無明を断つ 〜寛永の遊魔〜

MIROKU

文字の大きさ
7 / 18
寛永の遊魔

魔を斬る剣

しおりを挟む
 
   **
 
 夜の闇に浮かび上がる無数の赤光。
 それは魔性の瞳の輝きだ。
(人間の悪意が、このような魔性を生み出したのか……)
 七郎は戦慄した。内裏に満ちた恨みの念が、人ならざる魔性を生み出すとは。
 人知を越えた超越の存在に遭遇して、七郎の魂は恐怖に怯えていた。愛刀、三池典太を握る右手も震えている。
「……やる」
 七郎は一歩、踏みこんだ。
 彼には守るべき者がいる。それは月ノ輪という少女だ。
 月ノ輪を守るために、七郎は沢庵禅師と共に内裏にやってきたのだ。
(いくらなんでも酷ではないか)
 七郎は内裏で行われた、吐き気がしそうなおぞましい所業を知った。
 何人もの女官が堕胎させられ、恨みと悲しみの涙が流された。
 その恨みの念が、このような魔性を生み出したとは。
 そして、その魔性が月ノ輪の命を狙っているとは。
(月ノ輪様に背負わせすぎだ)
 七郎は月ノ輪が父母にうとまれていることを知っている。
 天皇家と徳川家、両方の血を引きながら、月ノ輪には悲しみと寂しさばかりがあった。
 その悲しみと寂しさは、沢庵禅師の徳によって払われた。
 ならば七郎がすべきことは?
「……死ぬには良い夜だ」
 開き直りの笑みを浮かべて、七郎は三池典太を下段に構えた。
 三池典太の作となれば、後世では国宝に数えられる名刀だ。三池典太の輝く刃は魔をも断つという。
 その三池典太を七郎に与えたのが、内裏の者には仇敵に等しい春日局とは、なんという運命の皮肉なのか。
「いくぞ!」
 七郎は三池典太を手にして魔性の群れに斬りこんだ。
 魔を斬る剣は、七郎の魂に宿っているのだ。
 
 
 七郎は寝床に身を起こした。全身が汗に濡れていた。
(夢か……)
 七郎が夢で見たのは内裏の記憶だ。
 月ノ輪を魔性から守る戦いだった。
 その恐怖が七郎の心中に思い返された。
(未だ熟さず)
 七郎は苦笑する。
 父の又右衛門、師事した小野忠明の二人ならば恐怖を克服できるだろう。
 強いからではない。又右衛門と小野忠明は、死を覚悟して無の境地にいるからだ。
 七郎は未だに二人の武の巨人、その足元にも及ばないでいる。
(俺は何ができる?)
 七郎は自問する。様々なことが脳裏に浮かんでは消えていく。
 だが答えは容易に決まらない。七郎がやるべきことは多すぎる。
 
 
 江戸の空は青く晴れていた。正に日本晴れだ。
「……へぇ~、軍学塾ですか。私も通ってみたいな~」
 茶屋の看板娘おりんは、客としてやってきた由井正雪に積極的に話しかけていた。頬はわずかに朱に染まっている。
「申し訳ないが、我が張孔堂は女人禁制だ」
 正雪は茶屋の奥の座敷にいた。七郎も側に座して茶を飲んでいるが、おりんは見向きもしない。
「そうなんだ~、ざんね~ん」
 はにかむおりん。その可愛らしい様子が十代の乙女にふさわしく、七郎は思わず胸が高鳴った。
「お茶のお代わりを」
「は~い、ただいま~」
「……あの、俺も」
 七郎はそっと茶碗を差し出した。
 次の瞬間、おりんは恐い顔で七郎に振り返った。
「――何?」
 おりんの目は恐かった。七郎をゴミのように見ている。
 先日、七郎はおりんと共に旅芸人一座の芸を観に行った。
 だが、旅芸人一座は予定より早く江戸を発ち、代わって開催されていたのは不気味なロウ人形の展示会だった。
 七郎が悪いわけではないが、二度までも旅芸人一座を見逃すとは。
 いや、おりんが真に怒りを感じているのは、七郎がロウ人形展を楽しんでいたからだ――
「まあまあ。この者にもお茶を」
 と、正雪が苦笑しながら助け舟を出した。
「……はいはい、わかりましたよ。ねえ、次はマシなのに誘ってよね?」
 おりんは七郎をにらみながら、店の奥に戻っていった。どうやら機嫌は直ったようだ。
「ふう~、寿命が縮まった…… さすがは正雪だ!」
「お前な、私をダシに使うとは……」
「ありがとうな、正雪! お代はおごるから!」
 七郎は実に晴れ晴れとした顔で、正雪の背をバンバンと叩いた。
 常に剣難女難の災禍の中心にいる七郎。
 彼にとって由井正雪とは、頼れる兄のごとき存在だ。
 こうして彼は、おりんの機嫌を直すことに成功した。今この時ばかりは、月ノ輪のことも頭になかった。
「どうだね今度、薬の鍋でも」
 七郎は気を良くしているが、正雪は僅かに眉をしかめた。こんな顔をするくらいに七郎と正雪は仲を深めていた。
「え、遠慮する……」
 正雪は薬を食さない。薬とは獣肉のことだ。江戸では一般的に獣肉は食さない。これは仏教の影響だろう。
「美味いし、気力体力も回復するんだがなあ」
 と、七郎は明るく軽く笑った。
 魔性と命のやり取りに及んだ男が、おりんという一人の少女が恐いとは。
 ましてや月ノ輪のことは、おりんより恐いと思っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...