しい目で見据えた。
最初に向かったのは、市民の胃袋を支える食肉店だ。
「店主。その牛肉、百グラムあたりの価格設定が先週より三パーセント上昇していますわね。近隣の牧場での飼料高騰は一パーセント未満のはず。この二パーセントの乖離(かいり)は、あなたの怠慢による仕入れ努力の不足、あるいは不当な利益追求のどちらかしら?」
「えっ!? な、なんだい、あんた……。いや、これは輸送費がだね……」
「輸送費? この店の裏にある荷車、車輪のグリスが切れて摩擦係数が増大していますわよ。そのせいで運搬効率が落ち、無駄な労働時間が発生している。それを客に転嫁するなんて、商売人として恥を知りなさい。今すぐグリスを塗って、価格を適正値に戻しなさい。さもなくば、私はこの市場の全店舗に、あなたの店の非効率性をまとめたビラを配りますわ」
「ひ、ひえぇ! 分かった、分かったよ! 少し負けるから勘弁してくれ!」
私は冷たく鼻で笑い、次の店へと向かった。
カシアン閣下は、私の後ろで「グリスの摩擦係数……! 物理法則で商人を追い詰めるなんて、最高だ……」と震えている。
次は衣料品店だ。
私は、店先に並ぶ最高級の絹織物を指先で弾いた。
「店主。この布地、緯糸(よこいと)の密度が均一ではありませんわ。三ミリごとに〇・五ミリのズレが生じている。これを『最高級』と謳って販売するのは、消費者を愚弄する詐欺行為に等しいですわね。閣下、メモを。この店は今後三ヶ月、公爵邸への納入を禁止します。品質管理能力のない者に、公費を投じる価値はありません」
「……! 承った。今すぐブラックリストに刻んでおこう。……ああ、君のその、一切の妥協を許さないプロフェッショナルな姿勢……。私の心も、その鋭い審美眼で裁いてほしい」
「閣下の心などは、不純物が多すぎて裁く価値もありません。産業廃棄物として処理するのが妥当ですわ」
「産業廃棄物……! 私をそこまで無価値なものとして扱ってくれるのか! ああ、幸せだ!」
市場の真ん中で、幸せそうに悶える美形の男。
周囲の客が「あの二人、美男美女だけど……なんか怖くない?」と距離を置くのが分かった。
当然ですわね。私だって、できることなら赤の他人のふりをしたいですもの。
その後も、私の「市場解体」は続いた。
青果店では「野菜の陳列角度が客の動線を阻害している」と説教し、
雑貨店では「この鍋の取っ手の角度は人間工学に基づけばあと五度傾けるべき」と断罪。
しまいには、道端でサボっていた警備兵に対し、「あなたの立位姿勢は重心が後ろに寄りすぎていて、いざという時の初動が〇・五秒遅れる。給料の〇・五秒分を返納しなさい」と詰め寄った。
「……ふぅ。これくらいにしておきましょうか。閣下、見ましたか? この街には、まだ改善の余地が山ほどありますわ」
「ああ……。見事だったよ、ミリアーナ。君が歩いた後には、無駄が削ぎ落とされた『純粋な経済』だけが残っている。君は、この街の女神……いや、美しき独裁者だ」
「独裁者? 心外ですわね。私はただ、世界を『正しく』整えたいだけです。……あら、閣下。そんなに見惚れていないで、この荷物を持ちなさい。先ほど説教のついでに、市場で最もコスパの良いジャガイモを十キロ買い込みましたから」
「十キロのジャガイモ!? 公爵である私に、これを持てと言うのかい?」
「当然ですわ。あなたは今、私の『秘書見習い』のようなものですから。それとも、公爵という肩書きがなければ、ジャガイモ一つ運べない無能なのですか?」
「……! 無能! そうか、私はジャガイモ以下の運搬能力しか持たない男……。喜んで運ばせていただこう!」
カシアン閣下は、重いジャガイモの袋を肩に担ぎ、鼻歌まじりに歩き出した。
その姿は、どこからどう見ても「令嬢に尻に敷かれている、顔だけが良い下僕」だった。
ふと、私は背後に誰かの視線を感じて振り返った。
市場の人混みの向こう、見覚えのある……そして、ひどく苛立たしいマントを羽織った男たちが、こちらを伺っている。
「閣下、遊びはここまでですわ。どうやら、ゴミが王都から流れてきたようです」
「ああ、気づいているよ。君を連れ戻そうという、あのマヌケな王子の手下だろう?」
カシアン閣下の瞳から、先ほどまでの変態的な熱が消え、冷酷な公爵の光が宿った。
彼はジャガイモを担いだまま、不敵に微笑む。
「さて、ミリアーナ。君なら、あの『不法投棄されたゴミ』をどう処理する?」
「決まっていますわ。ゴミは正しく分類して、再利用不可能なものは焼却処分です。……徹底的に、教育して差し上げましょう」
私は手帳を力強く閉じ、王都から来た刺客たちの方へと向き直った。
私の「可愛くない反撃」は、ついに外部勢力に対しても牙を剥き始める。
カシアン閣下の屋敷を出て、活気あふれる領都の市場へ。
私は、隣を歩く閣下に釘を刺した。
彼は、平民のような身なりに着替えていても隠しきれない色気(と変態性)を撒き散らしながら、深く頷いた。
「分かっているよ、ミリアーナ。棚卸だろう? 君が冷徹な目で街を品定めし、無駄を見つける姿を特等席で見られる。こんなに素晴らしい休日……いや、勤務日はない」
「……。その『勤務日』という言葉の響きに、邪な感情が混ざっているのが不愉快ですわね」
私は手帳を広げ、立ち並ぶ屋台を厳しい目で見据えた。
最初に向かったのは、市民の胃袋を支える食肉店だ。
「店主。その牛肉、百グラムあたりの価格設定が先週より三パーセント上昇していますわね。近隣の牧場での飼料高騰は一パーセント未満のはず。この二パーセントの乖離(かいり)は、あなたの怠慢による仕入れ努力の不足、あるいは不当な利益追求のどちらかしら?」
「えっ!? な、なんだい、あんた……。いや、これは輸送費がだね……」
「輸送費? この店の裏にある荷車、車輪のグリスが切れて摩擦係数が増大していますわよ。そのせいで運搬効率が落ち、無駄な労働時間が発生している。それを客に転嫁するなんて、商売人として恥を知りなさい。今すぐグリスを塗って、価格を適正値に戻しなさい。さもなくば、私はこの市場の全店舗に、あなたの店の非効率性をまとめたビラを配りますわ」
「ひ、ひえぇ! 分かった、分かったよ! 少し負けるから勘弁してくれ!」
私は冷たく鼻で笑い、次の店へと向かった。
カシアン閣下は、私の後ろで「グリスの摩擦係数……! 物理法則で商人を追い詰めるなんて、最高だ……」と震えている。
次は衣料品店だ。
私は、店先に並ぶ最高級の絹織物を指先で弾いた。
「店主。この布地、緯糸(よこいと)の密度が均一ではありませんわ。三ミリごとに〇・五ミリのズレが生じている。これを『最高級』と謳って販売するのは、消費者を愚弄する詐欺行為に等しいですわね。閣下、メモを。この店は今後三ヶ月、公爵邸への納入を禁止します。品質管理能力のない者に、公費を投じる価値はありません」
「……! 承った。今すぐブラックリストに刻んでおこう。……ああ、君のその、一切の妥協を許さないプロフェッショナルな姿勢……。私の心も、その鋭い審美眼で裁いてほしい」
「閣下の心などは、不純物が多すぎて裁く価値もありません。産業廃棄物として処理するのが妥当ですわ」
「産業廃棄物……! 私をそこまで無価値なものとして扱ってくれるのか! ああ、幸せだ!」
市場の真ん中で、幸せそうに悶える美形の男。
周囲の客が「あの二人、美男美女だけど……なんか怖くない?」と距離を置くのが分かった。
当然ですわね。私だって、できることなら赤の他人のふりをしたいですもの。
その後も、私の「市場解体」は続いた。
青果店では「野菜の陳列角度が客の動線を阻害している」と説教し、
雑貨店では「この鍋の取っ手の角度は人間工学に基づけばあと五度傾けるべき」と断罪。
しまいには、道端でサボっていた警備兵に対し、「あなたの立位姿勢は重心が後ろに寄りすぎていて、いざという時の初動が〇・五秒遅れる。給料の〇・五秒分を返納しなさい」と詰め寄った。
「……ふぅ。これくらいにしておきましょうか。閣下、見ましたか? この街には、まだ改善の余地が山ほどありますわ」
「ああ……。見事だったよ、ミリアーナ。君が歩いた後には、無駄が削ぎ落とされた『純粋な経済』だけが残っている。君は、この街の女神……いや、美しき独裁者だ」
「独裁者? 心外ですわね。私はただ、世界を『正しく』整えたいだけです。……あら、閣下。そんなに見惚れていないで、この荷物を持ちなさい。先ほど説教のついでに、市場で最もコスパの良いジャガイモを十キロ買い込みましたから」
「十キロのジャガイモ!? 公爵である私に、これを持てと言うのかい?」
「当然ですわ。あなたは今、私の『秘書見習い』のようなものですから。それとも、公爵という肩書きがなければ、ジャガイモ一つ運べない無能なのですか?」
「……! 無能! そうか、私はジャガイモ以下の運搬能力しか持たない男……。喜んで運ばせていただこう!」
カシアン閣下は、重いジャガイモの袋を肩に担ぎ、鼻歌まじりに歩き出した。
その姿は、どこからどう見ても「令嬢に尻に敷かれている、顔だけが良い下僕」だった。
ふと、私は背後に誰かの視線を感じて振り返った。
市場の人混みの向こう、見覚えのある……そして、ひどく苛立たしいマントを羽織った男たちが、こちらを伺っている。
「閣下、遊びはここまでですわ。どうやら、ゴミが王都から流れてきたようです」
「ああ、気づいているよ。君を連れ戻そうという、あのマヌケな王子の手下だろう?」
カシアン閣下の瞳から、先ほどまでの変態的な熱が消え、冷酷な公爵の光が宿った。
彼はジャガイモを担いだまま、不敵に微笑む。
「さて、ミリアーナ。君なら、あの『不法投棄されたゴミ』をどう処理する?」
「決まっていますわ。ゴミは正しく分類して、再利用不可能なものは焼却処分です。……徹底的に、教育して差し上げましょう」
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